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処分権主義って、裁判を起こすまでの原告被告の当事者
処分権主義って、裁判を起こすまでの原告被告の当事者の主導権で、 弁論主義は裁判を起こしてからの原告被告の当事者の主導権。 原告被告両方とも、自分が裁判所に判断して欲しい資料のみを提出する。 で、裁判の取り下げは処分権主義になる。 こういう解釈であってますか? 合ってるんでしたら、なんで最後の裁判の取り下げも弁論主義にならないのでしょうか?
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「処分権主義」というのは、「訴訟の開始から、訴訟の範囲、終了に到る」までの「決定権」を当事者に委ねよう、当事者に委ねるべきだ、という考え方・主義です。 従って、「訴えの取り下げ」も処分権主義の現れです。 裁判官は「なんで、ここまでやってきたのに訴えを取り下げるの?」とか言いません。いわんや「この訴訟、取り下げは許さない!」と叫んだりしません。 ついでにいうと、「100万円の請求訴訟」で、裁判官が「実は債権額は130万円だ」と認識しても、「100万円まで」の支払いしか命じられません。これも処分権主義の現れです。 「弁論主義」には広狭2つの使い方がありますが、広義のほうは、処分権主義と同じような使い方をします。 「狭義の弁論主義」は、「事実・証拠の収拾、それら(主張を含む)の裁判所への提出は、当事者の権限であり、義務である(~義務であるべきだ)」という考え方(主義)です。 狭義の弁論主義は、「職権探知主義」の対立概念(反対語)で、ふつうに「弁論主義」というと、狭義のほうを指します。 なので、弁論主義を理解したかったら、「職権探知主義の反対」と覚えておくと理解しやすいと思います。 訴えの取り下げは、職権探知主義とはまったく無関係ですよね? 言葉的に、素直にそう思えるでしょ? だから、訴えの取り下げは、弁論主義とも無関係だ、と。 「どんな事実・証拠を収拾し、裁判所に提出するかしないか」を決定する権能も含めて、「当事者が(裁判所の気持ちとは無関係に)決めることができる」のが処分権主義なので、狭義の弁論主義は、処分権主義(広義の弁論主義)の一部だと言ってもいいのです。
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例外はあるののの 裁判外では 私的自治(の原則) 。 そこで 裁判上でも当事者の意思を尊重し 訴訟の終了を当事者の意思に委ねることとしている。 処分主義はコーだ! なんて民事訴訟法条文には、ない。 なので、僕は違うことを言ってるかもしれないが 訴えなければ裁判なし、不告不理の原則 裁判官の恣意によって裁判されるか否可が左右される ことをさせない。 終了は 確定判決と同一の効力が生ずる。 このような強大な効果を生じさせて良いのか? 本来は、当事者の自由な処分に委ねられていたものなのでから 当事者が それでいい と考えている以上 そのような当事者の意思を尊重することが 私的自治の原則に資すると考える。 僕の回答が何かの役に立てば、・・・立たないかな? それでも とりあえず 回答してみました。