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哲学は新しい時代の扉を開ける鍵になり得るか?

私は成り得るのではないかと思って考えました が未だ開けるどころかビクともしません みなさんはどう思いますか? 世界を科学と政治に任せておいて 明るい未来が開けると思いますか? 資本主義の改革や戦争の撲滅 宗教の対立まで 哲学に課せられた責任は重いと思うのですが 実際にそれは可能でしょうか? ご意見を端的にお聞かせください。よろしくお願いします。

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  • Nakay702
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回答No.12

 かつては、哲学が諸学問を統合する機能を果していました。それは、原理的には今日でも変っていないはずです。すなわち哲学には、諸科学を統合してこれに指針を与えるという機能がある、少なくともその使命を負っているはずだと考えます。  オルテガによれば、現代科学者は「大衆人」(自己陶酔、傍若無人、傲慢、軽薄短小等の批判的な意味を込めてこう呼ぶ)の典型だといいます。彼らは「えせ専門家」で、ごく狭い範囲のことしか知らないのに、評論家然として何にでも嘴を挟む。彼らの犯している最も深刻な問題は、彼らが狭い分野に閉じこもって管見零測し、しかもそれでよいのだと考えること、総合的文化の観点を持たないことだといいます。  一方、人類史の頂点にいる現代人は極度に「洗練」されて、自然児たることすなわち己が自然の一部であることを忘れ、自然や人間を分析・制御するための学問に長けてきた一方で、全体を俯瞰し統括するという視点を喪失しました。また歴史上の頂点にいる"homo faber"(工作人)としてある意味必然の結果かも知れませんが、現代人は超高度な文明化社会を現出しました。文明化そのものを咎め立てするのではありませんが、文明の高さに比べて文化度が低すぎるのではないか、と指摘したいと思います。  我々現代人は地球上のあらゆる生命の生殺与奪権を掌握するという、いわば「人間帝国」を造り、体は一つなのにこれを切り刻んで部品化し、部品を寄せ集めれば全体に戻るだろうという要素還元主義的な(物理学などでは有効であろう)見方を生身の人間にまで当てはめ、それに染まり切って脱却できません。  これらのことと、本来司令塔たるべき哲学の存在感が薄く、軽視されがちな風潮とは同一線上にあるようにも思えるのです。ある意味、我々が進歩だと妄信して精出してきたことが、実はとんでもない愚行、自然を冒涜する反逆だったのかも知れません。いや、よく分かりませんが、少なくともそういうことに思いを致してみることが必要ではないでしょうか。その意味で、我々が事態の原点に戻って考え直し、人間として「本当の幸福」を追求するのに最も頼みとなるのが、哲学とその機能だと考えるわけです。  これからの人類は、知識より智恵を重んじるべきではないでしょうか。そして、政治家は政治哲学を、科学者は科学哲学を、そして哲学者は諸学問を統合して指針(当為)を与えるような人間学を学ぶべきであり、その素養を持つべきであると思います。さらには、我々一人ひとりがそれぞれの日常の暮らしの中で「哲学する」姿勢を持つべきである、と考えます。私は、哲学それ自体に、その機能に、哲学する姿勢に、大いに期待し、希望を託したいと思います。託せるはずだと思います。

yuniko99
質問者

お礼

哲学は諸学問を統合し、指針を与える人間学を求めるべき。 知識ばかりでなく知恵を働かすこと。 我々一人一人が日常の中で、哲学する姿勢を持つべき。 その哲学する姿勢に期待し、希望を託したいということですね つまり哲学の可能性に期待したいということでしょうね よく分かりました どうも大変ありがとうございます。

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  • kurinal
  • ベストアンサー率10% (128/1195)
回答No.19

♪ぽーにょ、ぽにょぽにょ、魚の子!

回答No.18

 ふたたびこんにちは。  哲学するとは すべてのクセから自由になることです。  あらゆるナラハシや定説や常識からまったく自由になることです。  その結果 ふるくてよきものをえらんでもよいわけです。  実践としての行き方なら クセやナラハシをちょっとずらす。  あるいは ジョウシキをうたがえ。  このウタガヒとズラシの理論と実践 これが歴史のあたらしいページを開いて行くことでしょう。  あとは 権威にいどむことになりますから ちょっとした勇気が要りますね。

yuniko99
質問者

お礼

ウタガヒとズラシですか そうですね あまりずれ過ぎると異常と視られるでしょうけど 超人になったつもりで生きたいものです。(実存主義者ではありません) 権威はそう簡単には動かないでしょう 学生運動でも何も変わらなかった。 沖縄の反対を押し切って基地を造るくらいですから 革命のつもりでないと(無血革命)変わらないでしょうね どうも大変ありがとうございます。

回答No.17

お礼、ありがとうございます。 ☆哲学をして思想を生むしかありません。行動と経験を踏まえて。 ◇その際に、 その考える方法と判断材料の一つを与えることができたら、 哲学は十分に存在価値があると思いますよ。 学問としての哲学研究を否定するつもりはありませんが、 我々にとっては、 哲学的な考えをすること、つまり、すこしでも正しく考えられることの方が大切なのではありませんかね。 文学的な表現を使うならば、 哲学を生かし、それを自身の行動や思索に反映させる、 となりましょうか。 そして、 このために色々な考え方や価値観を学び知ることは、けっして無駄ではない、 と思っております。

yuniko99
質問者

お礼

成る程そうですね 仰る通りです しかし急に同意数が増えましたね 支持者が多いのでしょうか?いい事書きますもんね どうもありがとうございます。

回答No.16

哲学の理解が間違いだとこの質問が判ります。 哲学とは 脳内情報処理の言語による統合 の意味である。 それ自体に達成不可能性を持ち不完全。 科学が分析という限定を理解したとき成果を得た。 哲学の停滞はいまだに限定性を理解せず総合性に こだわるからである。成果を上げた哲学者はすべて 限定思想と言える。 思考領域を明確に限定した場合だけ学問に値する 成果を得るだろう。物質科学は思考領域を物質に 限定したからこそ成果を得たのだ。それも哲学だ。 人体の尊厳と人体解剖は矛盾し統合は困難。 真に哲学を持つなら統合しやすい思考に導く事。 領域に日本を選ぶなら日本、アジアならアジアの思想。 いきなり全宇宙の全時代を扱って何になる? 孟子も孔子も限定を理解した上の思想、それが有効の根本。 哲学が総合だと思う限り有効な思想は生まれないし理解不能。 よってもって質問者が理解する哲学で時代を開くのは在り得ない。

yuniko99
質問者

お礼

成る程 哲学と言うものはそういうものだと決める必要があるのでしょうかねえ? 可能性を追求していいのではないでしょうか? どうもありがとうございます。

  • wiz0621
  • ベストアンサー率42% (182/430)
回答No.15

余計な説明を省いて、あくまで"端的に"表現すれば 資本主義の改革や戦争の撲滅、宗教の対立の解消は そもそも原理的に不可能ですが、哲学の力は 資本主義の対立の解消や戦争の改革、宗教の撲滅を実現することで 寸分違わない、あるいは数段優れた効果を現出しうる、ということなのです。 そもそもからして哲学とは万能の利器ではなく、 単体で万象を解決するような力を持っていません。 その役割は古来より、触媒として変化を加速させることでした。 古代において哲学自身が指摘したように、 行動の無い思考、思考の無い行動はどちらも無力なのです。 一方で、哲学の力は両者を結び付けることで矛盾を解消し、 時代を切り開いてきました。 現代においても同様で、科学・政治の無い思考・行動はあまりに脆弱ですが 哲学を用いれば、やはりこれらを組み換え、結び付け、 優れた知見を得ることが可能なのです。 不可能を可能にする能力はありませんが、もともと少ない可能性を 組み換えることで、あらゆる方向へ加速させる、 これこそが哲学の持つ能力です。 逆説的に、組み替える対象が無ければ、そもそも何もできないのが哲学です。 ですから、政治や科学より哲学を優先すべし、という思考では あたかも開くべき扉ができる前に、鍵を作るようなものではないでしょうか。 政治や科学を何故、自らによって行う前に、 最初から信用できないと切り捨てようとするのでしょうか。 哲学の万能性を賛美して、あるいは責任を課して、あるいは何もせず期待して 何か変化があるのでしょうか。 このような行為は哲学をまるで一宗教のように矮小化し貶めるものであって、 その賛美は真理を遠くし、祈りはただの迷いと、つまり呪いとなる。 せっかくの哲学を学んでもその意義と効果を全く得られないまま、 無駄に失うことを意味することでしょう。 というわけで、政治も科学も経済も戦争も宗教も、もちろん哲学も とりあえず全部やったらいいんじゃないでしょうか? 問題の鍵は、問題の中にこそあるのですから。

yuniko99
質問者

お礼

哲学の可能性としては組み替えることと言う訳ですね。 取り敢えず政治、科学、経済、戦争、宗教も哲学も全部やったらいいという訳ですか。 それはやってるんじゃないかな?その中で哲学の果たす役割が それらを組み替えたり結びつけたりするという訳ですね なるほどどうもありがとうございます。

回答No.14

残念ですが「哲学」は学問であって「規範」ではない。 古代ギリシャにも「哲人王」の概念はあって、 希求する人も多かったが困ったことが起きてしまった 「必要悪」は排除出来るか? ポリスはその中で各自法体系を作り、執行した。 ソクラテスはアテネの法に「正当性」を認めて 「たとえ悪法でも法は法」と云って死んだ。 プラトンなどは他国(ポリス)の人だ、アテネの 法には縛られないと宣言して逃げた。 各ポリスには「役人」は居た、居ないと税金が 集められない、実際上「警察機能など無い」 だからソクラテスが刑死した時も「確認者」 しか居なかった。 必要悪には刑事警察機構も軍隊も必要だ。 ソクラテスも若い時従軍した、義勇軍に近い。 負けたら死ぬか捕獲され、ドレイになるが、 家族が「代金」を払えば自由だ。暢気な時代だが それでも「哲人王」が欲しかったのだ。???

yuniko99
質問者

お礼

面白い話をありがとうございます。 哲学王までは考えていませんでしたが 哲人政治はいいという話はありますが 政治の権力闘争は激しく 哲学をするような悠長なことを言ってる者にはなかなか政治をする機会は回ってきません お釈迦様が悟りを開いて国王にならなかったのも 権力よりも人の心の問題だと思ったからでしょう 哲学で世論が変わり教育が良くなればずっと違って来るのでしょうけどねえ。 どうもありがとうございます。

回答No.13

哲学は、人々に新しいものの見方、観点、視点、新たな価値観などを提供することくらいは可能かもしれませんが、 これが世界平和などにどれくらい寄与するかについては、はなはだ疑問ですね。 そして、 わたしは、 今日の哲学は、おそらく、世界平和などといった社会的要請に答えることができない、 と考えております。 ”「現在のフランス王はハゲである」 「ペガサスは存在する」 は正しいのか? これらはどのような構造の文なのか? 何を意味しているのであろうか?” が、 世界平和や環境問題について新しい視点を与えたり、解決策をもたらしりするものだろうか。 哲学的ゾンビやクオリアが、我々の直面する現実的な社会的諸問題に何らかの具体的解決策を与えるのであろうか。 であるからして、 社会的要請に答えることのできる哲学があるとすれば、 政治哲学、経済哲学、環境哲学などと呼ばれる、哲学の前に○○の文字がつく、真っ当な哲学でない哲学ではないですかね。 ひょっとしたら、俗に人生哲学と呼ばれる、哲学とは何の関係もない、名ばかり哲学かもしれない。 こうしたバッタモン哲学、似非哲学、哲学者が決して真っ当な哲学として認めない哲学こそ、社会を変革する新しいものを生み出せるのではないでしょうかね。 私が思うに、哲学ではなく、倫理学や道徳学といったものの方が、世の中を変える力を持っているのではなかろうか。 いや、むしろ、学問ではなく、思想と呼ばれるものに期待した方がいいのかも知れませんね。

yuniko99
質問者

お礼

大学で行われているのが本当の哲学でしょうか? 哲学科に行ってないので大きなことは言えませんが 過去の哲学者 プラトンとかトインビーを研究して考古学的なことをするより 故人の跡を求めず、故人の求めたるところを求めよと言われます 哲学は歴史ではありません。人生哲学 経営哲学 環境哲学 科学哲学? それもれっきとした哲学です。役に立たない哲学をして高い給料貰うより 何か教育や道徳や倫理を良くする哲学をしたがよかろうかと思います。 哲学をして思想を生むしかありません。行動と経験を踏まえて。 どうも大変ありがとうございます。

回答No.11

#1の者です。 >環境認識の深まりは哲学じゃないのでしょうか? かつては宗教が世界像として、哲学や科学も兼ねていた 時代があった。 環境における人の認識の深まりにおいて、宗教とは相容れ ない知見が増えて、科学と宗教は分離したし、世界観と しての哲学も徐々に宗教と袂を分かち始めた。 現代における「環境認識の深まり」は、哲学だけでなく、 物理学や生物学、化学、数学、地学、社会学など、多くの “分”科学も含むものだ。 哲学プロパーなマニアの、旧態依然とした世界観が、 「新しい時代」を拓くとはとても思えない。

yuniko99
質問者

お礼

大学で旧態依然として過去の哲学者の文献を研究するのが哲学ではありません。 故人の跡を求めず、故人の求めたるところを求めよ という言葉があります。 哲学とは人生観・世界観と言われます。それが違ってくるだけで大きく違ってくるのではないでしょうか? ポスト宗教です。 どうもありがとうございます。

回答No.10

 こんにちは。  自然科学も社会科学も・そしてじっさいの経済も経営も政治もみなその思考形式は 哲学として培ったものです。  それと そこからさらには哲学が牽引するというよりは 哲学する人間がと言ったほうが互いの理解を得やすく世界にあっても互いに共有しやすいように思います。

yuniko99
質問者

お礼

仰る事よく分かります。哲人政治がどうかはわかりませんが 哲学のないリーダーや集団は危険な方に行く可能性大です 烏合の衆ではいけません。お互いにビジョンやポリシーを持った者が上手く行くと思います。 どうも大変ありがとうございます。

  • titelist1
  • ベストアンサー率25% (712/2750)
回答No.9

歴史上に新しい時代を切り開いた哲学者がいましたか。その時代を分析して理解することには哲学は有効ですが、歴史を作り上げた学者はいないと思っています。何故なら歴史は人間の行動で作られるのです。自然科学も実験という行動が必要です。経営経済も行動で得たデーターがないと考えられません。行動しない文学者や哲学者が頭でっかちと言われる所以です。

yuniko99
質問者

お礼

科学の暴走を抑えるためにも思想哲学が必要ではないでしょうか? 経営経済を行うにも経営哲学が必要です。 ただ儲かればいい 行動すればいいと言うのでは戦争は収まりません。 平和・安定調和と言うのも哲学が生み出した言葉ではないでしょうか どうもありがとうございます。

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