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科学と宗教をどう結びつけるか?
科学全盛の時代ですが 科学は様々な可能性を開く一方 核兵器やコンピューターのストップ、戦争等では 悪い可能性もどんどん開いてしまいます 昔は宗教が人々を纏めていたのでしょうけど 今は宗教自体が何千と在って まとまらない 宗教対立も起こります そういう中で哲学はどの様な役割を持ち 実際何が出来るのか? 倫理なき科学とバラバラになった宗教を人間にとって 調和した価値あるものにする為にはどうするか? 不条理から人を救うには何が出来るか 分かれば教えてください。
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科学と宗教とは対立軸ではありませんが、現在の世界を見渡すとき、科学を背景とする先進国と宗教に依存する後進国、発展途上国といった構図がどうしても浮き彫りになってしまいます。 日本の敗戦の直接的な切っ掛けとなった原子爆弾を発明したのは、言うまでもなく科学者です。 一方で。戦後10年の1955年、「ラッセル・アインシュタイン宣言」は、冷戦時代の米ソ水爆実験競争などを批判し、科学技術の平和利用を謳っています。 自分で作った危険物を現実に使用して、その被害に大きさに驚愕し、使用方法に言及する。 何か不自然なものを感じます。 しかし、科学技術に発達に終着点はなく、戦後70年を経てなお、進化し続けています。 ロボット産業もその一つですが、今後、人間の労働環境の中にロボットの存在は一層際立ってくるのではないでしょうか。 また、人工知能についても、「自らの判断」が万一実現するならば、まさに「ターミネーター」の世界です。人間の存在理由が問われかねない状況になってしまいます。 また、宗教について考えてみると、先ずイスラム国を思い浮かべます。 勿論、彼らもまた、科学技術に依存している訳ですが、背景には偽物であってもイスラム教という宗教的な考え方が政治思想に深く影響を及ぼしています。 また、イスラム教自体を眺めてみても、聖地メッカには日本人の感覚としては異様に映るほどの数百万という信者が集結します。 時代がどれ程進んでも、多くの国にはこうした宗教的要素が色濃く残っており、場合によっては、人々の精神を侵食し、本来人間が動物であるという真実を忘れ、宗教に身も心も支配されてしまうということにもなりかねません。 ただ、世界の宗教を見回したときに、仏教、キリスト教、イスラム教の3大宗教に他にもロシア正教や日本の神道など、人間の信仰に寄せる思いには際限がありません。 さらに、日本やアメリカなどでも現代社会の中で孤立や不満を抱える中から、時代の要請に応えるように次々と新たな宗教が登場し、そこに時代に乗り切れない人々が吸収されていく。 そうすると、宗教は科学という現実とは、全く相容れない性質でありながら、依然として人間社会の中に君臨する巨大な精神文化の一つと言えるのでしょうね。 先に、書いたバートランド・ラッセルは哲学者でしたが、哲学的な思考に不条理を解決する方法は見当たらないと思います。また、人間の倫理観や思想なども長い歴史の中から紡ぎだされた文化であり、考え方や日常生活の習慣一つとっても国や民族により全て違ってきます。 原爆を作るのも人間、それを落とし灼熱地獄を作るのも人間です。それでも科学者たちはその開発に余念がありません。 菅原文太さんが「もうこれ以上、科学技術は要らないのでは」といったことを話していたことを思い出しますが、科学の発達によるマイナスの面では、戦争の武器を作り出し、社会を支配し、地球環境までも破壊する。 見てきたように宗教が変わることはありません。特に発展途上国の宗教は時代の進展とは関わりなく、そこに数千年を超える歴史の中から生み出された選択不能の土壌です。 解決策があるとすれば、先進諸国が発展途上国における貧困や、民族・人種差別、それによる直接的な経済的な格差などを含めて、理解する意思があるのかどうなのかというところに行きついてしまいます。 結論的には、このまま放置すれば科学は人造人間までも作り出すでしょう。もはや、人間の世界ではありません。そういう意味で、科学はほどほどに。 また、宗教には血の歴史が刻まれているということを含めて、緩やかに眺めていくしかないのでしょうね。 2006年、元アメリカ大副統領アル・ゴアの「不都合な真実」は世界に衝撃を与えましたが、それから10年、何一つ進展していないのが事実です。 イギリスの産業革命から250年、明治維新からたった150年で人間は地球を使い物にならないほまでに荒廃させてしまいました。 この先、科学が更なる発達を遂げ、比較にならないほどの核兵器を抱え、さらに先進国との間で宗教的色彩の孕んだ争いが継続するものならば、何れ世界は何かしらの形で破綻します。 その時初めて、「人間は愚かだった」ということに気付くのでしょうね。
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- 雪中庵(@psytex)
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かつて宗教が哲学(=価値観=生きる意味)であり、 科学(=世界観=存在の原理)である時代があった。 人の環境認識が深まるにつれ、科学的な僧侶は 火あぶりにされ、科学は宗教とたもとを分かち、 それによって哲学も宗教から離れた分野が広まった。 科学(存在の原理)の果てに「人間原理」に至り、 「認識される事で存在する」=観念論と唯物論が 融合し、自我仮説(心=記憶(時間軸)=過去=超光速) と空間仮説(存在=予測(空間軸)=未来=光速下)の 相補分化(無=不確定性無限の潜在的認識可能性 (感受表面での量子相互作用=現在=光速)から)と して得られる時、「自己存在の必要としての環境 =他我愛」として、生きる意味は物理から導かれる。
- Mokuzo100nenn
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>不条理から人を救うには何が出来るか 分かれば教えてください。 まずは、科学を学ぶ学生の学納金を、文学や法学をまなぶ学生の学納金と同額にする事。 学問の種類によって費用に差をつけるなんてのは、学問の自由を毀損するトンデモナイ行為です。まず、このような科学に対する差別を撤廃することが重要です。 つぎに、宗教を職業としている人、とくに仏教の僧侶は、厳密に肉食・妻帯・蓄髪を禁ずること。 仏教の基本的な禁もまもれない僧侶が、上から目線で「戒名を与える」なんてとんでもない事です。 これら、とんでもない日本独自の風習をひとつずつ改めて行くと、やがて核兵器やコンピューターのトラブルなどがコントロール可能になるのです。
お礼
日本の仏教は堕落してる部分がありますねえ 無税で葬式仏教をやってれば食っていけると言う様では 宗教の意味はないです。せめてお経は日本語で分かる様に唱えて貰いたいものですね どうもありがとうございます。
- koosaka
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ちょっとあなたに事実誤認があるように思います。 あなたの言い方だと、哲学は宗教とは別で、宗教とは別に発展してきた、と言っているように聞こえますが、それは誤解です。 古代ギリシャ以来、哲学は宗教とともに、両者は車の両輪のように互いに補い、支え合いしながら、発展してきました。 哲学が宗教とは別なものとして切り離されるようになったのは、17世紀の「30年戦争」の後です。 「30年戦争」は1618年から、1648年まで、ほとんど全ヨーロッパを巻き込んで戦われました。 最初はカトリックとプロテスタントの宗教戦争でしたが、後半になるとカトリックのフランスが、プロテスタントの北ドイツに味方し、同じプロテスタントの南ドイツがカトリックのスペインと同盟を組むなど、複雑な様相を呈するようになり、最後には宗教ではなく、国家同士の戦いに変貌しました。 その戦いはベルギーのウェストファリアで、講和条約を締結し、ヨーロッパは、宗教と哲学、宗教と政治を分離しました。 この戦いから、ヨーロッパは近代を迎えたと言われます。 その戦いにデカルトも一人の兵士として参戦しました。 その結果、デカルトの心身二元論が作られました。 こころ、すなわち宗教と、科学、すなわち身体が分離されたわけです。 あなたは「科学と宗教をどう結び付けるか?」と質問していますが、その質問はせっかく近代に宗教と哲学を分離したのに、ふたたび両者を結び付けようというもので、時代に逆行します。 何百万人の人々の犠牲があって、初めて実現した宗教と哲学の分離なのに、あなたの質問はその何百万人の犠牲を無にするものです。 現在、イラクでイスラム国が、宗教と哲学・政治を一緒にして人々を虐殺していますが、あなたはイスラム国のように近代以前の「神聖政治」を復活しろ、ということなんですか? とんでもないことです。 あなたは「倫理なき科学とバラバラになった宗教」と対比的に考えていますが、科学にも倫理はあるし、宗教も、決してバラバラではありません。 イスラム国も、その他のアラブ諸国も、同じ神・アッラーを信仰していることでは一つです。
お礼
イスラム教徒はイスラム国のテロはイスラム教徒とは関係のないものだ アメリカなどの十字軍があまりにイスラム社会に干渉し殺人をするので 過激派が出てきたのだと言っています 科学と宗教は矛盾することが多い その矛盾を解くことが出来るのが哲学であり 哲学にはその責任があると言っているのです ありがとうございます。
- jing0708
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そもそも科学と宗教を分けることがナンセンスです。 科学とはある記号や論述によって、全ての人が真理を理解できるように探求する学問のことであり 宗教とは修行という非科学的な手法によって、自分自身が真理を理解できるように探求する学問のことです。 一見すると宗教は全ての人に普く真理を説いているように見えますが、実際は科学のように万人が理解できる用語の定義や再現性の確保などをしないので、極めて難しいものであることは言うまでもありません。 逆に難解と敬遠されがちな科学は、用語の意味さえ理解すれば誰でも何を述べているのか分かるように設計されています。ある意味では大乗仏教に近いのです 倫理なき科学と言いますが、倫理がないのは科学者ではなく利用者です。 科学者が自らを堕して技術を悪用する例というのは現在までの歴史の中では稀有と言っていいレベルですくないことです。逆に科学をきちんと理解していない民衆や政治家が悪用するケースの方が圧倒的に多く、宗教の際たるキリスト教は科学を弾圧し、利用し、多数の死傷者を出したことは歴史を知るものであれば謂わば常識とも言えるものです。 不条理から人を救うのは、常に知識です。 そしてそれは科学的な知識でも良ければ、宗教的な知識でも良いし、宗教的な実践による体得でも良い。ただ、それがゆがんだものであれば宗教であっても科学であっても一流にはなれず身を滅ぼすだけでしょう。 もっと哲学なさったほうがよろしいかと思います。
お礼
そうですか それはどうもありがとうございます。
- akiye2
- ベストアンサー率27% (160/573)
科学も宗教も人が生み出し人が操ってます。 哲学は社会で一番役に立たない学問とされている。 即効性が無いですしね。 哲学は未だソクラテスを超えてないと思う。 人を制御できるのは道徳や倫理でしょう。 それらを哲学とするなら、それらが解決方であり救済方となる。 この世自体が不条理であり、そこから人を救う方法は無いでしょう。 それと、どのような状態を救うと定義するか。 哲学的には定義できないと思います。
お礼
この現代社会の道徳や倫理を生み出すことができるのは哲学です 昔から哲学にはそういう役割が在ったのですが 今の大学の哲学は昔の哲学者の文献の研究ばかり そんなものから新しい道徳や倫理が生まれてくるのでしょうか 甚だ疑問です。どうもありがとうございます。
- 92128bwsd
- ベストアンサー率58% (2275/3919)
必ずしも宗教・倫理と科学がバラバラになったとは感じません。古くは核開発に対する規制・平和利用に科学者が集まって運動をおこしましたし、現代ではバイオテクノロジーや遺伝子操作に関しての倫理的な指針を科学者がまとめています。恐らく今後AIに対しての動きも起こるでしょう。また、様々な宗教が国際社会に影響を与えるようになってきていますが、人間の尊厳、倫理、平和と言うことに関してそう大きな違いがあるようには思えません。 本当の脅威は、国際協調の中から外れた考えを持つ国や団体が、悪意を持って特定の研究開発を行った場合、過去に比べて人類に大きな影響を及ぼすようなことができるようになってしまっていること。例えば、遺伝子操作、細菌、化学兵器などがそうでしょう。かつてと違ってインターネットで世界の情報が取り放題な中で、悪意を持った国を断定して国際社会から排除すると言うのも現実的ではないしかといって、放置するととんでもない発見、発明がされてしまうリスクはあると思います。 もう一つは、個人のプライバシーや、安全保障、戦争と言ったものに関しての科学・技術の進化によっての変化。 今や、ドローンを使って、アメリカからモニターが画面を見ながら中東のテロリストの要人をピンポイントで攻撃することができます。テレビゲーム感覚。また、これは戦争ではなく殺人です。殺人ロボットの研究も進んでいます。自国の兵士を失うことなく、また爆撃で多くの市民を巻き込むことなく、対象となる”悪党”だけを殺すことが出来たらそのほうが良いかも知れませんが、まぎれもない殺人。プライバシーに関しては、技術的にはインターネット、電話などの通信記録、監視カメラの情報などからいくらでも個人を調べることができます。これは倫理上やってはいけないはずですが、テロや犯罪から市民を守るためにはやむをえません。 科学技術の発展によって過去の倫理観では解決できない課題も多く出てきていると思います。
お礼
色んな問題があるのは事実だと思います 世界は一つの国家のようになって安定する横行に向かうと見るべきでしょう でないと不幸や不条理は減りません では一つの国になって本当の人間の目的を合意するためには どうすればいいか そのアイデアがないかという事です。 未来に人間からそれを越える永遠への存在を実現するために 如何に平和調和した世界を作って創造する力を生み出すか それが今問われているのです。 どうもありがとうございます。
- hekiyu
- ベストアンサー率32% (7193/21843)
科学は様々な可能性を開く一方 核兵器やコンピューターのストップ、戦争等では 悪い可能性もどんどん開いてしまいます ↑ 科学が未発達の段階でも戦争はありましたし、 今よりも多かったのではないですか。 核兵器が開発された結果、核保有国間での 戦争は起きていません。 昔は宗教が人々を纏めていたのでしょうけど 今は宗教自体が何千と在って まとまらない 宗教対立も起こります ↑ 宗教の数は昔の方が多かったと思われます。 欧州にしたって、土着の宗教が淘汰されてキリスト教に 成った訳ですから、数としては減っているはずです。 また、昔の方が宗教戦争は多かったと思われます。 ユダヤ教とキリスト教、カトリックとプロテスタントなどなど 血で血を洗うような争いが頻発していました。 30年戦争なんてのもありましたね。 そういう中で哲学はどの様な役割を持ち 実際何が出来るのか? ↑ と、いうことで質問の前提が崩れていると 思います。
お礼
批判ですか 哲学って批判しか出来ないんですかねえ? どうもありがとうございます。
お礼
その人間は愚かだったという反省を我々の民族はしたはずなのです その民族の意志を継ぐ我々は 今度こそ 人間は愚かではなかった という結果にしなければ 犠牲者は浮かばれません 科学は幾ら真理でも、それを使う人間の心が人間の目的や価値を知らなかったら 我々が今目にしてる様な悲劇が何時までも繰り返されるのです 私は存在性思想と言うものを考えてネットの世界に問いました しかしどうでしょう いくら説明しても紹介しても 分かる人がいないのです。私がバカなのでしょうか?それとも皆さんが分からないのでしょうか? 本音を言えば呆れてモノも言えません 日本に哲学はあるのでしょうか?? 貴方は非常にバランスのいい回答をされました どうも大変ありがとうございます。