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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:権利と義務という次元を掘り下げることはできないか?)

権利と義務の掘り下げ

noname#184837の回答

noname#184837
noname#184837
回答No.27

 権利というのは契約とおなじレベルの派生語で、それは西洋的な感覚なのではないかと思います。島国日本人はおおむね同じ価値観・感覚を持っているので、共感をベースにしても説得力がありますが、大陸西洋人は価値観がまちまちなので契約に頼ろうとします。『あなたは神を信じますか?』と自転車に乗った外人2人組が言ってくるのは(あくまでイメージですが)、『あなたは神と契約しますか?』と尋ねているのと同じです。約束の地(U2好き)もそうです。とにかく西洋人は、なんでも契約です。私たちが抱く違和感は、そういうところからきているのではないかと思います。この質問も、最初に違和感ありきの質問ではないかと思いますが、どうでしょう。

bragelonne
質問者

お礼

 がぢぇっと0061さん こんばんは。ご回答をありがとうございます。  ★ 権利というのは契約とおなじレベルの派生語で、それは西洋的な感覚なのではないかと思います。  ☆ それは 《右・右手 / ただしい・直角 / そして 法》といった意味合いの語が 《権利》としても用いられるようになる。そういったいきさつについて 西欧人の思惟の跡が見られる。このような内容のことを言っておられるのだと考えます。  何かをおこなう(または 相手に何かをおこなわないことを欲する)にあたいする存在であるといった内容は もともと どこの民族においてもあった。こう考えます。  そのようなマジワリのあり方を欲し願い実現することに向けて努力するというとき 民族の違いなどに応じて異なった形式が持たれるようになった。つまり  ★ 島国日本人はおおむね同じ価値観・感覚を持っているので、共感( * )をベースにしても説得力がありますが、大陸西洋人は価値観がまちまちなので契約に頼ろうとします。  ☆ このように 基本的に目指す内容は 欲することを相手にも願うというように同じでありつつ それを相手とどのように交わり話をして達成するかについては まちまちである。このとき  ★ 違和感  ☆ は 多かれ少なかれ どちらの側も感じるでしょうね。  けれどもこの質問は 残念ながら  ★ この質問も、最初に違和感ありきの質問ではないかと思いますが、どうでしょう。  ☆ という段階は通り過ぎて来ています。  違ったマジワリの仕方をおこなうにもかかわらず その外来の言葉〔の翻訳語〕である《権利》をすでに日本人もいまでは 使っています。使いまくっています。  ですから この権利なる言葉は そもそもどのようなミナモトから来ているのか? これが知りたかったことです。  納得してもらえたでしょうか。  西欧人における権利の追求と日本人におけるそれに対応することがらと 両者のあいだの違いについて 哲学はどう捉えるか? といった主題なのではないかということですが じっさいそういった主題は まだまだおおきな問題になるとは思います。  * 共感:なおこの《共感・同感 Sympathy 》なる生活実態は 日本人だけではないということが ルウソやA.スミスなどの理論でも確認され得た(回答No.22)。こう思います。  《センスス・コムニス》=共通感覚 これを言ったのも 西欧人です。《常識》と日本では訳しましたが。

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