『歴史』に関する質問・疑問一覧

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  • 初代内閣総理大臣に伊藤博文が就任したのは。

    1885年(明治18年)12月22日、参議の伊藤博文が内閣総理大臣に任命され、第1次伊藤博文内閣が発足しています。 任命したのは明治天皇ですが、これは天皇独自の判断ですか。 それとも誰かが天皇に伊藤博文を推薦とか指名したのですか。 伊藤博文に決まったいきさつを教えてください。 また、この内閣には、公家が一人も入閣していませんが、何らかの理由があるのですか。 思いついた、どうでもよいようなことを質問して申し訳ないですが、よろしくお願いいたします。

    2020/06/03 19:48
  • 不安です

    お忙しい中見ていただきありがとうございます。 タイトル通り不安な気持ちが入り混じっています。 質問としまして、お地蔵さまが出来た経緯を調べて 怖いとか恐怖を感じております。 お地蔵さんが閻魔さまの化身?と申し上げてよいのでしょうか・・、 それを聞いてとても怖くなりました。それだけではないのですが、 お地蔵様の前で嘘をついてしまったら、地獄に行きというのを 子供の頃にテレビで見てました(見たはず・・)その時にはあまりピンと 来なかったのですが、大人になって改めて調べてみたら・・ 凄く後悔しました。 私の場合、お地蔵様がある場所には普段は、行ったりはしないのですが、 たまに家族と出かける際に車すれ違いざまに、その場所にあったりします。 その際に家族との会話に嘘が混じっていたら、車ですれ違っていたとしても お地蔵様は見抜いているのでしょうか。とても怖いです。 あとお地蔵様はお墓に建てられているものや道端にもお地蔵様や仏壇に飾られている仏像様(違うかもしれませんが)も閻魔様なのでしょうか・・。 そして、お地蔵様ともう一つお墓についてです。 これに関しては、自分はうつ病を患っており色々と精神的にも 辛い状況にあり、口には出してはいませんが、 先ほども書きましたが、車でお地蔵様やお墓が道端に立てられている際に 頭の中に「いい気味」とよぎってしまいました。 何故こうなったのかと、先月のある日にふと、お墓と頭によぎり、そのあといい気味と頭の中に聞こえた声が聞こえました。 私は何考えてるんだ、失礼だろ!と自問自答しました。 意味を調べたら、他人の失敗や不幸を喜んで、いい気持ちになっていることという意味。 先ほども書きましたが、お地蔵様が作られた経緯を調べて怖いとか恐怖を覚えましたが、いい気味だなとは思ってもいません。 そしてお墓に眠っていらっしゃるご先祖様や亡くなられた方々に対して、いい気味だとも思っていません。 それ以来なのですが、余計にお地蔵様やお墓を見つけたり横切ったりする時に、いい気味と頭によぎったりする事があるので、その度に、思ってないやそんな事を考えてないとか息を止めたり(流石に息止めるのは止めましたが)、露骨に目で見ないように避けることが多くなりました。 なので、どうしたらいいでしょうか。 いい、解決方法等があれば教えてください。

    2020/06/02 23:03
  • ピカソについてわからない問題があります。

    中学校で配られたプリントで一切わからない問題があったので教えてください。

    2020/06/02 15:43
  • 社会のレポートについて!

    社会のレポートで「富国強兵のもとで行われた政策以外で、あなたが明治政府の役人として今後日本を発展させるためにどのような政策を行いますか。」というのがあるのですが、考えても全く分かりません。 何かヒントをお願いします。

    2020/06/02 13:41
  • 平氏政権と源氏政権の違い

    平清盛の六波羅政権と源頼朝の鎌倉の政権の違いは何でしょうか??? 参考書に「六波羅政権は貴族的な性格が強かった。」と書かれているのですが、「貴族的な性格」というのは、六波羅政権のどのような特徴を指していうのでしょうか??? また、頼朝の政権が「武士的な性格」の政権だというのであれば、「武士的な性格」というのは、鎌倉幕府のどのような特徴を指していうのでしょうか???

    2020/06/02 04:17
  • 徳川宗尹の幼名の小五郎は桂小五郎と絶対に無関係か?

    徳川吉宗の四男で一橋徳川家の初代当主・徳川宗尹(一橋宗尹とも名乗った)の幼名は、“小五郎” だったそうです。 【徳川宗尹】 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B3%E5%B7%9D%E5%AE%97%E5%B0%B9 確か歴史上に、桂小五郎 という人物がいたと思います。 【木戸孝允(桂 小五郎(かつら こごろう))】 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%A8%E6%88%B8%E5%AD%9D%E5%85%81 “徳川 宗尹(とくがわ むねただ)” の幼名の “小五郎” と、“桂 小五郎(かつら こごろう)” の “小五郎” が同じなのですが、『関係 若しくは 関連は、絶対にない』と言えるでしょうか? “徳川 宗尹(とくがわ むねただ)” の幼名の “小五郎” と、“桂 小五郎(かつら こごろう)” の “小五郎” が同じなのですが、『関係 若しくは 関連は、絶対にない』と言えるかどうかを教えてください。

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    • noname#243711
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    2020/06/01 19:41
  • 代官の家来

    江戸時代の1660年頃の大身旗本で在地代官を置くことがありましたが、家来には自分の子弟ではなく、付き合いがある家や仕事ができる人を選んだってことがあったみたいですが、そういうことも実際は、あったのでしょうか?

    2020/06/01 11:50
  • 政府という用語。

    Wikiによれば、「近代政府は、1885年(明治18年)の内閣制に始まるとされる。法令上は通常「国」と称する。」とあります。 このときにできた組織つまり行政機関を「政府」と呼ぶと正式に決めたのでしょうか。 新聞は調べていませんが、当時の官報には「政府」という用語は出てきません。 幕末から明治初期にはすでに「政府」という言葉がありましたから、維新で新しくできた政権を古い「江戸幕府」に対して誰言うとなく「明治政府」と呼んで、広まったという感じでしょうか。 よろしくお願いします。

    2020/05/31 19:52
  • ルーズベルト→最近はローズベルト 何故でしょうか

    セオドア・ルーズベルト大統領の名前の表記なのですが 私が学校で習った時代では一律にセオドア・ルーズベルト大統領となっていましたが 最近のテレビや教科書、学習参考書では セオドア・ローズベルト大統領と記載されていることが殆どのように思います 微妙な発音違いなのかもしれないのですが、 こうして身に触れるもの全体的に 表記が変わっているのが少し不思議に思いました 何か理由があるのでしょうか。。。。?

    2020/05/31 11:30
  • 農奴と奴隷について質問です。

    農奴と奴隷について質問です。 1.よく世界史や日本史において、奴隷や農奴という用語が出てくるのですが、この農奴と奴隷って、どう違うのでしょうか? 2.奴隷と農奴、この二つは身分や出自で決まる階級社会において、待遇がマシで、身分から脱出し、上流階級や中流階級にのし上るチャンスを得られるのは、どちらなのでしょうか? 3.奴隷と農奴、この身分になるのは、どんな立場の人々なのでしょうか? 4.OVA「銀河英雄伝説」のゴールデンバウム王朝銀河帝国では、ルドルフ大帝の死とともに共和主義者による反乱が続発したが、帝国宰相であり第2代皇帝ジギスムントの父親でもあるノイエ・シュタウフェン公ヨアヒム によって「卵の殻でも踏みつけるように」粉砕された。 そして、一〇〇億人以上の市民達が、市民権を剥奪されて農奴階級に落とされた場面があるのですが、ここで質問です。 専制君主制や封建制、独裁制体制の国家において、反乱を引き起こした人々を、農奴階級に落とすことは、どんなメリットとデメリットがあるのでしょうか? 5.これは思考実験になるのですが、農奴と奴隷、両方存在する国家がある場合、その国家の経済と産業、財政、科学技術において、どんなメリットとデメリットがあるのでしょうか?

    2020/05/30 18:20
  • 家康が五郎太と名付けた理由についてのこの説の信憑性

    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B3%E5%B7%9D%E4%BA%94%E9%83%8E%E5%A4%AA#尾張徳川家嫡男の幼名「五郎太」 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B3%E5%B7%9D%E4%BA%94%E9%83%8E%E5%A4%AA#尾張徳川家嫡男の幼名「五郎太」 (⇧)上記の URL の “徳川五郎太” の wikipedia のページの『2尾張徳川家嫡男の幼名「五郎太」』の所の説明によると、 『五郎太は元来、 初代藩主徳川義直の幼名であり、代々の尾張徳川家嫡男に付けられる幼名であった。他には以下の人物が五郎太と名付けられていた。』 そうです。 そして、また、(⇩)下記の URL のページには、 http://www.sououji.com/okame/index.html 『同年11月、家康59歳のとき、その生まれ変わりのように九男義直が生まれた。幼名を千千代。その後に五郎太丸と名乗る。五郎太丸という幼名は家康自らつけたもので、城壁を築く際に大石巨岩を積み重ねるが、その間に「くさび」として五郎石を用いなければならない。その意味で、この子は天下の「くさび」となってくれるだろうという切なる家康の願いでつけたといわれ、いかに可愛がっていたかがわかる。 後に義直と改名し尾張初代藩主となるのであるが、その後、尾張家では代々の世子に五郎太丸と名付けるようになった。』 と書かれています。 この(⇩)ページの、 http://www.sououji.com/okame/index.html 『五郎太丸という幼名は家康自らつけたもので、城壁を築く際に大石巨岩を積み重ねるが、その間に「くさび」として五郎石を用いなければならない。その意味で、この子は天下の「くさび」となってくれるだろうという切なる家康の願いでつけたといわれ、』 という説は、本当なのでしょうか? この説の信憑性は、どの程度のものなのでしょうか? 教えてください。

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    • noname#243647
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    2020/05/30 17:05
  • エンゲルス、サルトルについて

    エンゲルスとサルトルのやり取りで、これはどのようなことを聞いてるいるのかわかりやすい教えて欲しいです。 エンゲルスは、弁証法の三大法則の一つとして、量から質への転化と言うことを述べるが、このエンゲルスの法則をサルトルは徹底的に批判する。 エンゲルスが述べているところでは、「物理学にあっては、あらゆる変化は量から質への移行、物体は固有の、あるいは他からその物体に伝えられる運動――何らかのかたちの運動の量から質への移行である。すなわち、たとえば、水の温度ははじめのうちは液体状態にたいして何の意味ももっていないが、温度を上昇あるいは下降させると、ある瞬間に凝集状態が変化し、ある場合にはそれは水蒸気に、他の場合には氷に形を変える……」。 このエンゲルスに対するサルトルの批判はこうである。「科学的研究は量から質への移行を証明しようなど、決して思っていない。科学的探究はまず、感覚に訴える質から出発する。つまり主観的な錯誤の多い外見からことをはじめ、徐々にその背後にある量、宇宙の真理とみなされる量を探ろうというのだ。ところがエンゲルスは、無邪気にも温度を誰でも最初から純粋の量として受け取っているかに考えている。ところが事実は、はじめのうちは質として現れるのだ。……感覚に訴える質を、科学者は一つの量に還元した。それは、感覚によって漠然と知るよりも、ある液体容積の膨張の測定によった方がいいと思われたからである。[アルコール温度計などによる温度の測定のこと]水が蒸気に変化するのも、科学者にとっては、やはり量的現象である。いってみればその変化は彼には量としてしか存在しないのだ。……そこで、われわれは次のいずれかを選ばねばならぬ。すなわち、五感に訴える質の領域にとどまるのがその一つである。この場合蒸気はエンゲルスのいうように質である。だが、同時に温度も質なのだ。われわれは科学的操作をやっているのではなく、ただある質が他の質に働きかける運動を眺めているにすぎない。もう一つの立場はこうだ。温度を一つの量として考える……。そしてこの場合は、液状から沸騰状への移行は量的変化として科学的に定義される。……科学者にとっては質が量を生む。科学的法則は量的な関係をあらわすもので、科学は質を質としてあらわすいかなる記号も持ちあわせてはいない」。 自然科学においては、測定技術の進歩によって発見された法則がいくつもあるが、そのような発見の例を一つ取り上げ、測定技術の進歩の前後で自然現象の説明の仕方がどのように変化したのかを説明しなさい。

    2020/05/27 00:12
  • 社会中学生2年の問題です

    農民なら検地帳に名前を書かれている方が良いか? という問題が出たのですがわからないので教えてください。

    2020/05/26 12:56
  • この、家康が五郎太と名付けた理由の説明は本当か?

    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B3%E5%B7%9D%E4%BA%94%E9%83%8E%E5%A4%AA#尾張徳川家嫡男の幼名「五郎太」 (⇧)上記の URL の wikipedia のページによると、 『五郎太は元来、 初代藩主徳川義直の幼名であり、代々の尾張徳川家嫡男に付けられる幼名であった。他には以下の人物が五郎太と名付けられていた。』 そうです。 (⇩)下記の URL のページによると、 http://www.sououji.com/okame/index.html 同年11月、家康59歳のとき、その生まれ変わりのように九男義直が生まれた。幼名を千千代。その後に五郎太丸と名乗る。五郎太丸という幼名は家康自らつけたもので、城壁を築く際に大石巨岩を積み重ねるが、その間に「くさび」として五郎石を用いなければならない。その意味で、この子は天下の「くさび」となってくれるだろうという切なる家康の願いでつけたといわれ、いかに可愛がっていたかがわかる。 後に義直と改名し尾張初代藩主となるのであるが、その後、尾張家では代々の世子に五郎太丸と名付けるようになった。 と書かれています。 この(⇩)ページの、 http://www.sououji.com/okame/index.html 『五郎太丸という幼名は家康自らつけたもので、城壁を築く際に大石巨岩を積み重ねるが、その間に「くさび」として五郎石を用いなければならない。その意味で、この子は天下の「くさび」となってくれるだろうという切なる家康の願いでつけたといわれ、』 というのは、本当の真実なのでしょうか? どうなのかを教えてください。

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    • noname#243601
    • 歴史
    • 回答1
    2020/05/26 10:46
  • 恩師のご墓所

    禅僧で図書館学の教授が東洋大学におられました。 65年前、二十歳の彷徨う私の運命を開いてくれた先生のご墓所をお参りしたいと存じます。どのように探したらいいでしょう?

    2020/05/26 10:06
  • 徳姫

    信長長女徳姫はわずかハタチで信康事件により後家になっています。 なぜ再婚していないのでしょうか?

    2020/05/26 09:48
  • 極悪非道な君主

    歴史上の極悪な君主って本当にいたのですか負けた方だから悪く書かれてるだけですか よろしくお願いしますm(_ _)m

    2020/05/25 17:39
  • 仏教の修行についてです。

    宜しくお願い致します。仏教の修行で沈黙行という修行があるのですが。なんのためなのか、その修行が終わったらどうなるのかなど知りたいです。教えて下さい。

    2020/05/24 19:09
  • 江戸時代の敵討ち

    wikipedia「敵討ち」の文に 仇討ちは、中世の武士階級の台頭以来、⋯⋯「江戸幕府によって法制化される」 に至ってその形式が完成された。 とありますが、敵討ちを正当化した江戸時代の法典というのは何でしょうか。 私的制裁権としての「無礼打ち」や「妻敵討」は、江戸時代の刑法である「公事方御定書」の中にその定義がありますが、敵討ちはどうも違うようです。 HP上にも関連記事は沢山見つかりますが、その根拠を示した文章を見つけることができないでいます。

    2020/05/24 12:21
  • 1941年、仏印南部への進駐決定を英国は事前に把握

    Wiki「仏印進駐」の「5 日米関係の悪化と南部仏印進駐の決定」によれば、仏印南部への進駐決定を英国は事前に把握していたそうです。 (以下、wiki抜粋) 1941年7月2日の御前会議において仏印南部への進駐は正式に裁可された。(『情勢ノ推移ニ伴フ帝国国策要綱』)。しかしイギリスはこの時点で仏印進駐の情報をつかんでおり、7月5日には駐日イギリス大使ロバート・クレイギーが日本の南進について外務省に懸念を申し入れている。日本側は情報漏洩に驚き、進駐準備の延期を行ったが、(略) (抜粋終わり) 思いついたことを次々と質問して申し訳ないですが、教えてください。 1.どこから情報が漏れたのですか。 日本から米国への外交電文は筒抜けだったそうですから、このルートから漏れて、米国から英国へ伝わったのですか。 2.どの程度の内容まで漏れたのですか。 「情勢ノ推移ニ伴フ帝国国策要綱」には、「帝国は本号目的達成の為対英米戦を辞せす」とあります。 よろしくお願いします。 仏印進駐 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8F%E5%8D%B0%E9%80%B2%E9%A7%90

    2020/05/23 20:04

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