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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:より良い社会とは)

より良い社会とは

heartmindの回答

  • heartmind
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回答No.13

学校教育の目的は仰る通り子供の能力をのばすことだと思います。 しかし、クラシックなコミュニタリアニズムにおいては、 「のびたの癖に生意気だ」という、のびたは、のびたの役割を すればよいという理屈はその目的と合いません。 できれば、のびたもすねおやジャイアンやできすぎのスキルを 身につけるチャンスをあまねく与え、大人になった時にどの役割 が適しているかを選択するシステムの方が合理的です。 クラシックなコミュニタリアニズム教育の反省が極端な平等主義 に反動となっているのかもしれません。 ところで個人的に気になるのは、 >小・中学校の教育で感じていた閉塞感 とはどういったことなのかを知りたいのですが、もしよろしければ 教えていただけるとありがたいおですが。

moumou92
質問者

お礼

ご回答いただき、ありがとうございます。

moumou92
質問者

補足

具体的に閉塞感とは、『協調性』と『皆仲良く』を強いられる雰囲気です。 通信簿などに書かれるのですが、子供ながらに皆と分け隔てなく仲良くすることは果たして 可能なのだろうかと思っていました。大人でも難しい。もしそれが可能であるなら、世の中 から嫁姑問題は根絶されているだろうし、世界から戦争もなくなっていると思います。 そんな難しいことを常に要求されて、結構ストレスでした。 学校の先生が本当に生徒皆に対して分け隔てなく接せられているのかどうかということも問 われます。でも人間なので皆に分け隔てなくと言うのは無理な気がします。 クラスにはいつもちょっとした緊張感がありました。とにかく皆と仲良くしないといけない。 自分が仲間外れにならないように。ただ合わない人とも交流しないといけない環境なので、 ストレスからか時々小さないじめがありました。その手のいじめは割と皆なにかしらで経験 したことがあるのではないかと思います。 高校生になると、気が合う人としか仲良くできなくても非難されないから一気に楽になりましたが。 小・中学生の頃はとにかく息苦しかったです。小さな子供を持つ母親の一番の悩みが「ママ友 とうまく付き合えるかどうか」というのは、子供の頃仲良くすることを強いられ、大人になる とそういう義務から免除されてたのがまた子供の頃のように皆と仲良くできないと人として ダメ人間の烙印を押されるのではないかと不安を感じるのではないでしょうか。大人でも皆で 仲良くしなきゃダメなんだと思うことはストレスなのに、子供なら尚更な気がします。 きっと学校の先生は良かれと思ってできるだけ『平等』になるようにしているのでしょうが、 私は平等思想がそんなに素晴らしい思想だとは思えなくて。日本人には合わないのではない でしょうか。 日本人は元々とにかく色んなことに感謝する信仰心を持っていて、海や山に対して感謝したり、 ご飯が食べられることに対して感謝したり、自分が生きていることに感謝したり、とにかく 何にでも有り難いと思える民族だったはず。感謝や謙譲の心が日本人を支えてきたのに、 『平等』という思想に置き換えられ何物にもあまり感謝しなくなっているのでは思えます。

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