人文・社会科学

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  • 地上撃破って何ですか?

    第二次世界大戦でアメリカのパイロットの撃墜記録を見てて気になった事があるんですが、空での戦果の他に地上撃破何機、と書かれる事がありますよね?地上撃破ってどういう戦果の事を言うんですか?

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    • noname#210532
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  • 光フィルターってなんですか?

    色彩検定の勉強中です。 マゼンダ・シアン・イエローが光フィルターの色で、減法混色とテキストにありました。 光フィルターって一体なんですか? イメージすら湧きません。

  • 平家物語「ものその者」⁈

    平家物語「敦盛の最期」の中に、『ものその者で候ねども』 という節があります。 ここで質問です。 この 一節の中の「ものその者」の正しい表記は 「者その者」 「物その者」 「ものその者」 どれでしょうか?? この3つのように紹介されていることが多いんです(> ‸ <)

  • 善は善にして常の善にあらず。「老子」

    受け売りでし。 (ヒマな時にでも)

  • ハルトマンの撃墜方法は

    ドイツのエーリヒ・ハルトマンは、わざと機体を不安定にさせて、機関砲を命中させる撃墜方法をとってたとどこかで見た気がするのですが本当ですか?本当だとしたらどんな飛び方ですか?

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    • noname#210532
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  • 非英米系哲学研究者の胸中について。TT

    こんにちは。 この質問でお尋ねしたいことは、 (1)非英米系哲学研究の学者の方々が研究としてなさっていることとはどんなものであるのか?真の学問?それともただのお勉強? (2)自然科学化された哲学に対して何を思いつつ自らの研究をなさっているのか? (3)哲学科の学者は、数学や論理学をどのように受け止めているのか。 (4)学問としての哲学にはどのような道が残されているのか? といったことです。 20世紀を経て今の哲学には自然化の波が押し寄せ、認識論が自然科学の学問に下るのではないかという悲壮的なムードが漂っています。 英米系の人たちは、最先端の論理学や数学を駆使して、伝統的な哲学に対して次々と否定的な評価を下しています。 さて、このような情勢の中で伝統的哲学を専門とする学者の方々は、どのような思いでご自分の研究をなさっているのでしょうか? また伝統的哲学に含められない哲学であっても、論理学の色が薄い哲学者(浅薄な知識ですので的確ではありません。フッサールやガダマー、デリダやレヴィナスなどでしょうか)を研究されている学者の方々は何を思って研究をなさっているのでしょうか? 近代やそれ以前の哲学者を専門とされておられるような大学の先生方のなかには、「大学教授のやっていることはお勉強に過ぎない」と卑下される方もいらっしゃいますが、なかには哲学者としての矜持をもって取り組んでおられる方もいらっしゃいます。 しかしながら、数学者や論理学者らがもっている道具を持たずして、今後の哲学を切り開いていくことは難しいのではないでしょうか…?そういった道具を身に着けずにができることと言えば、もはや昔の哲学者のお勉強に過ぎないのではないでしょうか…? いかがでしょうか?TT 例えばフッサールの生活世界に論点を当てて論文を書いておられる研究者、アクィナスにおけるなんとかとかいうラテン語の単語について論文を書いておられる研究者、こういった方々は、英米系の論理ワールドを見て何をお思いになるのでしょうか? それでもなお哲学者だという矜持を持てるとしたら、それはなにに依っているのでしょうか? お願いします。

  • 《嫌いだけど》・・・

    ●よく、好きなことは続ける事が出来ると言いますが、逆に嫌いなことを好きになって続ける方法はあると思いますか?ちなみに、あなたが好きなケーキを教えてください。(モンブラン食べたい・・・)

  • 《わたしは愛である》で 道を歩んで行けるか?

     ▲ (ヨハネによる福音書 14:6 ) ~~~~~~  イエスは言われた。    「わたしは道であり、真理であり、命である。  ▲ (KJV John 14:6) ~~~~~~~~~~  Jesus saith unto him,    I am the way, the truth, and the life:  ▲ 14:6  ~~~~~~~~~~~~~~~  λέγει  αὐτῷ  ὁ  Ἰησοῦς      Ἐγώ  εἰμι  ἡ  ὁδὸς  καὶ  ἡ  ἀλήθεια  καὶ  ἡ  ζωή  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ これは・つまり《わたしは道であり、真理であり、命である》は  神がその昔モーセに自分の名を明かしたときの《わたしはある(エフヱ―)》を引き継いでいるものと考えられます。  ▲ (出エジプト記 3:14) 神はモーセに、「わたしはある。わたしはあるという者だ(エフヱー アッシェル エフヱ―)」と言われ  ☆ 《存在》が 《真理・生命・道》と表わされた。つまりところが このように一人称のワタシで語ったとしても じつは 神が《〈わたしはある〉 それがわたしだ》と名乗ったときと同じように このワタシは 非人称なのである。なぜなら ワタシと言っていても 人間ではないのだから。  ここで 《真理と命》とは ひとまづ措いておきます。《道》を取り上げます。  つまり 非人称の誰かが・つまりそのナゾの何ものかが 自分は道だと言ったというのなら では人間は 何と名乗ればよいか? というのが この質問の主題であり問いです。  たたき台があると 話がすすみます。そこで   ○ わたしは愛である。〔と人間が語った〕。  という事態を取り上げます。これは 非人称ではありません。自己紹介のような文であり命題です。  すなわち――話をすすめるための論理を飛ばしている嫌いがありそのことを自覚していますが―― もしひとが《わたしは愛である》と言って おのが人生なる道をあゆむ ということがあり得るか? それでよいか? を問います。  ここは 聖書の系譜として問うていますが それに囚われずにお考えを述べてくだされば さいわいです。  すなわち論点ないし焦点は 《非人称》による表現を人がおのれの血とし肉とした場合 どうなるか? どう自己表現するか? にあります。非人称の表現なる《 Es denkt. (それが考える)》を超えたいという魂胆です。  愛とは スサノヲ市民のおのが自治ないし自己経営のことです。

  • ハプスブルク家の埋葬方法

    こんにちは。 ハプスブルク家の人々は代々、その遺体は皇帝納骨所へ、内臓はシュテファン大聖堂へ、そして心臓はアウグスティーナー教会へ埋葬(保管?)されてきたようですが、その理由はなんなのでしょうか。 大雑把な質問ですが、宜しくお願いいたします。

  • ラトソル 酸性になる理由

    地理の問題を解いていて、ラトソルが酸性か塩基性かという点の正誤問題があったのですが、自分としては、鉄やアルミニウムの酸化物が土壌に残っているので、これらは化学でいうと、塩基性酸化物なのでラトソルも塩基性かと思ったのですが、答えは酸性でした。自分の考え方はどこが間違っているのでしょうか?また、なぜラトソルは酸性となるのか教えてください。よろしくお願いします。

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    • oge
    • 地理学
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  • 周りに人がいるのに一切関わらず健全に生きていけるか

    笑い話のような話ですがこんな話がありました。誰とも人付き合いをせず仙人のように人から離れた山で暮らしている人がいました。その山の村の人たちからは「人は一人で生きていけないっていうけどあの山で暮らしている人はひとりで生きているんだ。たいしたもんだ。」といわれたりしていたそうです。 しかしある日村は火事になり村の人たちはやむを得ず一斉に引っ越す事になりました。するとなんと山で一人で生きていた人も一緒に引っ越して引っ越した先は村人達が新しく住む事に決めた近くの山でした。めでたしめでたし。 この山で暮らしている人は人と関わらない変わりに人から注目を浴びる事をいきがいとしていたのでしょう。 疑問なのですが たしか日本人でも大自然のなか誰とも関わらず生きている人もいましたよね。そういった人たちは誰からも意識される事なく、誰とも関わらずともずっと生きていく根気はあるのでしょうか? そして本題の質問ですがもし人と関わらず誰からも存在している事すら意識されず生きていけたとしても周りに人がいた場合どうしても他者と関わりを持とうとしてしまう気がします。周りに人がいるにも関わらず人付き合いを一切せずに生きた場合欠乏感を感じず健康に生きる事は出来るのでしょうか?どういった状態になったら健康のまま人付き合いを周りに人がいてもやらずにいられますか? 人が周りにいるのに人付き合いを一切しない人も中にはいますがそういった人はコミュニケーション障害だったりして精神的に健康とはいえないので除きます。

  • 千葉大学と茨城大学では近代史を学べますか?

    私は近代史、特に言うと20世紀の戦争とかを学びたいと思っているのですが、千葉大学と茨城大学ではこのことを学べるのでしょうか? ぜひ教えてください 国公立で他に近代史を学ぶのに良い大学があったら教えてください。 参考程度に偏差値は60未満です

  • 1+1=2では無いとすると神様は実在する?

    ルーシーという映画を観ました。 その中に 1+1=2では無い、それは人間が作った概念、宇宙には時間という尺度しか無い との内容が出てきました。 私は関心して観ていたのですが、 この理論をつきつめると 人間の尺度は宇宙に通じ無い事になります 。 しかしながら、時間が在る、という概念は 人間が作った尺度です。 時間もそうですし 存在するという考えかたもそうです。 自分なりに尺度の基準を考えると 自分の意思のみが宇宙であって 基準の様に思えます。 自分の身体も含めてだが 自分の意思以外は本当に存在するのだろうか? で、考えが行き詰まると 神様(に該当する人間の尺度では計れない巨体な力)が全部作ったのか? となりました。 幼稚な哲学ですが変過ぎますか?

  • ハゲのパラドックス

    ハゲに髪の毛を1本足してもハゲである。→(       )→すべての人間はハゲである。 この(  )の部分に入る言葉がわかりません。パラドックスの定義で教えてください。

  • 外形標準課税って何ですか?

    外形標準課税って何ですか?

  • SLSE48というハイレンジIQテストを探してます

    お早うございます。 今年の春に高IQ団体なるものの存在を知り、興味を抱きました。 そしてMENSAという団体に入ってみたのですがなかなか面白い方が多く、他の高IQ団体にも入ってみたいと思うようになりました。 しかし、その他の団体(HELLIQ High IQ Societyなど)に入るにはSLSE48なるハイレンジテストのスコア提出が必要になるそうです。 他の知能テストもいくつか挙げられていましたが、その中では上記のテストが最も図形問題が多く、私が一番得意そうな分野でしたので出来れば上記のテストを受けたいです。その方が高いスコアが出て入りやすくなるかと(笑) しかし、Google上で「SLSE48」と検索しても公式のスコアを出してくれそうなところが見当たりません。 知能テストは心理学の専門分野かと存じますので、専門家の方に専門機関を紹介して頂くなどしか方法がないのかな、と今のところはそう思っております。 そこで、もし良ければおすすめの専門機関、あるいは専門家の方を紹介して頂けますでしょうか?もしくは、それ以外の方法でSLSE48の公式スコアを取得できるところを見つける方法をお教え頂けますでしょうか? どうぞよろしくお願いしますm(_ _)m

  • 銅像を大きくする方法

    かなり前のことですが、上野公園の西洋美術館に行きました。そこで、地獄の門や考える人があり、その説明として銅像は原型?があれば拡大や縮小した複製?を造ることができるということが書いてありました。 しかし説明を読んでもよく分かりませんでした。しかも100年以上前に拡大の作業をやっていたとの事でさらに驚きました。 「考える人(拡大作):1881-82年(原型)、1902-03年(拡大)、1926年(鋳造)」 所蔵作品検索|国立西洋美術館 http://collection.nmwa.go.jp/artizeweb/search_7_detail.php 100年以上前にやっていたことなので、ハイテクな技術であるはずがありませんし、それほど複雑なことではない気がするのですが、考えても想像できずとても不思議でした。 ・具体的にどのように拡大・縮小をするのでしょうか? ・どのくらい前から行われているのでしょうか? この点について教えてください。 よろしくお願いします。

  • 物覚えが悪い

    いや、物覚えは良いんですが、記憶力が悪いんです。というのも学生の時分から、テストの前日に教科書を丸暗記して満点を取ってしまう様なことが出来ましたし、今でも短い時間で覚えて短い時間だけ記憶しておくのは得意だと思っています。 しかし子供の頃の記憶や読んだ本の内容、数ヶ月前に友達と会った時のこと、恋人との日々などの記憶は非常に少なく、あっても不鮮明で、会話の内容などの細かいことになると何も覚えていません。線香の弱々しい煙の様な薄れたイメージがあるだけです。 自分にとって大切なことは沢山あったはずなのに、そのほとんどを忘れてしまっているというのは、なんだか悲しく、情けなく思います。 その原因として、母が「お前は子供の頃からは誰にも何にも興味が無く、人の気持ちを考えないところがあって、冷たいと思うことがあった」と言っていたことを思い出しますが、だとしたらそれを克服するにはどうしたら良いのでしょうか。

  • 哲学は新しい時代の扉を開ける鍵になり得るか?

    私は成り得るのではないかと思って考えました が未だ開けるどころかビクともしません みなさんはどう思いますか? 世界を科学と政治に任せておいて 明るい未来が開けると思いますか? 資本主義の改革や戦争の撲滅 宗教の対立まで 哲学に課せられた責任は重いと思うのですが 実際にそれは可能でしょうか? ご意見を端的にお聞かせください。よろしくお願いします。

  • 歴史の"もしも " が大好きな私ですが…

    お付き合いくだされば幸いです。 もしも真珠湾攻撃前に、既に零戦52型丙(a6m5c)が配備されていたら、制空権争いは、どのような結果になっていたでしょうか? 第二次大戦時、最強の男の子「Fw190」とほぼ同時期に初飛行した零戦ですが、自分の中では零戦は女の子のイメージが強く、防弾、防漏タンクを装備した52型丙になって、やっとこ真の男の子(戦闘機)になれた感があります。 ですから初期の零戦は戦闘機ではなく、ただの航空機の基本設計って感じがします。 因みに、私の好きな日本の戦闘機は、キ-43隼I型、a6m5c零戦52型丙、j2m雷電です。