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基本的人権について・・・。

基本的人権という物がありますが 今 日本で基本的人権は完璧に守られているのでしょうか?? 基本的人権の内には、『自由権』や『社会権』などがありますが、それぞれ一つ一つはどのようにして守られているのでしょうか?? 教えてください。 ノートをまとめる為の資料としたいので、中学生にも分かるような説明でお願いします。

みんなの回答

  • negitoro07
  • ベストアンサー率24% (389/1569)
回答No.4

法律は悪く言えば、紙切れに書かれてるだけ。 それを守らせるには、公権力による強制が必要です。 もうひとつは、紙切れに書いた人たちがどういう人だったのか、どういうつもりで書いたのか?ということです。 そして、書いた人と同じ気持ちや思想を持つ人が社会に多ければ、強制力とは関係なしにあるい程度は順守されるでしょう。でも、全員じゃないので、その時は公権力によって違反者を処罰するしかありません。 でも、公権力自身=政府が法律を順守するつもりがなければ、あるいは好きか手に法律を書き換えるようでは、人権なんて文字通り紙切れですよね。だから、民主主義ではない、つまり独裁体制の国家では人権侵害が起こるんです。 また、民主主義国家でも似たような事態に陥る可能性はあります。民主主義は常に国民の相互チェックによって維持されているんです。誰かがおかしなことをしたら、あなたは躊躇せず、それを指摘しなければいけません。そして、そういう指摘を行い、不正をただすためには、言論の自由や結社、集会の自由も必要です。つまり、人権は民主主義と一体であり、また憲法にもあるように国民一人一人の不断の努力によって維持されるものなのです。けっして、一度紙切れに人権の概念を書けば、自動的に守られるようなものじゃないんです。 あなたも、相手がガキ大将だろうが、学校の教師だろうが、おかしいと思ったら指摘しましょう。殴られる恐れがあっても、「警察や裁判所に訴えるぞ!」と叫びましょう。 いや、警察や裁判所が敵であっても、正義を曲げてはいけません。独裁国家での民主活動とは、そういう自己犠牲の上に行われています。政府の暴力にさらされ、政治犯として不当な扱いや刑罰を受けても屈しない人がいなければ、人権や民主主義は永遠に実現されません。 それと、暴力に暴力だけで対抗するのは必ずしも正しくありません。できるだけ話し合いで解決すべきです。しかし、それではらちが明かないときもあります。 その時は、革命権あるいは抵抗権を発動するしかありません。人民の一人一人が勇気を持って、立ち上がり政府を転覆するしかありません。そういう革命が必要な時、臆病風邪を吹かせてはいけないんです。 「なんと過激な!」と思うでしょうけど、欧米も、社会主義国もそうやって今の体制をつくってきました。むしろ、人民自身が立ちあがって民主主義を獲得した経験が十分ではない日本では、人権や民主主義が与えられるものと勘違いしがちです。 そして、自分の国だけではなく、海外にも目を向けましょう。人権侵害や民主主義の否定を行う国や権力者がいれば、たとえ自分の国のことでなくても、関心を払い、注意を促すべきです。どうしても聞き入れられないときは、独裁者に制裁を下すべきです。中国のように国力が大きく、経済的に重要な相手でも例外ではありません。中国は人権侵害や民主化、少数民族への弾圧を繰り返していますが、決して許してはいけません。北朝鮮やミャンマーの独裁者も打倒しなければなりません。 結論を一言でいえば、人権と民主主義は、人民自身による不断の闘争によって守られているのです。それが放棄されれば、人権は朽ち果てるでしょう。

  • potachie
  • ベストアンサー率31% (1065/3387)
回答No.3

人権と、基本的人権というのはちょっと違います。たとえば、「生きる権利」そのものは、日本国憲法では基本的人権ではありません。「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」に置き換えられています。 また、「公共の福祉に反しない限り・・・」という制限付きのものと、この文言が付かない無制限の基本的人権に分けられます。 さて、基本的人権を守るための方策として、いくつかの制度/権利が存在しています。 自衛権(アメリカなどでピストルなどで自衛する権利) 革命権(フランスにあった意に沿わない政権を武力によって妥当できる権利) 参政権 裁判を受ける権利 などがあります。

回答No.2

>今 日本で基本的人権は完璧に守られているのでしょうか?? 基本的人権に限らず、権利というものは、 「○○することができる」あるいは「○○しないことができる」ことを内容とするものです。 この「~することができる」というところがミソです。 言い換えれば「~することができる(が、必ずしなければいけないということではない)」ということです。 「必ずしなければいけない」というのは債務(義務)ということになります。そして、義務を放棄することはできません。 裏を返せば権利は放棄することができるのです。 「自分の持っている権利」は、自分がその権利を持っていると主張し、行使することができます。 ただし、自分のもっている権利を行使しようとすると、他人の持っている権利を侵害するばあいも少なからずあります。 つまり、権利と権利がぶつかるということです。 そして、権利と権利がぶつかった場合、お互いにその権利を強く主張することによって身動きが取れなくなる場合もままあります。 その場合、どちらの権利を優先するのかは、最終的には裁判で判決をもらうしかありません。 その場合、負けたほうの権利は制限されたということになります。 例えば、細い道を歩いていたら、向こうから誰かが歩いてきた場面を想像してみてください。 お互いに「まっすぐ歩く」権利を持っているとして、お互いにその権利を強く主張したらどうなるでしょうか 当然、どちらも前に進めなくなってしまいます。 もちろん、裁判所という名の公平な第三者に判断を仰いで、負けたほうに道を譲らせるということはできるでしょう。 ただね、 お互いに、相手にもまっすぐ進む権利があるということをしっかり認めて、お互いに自分がまっすぐ進むことができるという権利を譲って、お互いに半歩だけ、道を相手に譲ったら ぶつかるなんて苦痛を受けず、裁判なんて手間をかけず、スムーズに前に進むことができるのではありませんか? 「権利を守る」ということについて 誰の権利を守るのか、 自分の権利を守る(=自分の権利を主張する)のか 相手の権利を守る(=相手の権利を認める)のか そういったことについても、考えてみると面白いと思いますよ

  • nemoax006
  • ベストアンサー率14% (343/2433)
回答No.1

>日本で基本的人権は完璧に守られているのでしょうか?? 守られていません、基本的人権=生きる権利ですが殺人事件があります、交通事故があります、親の虐待があります。これらの件からも守られているとは考えられません。

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