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すべてのひとを説得することができますか

 コミュニケーションについて問います。  【Q‐ω】 人間は すべてのひとを 説得することができますか?  ☆ わたしの感触を述べますので ご見解を述べやすいように たたき台としてください。  【A‐ω‐br.】 (1) 感性ないし情感を措いて考えるなら すべての人びとが納得するような理論は 提示し得るだろう。  (2) ひとが納得するかどうかは 説得者の能力や努力の及ばぬところである。  (3) よって 理論によって すべてのひとを 納得させうるが 説得し切れるかは 分からない。  ☆ そもそも コミュニケーション論です。  【Q‐α】 コミュニケーションとは どういう社会行為ですか?  【A‐α‐br.】 対話です。三者の会話は 三つの対話から成るという意味です。  ☆ 【Q‐ω】に付随して わたしの関心を持って知りたい課題です。  【Q‐β‐1】 説得に際して 第三者は どんな役割をにないますか?  【A‐β‐1‐br.】 (1) 対話の主体として 話し手(書き手・発信者)と聞き手(読み手・受信者)の関係を おのれひとりの内面に 機能させるために きっかけとなる。  (2) その意味では そばにいて欲しいと同時に 仲介者の役をになってもらってもよいのだが 基本的に 説得行為ないし対話には その発言は 加わらないのではないか。  (3) 前項は 第三者の存在が 重要であり大事だ。と同時に 一対一の対話の発言には 局外者となるのではないかという意味です。  【Q‐β】 コミュニケーションの主体について どういう事項が 心得なければならないことですか?  ☆ 研究論文などは読んだことがありません。でも コミュニケーション論として 実質的に 最先端を行く日本一の内容を目指します。問い求めの過程として 世界一を目指します。  ふるってご投稿ください。おしえてください。  なお これは 【Q:ぶっきらぼうは いただけませんか】および【Q:けんかをしては 何故 いけないのか】の続編です。

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noname#96756
noname#96756
回答No.44

bragelonne様、こんにちは! ところで、「芸術・感性」「哲学・思想(宗教含む)」「(広義の)科学」を 《アマテラス圏‐スサノヲ圏》における「ヨリ」「イリ」「ヨセ」に呼応させることは可能なのでしょうか。 仮にそう出来ると考えますと。 原始の時代━ヨリ感性━芸術・感性中心の時代 ↓ スサノヲ覇権時代━イリ知性━哲学・思想(宗教含む)至上主義の時代 ↓ アマテラス覇権時代━ヨセ知性━(広義の)科学至上主義の時代 という歴史を経てきたように考えるわけですが。 で、bragelonne様はアマテラスからスサノヲへの主従の転換を求めていらっしゃいます。 「哲学・思想(宗教)>>>(広義の)科学」という主張になるのでしょうか。 いっそのこと、この2つの概念の主従転換ではなく、芸術・感性といった概念も加えて三つ巴のバランスのとれた状態が心地良く求められるのではないのかな、と考えるのですが。 科学を否定的に捉える意見が多いため、わたくしはちょっと「?」なのです。 この3つの概念は、領域が重なる余地はあるかもしれませんが、概念同士が衝突することを求めることは決して人間の未来にとって得策ではないとわたくしは思うのです。 もしbragelonne様がご賛同くださるなら、どのように考えることが出来ますでしょうか。 それとも…やはり3つの概念の中で「哲学・思想(宗教)」至上主義時代の到来を望んでいらっしゃるのです? ps: (1)「芸術・感性」って…どこぞのa様のことをふと思い出して、我ながらソファからずり落ちそうになりました♪ わたくしね、あの方がカム・バックするまで、超不得手とする哲学カテに居座っているのですが、考えるのが苦手だから、つ、つらい…。 (2)コマ回しにはね、ちょっとかなりの自信があります。ふふ。

bragelonne
質問者

補足

 mashumaro2 さん こんにちは。ご回答をありがとうございます。  いろんな観点から いろんなふうにお考えになるのですね。ふと見ると 横にいたり あるいは むしろ前を走っていたりと 神出鬼没でいらっしゃる。  ★ a様のこと  ☆ 《一家言》のあり方もさることながら――つまり 部分的に どう取り扱ってよいか戸惑うところがあったと思うのですが それ以上に―― どうも イニシアチヴを取ろうとするといった問題ではないかと いま 思っています。任せてもいいのですが 全権委託というわけには行かなかったように思います。  ★ コマ回しにはね、ちょっとかなりの自信があります。ふふ。  ☆ 《ジャイロ効果》などについて 明るくないので 論を発展させていってくださって いいと思います。  さて 人類の歴史を展望するときになりました。!!!  わたしの見方からは 図式を 修正します。それは 《ヨリ・イリ・ヨセ // コギト》という知性のあり方を基礎にしますと 最後の《科学思考》は 或る意味で 中立の道具ですので 《ヨリ》は別としても 《イリ》にも《ヨセ》にも 大いに用いられるという点を加味するとよいと思うのです。たとえば  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ○ 原始の時代━ヨリ感性━芸術・感性中心の時代  ↓  ○ スサノヲ自立時代━イリ知性━哲学・思想(宗教含む)への目覚めとそのいとなみの時代   * すなわち すでに ここで 《コギト》が始まった。   * 稲の栽培=時間過程という要素;共生は動態である。     鉄の発明・利用=道具の進化     薬草の開発=物理化学の探究  ↓  ○ アマテラス覇権時代━ヨセ知性━(広義の)科学至上主義の時代   * 日子(=彦)・日女(=姫)というように また 《天照らす》   というように 直前の時代から 人間の精神に 理性という光を見る   ことが始まっている。   * 《日子の御言》としての光から 《すめらみこと》として後光の   差した光になることを みづから 追い求めた。すめらとは 須弥山=   最高峰のことだそうで いよいよ人間的となり ますます人格を磨き   全世界において統一第一日子であることを 夢見たし これを 実現し   たと思った。   * そのためにこそ 知性も芸術も宗教も そして あらゆる科学も   利用・活用するという思潮が 社会的に 優勢となった時代。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ 第二と第三の段階のちがいは ふつうの勤勉とスーパー勤勉すなわちガリ勉との違いと見ると 分かりやすいかも知れません。  ★ いっそのこと、この2つの概念の主従転換ではなく、芸術・感性といった概念も加えて三つ巴のバランスのとれた状態が心地良く求められるのではないのかな、と考えるのですが。  ☆ あの火炎の舞うような意匠をもった縄文土器には その感性のあふれ出るような美しさを感じます。もちろん 全部を 活用したい。ただし ふつうの知性たるイリの視点で 活かしていきたいと思います。  どういう時代の到来を望むかと考えれば そうですね。ゴートの王で ローマ(西ローマ)を短いあいだ支配したテオドリック大王という人間がいます。その統治のもとでは 街道には 追い剥ぎが出ないどころか 落とし物をしても 持ち主に返ってきたと言います。そういう治安のよさのもとでの生活がよいように思いますが どうでしょう?

その他の回答 (52)

回答No.2

ご質問のベクトルがいろんな方向を向いていて回答しにくくなっています。 コミュニケーションは相互理解、意思疎通、共感、相談などをイメージするのに対して 説得は、説き伏せ、論破、洗脳などですね。前者は双方向、後者は一方向。 第三者も、コミュニケーションのおける第三者と、説得とでは様相が異なります。 それともコミュニケーションをお互いに説得し合うこととらえるのでしょうか。

bragelonne
質問者

お礼

 補足です。  ご回答に際しましては bananasand さんなら たとえば   【A‐ω‐ba】 【A‐α‐ba】 【A‐β‐1‐ba】・・・  のごとく 中心となる命題については 示してくださると 分かりやすいと思います。

bragelonne
質問者

補足

 bananasand さん ご回答をありがとうございます。  そうですね。《説得》という言葉の意味を 広く取ってください。  たとえば次の休みに どこへ行こうかという《対話》になったとき こちらだ いや あちらだという互いの見解ないし主張を 互いに 納得させる話し合いとして捉えてください。 そうすれば  ★ それともコミュニケーションをお互いに説得し合うことととらえるのでしょうか。  ☆ という見方で 行けるのではないか。こう思ったのですが?  ★ 洗脳  ☆ は ないですね。(と言っても 今は この言葉をも 広く解しているように思えます)。  ★ 一方向  ☆ 対話であれば 一方が たとえ 受け身であっても けっきょく 説得されるかどうかは 自分で決めるわけですし 時には 逆に 説得し返すという場合もあるでしょうから そういう意味で 広く 《説得のし合い》という捉え方で 対話ないしコミュニケーションを わたしとしては 捉えました。  ★ ご質問のベクトルがいろんな方向を向いていて回答しにくくなっています。  ☆ これは ですね。じっさい はっきり言って コミュニケーション論の全部を 視野に入れたいとは考えています。  いま わたしが知りたいのは   【Q‐ω】 人間は すべてのひとを 説得することができますか?  【Q‐β‐1】 説得に際して 第三者は どんな役割をにないますか?  ☆ この二点です。問題意識として 実際上の事態です。  そうして 全領域を いづれは 扱うのなら ここに  【Q‐α】 コミュニケーションとは どういう社会行為ですか?  ☆ から そもそも 始めることとし もう一点  【Q‐β】 コミュニケーションの主体について どういう事項が 心得なければならないことですか?  ☆ なる主体の問題を 《第三者》の問題から広げて 設けておこうと考えました。  といった設問事情ですが けっきょく どこからでも ご回答を寄せていただいて けっこうなんです。わたしの主要な関心事は じつは これなんだとか コミュニケーションといえば 何とも言っても これが 重要なんだとか 一般に あれは そうは言われているが じつは 間違っているよとか そういうふうに入っていければよいと思います。  【Q‐β】の《主体》論については わたしは あまり それとして 考えたことがありません。でも ご投稿の内容にしたがって 勉強し(ぶっつけ本番ですが) ついてまいりたいと思います。  つまりは 質問としての課題・論点を 【Q‐γ、δ、・・・】というふうに 加えて行っていただいても いいわけなのです。  そういう出で立ちです。どうぞよろしく。

noname#117439
noname#117439
回答No.1

オコリザルです。 聞き手に理解してもらったらその後の説得はいらないでしょう。 ところが何らかの誤解などにより、ほどほどの理解しかえられなかった場合はその後に説得する権利が発生します。 あなたがこう言ったから、私はこうしたんだ。なんて言い訳を聞かなくていいようにするためです。 第三者の役割は不明です。 共通の話題に共通の理解が得られる進行が理想ですが、反則攻撃と乱入による場外乱闘が実際に多いようにお見受けします。 私はどちらかというと乱入するほうですね。

bragelonne
質問者

お礼

 primeape さん ご回答をありがとうございます。第一番ですね。  ★ 聞き手に理解してもらったらその後の説得はいらないでしょう。  ☆ まぁ こう言われてしまえば そうなるしかないでしょうかねぇ。  ★ 聞き手に理解してもらう  ☆ これが そもそも 《説得する》ことなのでしょうね。  ★ 誤解の可能性  ☆ をも 考慮すれば けっきょく 対話の継続 ということでしょうか。  ★ 第三者の役割は不明です。  ☆ そうですか。必要かどうかというよりも ほとんど つねに いるものでしょうかね。  第三者が いない場合というのも あるには あるでしょうね。そういう場合のためにも  ★ 共通の話題に共通の理解が得られる進行が理想です  ☆ と たしかに 考えられます。  ★ ・・・理想ですが、反則攻撃と乱入による場外乱闘が実際に多いようにお見受けします。 / 私はどちらかというと乱入するほうですね。  ☆ あぁ そうですか。これは 仲介者や調停者としての第三者では 必ずしも なくて 野次馬に近いのでしょうか。失礼ながら。  ただし 《乱入》にしても 入り方の問題は 別とすることができるでしょうから 当事者どうしの説得ないし対話が そのまま 基軸となって 展開されるといいでしょうね。  ま 《場外乱闘》も 見世物としては 人びとの興味を引くようにも見えますね。  といったところで 滑り出したでしょうか。

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