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人権とは?

人権とは? よろしくお願い致します。 こと、「日本史」に限ってみても、「それは無いよ」というのは、 結構あるんじゃないかと、思いますけどね。

みんなの回答

回答No.11

 こんばんは  遅くなりまして、申し訳ございませんでした。 > どのような立場から「思ったり」されるのでしょうか 1. 「国家の命により、戦争に赴き、戦死した人達の人権は?」 2. 「(元来は沖縄の問題が発端でしたから)沖縄の人(女性)たちが、米兵により強姦されてしている現状を、見てみぬ振りをするのは、沖縄に住む人たちへの人権(生存権・財産権)を無視しているのではないの?」 1: 同じ日本国民として、そしてかつ大先輩を想う気持ちからです。具体的には、”生存権”の剥奪(一般論として、生命、財産権は何よりも重いです) 2: これも、同じ日本国民としての感情、そして、日米安保の維持のため、沖縄の方達に押し付けているという若干の疾しさからです。具体的には、これも”生存権”であります。   > nyan_nyankoさまは、どのようにお考えでしょうか。 「つまり、最初に声高に「人権侵害だ!」と叫んだものが、後者達(戦没者、沖縄の女性の方々)の人権(これらが人権に相当するかは断じかねますが)を無視していることが往々にしてあるからなんです。」  まず、「人権」、この思想を見出し、そして、勝ち取るために、尽力した人たちには敬意を評したいとは思います。  ですが、今日では、自分の都合の良いように拡大解釈し、「人権!!」と叫ぶ人たちはどうしても受け付けられないのです。  上述のような過去の先人に敬意を示すどころか、好き勝手に”葵の御紋”のようにこの言葉を用いる、単なる駄々っ子、このように見えてしまいます。  どうも、失礼致しました。

kurinal
質問者

お礼

こんばんは。ご回答ありがとうございます。 >「遅くなりまして、申し訳ございませんでした。」 いえ、私も結構遅いんです。 >「1. 「国家の命により、戦争に赴き、戦死した人達の人権は?」 2. 「(元来は沖縄の問題が発端でしたから)沖縄の人(女性)たちが、米兵により強姦されてしている現状を、見てみぬ振りをするのは、沖縄に住む人たちへの人権(生存権・財産権)を無視しているのではないの?」 1: 同じ日本国民として、そしてかつ大先輩を想う気持ちからです。具体的には、”生存権”の剥奪(一般論として、生命、財産権は何よりも重いです) 2: これも、同じ日本国民としての感情、そして、日米安保の維持のため、沖縄の方達に押し付けているという若干の疾しさからです。具体的には、これも”生存権”であります。」 了解致しました。 人権とは、普遍的なものでありながら、「~国民の人権」と言ってしまうと、やはり途端に狭まると思います。 >「まず、「人権」、この思想を見出し、そして、勝ち取るために、尽力した人たちには敬意を評したいとは思います。」 なるほど。 >「ですが、今日では、自分の都合の良いように拡大解釈し、「人権!!」と叫ぶ人たちはどうしても受け付けられないのです。  上述のような過去の先人に敬意を示すどころか、好き勝手に”葵の御紋”のようにこの言葉を用いる、単なる駄々っ子、このように見えてしまいます。」 一昔前は、「権利」について、同様の議論があったように思います。 ですが、「権利」にしても「人権」にしても、なんでも認められるかと言えば、(仰られる通り)そうではないわけです。 しかし、だからといって、全ての主張を退ける、というわけにもいきません。 むしろ、「全ての主張に耳を傾け、慎重に吟味する」という「過程」が、何処かで必要になると思います。

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回答No.10

 こんばんは  ちょっと極論でしたでしょうか。 > 「何でもあり」ではありません。他者の人権を侵害することは出来ないのです。(だからこそ、自身の人権は保障される) ・・・なんとなれば、「他者の人権を侵害しない限りに於いて、「人権の主張」は、認められる」であるから。  つまり、こういうことなんです。最近の橋下氏の慰安婦問題にしましても、「女性の人権を無視するものだ!」とかです。  よくよく考えてみますと、では、 「国家の命により、戦争に赴き、戦死した人達の人権は?」 「(元来は沖縄の問題が発端でしたから)沖縄の人(女性)たちが、米兵により強姦されてしている現状を、見てみぬ振りをするのは、沖縄に住む人たちへの人権(生存権・財産権)を無視しているのではないの?」  と思ったりします。  つまり、最初に声高に「人権侵害だ!」と叫んだものが、後者達(戦没者、沖縄の女性の方々)の人権(これらが人権に相当するかは断じかねますが)を無視していることが往々にしてあるからなんです。  ということなのですが、ご心証害しましたでしょうか。別段、批判の気持ちがあっての回答ではなかったことを、ご理解いただければ、幸いです。

kurinal
質問者

お礼

nyan_nyanko様、ありがとうございます。 >「よくよく考えてみますと、では、 「国家の命により、戦争に赴き、戦死した人達の人権は?」 「(元来は沖縄の問題が発端でしたから)沖縄の人(女性)たちが、米兵により強姦されてしている現状を、見てみぬ振りをするのは、沖縄に住む人たちへの人権(生存権・財産権)を無視しているのではないの?」  と思ったりします。」 どのような立場から「思ったり」されるのでしょうか >「つまり、最初に声高に「人権侵害だ!」と叫んだものが、後者達(戦没者、沖縄の女性の方々)の人権(これらが人権に相当するかは断じかねますが)を無視していることが往々にしてあるからなんです。」 nyan_nyankoさまは、どのようにお考えでしょうか。 「0か100ではない」、「-1には1のペナルティーを、-99には99のペナルティーを」といった「理屈」をご理解頂ければ、と思います。 (ご心証害しましたでしょうか。別段、批判の気持ちがあっての回答ではなかったことを、ご理解いただければ、幸いです。) いえいえ、全然。米国の歴史についても、nyan_nyanko様のほうが歴然とお詳しいようです。

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回答No.9

 こんにちは > こと、「日本史」に限ってみても、「それは無いよ」というのは、結構あるんじゃないかと、  まず、「人権」という訳語ですが、おそらく明治期になってからのことでしょう。「自由(訳語は福沢諭吉)」もそうですから。  そして、今のように、この言葉が広まったのは、現在の日本国憲法制定時のときからでしょう。    ですが、興味深いことに、米国人により作成された日本国憲法には、確かに”人権思想”を読み取ることはできます。  なのですが、その本家である、自分たちが、自分たちのために作った合衆国憲法には、それがないのです。合衆国憲法にあるのは民権(civil rights)の保障だけなんです。  なぜ、ないのかについては、議論がわかれるところなのですが、合衆国憲法に権利の章典を加えたジェームズ・マディソン(米国第四代大統領)の影響は強かったと考えられます。彼は、人権思想(人権イデオロギー)が、ある特殊な宗教思想であり、憲法の政教分離の原則に抵触すると考えていたからだと言われています。  今でこそ、「人権」という言葉が人類発祥のときから存在していたかように思われがちですが、(思想・イデオロギーとして)理論構築化されたのはホッブズ以降のことでしょう(何度も繰り返しますが、イデオロギーとしてです)。  そして、今や、この「人権」という言葉を振りかざせば、”何でもあり”という「葵の御紋」となっています。少なくとも、この日本では。

kurinal
質問者

お礼

nyan_nyanko様、ご回答ありがとうございます。 >「まず、「人権」という訳語ですが、おそらく明治期になってからのことでしょう。「自由(訳語は福沢諭吉)」もそうですから。  そして、今のように、この言葉が広まったのは、現在の日本国憲法制定時のときからでしょう。」 まあ、戦後日本に限ってみても「人権」というのは、相当に誤解されるような格好で、あったようにも思われます。 >「ですが、興味深いことに、米国人により作成された日本国憲法には、確かに”人権思想”を読み取ることはできます。  なのですが、その本家である、自分たちが、自分たちのために作った合衆国憲法には、それがないのです。合衆国憲法にあるのは民権(civil rights)の保障だけなんです。  なぜ、ないのかについては、議論がわかれるところなのですが、合衆国憲法に権利の章典を加えたジェームズ・マディソン(米国第四代大統領)の影響は強かったと考えられます。彼は、人権思想(人権イデオロギー)が、ある特殊な宗教思想であり、憲法の政教分離の原則に抵触すると考えていたからだと言われています。」 そうなんですか。ある意味、「憲法」の役割からすると「民権の保障」を謳えばそれでオッケー、なのかもしれないですね。「「自由の国」らしいことだ」といえば、そうなのかも? >「今でこそ、「人権」という言葉が人類発祥のときから存在していたかように思われがちですが、(思想・イデオロギーとして)理論構築化されたのはホッブズ以降のことでしょう(何度も繰り返しますが、イデオロギーとしてです)。」 いやいや、私も「人類発祥から「人権」があった」とは、言うものではありません。 >「そして、今や、この「人権」という言葉を振りかざせば、”何でもあり”という「葵の御紋」となっています。少なくとも、この日本では。」 これはまた、。 理屈としては、「他者の人権を否定しては、自身の人権が成り立たない。ゆえに、「人権侵害をしないでね」」ということになります。 「何でもあり」ではありません。他者の人権を侵害することは出来ないのです。(だからこそ、自身の人権は保障される) ・・・なんとなれば、「他者の人権を侵害しない限りに於いて、「人権の主張」は、認められる」であるから。

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  • koiprin
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回答No.8

NO,5  補足します。 >「人権とは、格差社会にさらされた庶民がどんでん返しをするために生まれた概念。」 「どんでん返し」とまでは、ちょっと言い過ぎかな、とも思います。 また、「格差社会」というよりは、もっと徹底的な「不平等社会」をなんとかするために、だったかもしれないでしょうか(王権神授説→自然法思想→社会契約論→・・・) ⇒この言い方間違いました。  「新しい為政者が、平等の意識の強くなった庶民を納得させるための方便」  のほうが後の展開をわかりやすくすると思いましたので訂正します。 >しかい、この概念自体は、王侯貴族に取って代わろうとする頭の良い連中が使った。」 「王侯貴族に取って代わろう」としたのかどうかは、判りませんが、 ⇒支配者間での権力闘争とおとらえください。 >「人数に大差のある庶民は王侯貴族に刃向って、彼らを処刑し血祭りに上げた。結果富の再分配が起きて、多くの人が富を得て平等という認識をなんとなく持ってしまった。」 まあ、「革命」というのがあった、・・・日本でも明治維新が無かったら、「大名が世襲して君臨して当たり前」というままだったでしょうか ⇒明治維新は革命でもなんでもありません。徳川幕府体制から、薩長の連合支配に代わっただけです。おかげで大名家は爵位をもらってまったく変化はなく、新政府も毛利、島津に頭が上がりませんでした。現在でも世襲議員が多いことからも、体制の変化がないことがわかります。 >「しかし、もともと富の扱いに慣れていない庶民は、王侯貴族よりも扱いやすく、やがて頭の良い連中に搾取され始めた。しかし、それを当たり前と思いこまされて今に至っている。 彼らの名は、資本家だ。彼らは現在の世界を王侯貴族に変わり支配している。多くは銀行として国家として。ああ金利の恐ろしさ、税金の恐ろしさ。」 どうなんでしょう。革命それ自体の評価と、それ以後の経済的な事情とは、ちょっと分けて考えたほうが、よりスッキリしそうな気もします。 ⇒近現代の革命・政変・戦争と呼ばれるものは、すべからく支配者間の権力闘争であり、また特に18世紀以降貨幣経済の発展にともない経済的な事情とは切っても切り離せなくなっています。 >「権利と義務。都合の良い解釈が世界を覆う。」 これもやはり判り辛いのですが、 「人それぞれに、千差万別な解釈が(有り得て)世界を覆う」と解する、 あるいは、文脈的には「権利と義務についても、都合の良い解釈で世界を覆うのは資本家だ」と解する、 そういう感じでしょうか。 (いや、しかし、それはどうですかね。日本史的には、(国策的に)産業が保護育成されてきた、ということは、あるのかもしれないですけど) ⇒『権利』『義務』というのは支配者層の都合の良い解釈を押し付けられているだけです。  彼らはこれらを自分たちに都合よく造り、我々に押し付け、当然自分たちは守りません。  たまに権力闘争が起こると、その事実が垣間見られます。  我々が権利や義務を守ろうと思うのは教育の成果です。  守らざるを得ないのは彼らの作った法律の成果です。   こういった概念が造られた背景。また作った人の関係者、利益享受者をたどることで本質が見えてきます。支配者層は王侯貴族から資本家に変遷しました。 資本家が支配を広げるうえで、人権を説くことはアメリカ独立戦争しかり、大きな戦争のもととなりました。こういった戦争は、費用が莫大にかかりますが、それを工面してきたのが彼らです。当然利子が付いていますし、今では各国の中央銀行(民間の資本です)という仕組みやエネルギーの市場の価格調整という形で成し遂げられています。 現在のアメリカは、憲法に規定していない所得税を強制的に徴収していますが、そのほとんどを中央銀行FRBへの利子返済に割り当てています。紙幣を発行するのは、国債を担保として行われるという仕組みになっているので、紙幣は、そのままFRBへの債権となって、利息を払い続けるという宿命を背負っています。 これを廃止しようとした大統領はすべて暗殺されています。有名なところだと、リンカーンとケネディ。彼らは民間の中央銀行ではなく、政府が紙幣を発行するという、憲法に規定されていることを行い、暗殺されます。暗殺後は発行した政府紙幣は、すべて回収されています。 こういったことが世界中で起こってきましたので、いかに人権というのが適当なものかがわかります。

kurinal
質問者

お礼

こんばんは。 >「⇒この言い方間違いました。  「新しい為政者が、平等の意識の強くなった庶民を納得させるための方便」  のほうが後の展開をわかりやすくすると思いましたので訂正します。」 「新しい為政者」とは。 >「⇒支配者間での権力闘争とおとらえください。」 そうなんですかね。 >「⇒明治維新は革命でもなんでもありません。徳川幕府体制から、薩長の連合支配に代わっただけです。おかげで大名家は爵位をもらってまったく変化はなく、新政府も毛利、島津に頭が上がりませんでした。現在でも世襲議員が多いことからも、体制の変化がないことがわかります。」 →「平成になっても、江戸と体制は変わらないよ」と、仰るのですね。 >「⇒『権利』『義務』というのは支配者層の都合の良い解釈を押し付けられているだけです。  彼らはこれらを自分たちに都合よく造り、我々に押し付け、当然自分たちは守りません。  たまに権力闘争が起こると、その事実が垣間見られます。  我々が権利や義務を守ろうと思うのは教育の成果です。  守らざるを得ないのは彼らの作った法律の成果です。   こういった概念が造られた背景。また作った人の関係者、利益享受者をたどることで本質が見えてきます。支配者層は王侯貴族から資本家に変遷しました。 資本家が支配を広げるうえで、人権を説くことはアメリカ独立戦争しかり、大きな戦争のもととなりました。こういった戦争は、費用が莫大にかかりますが、それを工面してきたのが彼らです。当然利子が付いていますし、今では各国の中央銀行(民間の資本です)という仕組みやエネルギーの市場の価格調整という形で成し遂げられています。 現在のアメリカは、憲法に規定していない所得税を強制的に徴収していますが、そのほとんどを中央銀行FRBへの利子返済に割り当てています。紙幣を発行するのは、国債を担保として行われるという仕組みになっているので、紙幣は、そのままFRBへの債権となって、利息を払い続けるという宿命を背負っています。 これを廃止しようとした大統領はすべて暗殺されています。有名なところだと、リンカーンとケネディ。彼らは民間の中央銀行ではなく、政府が紙幣を発行するという、憲法に規定されていることを行い、暗殺されます。暗殺後は発行した政府紙幣は、すべて回収されています。 こういったことが世界中で起こってきましたので、いかに人権というのが適当なものかがわかります。」 ・・・「人権というのは適当なもの」ということで。

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回答No.7

 No.4です。  草分けの家族には 無主地の先占という資格が与えられるはずです。  あたらしい開墾の場合も そうでしょう。  互いに人をうやまひ 互いにその生活をとうとぶなら 土地から何から 個人の所有ということが決まって来ます。  それらの基礎には ウヤマヒとしての人権も言わず語らずに認められて行くでしょうし その人権としての自由――自己表現の自由――が ウヤマヒなる人間関係の具体的な内容として横たわっていると認識されて行きます。

kurinal
質問者

お礼

bragelonne様、ご回答ありがとうございます。 >「草分けの家族には 無主地の先占という資格が与えられるはずです。  あたらしい開墾の場合も そうでしょう。  互いに人をうやまひ 互いにその生活をとうとぶなら 土地から何から 個人の所有ということが決まって来ます。  それらの基礎には ウヤマヒとしての人権も言わず語らずに認められて行くでしょうし その人権としての自由――自己表現の自由――が ウヤマヒなる人間関係の具体的な内容として横たわっていると認識されて行きます。」 了解致しました。

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  • yuniko99
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回答No.6

人権とは 天賦説もありますが 人間が人間として幸せを求める為に 最低でもこれだけの権利を 全ての人間が持てるようにしよう そして公共の福祉に反して刑罰を受けない限りその人権を人のてで守ろう それが人間としての平等だと 等しく与る権利として人権宣言や憲法で宣言されたのものです ではそれが守られているか?御存知の通り完全には守られてない もっと手厳しく言えば 裏と表が違いすぎて全然守られてないと言っても言い過ぎじゃないかも知れません 特に日本では裁判にお金と時間が掛かり過ぎて 人権を守れません 人権は自由と平等の理想だという事でしょう。

kurinal
質問者

お礼

yuniko99様、ご回答ありがとうございます。 >「人権とは 天賦説もありますが 人間が人間として幸せを求める為に 最低でもこれだけの権利を 全ての人間が持てるようにしよう そして公共の福祉に反して刑罰を受けない限りその人権を人のてで守ろう それが人間としての平等だと 等しく与る権利として人権宣言や憲法で宣言されたのものです」 なるほど「人間としての平等だ」と「等しく与る権利」だと。 >「ではそれが守られているか?御存知の通り完全には守られてない もっと手厳しく言えば 裏と表が違いすぎて全然守られてないと言っても言い過ぎじゃないかも知れません 特に日本では裁判にお金と時間が掛かり過ぎて 人権を守れません 人権は自由と平等の理想だという事でしょう。」 「完全に」という表現は、そもそも無理であると思われます。 >「特に日本では裁判にお金と時間が掛かり過ぎて 人権を守れません 人権は自由と平等の理想だという事でしょう。」 んー、後段の「人権は自由と平等の理想だという事でしょう。」は良いと思うのですが、 >「特に日本では裁判にお金と時間が掛かり過ぎて 人権を守れません」 仮に勝訴すれば、少なくともお金は返ってくるのですがね? (それをアテにして?「勝てる裁判は起こしましょう」みたいなウンドウまであるようです?)

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  • koiprin
  • ベストアンサー率23% (72/306)
回答No.5

人権とは、格差社会にさらされた庶民がどんでん返しをするために生まれた概念。 人類に最初に生まれた概念は所有権であろうと思う。 所有権は、わかりやすいし、暴力によって奪ったり、金品で譲り合ったりできる。 しかし、持てるものと持てないものが生まれた結果、どうあがいても勝てない存在が生まれた。 王侯貴族と庶民だ。 戦争による征服民と被征服民は歴然とした差があるが、同じ民族として、大きな格差は怨嗟のもととなった。 この格差が、「もともとあいつらとは差がないのに、これだけ持っているものに差があるのはおかしい。人としてもっといろいろなものを享受できる権利があるはずだ」という概念を受け入れる土壌を作った。 しかい、この概念自体は、王侯貴族に取って代わろうとする頭の良い連中が使った。 人数に大差のある庶民は王侯貴族に刃向って、彼らを処刑し血祭りに上げた。結果富の再分配が起きて、多くの人が富を得て平等という認識をなんとなく持ってしまった。 しかし、もともと富の扱いに慣れていない庶民は、王侯貴族よりも扱いやすく、やがて頭の良い連中に搾取され始めた。しかし、それを当たり前と思いこまされて今に至っている。 彼らの名は、資本家だ。彼らは現在の世界を王侯貴族に変わり支配している。多くは銀行として国家として。ああ金利の恐ろしさ、税金の恐ろしさ。 人の権利を守りたいなら義務が生じる。権利と義務。都合の良い解釈が世界を覆う。

kurinal
質問者

お礼

koiprin様、ご回答ありがとうございます。 >「人権とは、格差社会にさらされた庶民がどんでん返しをするために生まれた概念。」 「どんでん返し」とまでは、ちょっと言い過ぎかな、とも思います。 また、「格差社会」というよりは、もっと徹底的な「不平等社会」をなんとかするために、だったかもしれないでしょうか(王権神授説→自然法思想→社会契約論→・・・) >「人類に最初に生まれた権利概念」 不勉強で、なんとも申し訳ありません。 >「所有権は、わかりやすいし、暴力によって奪ったり、金品で譲り合ったりできる。 しかし、持てるものと持てないものが生まれた結果、どうあがいても勝てない存在が生まれた。 王侯貴族と庶民だ。」 なんとなく、ですが、途中経過はともかく、(歴史的に)「王侯貴族」と「庶民」に二分されてしまった、と。 >「戦争による征服民と被征服民は歴然とした差があるが、同じ民族として、大きな格差は怨嗟のもととなった。 この格差が、「もともとあいつらとは差がないのに、これだけ持っているものに差があるのはおかしい。人としてもっといろいろなものを享受できる権利があるはずだ」という概念を受け入れる土壌を作った。 しかい、この概念自体は、王侯貴族に取って代わろうとする頭の良い連中が使った。」 「王侯貴族に取って代わろう」としたのかどうかは、判りませんが、 >「人数に大差のある庶民は王侯貴族に刃向って、彼らを処刑し血祭りに上げた。結果富の再分配が起きて、多くの人が富を得て平等という認識をなんとなく持ってしまった。」 まあ、「革命」というのがあった、・・・日本でも明治維新が無かったら、「大名が世襲して君臨して当たり前」というままだったでしょうか >「しかし、もともと富の扱いに慣れていない庶民は、王侯貴族よりも扱いやすく、やがて頭の良い連中に搾取され始めた。しかし、それを当たり前と思いこまされて今に至っている。 彼らの名は、資本家だ。彼らは現在の世界を王侯貴族に変わり支配している。多くは銀行として国家として。ああ金利の恐ろしさ、税金の恐ろしさ。」 どうなんでしょう。革命それ自体の評価と、それ以後の経済的な事情とは、ちょっと分けて考えたほうが、よりスッキリしそうな気もします。 >「人の権利を守りたいなら義務が生じる。権利と義務。都合の良い解釈が世界を覆う。」 これについては、違和感のあるところです。権利と、義務とは、それぞれやはり個別に分けて考えられるもので、「なんらかの義務違反」についてペナルティーは考えられてもいいですが、例えばそれが「あらゆる権利をはく奪!」などというのでは、極端に過ぎる議論と思います。 ですから、 >「人の権利を守りたいなら義務が生じる。」 これについては、もうちょっと個別で具体的なお話でないと判り辛いです。 >「権利と義務。都合の良い解釈が世界を覆う。」 これもやはり判り辛いのですが、 「人それぞれに、千差万別な解釈が(有り得て)世界を覆う」と解する、 あるいは、文脈的には「権利と義務についても、都合の良い解釈で世界を覆うのは資本家だ」と解する、 そういう感じでしょうか。 (いや、しかし、それはどうですかね。日本史的には、(国策的に)産業が保護育成されてきた、ということは、あるのかもしれないですけど)

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回答No.4

 No.3です。  ★(No.3お礼欄) ふむ、「万人の万人に対する闘争」なんて無かった、性善説である、ゆえに「規制」なども必要無い、それで本来的に「為すに任せて」?十分だ、ということでしょうか。  ☆ まづ中立というべき心がある。言いかえると その中立は 幅広く愛情をも憎悪をもふくむ心の器である。  つまりですから そのあと けんかもすれば 思いやりを発揮することもある。――こうです。性善説・性悪説はお呼びではありません。  心の器にしたがって思いや振る舞いをおこなうのであるゆえ そのクセやナラワシが決まってくれば それらについて良い悪いの見方が 村なら村で 話し合いをも経つつ だいたい決まって来る。  村をいくつか集めて そのときにも 良し悪しの判断が おおむね一致したなら 普遍的に合理的な考え方だと取り決めあわれる。これが 掟であり法律であり その中に権利義務ないし人権の規定も含まれる。――こういう捉え方です。

kurinal
質問者

お礼

bragelonne様、ありがとうございます。 >「★(No.3お礼欄) ふむ、「万人の万人に対する闘争」なんて無かった、性善説である、ゆえに「規制」なども必要無い、それで本来的に「為すに任せて」?十分だ、ということでしょうか。  ☆ まづ中立というべき心がある。言いかえると その中立は 幅広く愛情をも憎悪をもふくむ心の器である。  つまりですから そのあと けんかもすれば 思いやりを発揮することもある。――こうです。性善説・性悪説はお呼びではありません。」 なるほど、「両極端」ではないよ、というのは、好感が持てます。 >「心の器にしたがって思いや振る舞いをおこなうのであるゆえ そのクセやナラワシが決まってくれば それらについて良い悪いの見方が 村なら村で 話し合いをも経つつ だいたい決まって来る。  村をいくつか集めて そのときにも 良し悪しの判断が おおむね一致したなら 普遍的に合理的な考え方だと取り決めあわれる。これが 掟であり法律であり その中に権利義務ないし人権の規定も含まれる。――こういう捉え方です。」 もう少し、「個人」というニュアンスが出て来ないと、 つまり、「おおむね一致」「普遍的・合理的」「掟」といったものでは、「網に掛らない」部分が出て来てしまうような気がします。 ま、社会とは、物理的な限界もあるんでしょうけれども、「普遍的に人権を保障される個人(の集団)」とみるところから出発して、(それから)法的には「判例の積み重ね」ということもあるんでしょうけれども

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回答No.3

 くりなるさん こんにちは。  《草分け》って言葉をご存じですか?  文字どおり 草を分けて その荒れた野に初めて住んだ人(家族)を言います。  その昔日本列島は 大地は湿地が多く――それゆえ アシハラ(葦原)のくにと呼ばれていました―― 住んだところは 山の中腹だったりします。  その土地を草を分けて拓きました。ちなみに 山の中腹でも谷地が選ばれたりしたわけですが そこには ヘビがいました。蛇も先住の動物だということで 敬意をはらって これを谷戸の神とよんで それなりにとうとびました。やと・やちが 谷地のことです。  要するに 狩猟・採集・漁労の生活からやがて 粟・黍あるいはおかぼ(陸稲)を栽培し始めました。あるいは焼畑農耕もあったようです。  そのような開墾の増えるにつれて 人びともあたらしくさらに集まって来て村を形成し社会生活が始まります。  つまりこのとき 村の人びとは 先住の谷戸の神に敬意を表したのと同じように 最初の開拓者である《草分け》の家の人びとをとうとびました。あるいはつまり 生活の場を得るについての恩があるというわけです。  かんたんな事例ですが このような人びとのあいだの人間関係としての《とうとび・うやまひ》 これが 社会的生活における共生感覚をも伴なって あるべきマジワリの道と成って行きます。  すなわち 倫理であり ナラワシであり やがて 権利や義務とも呼ばれ 人権としての内容をも構成する生きた生活実態ということではないでしょうか。  どなたかは さらにのちに稲の栽培が始められてからは そのための水利が村として必要であり重要でありなくてはならないことになって 集団志向がナラワシとなったと言おうとしていますが 決してそんなことはない。または そんな見方に立つべきではありません。  なぜなら 稲作が始められる以前から 人びとは 互いにその生活をとうとび それぞれ家族をも守ろうとして生きて来ています。コメは 収穫が多いようですから――また美味しいと来ていますから――大きくそのための開拓がおこなわれて行きました。そのとき 人びとが互いにチカラを合わせて その生産の仕事に精を出すのは あたりまえのことです。それ以前から 互いにひとをとうとび・うやまって生きて来ています。  集団としての志向がより良いことであるならば そうしますし そうではなく個人の作業が大事だとなればそういう職人の仕事も とうぜんのごとく あってそのようになされて行きます。  (たぶんその主張者は お上にはさからうなといった《アマテラス予備軍症候群》のことか それとも 何が何でもお上になるんだという《アマアガリ・シンドローム》のことと その集団主義とを混同しているのでしょう)。  いちいち権利・義務というぎすぎすした関係の中にいるのは あまり心地良いことではないようですね。

kurinal
質問者

お礼

bragelonne様、ありがとうございます。 >「《草分け》って言葉をご存じですか?  文字どおり 草を分けて その荒れた野に初めて住んだ人(家族)を言います。  その昔日本列島は 大地は湿地が多く――それゆえ アシハラ(葦原)のくにと呼ばれていました―― 住んだところは 山の中腹だったりします。  その土地を草を分けて拓きました。ちなみに 山の中腹でも谷地が選ばれたりしたわけですが そこには ヘビがいました。蛇も先住の動物だということで 敬意をはらって これを谷戸の神とよんで それなりにとうとびました。やと・やちが 谷地のことです。  要するに 狩猟・採集・漁労の生活からやがて 粟・黍あるいはおかぼ(陸稲)を栽培し始めました。あるいは焼畑農耕もあったようです。  そのような開墾の増えるにつれて 人びともあたらしくさらに集まって来て村を形成し社会生活が始まります。  つまりこのとき 村の人びとは 先住の谷戸の神に敬意を表したのと同じように 最初の開拓者である《草分け》の家の人びとをとうとびました。あるいはつまり 生活の場を得るについての恩があるというわけです。」 (明治・夏目漱石)「初めて海鼠を食べた者は、尊敬に値する」 でしたか。 (それ以前の歴史では、類似の事例としては、どのようなものがあるのでしょうか) でも、「尊敬に値する」は、それ以上でもそれ以下でもなく、 それによって「実利」を得られたかどうか?、というのは、別の問題でしょう。 >「かんたんな事例ですが このような人びとのあいだの人間関係としての《とうとび・うやまひ》 これが 社会的生活における共生感覚をも伴なって あるべきマジワリの道と成って行きます。  すなわち 倫理であり ナラワシであり やがて 権利や義務とも呼ばれ 人権としての内容をも構成する生きた生活実態ということではないでしょうか。」 「草分け」は、それほどまでにとうとばれ(うやまわれ)なくても、という気がします。 「先例」という表現もありますが、 >「あるべきマジワリの道と成って行きます。  すなわち 倫理であり ナラワシであり やがて 権利や義務とも呼ばれ 人権としての内容をも構成する生きた生活実態ということ」 そうですね。そうしたものがまずあって、それから「そうしたものを侵害するな、むしろ保障しる」ということになる、というのがスジですか。 >「なぜなら 稲作が始められる以前から 人びとは 互いにその生活をとうとび それぞれ家族をも守ろうとして生きて来ています。コメは 収穫が多いようですから――また美味しいと来ていますから――大きくそのための開拓がおこなわれて行きました。そのとき 人びとが互いにチカラを合わせて その生産の仕事に精を出すのは あたりまえのことです。それ以前から 互いにひとをとうとび・うやまって生きて来ています。 集団としての志向がより良いことであるならば そうしますし そうではなく個人の作業が大事だとなればそういう職人の仕事も とうぜんのごとく あってそのようになされて行きます。  (たぶんその主張者は お上にはさからうなといった《アマテラス予備軍症候群》のことか それとも 何が何でもお上になるんだという《アマアガリ・シンドローム》のことと その集団主義とを混同しているのでしょう)。」 ふむ、「万人の万人に対する闘争」なんて無かった、性善説である、ゆえに「規制」なども必要無い、それで本来的に「為すに任せて」?十分だ、ということでしょうか。 >「いちいち権利・義務というぎすぎすした関係の中にいるのは あまり心地良いことではないようですね。」 いやいや、おそらく普段は意識されないというだけで。あるいは、 (「有能」というよりは)優秀な、法曹に、そうした関係をお任せになれば、 いちいち煩わしいということもないのでしょうか

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回答No.2

動物に人権はない。 その行動の規範は本能によっている。 人間も、原始共産性の頃は、その社会性は血縁により、 本能や感情による助け合いをベースとした社会性において、 人権(権利・義務)は不要であった。 社会性(分業化・組織化)の発達において、個人の感情的な 行動規範と社会的な必然が乖離しはじめて、社会への参加 における契約性(法規、モラル、お金、権利&義務)は派生 したのである。 感情を無制限に押し通したり、権力者が権力を過剰に発揮 したりして弱者を犠牲する事は、その人にとって短期的には 利益でも、社会の劣化として長期的に不利益であり、そうした 自己チューな意識にタガをはめる必要があるのだ。

kurinal
質問者

お礼

psytexさま、ありがとうございます。 >「動物に人権はない。 その行動の規範は本能によっている。 人間も、原始共産性の頃は、その社会性は血縁により、 本能や感情による助け合いをベースとした社会性において、 人権(権利・義務)は不要であった。」 なるほど。 しかし、「弱肉強食」をベースとした社会においては、 「公平性」とかは担保(保障)されたのでしょうか? >「社会性(分業化・組織化)の発達において、個人の感情的な 行動規範と社会的な必然が乖離しはじめて、社会への参加 における契約性(法規、モラル、お金、権利&義務)は派生 したのである。 感情を無制限に押し通したり、権力者が権力を過剰に発揮 したりして弱者を犠牲する事は、その人にとって短期的には 利益でも、社会の劣化として長期的に不利益であり、そうした 自己チューな意識にタガをはめる必要があるのだ。」 「社会的な必然」ですか。 そうですねえ。人権とは合理的な産物であると思います。 >「権力者が権力を過剰に発揮」 たぶん、そもそも「権力」とは、(当該)社会の構成員から「付託」されたものであって、 違法(無法)に行使すれば、その行使者が責任を問われて当たり前でしょう。 社会の劣化というより、付託された権力者(個人)自身の問題と思います。

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