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すべてのひとを説得することができますか

 コミュニケーションについて問います。  【Q‐ω】 人間は すべてのひとを 説得することができますか?  ☆ わたしの感触を述べますので ご見解を述べやすいように たたき台としてください。  【A‐ω‐br.】 (1) 感性ないし情感を措いて考えるなら すべての人びとが納得するような理論は 提示し得るだろう。  (2) ひとが納得するかどうかは 説得者の能力や努力の及ばぬところである。  (3) よって 理論によって すべてのひとを 納得させうるが 説得し切れるかは 分からない。  ☆ そもそも コミュニケーション論です。  【Q‐α】 コミュニケーションとは どういう社会行為ですか?  【A‐α‐br.】 対話です。三者の会話は 三つの対話から成るという意味です。  ☆ 【Q‐ω】に付随して わたしの関心を持って知りたい課題です。  【Q‐β‐1】 説得に際して 第三者は どんな役割をにないますか?  【A‐β‐1‐br.】 (1) 対話の主体として 話し手(書き手・発信者)と聞き手(読み手・受信者)の関係を おのれひとりの内面に 機能させるために きっかけとなる。  (2) その意味では そばにいて欲しいと同時に 仲介者の役をになってもらってもよいのだが 基本的に 説得行為ないし対話には その発言は 加わらないのではないか。  (3) 前項は 第三者の存在が 重要であり大事だ。と同時に 一対一の対話の発言には 局外者となるのではないかという意味です。  【Q‐β】 コミュニケーションの主体について どういう事項が 心得なければならないことですか?  ☆ 研究論文などは読んだことがありません。でも コミュニケーション論として 実質的に 最先端を行く日本一の内容を目指します。問い求めの過程として 世界一を目指します。  ふるってご投稿ください。おしえてください。  なお これは 【Q:ぶっきらぼうは いただけませんか】および【Q:けんかをしては 何故 いけないのか】の続編です。

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noname#96756
noname#96756
回答No.44

bragelonne様、こんにちは! ところで、「芸術・感性」「哲学・思想(宗教含む)」「(広義の)科学」を 《アマテラス圏‐スサノヲ圏》における「ヨリ」「イリ」「ヨセ」に呼応させることは可能なのでしょうか。 仮にそう出来ると考えますと。 原始の時代━ヨリ感性━芸術・感性中心の時代 ↓ スサノヲ覇権時代━イリ知性━哲学・思想(宗教含む)至上主義の時代 ↓ アマテラス覇権時代━ヨセ知性━(広義の)科学至上主義の時代 という歴史を経てきたように考えるわけですが。 で、bragelonne様はアマテラスからスサノヲへの主従の転換を求めていらっしゃいます。 「哲学・思想(宗教)>>>(広義の)科学」という主張になるのでしょうか。 いっそのこと、この2つの概念の主従転換ではなく、芸術・感性といった概念も加えて三つ巴のバランスのとれた状態が心地良く求められるのではないのかな、と考えるのですが。 科学を否定的に捉える意見が多いため、わたくしはちょっと「?」なのです。 この3つの概念は、領域が重なる余地はあるかもしれませんが、概念同士が衝突することを求めることは決して人間の未来にとって得策ではないとわたくしは思うのです。 もしbragelonne様がご賛同くださるなら、どのように考えることが出来ますでしょうか。 それとも…やはり3つの概念の中で「哲学・思想(宗教)」至上主義時代の到来を望んでいらっしゃるのです? ps: (1)「芸術・感性」って…どこぞのa様のことをふと思い出して、我ながらソファからずり落ちそうになりました♪ わたくしね、あの方がカム・バックするまで、超不得手とする哲学カテに居座っているのですが、考えるのが苦手だから、つ、つらい…。 (2)コマ回しにはね、ちょっとかなりの自信があります。ふふ。

bragelonne
質問者

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 mashumaro2 さん こんにちは。ご回答をありがとうございます。  いろんな観点から いろんなふうにお考えになるのですね。ふと見ると 横にいたり あるいは むしろ前を走っていたりと 神出鬼没でいらっしゃる。  ★ a様のこと  ☆ 《一家言》のあり方もさることながら――つまり 部分的に どう取り扱ってよいか戸惑うところがあったと思うのですが それ以上に―― どうも イニシアチヴを取ろうとするといった問題ではないかと いま 思っています。任せてもいいのですが 全権委託というわけには行かなかったように思います。  ★ コマ回しにはね、ちょっとかなりの自信があります。ふふ。  ☆ 《ジャイロ効果》などについて 明るくないので 論を発展させていってくださって いいと思います。  さて 人類の歴史を展望するときになりました。!!!  わたしの見方からは 図式を 修正します。それは 《ヨリ・イリ・ヨセ // コギト》という知性のあり方を基礎にしますと 最後の《科学思考》は 或る意味で 中立の道具ですので 《ヨリ》は別としても 《イリ》にも《ヨセ》にも 大いに用いられるという点を加味するとよいと思うのです。たとえば  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ○ 原始の時代━ヨリ感性━芸術・感性中心の時代  ↓  ○ スサノヲ自立時代━イリ知性━哲学・思想(宗教含む)への目覚めとそのいとなみの時代   * すなわち すでに ここで 《コギト》が始まった。   * 稲の栽培=時間過程という要素;共生は動態である。     鉄の発明・利用=道具の進化     薬草の開発=物理化学の探究  ↓  ○ アマテラス覇権時代━ヨセ知性━(広義の)科学至上主義の時代   * 日子(=彦)・日女(=姫)というように また 《天照らす》   というように 直前の時代から 人間の精神に 理性という光を見る   ことが始まっている。   * 《日子の御言》としての光から 《すめらみこと》として後光の   差した光になることを みづから 追い求めた。すめらとは 須弥山=   最高峰のことだそうで いよいよ人間的となり ますます人格を磨き   全世界において統一第一日子であることを 夢見たし これを 実現し   たと思った。   * そのためにこそ 知性も芸術も宗教も そして あらゆる科学も   利用・活用するという思潮が 社会的に 優勢となった時代。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ 第二と第三の段階のちがいは ふつうの勤勉とスーパー勤勉すなわちガリ勉との違いと見ると 分かりやすいかも知れません。  ★ いっそのこと、この2つの概念の主従転換ではなく、芸術・感性といった概念も加えて三つ巴のバランスのとれた状態が心地良く求められるのではないのかな、と考えるのですが。  ☆ あの火炎の舞うような意匠をもった縄文土器には その感性のあふれ出るような美しさを感じます。もちろん 全部を 活用したい。ただし ふつうの知性たるイリの視点で 活かしていきたいと思います。  どういう時代の到来を望むかと考えれば そうですね。ゴートの王で ローマ(西ローマ)を短いあいだ支配したテオドリック大王という人間がいます。その統治のもとでは 街道には 追い剥ぎが出ないどころか 落とし物をしても 持ち主に返ってきたと言います。そういう治安のよさのもとでの生活がよいように思いますが どうでしょう?

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回答No.42

なるほど、なるほど。 ホテルカリフォルニア信奉者からみると、 アマテラスは自らが内在する野獣スサノウを 殺すことはできないということですね。 根であり、まさに、足ですからね。 そうすると、アマテラスというのは、 公というよりもっと広い意味を持っていますし、 戦争や殺戮もコミュニケーションの極端な形態の一つになります。 話し合いでないという意味で、コミュニケーションの対義語のようにも 思えますが、これ程強い意思表示はなく、再生に必要な破壊、 伝家の宝刀ですかね。 それであっても、血湧き肉躍らせた野獣スサノウが見た夢は、 新たなアマテラスという亡霊なのでしょうか。

bragelonne
質問者

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 bananasand さん お早うございます。ご回答をありがとうございます。  そうですね。かつて《鉄の檻》とも呼ばれた資本主義社会の 人びとの動きにとっての雁字搦めの状態を 描像として描いておられましょうか。  ▲ (M.ヱ―バー:プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神)~~~  〔プロテスタンティスムの〕禁欲は 世俗を改造し 世俗の内部で成果をあげようと試みたが そのために世俗の外物は    * ( bragelonne 註)~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~    近代市民は 経済的な生活において 生産物(販売物)のうちに 中核としての《使用価値=スサノヲ語価値》のほかに 抽象的人間的労働たる《アマテラス語〔上部構造〕価値=交換価値》を あたかも 共同生活における等価交換ゆえに自由平等かつ友愛の要因であると見出してのように 分業=協業にもとづく市場経済社会を発達させ 築きあげた。この《機械的生産の技術的・経済的条件に縛りつけられている近代的経済組織》といった《世俗の外物》は  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ かつて歴史にその比を見ないほど強力となり ついには逃れ得ない力を人間の上に揮うにいたった。今日では禁欲の精神は――最終的にか否か 誰も知らない――この外枠から抜け出てしまっている。  * ( br )~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~    はじめの禁欲の精神に その精神主義的で《観念的な神》を見出し これに拠るところのアマアガリの禁欲(と言うよりは 分かりやすく 勤勉ないしガリ勉)の精神は つまりそのようなものが 現実の存在だとするのだから この外枠=つまり政治的には実際の《A‐S》連関体制世界から抜け出てしまったというのである。ふつうの人びとに そのような事はありえないのだが もしこのような認識を得てまた表現までするに至るためには そしてその実物であるガリ勉キャピタリストらは たしかに天をアマガケルごとく自己を空気のような身体とせねばならなかったであろう。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ともかく勝利をとげた資本主義は 機械の基礎の上に立って以来 この支柱をもう必要としない。   * ( br.) このように見るばあい この支柱であるという禁欲・超勤勉の精神は 自己の神であると 観念的に 思っているのでしょうか。  ・・・将来 この外枠の中に住むものが誰であるのか そして この巨大な発展がおわるときには まったく新しい預言者たちが現われるのか 或るいはかつての思想や理想の力強い復活がおこるのか それとも――その何れでもないなら―― 一種異常な尊大さでもって粉砕された機械的化石化がおこるのか それはまだ誰にもわからない。それはそれとして こうした文化発展の《最後の人びと》にとっては 次の言葉が真理となるであろう。     精神のない専門人。心情のない享楽人。   この無のものは かつて達せられたことのない人間性の段階にまですで  に登りつめた(* アマテラス人格語を究め尽くした) と自惚れるのだ。 と。――       (2・2)   ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ 日本資本主義において 《禁欲》というのは どの程度 現実であるでしょうか。  ☆ それは措いて たぶん いまは インタムライスムという方向を向くのでしょう。  《アマテラス圏主導‐スサノヲ圏従属》の逆立連関体制から  《スサノヲ圏主導‐アマテラス圏従属》の正立連合制社会へ  だと思われます。これからは ムラ(市町村)の公務員に 優秀な人間が集まるでしょう。お二階は ムラムラの調整機関のごとく つけ足しになるでしょう。

noname#96756
noname#96756
回答No.41

bragelonne様、こんにちは。 昨日は二度目のご回答をありがとうございました! 「アマテラス年金制度 落とし穴対策マニュアル」を拝見して、また過去のくっだらない我が経験を思い出しました。 ・失業手当を申請する期日を遥かとっくに過ぎてしまっていたのに「諸々の理由」を以て審査請求した結果、社会保険事務所から無事満額給付を認めてもらうことができた。 (不正支給でも何でもないわけですし、当然審査は厳しく悲観的だったのですが、ある時思い切って電話をかけたら妙に審査官と話が通じてしまい、その後はトントン拍子に事が運んだ、ということが不思議なのです。たまたまラッキーだったのでしょうか。う~ん。) ・滞仏時に日本から送付してもらった仏参考書やおせんべいの類の小包に課税付きで到着したため、郵便局にて2時間ゴネて、「これは課税されるべき対象物。だけどあなたの言い分もわからなくもない。だからあなたは払う必要がない。」と郵便職員を関税の支払い拒否を納得させた。 で、わたくしの後方で順番待ちしていたフランス人たちは2時間そのまんまだったのですが、この手の対話や話し合いを傍観したりそのための時間のロスに対しては、得てして「おおらか」です(本来彼らは凄くエキセントリックな一面を持つというのに)。 むしろこの点においては、日本人のほうがせっかちだったり、交渉事が上手くいかないと突如「逆ギレ」しがちに見えるのです。 単なる気のせいでしょうか。 アマテラス知性の聖徳太子の長年に渡る意識統制”和を尊ぶ”が破たんしたときに、その反動で「あとは野となれ山となれ」状態に陥るのかも? とにかく、運が良いと(程度問題ですが)、アマテラスのお役所の方々を納得させたり打ち負かすことができることもあるわけです。 日常における「世の中理不尽な要求=ゴネ得」なんていうものは、論理的な哲学カテにはあるまじき危険思想なのでしょう。←もう病みつき&趣味&わが信条 人間というのはアマテラス語とスサノオ語を巧みに使い分けつつ絶えずせめぎ合っているのでしょう。 そして対個人のコミュニケーションにおいては、相手を説得・納得させるうえで、やはり何らかの両者における《共通感覚 sensus communis 》が関与する余地がありうるのではないのかなあ、と思ってみたりもするのです。 これ、意見や信条を異にする相手と対峙する場合であるならなおのこと、より多くを求められるものなのかもしれません。 で、逆に、集団的意思を形成しそれを個人に課す際には、当の本人たちが正確を期して理解しているか否かはこの際二の次でして(笑)、感性や情感を省いた「理論をめぐる同感のほうが はるかに 《説得しうる》と思われるのです。」とおっしゃることが至極自明のように思われてくるのです。 三葉虫はカフカ風味をイメージしたのでしょうか?!

bragelonne
質問者

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 mashumaro2 さん こんにちは。ご回答をありがとうございます。  そう言えば 初めてではなく 二回目でした。初回は いわば衝動買いのようでしたから 数えていなかったかたちだったのかも知れません。  ★ 失業手当・・・社会保険事務所から無事満額給付を認めてもらうことができた。  ☆ わたしの場合も この社保事務所では きわめて親切ていねいな応対だった経験があります。  ★ 滞仏時に・・・郵便職員を関税の支払い拒否を納得させた。  ☆ はぁ アマテラス公務員も 特有のアマテラス語方言を話すのではなく 人間語を話したということですね。人徳もありましょうか。  ★ で、わたくしの後方で順番待ちしていたフランス人たちは2時間そのまんまだったのですが、・・・得てして「おおらか」です(本来彼らは凄くエキセントリックな一面を持つというのに)。  ☆ ふうむ。そうなんですか。  ★ アマテラス知性の聖徳太子の長年に渡る意識統制”和を尊ぶ”が破たんしたときに、その反動で「あとは野となれ山となれ」状態に陥るのかも?  ☆ ふうむ。何て言いましたかね。《 Apres nous, le deluge ! 》――あとは 《洪水》ですか。ただし ことは 《反動》の問題ですね。あぁ そう言えば いま――くわしく見ていませんが―― 大学などで 衝突を起こしているようですね。  ★ 人間というのはアマテラス語とスサノオ語を巧みに使い分けつつ絶えずせめぎ合っているのでしょう。  ☆ なるほど そうですか。体験の裏付けにもとづく立論のようですね。  ★ そして対個人のコミュニケーションにおいては、相手を説得・納得させるうえで、やはり何らかの両者における《共通感覚 sensus communis 》が関与する余地がありうるのではないのかなあ、と思ってみたりもするのです。  ☆☆ 【A‐ω‐br.】 (1) 感性ないし情感を措いて考えるなら・・・  ☆ と わたしは 言っていますが けっきょくは 両方の側面が大事なのでしょうね。すなわち  ○ sensus communis =共通感覚 あるいは 情感の共同性   および    = common sense =共同主観 あるいは 常識(知識というよりは むしろ 判断力ないし判断のあり方)  ☆ というふうにです。そして  ☆☆ 感性や情感を省いた「理論をめぐる同感のほうが はるかに 《説得しうる》と思われるのです。」  ☆ と たしかに言ったのですが ぎゃくに 科学の成果として 知識のほうは 研究がすすむにつれ 深化しつつでしょうが 変わりますから これも いくらか あやうくなって来ました。そしてたとえば  ○ 共生  ☆ という判断力ないし判断内容は 科学の発達とは別に 普遍的であると言えるようでもあります。どうなりましょうか。  ★ カフカ  ☆ は わたしの場合 村上春樹ととうぜん違いますから あたまの中にあったとか そのような効果をねらったとかいうことは ないのです。自分がおもしろいと思ったことだけを あつかっていました。  【Q‐ω】 人間は すべてのひとを 説得することができますか?  ☆ この問い求めが 進展したようですね。文字に表わされないところで 何かおもしろい感覚が得られたのではないでしょうか。  A語とS語の問題も 出ましたね。ありがとうございました。

回答No.40

おはようございます、bragelonneさん。 よそ見し過ぎ。って……ぶつぶつ 【図表1 連結ピン】組織図みながら考えごとしてただけだよ。 考えごとは何か? うん、遺族年金等々…。 子がいる人、いない人に共通して起き得ること… 【年金の落とし穴 第3話】 http://homepage2.nifty.com/SWAVE/ana/ana3.html ↑ これとは別に、これまできちんきちんと、ずーうっと年金を納めてきて、ある時なんらかの事情で《亡くなる前の直前の1年の間》に未納期間が1回でもあった場合は、遺族年金・障害者年金は支払われない。何らかの事情(病気・失業等)が起きた時点で免除or猶予申請手続きをとり許可を得ていれば、その期間は免除or猶予が適用され実質未納であっても未納とはみなされない。きちんきちんと、ずーうっと年金を納めてきても《亡くなる直前の1年の間》に未納期間が1回でもあると遺族年金・障害者年金の受給資格がないとなる。何事も申請主義だから、申請を怠れば未納と取り扱われる。《亡くなる前の直前の1年の間》を注視しているのは何でなんだろう?

bragelonne
質問者

お礼

 ★ よそ見し過ぎ。って……ぶつぶつ  ☆ この  ★ って……ぶつぶつ  ☆ の中味をしっかりと 言葉にて 明らかにするのが おとなというものです。対話というものです。  ★ 寡婦年金・前倒し給付・《亡くなる前の直前の1年の間》に未納期間が1回でもあった場合は、遺族年金・障害者年金は支払われない。  ☆ については そりゃあ 設計から手続きから いろんな考え方の上で 成り立っているのでしょうよ。  でも 最後の場合は 極端な違いが出てしまうようですね。わたしたちが 直して行きましょう。

回答No.39

>《スサノヲでたらめ自由でありつつも根底において人間語》 >アマテラス人格・格式張り語の取り扱い 解ります。でも、あえてですね、コミュニケーションを(その相手も含めて)自己の外部としない立場、つまり内部に存在するという考えを取ります。そこには、スサノヲもアマテラスも活動していて、自己内部のせめぎ合いをやっているんですがそれも含めて自己なんですよね。 前回の逆の言い回しをするなら、スサノヲもアマテラスも含めて自己の自由選択の裏返しがその人間の長年構築し続けてきた社会になるのだということですね。 そこから一歩さがると、知らず知らずにアマテラスの腐敗が進行していて、スサノヲの破壊がカウントダウンしているということなのではないでしょうか。 そして、bragelonneさんに言わせればだからこそ、どうするか・・ということになるのでしょうけど、アマテラス自動制御フェイルセーフ剛直コンピュータプログラムとスサノヲ劇場型銘刀正宗との関係で重要なのは、伝家の宝刀は常に研ぎ澄ませておくことではないですかね。それでこそ、アマテラスも襟が立つでしょう。たとえ、自己の中であってもね。

bragelonne
質問者

お礼

 bananasand さん お早うございます。ご回答をありがとうございます。  ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  そして、bragelonneさんに言わせればだからこそ、どうするか・・ということになるのでしょうけど、アマテラス自動制御フェイルセーフ剛直コンピュータプログラムとスサノヲ劇場型銘刀正宗との関係で重要なのは、伝家の宝刀は常に研ぎ澄ませておくことではないですかね。それでこそ、アマテラスも襟が立つでしょう。たとえ、自己の中であってもね。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ これが あえて次の表現を用いますが 暫定的な結論でしょうね。もしくは 一応の結論です。再応があります。決定的な結論があるはづです。  それは 一気にわたしの今の考えをぶつけますが 問題が  ○ アマテラス語は 普遍概念も いわゆる客観も あるいは その規範化を経たかたちでの道徳・法律そして人格も けっきょく 幽霊である。  ☆ からです。《けっきょく 形而上学的なことがらであるに過ぎない》というふうに 言いかえたほうが おだやかでしょうが 要するに  ○ アマテラス語は 足のない幽霊である。また 色をつけ 花を持たせた言い方をするなら 人為の極致であり究極の経験知である。  ☆ ということだと思います。ということは 問題は  ○ 足は スサノヲ語である。しかも この足であるスサノヲ語が むろん 身体全体であり その内面に アマテラス語を 宿す存在なのである。  ☆ こういう事情――人間の自然本性として――にあるのではないか。  もし この洞察が ほんとうであるなら 上の暫定結論は いくらかは 趣きが変わってくると思われます。志向性や取り組み方で 違ってくるのではないでしょうか。より一層 《動性》を帯びるでしょう。どうでしょう?

回答No.38

こんばんは、bragelonneさん。 いいセックスって??? なんやようわからん。 こっちか? 【 連 結 ピ ン 】 http://www.mri.co.jp/NEWS/magazine/club/05/__icsFiles/afieldfile/2008/10/20/20080301_club07_2.pdf

bragelonne
質問者

お礼

 littlekiss さん アドバイスをありがとうございます。  ★ こんばんは  ☆ なんでやねん。  ★ 【 連 結 ピ ン 】  ▲ (野中郁次郎:私と経営学03)~~~~~~~~~~~~~~  § 人間関係論――いつまでも主役になれないヒューマナイザー ――  人間が自らの仕事において 社会的な意義や存在価値を自覚したときに大きな力を発揮するのは 意志の力である。また 自律的に創意工夫し 新たな何かを生み出す創造の喜びは 金銭には換えがたい面がある。  人間は もともとそのような成長と創造の可能性を秘めた知的存在なのであり その特徴は 人種や国境によって左右されはしない。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  いいセックスって???  なんやようわからん。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ よそ見し過ぎ。それとも システム?

  • almar
  • ベストアンサー率33% (1/3)
回答No.37

説得をセックスで考えてみました。 男と女、男と男、女と女でもセックスはあって、 お互いが納得していなければ いいセックスにはならない。 全ての人を最高のセックスでイかせる事ができますか。 物理的な問題を無視すれば 不可能ではないような気もします。 すごく丁寧に時間をかければ可能なのかもしれない。 40億の人間のほぼ全員とのセックスが完了し、 最後の一人とセックスするというとき、 第3者はそのとき、そこに居なくても 自分の一部(ブランドみたいなもの) として働くように思います。 下品な内容になってしまったかもしれません。 でも、コミュニケーションを考える時に セックスは外せないような気がしました。

bragelonne
質問者

お礼

 almar さん ご投稿をありがとうございます。  しかしながら 質問についての誤解があります。  次の二つの行為は はっきりと別でして ここでは はじめのほうについて 扱っています。  ★ 口説くという説得行為。つまり 性行為にまで到ろうが到るまいが そういったコミュニケーションの問題。  ★ 性行為  ★ 下品   ☆ かどうかではなく 問題が違っています。  なぜなら   ○ 納得すること  ☆ は むろん 意志による行為だからです。この意志行為の成否が 問題であるからには 基本的に 言葉をとおしての対話を扱います。

回答No.36

スサノヲ人間語、アマテラス人格語ですか。 両方使うんですよね。スサノヲにもなるし、アマテラスにもなる。 >《思いっきり 自己の立ち場から 発言する》 さて、ことコミュニケーションでは、これは、何かを言っているようで実は何も言っていないんですね。どう転んでも、常に《思いっきり 自己の立ち場から 発言する》なんですから。 でも、あえて、その自己のコミュニケーションから自己が自己の社会を自己の内部に構築しているとすれば、ある弁護士は、法律と法廷が最も身近な社会だと染みつき、ある人は、野球に生き、バッターボックスへの歓声が最も鮮烈な社会だと感じる・・・等々、1つの世界とか1つの社会は厳然となど存在などしていないってことになりますね。 そうすると、社会って言うのは丸ごと自分の裏返しであって、コミュニケーションというのは、自分の構築をやっていると言うことですね。 アマテラスの腐敗も、スサノヲの破壊も、自分の再構築に繋がると言うことでしょうか。

bragelonne
質問者

補足

 bananasand さん こんばんは。ご回答をありがとうございます。  ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  スサノヲ人間語、アマテラス人格語ですか。  両方使うんですよね。スサノヲにもなるし、アマテラスにもなる。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ あぁ ごもっともです。説明し損ねていました。  わたしの言い方では こうなります。   ○ スサノヲ人間語の中に アマテラス人格語(ないし普遍概念語)が 宿る。潜在している。  ☆ 後者が 単独分立してしまうと あたまでっかちになります。極端で乱暴な言い方でたとえれば 例の《考えるゆえに〔のみ〕われあり》でしょうし そうではなく スサノヲ人間語を土台とするばあいは 《ある。ゆえに考える》となります。   そういう意味で  ★☆ >《思いっきり 自己の立ち場から 発言する》  ☆ であるとは 思っていたのですが 舌足らずについて 分析していただきました。  ★ さて、ことコミュニケーションでは、これは、何かを言っているようで実は何も言っていないんですね。どう転んでも、常に《思いっきり 自己の立ち場から 発言する》なんですから。  ☆ 個人個人というのは そういうことなのでしょうね。  つまり わたしの念頭にあったことは 一般にも そうだと思うのですが 要するに 自分の意見を なかなか 言わないという傾向があります。そのようなくせ(エートス)のことです。  しかも これが アマテラス語になると――役人あるいは政治家を イメージするのですが―― スサノヲ市民であるわれわれが知りたいことは なかなか あるいは 最後まで 言わない。規則や決まりを 膨大な資料の説明とともに こう言ったりああ言ったりして 答えつつも こちらが知りたいことは ついに 言わないというアマテラス方言が まかり通っているのではないでしょうか。  ですから わたしたちが 多かれ少なかれ エゴをもって生活しているからには まづは  ★ そうすると、社会って言うのは丸ごと自分の裏返しであって、コミュニケーションというのは、自分の構築をやっていると言うことですね。  ☆ となりますが たしかに なるのですが このコミュニケーション論で ひとつの重大な課題としては やはり このアマテラス格式一点張り方言の扱いではないでしょうか。  ★ アマテラスの腐敗も、スサノヲの破壊も、自分の再構築に繋がると言うことでしょうか。  ☆ 《スサノヲの破壊》は もう近年では 一揆をやらず デモすら少なくなりましたので それはそれとして あとは このおっしゃるとおりの方向が 持たれるのではないでしょうか。つまり  ○ 《スサノヲでたらめ自由でありつつも根底において人間語》に アマテラス普遍概念語を宿し これを 開発し発揮し 《自分の再構築》に向けてあゆむ。  ○ アマテラス人格・格式張り語の取り扱いには 慎重にして すすもう。  ☆ と考えられて来ます。どうでしょう。

noname#149752
noname#149752
回答No.35

こんにちは、bragelonneさん 無視してもいいです。 前にbragelonneさんが質問した「第二の死」について、考えています。 私が哲学に興味を持ったのはキルケゴールの「死にいたる病」を読んでからなんですけど 「弁証法」が全く理解できなかったので困っていました。 私は知ったかぶりの自惚れ屋なので、わかったふりをしてきましたが。。。 ここにきて、また読んでみようと思います。 というわけで、また休みます。前はすぐに戻ってきたけど、今回はどうだろう。 私はもう、宗教を否定してしまったし、「母親」とうまくいかないのがつらいし、 世の中に迷惑かけるし、どうしようもない状態ですから。 「絶望」と向き合ってきます。

bragelonne
質問者

お礼

 ふうむ。  パウロなんかは 《日々 死んでいます》と言うのだからね。  だから 何だ ですか? いや 日々死んでいるということは 日々生きているってことにもなります。  いやいや わたしたちは 肉を 欲情や欲望もろとも あの木につけてしまったのだとか。  わたしは世間に対して 世間はわたしに対して はりつけにされています。って どういうことかいな?  ★ 宗教を否定してしまったし、  ☆ 当たり前。  ★ 「母親」とうまくいかないのがつらいし  ☆ だから 母親って だれだ? 何のことだ?  ★ 「絶望」と向き合ってきます。  ☆ これは かまわんが  ★ 世の中に迷惑かけるし、どうしようもない状態ですから。  ☆ これは ただの愚痴だ。聞きたくにゃあ。  ★ というわけで、また休みます。前はすぐに戻ってきたけど、今回はどうだろう。  ☆ たっぷり 休みを取ったのではなかったのかいな。  ★ キールケゴール  ☆ は 途中までしか進まなかったなぁ。その立ち位置について 独特な感覚を覚えたけれど 言っていることは それほど 魅力的だとも言えなかったなぁ。分からなかったのかなぁ。  あぁ そうだった。前回 そうだった。  気が短いというよりも 人間が 自分で 決めつけるというその傾向を持っておるようだね。これを止めるというのが 宗教を否定するという意味なんだが。おっほん。

  • ri_rong
  • ベストアンサー率56% (30/53)
回答No.34

 【Q‐ω】 人間は すべてのひとを 説得することができますか?  しかし、途方もないことを仰るものです。「すべてのひと」であれば、きっと説得できるんじゃないでしょうか。そのひとが――死んだ者が生まれ変わった――ゾンビでさえなければ。相手がひとであるならば、必ず鏡に姿が映るはずです。  「生」と「死」の両者を隔てているのは、国境線のようなボーダーラインじゃない。確かにゾンビはその国境線を超えたと嘯いているが、境界線に置かれているのは一枚の鏡でしかありません(しばらく前に見てきましたから)。これは、断言できます。  ゾンビは、その鏡の国からやってきたとでもいうのでしょうか。  だとすれば、ちょうど足元から延びた影をハサミで切り取ったようなものです。このところの陽射しに元気付けられて、影も力を増しているのでしょう。あるいは切り取られたことに、腹を立てているのかもしれません。  いずれにしても、影は切り取られるべきではなかったんでしょうね。一応、同情はしてきたつもりです。  切り取った人はきっと、今も他人の夢を見ているでしょう。彼は陽射しの下には出られません。月明かりでさえ弱った目には、刺激が強すぎるからです。暗い図書館で、骨を撫でながら夢を見る――それが彼の仕事になったんですね。  影は切り取るべきじゃなかったんです。夏が近いですからね、影はきっと、そう言いたいんだと思います。

bragelonne
質問者

お礼

 ○ 遺伝子から見て 同じひとは いないのでしょう?  ○ 生まれ変わったという存在は あり得ますか? 

bragelonne
質問者

補足

 ri_rong さん ご回答をありがとうございます。  何ですって?  ★ ゾンビ   ☆ ?  《しかし、途方もないことを仰るものです》。  ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ・・・境界線に置かれているのは一枚の鏡でしかありません(しばらく前に見てきましたから)。これは、断言できます。  ゾンビは、その鏡の国からやってきたとでもいうのでしょうか。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ しかし これは どの線ですか? ヘルメス・トリスメギストス? フィチーノ師匠がおっしゃるはづはない。  あっ 見失っていました。  ★ 「すべてのひと」であれば、きっと説得できるんじゃないでしょうか。  ☆ これですね。これだ! これだ! これで おしまい。あとは おまけのお話ですね。  ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  だとすれば、ちょうど足元から延びた影をハサミで切り取ったようなものです。このところの陽射しに元気付けられて、影も力を増しているのでしょう。あるいは切り取られたことに、腹を立てているのかもしれません。  いずれにしても、影は切り取られるべきではなかったんでしょうね。一応、同情はしてきたつもりです。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ★ 一応、同情はしてきたつもりです。  ☆ ってことは   ○ ri_rong さん vs. zombie  ☆ って構図ですか? しかしながら 次の文章では 《影を切り取った人》は ri_rong さんでないかも知れない。男ではありますね。  ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  切り取った人はきっと、今も他人の夢を見ているでしょう。彼は陽射しの下には出られません。月明かりでさえ弱った目には、刺激が強すぎるからです。暗い図書館で、骨を撫でながら夢を見る――それが彼の仕事になったんですね。  影は切り取るべきじゃなかったんです。夏が近いですからね、影はきっと、そう言いたいんだと思います。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ しかしながら 《影》が ゾンビなのか。ゾンビとは別にまた 切り取られた影が いるのか。  ★ 相手がひとであるならば、必ず鏡に姿が映るはずです。  ☆ ゾンビだったから 境界に置かれた鏡に 姿が映らなかった。ゆえに ただし 影は映ったので これを 切り取った?  おあとがよろしいということに・・・。

noname#149752
noname#149752
回答No.33

夢は終わったんでしょう? 誰も救われなかった。 これが現実だった。 ダメなの? それとも続けますか?

bragelonne
質問者

お礼

 ふうむ。  ★ 夢は・・・・それとも続けますか?  ☆ わたしが夢を見ようが見まいが 現実は 生きています。  

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