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民主主義は 日本人のお家芸か

cyototuの回答

  • cyototu
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回答No.2

#1です。 私はこの問題の専門家ではありませんので、深い思索に基づくと言うよりも、思い浮かぶ物をそのまま成り行きで表現していますので、そのつもりで読んで下さい。 私は江上波夫の問題の把握の仕方を納得しておりません。日本の民主主義や資本主義を考えるきに、もっと重要なキーワードは、鎌倉以降日本がどの国の制度をコピーするでもなく自前て作り上げて来た、幕府制度と呼ばれる「封建制度」にあると考えております。 封建制度とは、国民が直接国王に属するわけではなく、地方の王(豪族)に属し、その王達をまとめる役としての王の王(日本では将軍)がいる制度です。したがって、この制度は、国民が直接王に属している中央集権制度とは対極にある制度です。私の知る限り、この封建制度を国の安定期に存続させたのはこの2000年以内の歴史では、日本と西欧だけだと思います。そして、この二つの地域でのみ、民主主義と資本主義が健全に根付いたのは偶然ではないと考えています。例えば、少なくとも豪族には、王の王の物ではなくて、自分の物があると主張出来ますので、国家権力が介入出来ない私有財産権という、民主主義にとって最も基本的な概念は封建制度からな出て来ますが、中央集権制度から出ては来ません。 日本人の平等意識は、将軍と言えども神格化された天皇の前では一介の公民であるという発想に象徴されていると考えます。鎌倉以降、永々と気付き上げられて来たこの平等意識がなかったら、幕末の大政奉還による権力の移行など考えることも出来ません。他の国民だったら、血を血で洗う内乱が起こっていたと思います。中央集権国家を造り上げて唯一この平等意識を壊しかねなかったのは信長だと思いますが、幸運にも信長は夢半ばで暗殺されてしまいました。 一方、騎馬民族で中央集権制度を採用した国は幾らでもありますが、彼等に民主主義と資本主義が健全に根付いた国は私の少ない知識ではその例を知りません。ですから、この私の浅はかな経験によると、騎馬民族と民主主義は関係がないと考えているのです。もし、質問者さんがその例をご存知なら、教えて下さい。今後の思索の参考にするつもりです。 次に、能力主義に基づいた平等と言う概念も、この概念をよほど慎重に、かつ実証的に分析した後でないと、誤解を招きかねない概念です。能力主義と言いますが、能力がある人と判断されるのは、圧倒的にほとんどの場合、運が良かった人だと思います。例えば、たまたま人生の賭けに当たったとか、裕福な家に生まれたとか、正当な意味で教育熱心な家に生まれたとか、肝心な時に病気をしなかったとか、そう言った、極端に幸運なことが重なった方が成功者になり、能力がある人とみなされるようになっています。 実は、その陰に、その成功者よりも能力的には幾らでも優れている潜在力を持ちながら、運が向かなくて成功者になれなかった方が、何百何千何万倍も居たはずです。ですから、私にとっては、能力主義は不平等と馴染む概念でこそあれ、平等と結びつけることができません。 したがって、質問者さんの前提とは全然異なった所にいる私には、質問者さんと同じ土俵の上で問題を論じることが出来ません。 最後の質問に付いて: 非民主的な社会なら「頼まれたらやりたくないが、命令されたんならしょうがない」と言うでしょう。

noname#80116
質問者

お礼

 ★ 非民主的な社会なら「頼まれたらやりたくないが、命令されたんならしょうがない」と言うでしょう。  ★★ 「命令されたらやりたくないが、頼まれてしまったからしょうがない」という日本人には誰でも分かること〔=これが すなわち 民主的なあり方である〕。  ☆ 《頼む・頼まれる》の関係と 《命令する・される》の関係とが 次元を異にする場合があるということ ここに留意しなければならないでしょう。  いえ もっと げんみつに述べるべきです。二点の検証すべきことがあります。権限は すでに 命令に関係します。《頼みごと》の問題では ありません。言葉をかけるときに 頼むという言い方をするかどうか 別問題であるのではないでしょうか。まして 権力になれば 違っているでしょう。(調停作業あるいは仲介者を立てることによる調停作業 これに 秀でているという見方はありますが)。  命令に関連する主題として 権限を持つということは 民主主義にあっては すべての無差別に平等の存在から 委託されているのだという前提があると考えられます。これが 一点です。もう一点は 平等思想の内容を 人びとすべてにわたって 共通のものにしているか / 要するに価値観ですね これを 皆が共有しているか / しなくてもよいか。こういう前提問題です。ここでは 後者の問題を 問うています。 ★ 私にとっては、能力主義は不平等と馴染む概念でこそあれ、平等と結びつけることができません。 ☆ とおっしゃることは 上に述べましたわたしの質問趣旨に照らして どういうさらに具体的な中身であるでしょう? 同じでしょうか。やはり土俵とグラウンドとの違いがあるでしょうか? 是非とも お聞きしたいところですが。

noname#80116
質問者

補足

 ★ したがって、質問者さんの前提とは全然異なった所にいる私には、質問者さんと同じ土俵の上で問題を論じることが出来ません。  ☆ ということのようですが ひととおりのご返答をつづっておきます。  ご回答をありがとうございます。    ▼ 広く会議を興し、万機公論に決すべし。上下心を一にして、さかんに経綸を行うべし。(現代表記)  ☆ 『五箇条の御誓文』の内の一箇条です。《1946年 衆議院における日本国憲法案の審議の初め、吉田茂首相は御誓文に言及して、  ▼ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  「日本の憲法は御承知のごとく五箇条の御誓文から出発したものと云ってもよいのでありますが、いわゆる五箇条の御誓文なるものは、日本の歴史、日本の国情をただ文字に現わしただけの話でありまして、御誓文の精神、それが日本国の国体であります。日本国そのものであったのであります。  この御誓文を見ましても、日本国は民主主義であり、デモクラシーそのものであり、あえて君権政治とか、あるいは圧制政治の国体でなかったことは明瞭であります」 (《wikipedia:五箇条の御誓文= http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E7%AE%87%E6%9D%A1%E3%81%AE%E5%BE%A1%E8%AA%93%E6%96%87 》=資料A)  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ と説明しています。いまは こういう問題を扱っています。明治維新からの改革において   ▲ 版籍奉還がおこなわれ、諸侯(藩主)は土地と人民に対する統治権をすべて天皇に奉還した。・・・各藩内の封建制は廃止され、人民が土地に縛り付けられることもなくなった。(《wikipedia:大日本帝国憲法=http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%B8%9D%E5%9B%BD%E6%86%B2%E6%B3%95 》=資料B)  ☆ というような経緯も 重要であるでしょう。封建制の揚棄(だから 良いところは 高い段階で保たれると言ってもいいのですが) 明治憲法の揚棄といった変革を無視するわけには行かないでしょう。  ▲ 日本臣民は、法律の範囲内において、言論、著作、印行、集会及び結社の自由を有する。(明治憲法 第二十九条)  ☆ について  ▲ これらの権利は、天皇から臣民に与えられた「恩恵的権利」とされた。〔現行〕日本国憲法では、これらの権利を永久不可侵の「基本的人権」と構成する。(資料B)  ☆ ちなみに 同じ資料Bでは 明治憲法について  ▲ 1876年に公布されたトルコのオスマン帝国憲法に次いで、アジアでは2番目の近代憲法である。  ☆ と明らかにしています。遊牧民⇒騎馬民族にかかわる一点です。  以上の前提を――わたしだけかも知れませんが――踏まえて 《所有権 / 私有財産制》について 簡単に触れます。  すでに日本は 古代国家において 《公地公民制》を敷きました。問題は これを 社会の第二階指導部から 《御言告り=詔》したから そのように 或る種の仕方で 平等という意味で民主的な社会生活になるというものではありません。逆です。あるいは 執行部が《万機公論に決すべし》とのたまわったから まともな議論をつのるというものではありません。逆です。  一般に広く《表現》の自由は 《天皇から臣民に与えられた「恩恵的権利」》とは認識しません。そうではなく 現行憲法は 《永久不可侵の「基本的人権」と構成する》とうたいます。けれども この宣言も まだ 不十分です。基本的人権という概念があり それを宣揚するから 自由であるのではありません。人と生まれた者のすべて これらの存在の無差別の自由かつ平等が 素朴に・むしろ無根拠という根拠において 信じられている。天つ神の思考形態も 平等思想ですが それとは おそらく別様の平等思想に立って 国つ神たちは 生活していたという仮想です。  このとき 所有という一種の表現行為 つまりは 所有という側面における自己表現 これも 当然のごとく 存在無差別の自由=平等に基づきます。私的・個人的な所有という概念ではなく――さりとて 国有ではなく 社会的所有でもなく そうではなく 誰かが 《個体的所有》ということを提唱していたこともありましたが―― 要は 答責性のある個人の独立主観のもとに所有しつつ 同時に 答責性の相互の支え合いにもとづく関係性としての所有という側面を大事にする。こういう答案が 《昔から民主主義を〈国体〉としてきたわが国》においては 出てくるはづです。どうお考えになりますか? 土俵は やはり 違いますか? ここは 哲学の場ですから 現実から 思いっきり飛躍して 考えてみましょう。

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