• ベストアンサー
※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:権利と義務という次元を掘り下げることはできないか?)

権利と義務の掘り下げ

noname#184837の回答

noname#184837
noname#184837
回答No.26

 質問者様の意図を十分に理解していないのかもしれませんが、僕の解釈ではこういうことではないかと思います。  生存権(生きるか死ぬか)という当たり前すぎることをお金を返せだとかの時に使う権利というなまっちょろい言葉で表現するのは間抜けな感じがする。どうしてこんな間抜けな表現をする必要があるのか。もうちょっとましでピンと来る言い回しはないのだろうか。と  命というものが、かけがえがなくて、とても重大なことであるという考え方の現代では、やはり間抜けに感じます。でも、ひょっとして、もしかしてだけど♪、昔って人の命はバッサバッサ切り捨てられまくってたのではなかろうか。日本でも島原の乱以前は、逆らえば簡単に村ごと根絶やしにしていて、命に対する感覚は現代では考え付かないくらい軽い扱いだったのではなかろうか。だから権利という言葉でも違和感はなかったのではないか、という感じがします。これは西洋の中世でも同じであったと思います。

bragelonne
質問者

お礼

 がぢぇっと0061さん お早うございます。ご回答をありがとうございます。  そうですね。見解の相違になるかも分かりませんが つづってみます。  行き先を告げずにですが まづは物語を聞いてみてください。例によってわが国の記紀神話からです。  ○ オホケ・ヲケ兄弟のかたき討ちの物語 ~~~~~~~~~~~~   昔昔の話ですが。  その昔 やまとの国では 市長(もしくは国王)の身辺でも 勢力争い・権力闘争が繰り広げられていました。  次代の首長候補の市辺忍歯(イチノへノオシハ)のミコは 対抗勢力の雄略ワカタケルによって 暗殺されました。その野原にともにいたオシハの双子の息子たちは 命からがら逃げて 権力を握った雄略ワカタケルから隠れて 身を長らえることにしました。  ところが オシハの筋の飯豊青(イヒトヨノアヲ=女性)は これら兄弟を 播磨の地に探し出したと言います。ふたりは迎え入れられ ともに続いて 首長の務めに就いたのですが そのとき 父の敵(かたき)を取らなければいけないという話が出ました。  雄略ワカタケルは もう死んでいました。  弟のほう(顕宗ヲケ)でしたかが 強硬派で そのみづからに首長の位を譲ってくれていた兄(仁賢オホケ)に命じて ワカタケルの陵墓を壊せと指示しました。  兄の仁賢オホケは 行って その陵墓の端っこを少し破壊して 戻ると その旨を伝えました。弟も これを了承しました。  という話です。  後日談も添えます。  暗殺された野原の近くに 或る老婆(置き目の媼(おうな))が住んでいて じつは 暗殺の現場と その後イチノヘノオシハが埋められるところを見ていて その場所を覚えていたそうです。  じっさい果たせるかな 掘り出してみると 歯が出て来て 出っ歯(押し歯)だったので 実証することが出来たとさ。というお話です。  ▲(ヰキぺ:顕宗(ヲケ)天皇)  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A1%95%E5%AE%97%E5%A4%A9%E7%9A%87  ~~~~~~~~~~~~~~  ☆ つまり 権利と義務なる概念装置を知らない時代にも 一般に基本的に《いのちは とうとい》と考えられていた。と言えると思います。  おまけに 大昔の話としてながら いわゆるかたき討ちは 永遠に繰り返されることが分かるわけですから この連鎖を断ち切る知恵も出そうとしている。こうだと思われます。  雄略ワカタケルという人間は ほかにも人をあやめており 権力の亡者のごとき人物ですが しかし日本書紀――つまり 国の正史です――のほうには 《大悪天皇(はなはだあしきすめらみこと)》とも書かれています。つまり 命のとうとさを思うゆえに それをないがしろにすることについて《悪しき》こととして捉えている。――このようにじゅうぶん 生命の尊重は 通史的だと考えられるのではないでしょうか。  いまの段階で ではその生存権や生活権などというふうに権利なる概念で捉える以前に どう捉えたか?   これを いまのところ あわれみ≒思いやり≒共生の感覚といった生活基礎ではないかと見たわけです。  さらに理論的に整理したりあるいは具体的な生活の実態に即して肉付けしたりするのが のぞましい。と思っています。

関連するQ&A

  •  権利と義務という次元を掘り下げることはできないか? (もののあはれ)

     権利と義務という次元を掘り下げることはできないか? (もののあはれ)  たとえば おそらくもっとも存在の奥底にあると思われる権利は 《生きる権利》であろうと思います。ここでの問いは これをなぜ《権利》と言うのか? です。権利や義務の次元をはるかに超えた(もしくは それよりも深いところで希求される)なにごとかであると思われるからです。  たとえば こうです:  ▲ (ヰキぺ:人権) ~~~~~~~~~~   http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E6%A8%A9   § 基本的人権    基本的人権とは、人間が、一人の人間として人生をおくり、他者とのかかわりをとりむすぶにあたって、決して犯してはならないとされる人権のことである。   すべての人間が生まれながらにして持つ。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ 《すべての人間が生まれながらにして持つ》のならば なぜそれが《権利》として表わされるのか? 権利に行き着くであろうけれど その前の段階があるのではないか?  《もののあはれを知ること》とか《自然本性》とか〔それと同じ意味になりますが〕《生まれつき》とか あるいは 《公理》であり《すでに無根拠を根拠としている》であるとか このように言うとよいとただいまでは思っています。《人間がその知性で考えても ただしい答えが出て来ないところの現実》であるように思います。  表象しえず表現しえないからと言って 《権利と義務》という概念で代理して表わすのには まだ間がわるいのではないでしょうか? 具体的な表現にし過ぎているのではないか?  ▲ (同上) ~~~~~~~~~~~~  基本的人権は、生命、財産、名誉の尊重といったような個別的具体的な権利の保障へと展開することが多い。  このため、体系化されているさまざまな権利を総称して「基本的人権」ということもある。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ この総称としての基本的人権のさらに根拠は 無根拠としての根拠であると いちどは言っておくほうがよいのではないか?  言いかえると 植物人間と極悪人とふつうの人とそれぞれの間には 人間という存在として 何の違いも隔てもない。これが 無根拠という根拠なる次元での思想なのではないでしょうか?  日本では もののあはれを知ると言われてきたことがらなのでは?

  • 権利について

    超基本的質問でごめんなさい。 >「権利」ってなんですか? >「基本的人権」とは? >権利って誰かが保証してくれる必要があると思っているのですが、  国が国民の権利を保証するのは国民の義務の対価だと思うのです。  外国民に対しては国同士の相互の義務として権利保証の義務はありそうです。  で、国交のない、北朝鮮の国民に対し、権利保証をする義務は日本にあるんでしょうか? >「天賦人権」とか聞きますが、誰か保証してくれるんですか?

  • 教育を受ける権利

    こんにちは。中学校教員を目指している者です。教育基本法第4条・義務教育(教育を受ける権利)について調べていて疑問に思ったので質問させていただきます。 義務教育は、親権者がその子どもに教育を受けさせるのが「義務」で、子どもにとっては義務ではなく、教育を受ける「権利」ですよね?では、教育を「受けない権利」というものは存在するのでしょうか?? 人間は生涯学習していく生き物で、読み書きをはじめ、日常生活で必要な知識やスキルを身につけていかばければ生きれない。つまり生きることそのものが勉強(教育)だというところまでは自分で理解できました。また、学校へ通わず、自宅や地域の図書館で教育を受けることが可能であることも分かりました。「教育を受ける権利」という表現があるために「教育を受けない」権利をいった表現もできるのではないかと思ったのですが、「教育を受けない権利」と事実上、ありえないということなのでしょうか? どなたかご存知の方、よろしくお願い致します!

  • 義務の放棄をしている人間に人権は必要なのですか?

    国民の約半数が社会のお荷物人口の日本で人権なんていりますか? 人権とは「権利」 労働や納税とは「義務」 これはギブアンドテイクだと私は思う。 よって18歳~25歳ぐらいまでは教育を受ける 60歳ぐらいまではフルタイムで労働する(子供を作った場合は産休、産後合わせて約半年ほど無職でもOK) 週に最低40時間以上労働する。 そこから住民税や社会保障費を35年以上納付する。 これを義務づけ、病気とかで仕方なく働けないとかをのぞき 放棄した場合は、一切、国は面倒を見ないとかでいいと思うのですけどね。 なので病気でもないのに 20代~50代(20代前半の学生を除く) でフルタイム労働していない人間に人権の尊重は要らないと思う。 別に生きてようと、死のうと、乞食しようとどうでもいい存在だと思うし それで犯罪でもするものなら、射殺してしまえばいいと思うし(アメリカなんてばんばん射殺しているでしょう) もちろん他人が他人の命を奪う権利はないですので、義務の放棄をしている人間は殺していいとかそういう 事ではなく、義務を放棄している人間は国も面倒を見なくていい(権利を与えなくていい)という意味です。 生活保護なども与える必要ないと思うし(病気で仕方なく働けない、必死でハロワで探しているが見つからない、定年まできちんと働いてきたが、なんらかで老後に生活が困難になった等を除く) 投票権等もいらないと思うし、

  • 不登校の権利

     駄目教育者は、駄目人間を量産してるばかりか、尊い生命さえも奪ってます。 人権侵害や身の危険にさらされてまで、ろくでもない教育を受ける必要があるのでしょうか。 入学時、不登校の権利の行使やシェルターの存在の周知はされてますでしょうか。

  • 宇宙は本当は何次元なのですか?

    前後左右上下それぞれの方向の座標軸に時間軸を加えて4次元。 人類にはどう頑張っても体感できるのはここまでなんでしょうか? 超弦理論(超紐理論?)は相対性理論も量子力学の理論も包含する今のところ宇宙を表現するためには最も懐の深い理論なのだそうですが、この理論が成立するには、この宇宙が10次元であるという前提条件があるのだそうです。 それ故に宇宙は10次元なのだろうと考えられていましたが、最近は11次元説もあるようです。 結局、宇宙は何次元なのでしょう? 数学の世界ではn次元ベクトル空間なんていうものも定義できてしまうようですが、数学的に表現できる世界は、本当は実世界にも全て存在するものなのでしょうか? 虚数で表現されるような世界も、人間が体感できないだけであって、実在するものなのでしょうか?

  • 【倫理】権利の拡張の根拠とその根拠に基づく適用範囲

    何者かの権利は時代を下るにつれて拡張されていっていますが、その権利の拡張は何を根拠に拡張されているのでしょうか? 権利の拡張とは例えば、奴隷制などが廃止されたり、女性に選挙権が与えられると言ったことです。個人の意見ではなく、もしあるのであれば、コンセンサスが取れている根拠に限って教えて頂きたいです。つまり、ある人権宣言の一項やある法律の一項などの正当化の作業において実際に使われ、効果があると社会に見なされた根拠です。こういう物は話し合いの末に決めたと思うのであると思います。 また、その権利の拡張の根拠に基づけばどこまで何者・何かの権利を正当化することが可能なのでしょうか?人間、人工知能、動物、植物、微生物、無生物…などの生き物・物の持つ権利はどのように差別され適用されうるのでしょうか? もしその根拠により定められる権利の拡張の適用条件を動物も満たしている時、現代が「動物の福祉」を超えて「動物の権利」まで認められることがない理由はなんでしょうか?もしあるのであれば、こちらもコンセンサスが取れている理由でお願いします。倫理について詳しくないので愚問故に心象を悪くさせてしまいしたらすみませんm(_ _)m

  • 人間の存在主義 間違っているでしょうか?

    人間に限らず 存在する事が目的であり 存在する事が価値であり 存在する事に意義があり 存在が意味の根拠である 愛と正義も世界中の人の人権を守る為に在り 正義のための殺人(戦争など)はあり得ない 愛は互いに活かし合い存在して人権を守る事。 この事抜きに人が死んでもいいから戦争をするとか 人間存在寄りも価値の在るものとか 此処では 「人間の存在主義」が我々人間の基本となると思うのですが どうっでしょうか? 当たり前でしょうか 間違ってるでしょうか?

  • 自然権 私の解釈間違ってますか?

    自然権について 人間が生まれながらにして持っている権利。近代民主主義の「基本的人権」が該当する。 憲法は、「与える」でも「認める」でもない。 そのため、自然権は国から与えられるものでもなく、認めてもらうものでもない。 国家よりも先に人権が存在し、国はそれを「尊重します」と約束していると解釈していい。

  • 2→3次元 囲碁・将棋

    「此んなもん、神聖成る数学カテゴリィじゃねぇぞ」と御叱りを受けるのかも知れませんが、敢えて御尋ね致します、篤志家の方宜敷く。 囲碁・将棋は2次元の(x、y)座標で表現されるゲームですか?(違いましたか?)http://hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/20120114-OHT1T00188.htm 対ソフト「ボンクラーズ」、第1回将棋電王戦です。もう人間には手に負えない存在と相成りました、2次元将棋の話です。 其処で本題です、 時々思うのですが、3次元の(x、y、z)座標で表現される囲碁・将棋ゲームソフトは直ぐにでも理論上作成出来ますよね? zの部分が、現代囲碁・将棋はz=1でしょうか?、2~9とも成れば人間はもう太刀打ち出来なくなるのでしょうか? 「仮定の事には答えられん!!」とゆう方はスルーして下さい、数学は何時の世も仮定、仮説から始まりました.......かな?