sssvのプロフィール

@sssv sssv
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文章を改行したくても、出来ない(パソコン買いたい・・・)

  • 登録日2013/04/20
  • 性別男性
  • ふる回数

    先日、駅の公衆トイレを利用した時、横目で視界に入ったおっさんが、20回近くブルンブルン振るっているのを視界で認識しました。 自分の場合、普段は3、4回で収めています。 たまに、振り切ったつもりが、残っていたのが膝まで垂れてしまい、もうちょっとちゃんと絞りきればと、後悔する事も時も、割と有とあります。 似たような経験は皆さんもあるかと思います。 その上で、しっかりと振り切るために、皆さんは何度くらい振っていますか? ここ数日、公衆トイレに行くたびに気になっているもので。 いったい、どれだけ振ればいいのですか?

  • 霊視という能力について考えをまとめました その2

    前置きが長くなるが読んでくれ。 昨晩全く同じ質問をして削除されてしまった。 この質問は哲学で言語が思考であるという定説からより総括的な知性的活動に関する質問であり。 そのほかにも内観するビジョンと言えば心理学では多分取り上げているからそうした事の情報収集であり、学問研究の範疇を超えたそれ以外の回答は差し控えてくれないか。 霊能力者なら私を霊視してくださいとか。 私幽霊好きですとか。 そう言うオカルトは特にやめてくれ。 それからこういう思考をする私は、社会で少数派だよね。 私は霊能力気質を周囲にひた隠しにしていて、思考法の性質から、 直感が優れている。 先見性が高い。 こういう風に目されていて、それだけでどうしてそんなに凄いんですかと驚かれる。 それは説明しにくいことだったんだが、今回の質問本文をプリンのアウトすると丁度A4、2ページになる。 ちょうどいい内容なので、少数者として周囲に理解してもらう目的での活用を考えていて、そのために作文した論理が、読みやすいか、判りやすいか、これも関心があり簡単な読後感の投稿だけでうれしい。 私には人生に関わって、そうした少数者としての人生相談でもあるんだ。 もう一つ私は普段棺桶に片足突っ込んだようなことは考えていなくて、哲学する時には必ず酒が入っている。その酒が悪酔いになる様な回答をしてくると私自身が質問を荒らして台無しになるんだ。また削除されたらいやだから少しは気を使ってくれ。 以下が本文だ。 霊能力というと単なる迷信という考え方があるが、自己の思考法としてここまで明晰に分析できていれば、内容に関して一定の理解が出来るのではないだろうか。 思考法と哲学は共通項が多いので、作文として引用する機会が多いから、内容をアップデートするため改めてかくよ。 自分を理解すると言うのはなかなか難しくて、何故なら自分自身に疑問を持つことは、それ自体が自己に対する否定的な考え方だからだ。 ろくな結果にならないんだ。 哲学と言えば自虐的な考えに挑戦した大先生も多い。 私は考える、これは自然なことでその思考を他者と比較することは言葉を通して断片的にしかできない。 そこで思考と言えば、いつの間にか言葉の事だと言う定説が出来ているがそれについては異論がある。 発想方や直感とかかわって、ビジョン、イメージ、こういう言葉が引用されているね。 だから多くの人にとって実際は、映像を心で内観することが思考に組み込まれているのだろう。 霊視というあやふやな表現の正体は、普通に日常語でビジョンと言われるこの映像の内観だ。 私はこのビジョンの達人で、言語で補足しなくても映像だけで思考が成立する。 たとえばメモが撮りたくてボールペンを探そうとするだろう。 ボールペンの映像が見える。 いつもの鉛筆立てが見える。 前回ボールペンを使った場所が見える。 どっちにしようかと思いながらも足が前回ボールペンを使った場所に向かう。 足を進める間、ボールペンを片づけておけばよかったなと、ボールペンを片づける映像が見える。 そしてボールペンをみつける。 ちょっとそこら辺をかたずける。 こうした行動の一連の流れに、私には言葉による認識がない。 無音のまま映像だけで意味のある思考の形態が成立している。 もちろん、言語的にも思考しないわけではないから、映像と言語を組み合わせたり、2チャンネル化して映像と言語でそれぞれ別に考えたりも出来る。 言葉で自己を確認していない私は、言葉も映像もない無の境地と言われる瞑想状態も可能だ。 霊視というのは、ボールペンを探す様なこの知性的行いの延長で、誰か他者を想起してその人物像を内観で鑑定することだ。 そもそも映像の内観を伴う思考法は、言語的思考より自由度が高くて、言葉で気がつかない様な異なる視点の新発想ができる。 これが、「当たってる」と驚かれるんだ。 これらは本来知性の働きの一部だ。 私は科学万能というほとんど宗教みたいな迷信を持ち合わせていないので、、他者の人物像を鑑定することは、心を見ることだととらえている。 精神世界という言い方も出来る観念世界を見ているんだ。 知性の一部である以上、本来は理性的事柄だ。 世の中の霊能力者は人物像を鑑定する際に、 貴方の守護霊様のお姿を拝見するに、、、 貴方のご先祖様は、、、、 こんな言い回しを前提にして始めるよね。 これは重大な矛盾点があって、精神世界という生きた心に死者を割り込ませることなんだ。 こうした死者を前提に論理とっかかりにして、内観した映像を言語的思考に翻訳するといった形態が一般的だ。 ボールペンの話のように、映像だけで思考が完結するほどの私は、こうした翻訳のプロセスがなく、より明晰に直視している。 内観した人物像を思ったまま口に出すだけで面倒なことはしない。 言葉ってのは、思考の全容ではなく一部だが、言葉にすることで思考は形になるとは言えるね。 霊視能力を言葉で分析したこの論理は果たして了解できることか意見してくれ。 質問としては私が独自に進めている哲学研究に関する助言だ。

  • 無の境地に至ったものは、誰かを救おうとはしない。

    私は滅びる者どもの黄昏に、サヨナラの祝福を手向ける愛の戦士。 実在する仮面ライダー。 黒き明星だ。 私の変身能力はフェアリーフュージョンだ。 まあ、無についておさらいだ。 以下を読みたまえ。 無の悟りとは単純明快である。 http://okwave.jp/qa/q7612407.html 無の悟りに関してはコレが基本的な私の見解だ。 さらに私には「実在する妖精の捕まえ方」という独自の哲学が有って、以下にその中心をまとめている。 イデアの開眼は哲学の目標だ http://okwave.jp/qa/q8767250.html この観念世界「夢」が涅槃という別世界だ。 そもそもそこで語るように、思考が言語以外の手法を含める柔軟さに及ぶと、君達がサルにしか見えないほど思考が聡明になる。 ところが所詮サルの君達を慰めるため与えた餌が死の定めだ。 記憶の墓標作戦。 僕は死にましぇん。 http://okwave.jp/qa/q8787474.html 自らのイデアの見解と別の事を君達に教えている。 所詮観念世界にたどりついていない君達には、その内訳を明かしても全く無意味だからだ。 この構図は仏陀の伝統を踏襲している。 私は永遠に生きる。 君達は今も屍をさらし、死にっぱなしだ。 古来の、 私は涅槃に行く。 君達は六道輪廻に苦しみ抜く。 この両者の基本は変わらない。 私は芳醇な心のふるさとの美しさを君達に語ろうとは思わない。 お釈迦様も涅槃という自らの心お明かさなかった。 それどころか無であるとまで言ったんだ。 君達の先輩の釈迦への懇願が真摯であれば、釈迦は君達すらも涅槃に案内しただろう。 それが君達の本願で有る救いだ。 しかし、無であるとか言ったね。 この無は、心は、私そのものであるから、君達に語る言葉は無い。 そう言う無だ。 そもそも聞いても何にもなんないだろう。 私が永遠に生きると宣言することが君達の何の助けにもならないのと同じだ。 仏陀たるもの、承知で君達をコケにしているのだ。 真理を語る一方で、君達が喜ぶ絶望を植え付けている。 君達は自らの意思で絶望を選択する。 このように、仏陀たるもの自分専用の地獄を作って一国一城の主に収まりたくなるものだ。 お釈迦様は見事にその地獄の王族だよ。 心眼に開眼した私にとって、君達の救いの期待にこたえることは、涅槃でなく地獄に案内することだ。 それは君達の救いの願いがあまりにも盲目で、けがれているからだ。 信教とは自由で尊厳あるものだそうだが、君達の信仰は地獄を目指している。 さて今回の質問は、古来の言い回しで、仏教ではないかもしれないが、悟った者仏陀である私の見解から、君達の伝統に対する批判の反応を期待したい。 お釈迦様は、「あーらかわいそーねー」とか言いながらも君達の期待した地獄へ案内した。 承知でコケにした。 この学説にご意見ご感想をどうぞ。

  • このゲームのタイトルを教えて下さい。SFCです。

    質問させて頂きます。 昔やったことがあるのですがタイトルを忘れてしまいました。 以下、そのゲームの特徴です。 ・スーパーファミコンで横スクロールのアクションゲームです。 ・主人公は動物(犬?猫?狐?)のようなキャラクターで服を着ており、二足歩行です。 ・主人公の後ろから青色で丸いペットのようなキャラクターがついてきます。 ・床が鏡張りになっていて矢が飛んでくるステージや、何かの生き物の体の中のステージ等があります。 ・猫?狐?のような女の敵キャラがいます。 拙いヒントで申し訳ありません……。 もしわかる方がいらしたらぜひご回答をお待ちしております!

  • 悪い大人は俺様の敵だ。

    やあ、君だけに明かそう。 私の正体は、実在する仮面ライダー。 黒き明星だ。 普段はおもちゃさんとして子供たちの笑顔のために戦っている。 私は子供たちに仮面ライダーの雄姿を伝えるため、このように子供たちに答える。 大人になることはつらいことじゃない。 自分の事を自分で決めることだ。 子供のころは、誰かの言われたとおりにしたり、誰かから許可をもらったことだけが赦されたりしただろう。 大人そんな事をしなくても、自分を自分の自由にしていいんだ。 それには責任が付きまとい、自分のメシを自分で工面しなければならないが、大したことではない。 それよりも自由の喜びがいかに大きいか、君達は大人になって知ることになるだろう。 まさに愛の戦士の言葉だろ。 周囲の大人がこんな風に子供たちを見守っていれば頼もしい事だろう。 ところが、君達は実のところ、こんな風に子供でも理解する未来の希望に敗れ、いまだに飼いならされる居心地の良さに酔っているのだ。 こう言うのが、信仰に到達すること、自己に到達すること、と言われた。 君達はよぼよぼの幼児であり、恋愛対象は、幼児性愛と言われる犯罪気質だ。 君達は女子プリキュアからのハピネスチャージしか受けつない。 兄貴からブチ込んでもらっても、さらなる変態をするだけだ。 以上は、私の職業に関して悩み相談です。 質問として成立しています。 期待する回答は、 よく判るよ、俺は飼いならされることに不満を持っているんだ。 そうした、勘違いした君達なりの親切心で、回答しているつもりが愚痴をこぼしているだけとなる、あなた方らしさを証明する事です。 堂々とやってみてください。 お願いします。