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聖書の言葉は事実ですか?

noname#49694の回答

noname#49694
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回答No.10

 あなた様の質問はすべて論争上にあり、キリスト教のあいだでもまったく一致しておらず、答えがないというのが答えになります。残念な話ではありますが。私はクリスチャンですが、信仰はあります。神は唯一ですから、もしそれが実在するなら、答えは最終的に1つに決まってますから、未来にはその正しい解釈でみな統合されるでしょう。 ●人は死んだら天国か地獄に行くといわれてます。 そこは肉体はなく魂だけが存在するものなのか?  原則的には魂と言われることが多いですが、厳密には体もあるという見解があります。霊的体です。主イエスが死んで復活したとき、彼が霊の体であったことが描写されています。私たちもまた、このような体になるという見解があります。 ●天国は永遠であり、痛み、空腹、夜もなく、毎日何をしているのか?  啓示録の最後にあります。これは天のマンションで楽しく暮らすという見解もありますが、いろいろです。生きる水の川が御座から流れており、私たちはそれを享受するというのがありますが、ある見方ではこれは本当の水ではありません。それは神そのものです。私たちの娯楽や享楽は今、世の中のもので占められていますが、やがて神が私たちの唯一の楽しみとなるでしょう。そして、のろいはなく、私たちは彼を享受し、賛美するでしょう。 ●過去に死んで天国にいったクリスチャンと会うことはできるのか?  これは一般的に可能であると考えるのが普通ですね。たぶんその通りでしょう。ただ天国に行くという観念にもいろいろ複雑な論争があります。 ●天国に行けばイエス様や、イエスの弟子と会うことができる。この目で確認できるのでしょうか?  確認はできます。少なくともクリスチャンはまず裁きの座におかれ、私たちの人としての生活において間違った罪を告白し、裁かれます(滅びの意味ではない)。これは啓示録にある信者に対する裁きです。そこでまず会い、永遠に共にいます。 ●天国といえば雲の上を想像してしまいますが天国、そして地獄の 場所はどこなのでしょうか?(適切な表現は難しい)  これも解釈がありますが、空中と天上は違います。エペソ書6章によると、空中にはサタンや邪悪な天使たちがいるとされています。天上とはさらにその上、つまり私たちが視認できない世界だということは確かです。  地獄に似た用語にハデスという表現もありますが、ハデスは地の底にあるという解釈があります。しかし地獄というのはそれかもしれないし、別物としてあると考えることもできます。おそらく別物です。火の池とは厳密には神そのものから出る裁きです。ですから、本当に火が燃えているという意味かどうかもかなり曖昧です。いずれにせよ、ひどい苦痛であることは確かです。 ●地獄とは火の池に落とされ焼き死ぬことなく永遠にもがき苦しむ ところなのか?  聖書的にはそう考えるのが一般的です。サタン、偽預言者、未信者などがそこに投げ込まれます。 ●もしクリスチャンにならなければ、死後は上記のような地獄 があり肉体が焼ける熱い感覚を永遠に味わうのであるならば クリスチャンになる選択をしたほうが聡明だと誰もが思うはずですが?  無神論の日本人は特殊ですよ。海外の人からすれば、頭がおかしいとさえ思われかねないこともあります。厳密にいうと、戦前戦後の体制がそういう文化にしてしまったのでしょうけれど。日本人にとって死とはただ骨になっていなくなるとしか考えていません。ですから、死後の世界なんてあまり考えていない人がほとんどですよね。中国人とかのほうがなぜか滅ぶということを意識していたりします。  世界的にはクリスチャンが圧倒的です。イスラム教、仏教が続きますが、その人たちはもちろんキリスト教の神ではなく、別の神を拝むわけですから、相容れないでしょう。聖書的にもこの宗教的状態は終わりの日まで解決しないということが分かっています。もちろんクリスチャンでない宗教徒はすべて滅んでしまいます。 ●イエス様を信じなければ本当に地獄に落ちるのでしょうか?  地獄に落ちます。 ●死後、天国に行き、一度地上に降りて天国はどのような所なのか 語った人がいると聞いたこともありますが・・現実的でしょうか? (イエスの時代でなく時代で言えば昭和の話しです)  たぶんそれは仏教的な天国の話と混ざっていると思いますが、仏教の天国は妄想です。キリスト教徒であれば、それは嘘です。復活は厳密には将来の事柄なので、天国も将来的なことであるというのが聖書の1つの見方です。 ●聖書のお話は何千年前の話しでしょうか? 恐竜時代の後ですよね・・あれっ恐竜時代は何年前?  これは聖書批判の1つの根拠になっています。アダムの時代は年代的にいうと約6000年前であると言われています。ところが、恐竜はご存じのように地層などから判別して何十万年とかそんな話になっており、「聖書は事実ではない」と批判するのです。  これに一人のクリスチャンが応答しました。創世記の1章1節と2節だったか、実はその間に期間不明のかなり長い年代にわたる空白があると述べたのです。なぜなら天と地が創造されたのに、突然やみが出てきて、変な話だからです。やみは神から来るはずがありません。したがって、このあたりに何か敵が神の創造物を奪ったのだとしています。何らかの生物もおり(人間ではない)、いずれにせよ神に反逆し、この生物が裁かれて今いるのが新約に記述された「悪鬼」となった、という見解があります。   ●モーセは追い込まれた時に杖を上にあげ海を本当に割ったのですか?  やりました。 ●イエスの時代に本当に死んだ人間の頭部に手をおいて 「いつまで眠っている起きなさい」といい、死んだ人間を 生き返らせることができたのでしょうか?  できました。神は全能です。光あれ、というだけで光が出ます(笑)

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  • いきなりすいません。

    いきなりすいません。 宇宙人が悪魔である、といえば驚きですか? 黒魔術研究家のアレイスタ-クロウリ-というのが紹介した悪魔Lamをみてください、そして 最近元ハ-バ-ド大学の医者のエベンアレグザンダ-が臨死体験により死後の世界を認めていて意識を作り出すのは脳ではないと断言していますが(youtubeにアンビリ-バボ-の動画あり)、これは驚くことではないです。聖書に書かれてあります。 そしてジョ-ジアガイドストーンを見てください人口を5億人にすると書かれてあります。 これも驚くことではないです。聖書にハルマゲドンとして、書かれてあります そして最近の天変地異も異常気象も月が赤くなる現象もなにも驚くことはなく、聖書に書かれてあり、終わりの時期の兆候であると書かれてあります。 そして、そんなに、宇宙人がみたいと焦らなくともそのうち現れます。そして人間を食らいます。これも驚くことではないです。聖書に書かれてあります。エリア51の元職員の暴露を聞けば ETのような存在ではないというのが はっきりわかります。なぜなら悪魔ですから。 しかし恐れる必要はありません。 イエスキリストを救い主として受け入れ、悔い改めて 清く正しく愛をもって生きれば、携挙で助けてもらえます。食らわれることもありません。悪魔はイエスキリストによって吹きとばされる無力な存在です全知全能の神様と言われる理由がここにあり、また、 イエスキリストが救世主と言われる理由がここにあります。そして聖書にはイエスキリストが唯一の救いの道であり、他の救いの道は全て嘘です。 これも驚くことではありません。さももっともらしい言葉で騙します、しかし裁きの日に偽りの神々は消え失せると聖書にあります、 また、バアルという悪魔は牛です。 スサノオは? 大日如来は天照大神の化身ですが、光を照らす者とは? 空海(真言宗)は呪いで人を殺せ、密教による 加持祈祷で現世利益を得ていたのをご存じですか? 元悪魔崇拝のジョンラミレス氏は 呪いで人をころし、悪魔による富を得ていましたが........ もうすぐ携挙がおこります。 また、この事実を悟った人が今地球上で 1日9万人の人々がクリスチャンになってます。 仏教徒、イスラム教徒からの改宗がおこってます。 (1)ジョンレノン・イルミナティ(2)マイケルジャクソン・イルミナティ、 (3)ジョンラミレス、        この3つのyoutube 動画をみて下さい。 そしてイエスキリストの声を直接聞ける牧師が世界中たくさんいますが(日本にはRAPT など)、これも驚くことではありません。私を呼べばあなたにこたえる、 と聖書には書かれてあります。 東京地の果て教会の牧師は あと3~5年で聖書で預言されてる獣の刻印を受けなれば何もできなくさせられるという預言が成就するとイエスキリストから直接警告を受けております。 また、ア-ロンルッソ監督がロックフェラーの構想を暴露していた時(youtube にあります。)に出てきてる計画です。 そして刻印を受けるならあなたは地獄で永遠にもがき苦しみます。神様への罪(人に対する愛のない全ての行為)を残している場合も例外ではありませんが、 地獄を知りたいなら アンジェリカザンブラ-ノを調べて下さい 、youtube 動画もありますそして、 世界中に数多くの臨死体験で地獄をみたという人たちがおられます。しかしこれも驚くことではないです。聖書に書かれてあるからです。 そして地獄は永遠です。金持ちはこの世の数十年楽して暮らし、死後の世界で永遠に苦しみます。また、人に対してその人がやった全ての悪事も裁かれ(全て記録されてます。)、 そして死後の世界を知り、金持ち、悪者は自分の人生を苦しみの中永遠に後悔することになります。しかしもだえ苦しむ地獄の拷問からの救いはそこに投げおとされれば永遠にありません。この世は平等です。この世の人々が貧困であえぐ苦しみなんかが及ばない苦しみ、手を切り落とすほうがマシで、目をえぐりだすほうがマシなところに金持ちは絶対におとされます。 必ずそうなります。なぜなら聖書に書かれてあるからです。地獄には聖書をあなどった人々が砂浜の砂のようにいて、後悔しもだえ苦しみ続けています。しかし地獄にいけば永遠に救いはもうないです。

  • 教えていただけると嬉しいです

    質問なのですが 聖書にこのような事が書いてあると聞きました。 人は死ぬと“みんな”自動的に地獄に行きます。それは誠の神様に対して罪を犯しているからです。 しかし、正直に罪を認め、悔い改めて、神様が備えてくださった「唯一の救い主」イエス・キリストを信じるならば、罪赦され、永遠の楽園(天国、神の御国)に入れてもらえます。 「イエス・キリストによる救いの知らせ(福音)」 http://inochinomizu.hatenablog.com/entry/2017/07/01/113257 自分はキリスト教には入っていません。このような話を聞いて恐怖があらわになりました。 本当のところはどうなのでしょうか教えてほしいです

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    聖書は神の著作物であるとされます。それゆえなのか、内容は大変に深いものがあります。その深さに気づけばいいのですが、多くの人は浅い理解のままで、「これが聖書だ!」と決めつけて しまっているように思います。私は、西洋哲学・神秘学の多くが聖書の部分解釈の結果であるように感じています。 例をあげましょう。 ニーチェの超人哲学ですが、多くのクリスチャンが彼の超人思想を、反キリスト的だと見做しますし、彼個人も「神は死んだ」と叫んでいます。 私は、彼の超人思想も聖書思想の断片だと思っています。新約聖書を読みますと、イエスの弟子が沢山登場します。例えば聖ヨハネですが、彼はイエス様に出会う前までは漁師である父の手伝いをしていた、ごく普通の人ではなかったかと思われます。そんな彼がイエス様に見い出され、人間が変わった。彼は後に「ヨハネによる福音書」を書いていますが、この福音書はとてつもなく霊的に深い書物です。聖霊の導きがあったとはいえ、このような書物を書く人は、私にはとても凡人だとは思えません。まさに超人だと思います。 新約聖書では、弟子たちのとてつもない変貌(「超人化」あるいは「キリスト化」だといっていいもの)が、さりげなく語られています。人は超人になることが目的ではないからでしょう。超人になって、神と隣人に奉仕することが目的だからだと思われます。 人は、全能の神由来の「いのちの息」を持っています。その特性は、私の想像ですが、いのちの息とは本来「永遠性・超人性を持ち、愛に満ちた」ものであったと思います。ですから、イエス様によって罪が赦された者は、いのちの息が本来持っている特性を回復するのではないでしょうか。 以上、ニーチェの超人思想と聖書の関係を述べましたが、他の哲学でも聖書の断片的な解釈をしているように思われるものが沢山あります。それを単に批判的に忌避するのではなく、聖書解釈の新視点と見て、聖書を深く知る手掛かりにすることも大切な作業ではないかと思います。

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