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聖書の言葉は事実ですか?

最近、聖書を読んでます。 子供の頃、日曜学校にいった記憶が 今だに脳裏に鮮明に焼きついています。 レビ記など難解で難しいです。 しかし箴言など一般的にわかりやすいと思います。 そこで今回は脈略がないと思いますが疑問点を質問させて頂きます。 よろしいでしょうか。 ●人は死んだら天国か地獄に行くといわれてます。 そこは肉体はなく魂だけが存在するものなのか? ●天国は永遠であり、痛み、空腹、夜もなく、毎日何をしているのか? ●過去に死んで天国にいったクリスチャンと会うことはできるのか? ●天国に行けばイエス様や、イエスの弟子と会うことができる。この目で確認できるのでしょうか? ●天国といえば雲の上を想像してしまいますが天国、そして地獄の 場所はどこなのでしょうか?(適切な表現は難しい) ●地獄とは火の池に落とされ焼き死ぬことなく永遠にもがき苦しむ ところなのか? ●もしクリスチャンにならなければ、死後は上記のような地獄 があり肉体が焼ける熱い感覚を永遠に味わうのであるならば クリスチャンになる選択をしたほうが聡明だと誰もが思うはずですが? ●イエス様を信じなければ本当に地獄に落ちるのでしょうか? ●死後、天国に行き、一度地上に降りて天国はどのような所なのか 語った人がいると聞いたこともありますが・・現実的でしょうか? (イエスの時代でなく時代で言えば昭和の話しです) ●聖書のお話は何千年前の話しでしょうか? 恐竜時代の後ですよね・・あれっ恐竜時代は何年前? ●モーセは追い込まれた時に杖を上にあげ海を本当に割ったのですか? ●イエスの時代に本当に死んだ人間の頭部に手をおいて 「いつまで眠っている起きなさい」といい、死んだ人間を 生き返らせることができたのでしょうか? 幼い子供がママの手を握って聞くような質問レベルですが 私はすごく真剣です。 回答しにくい質問もあると思いますがよろしくお願い致します。

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質問者が選んだベストアンサー

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こんにちわ、私はクリスチャンですのでクリスチャンとしての回答をします。otsukareさんは今聖書を一生懸命よんでいて、神様がいるのかどうか本当に聖書に書いてあることが真実なのか探索しているのですね。疑問の多さからもどれだけ真剣かがよくみてとれます。  ただ、ここにはクリスチャンではない方がほとんどなので、聖書に書いてあることは本当かどうかという質問をすれば、クリスチャンの方は本当です。と答え。そうでない方は違いますと答えられるでしょう。otsukare さんの沢山の質問も大きく分けると答えが2つに別れ、ますます混乱してしまうのではないでしょうか?   やはりお近くの教会などを探されて行かれてみたほうがいいと思います。 ただ私なりに答えさせていただきますと、otukareさんのように読み始めて 沢山の疑問が沸いてくるのは判るのですが、少し視点をずらされるといいと思います。 聖書に書いてあるのは、神が人間を創造し、その創造した人間が自分から離れてしまったため、神は必死になって人間をとりもどそうと するその歴史です。旧約は一言でそういえると思います。そして神を離れている状態のことを聖書では「罪」といいます。  新約に入ってイエス様の誕生と十字架、復活それによる救い(神が自分から離れてしまった人間をとりもどすこと)の完成です。  otsukareさんにはそのことに目を留めて考えてほしいと思います。まずは罪(神を離れている状態)について、 そして神がその罪から人間を回復する方法について。それが十字架と復活です。神様は人間を取り返す方法として自分のひとり子を十字架にかけるという方法をとりました。 罪は罰せられて正しく処分されなくてはいけないからです。 otukareさんの罪はイエス・キリストを十字架にかけて身代わりにして殺されなければならないほど ひどいものでしょうか? さがしてみて下さい。きっと答えが見ります。  

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質問者からの補足

「クリスチャンと名乗るお方」を お待ちしておりました。ハレルヤ! 私は昨日も礼拝に行きました 主を賛美します。 最近、賛美していると本当に心から喜びや 感謝の気持ちが満たされます。 聖書に書き記されたイエスの弟子 の一つ一つのお言葉が興味深いです。 しかし私の質問で・・ ま、まままさかここまで発言してくれるお方 がいるなんて・・そりゃ~驚愕しましたよぉ~ 14件です。15件かな? 質問サイトを活用して始めての試みで 色々な角度でお話が聞けて皆様に感謝してます。 深入りすると混乱することも想定内でしたから わりと言霊がストーンと腹に落ちる瞬間も実感できました。 今年の3月27日は、あの有名なチョーヨンギ先生 が純福音教会(新宿)にいらしてメッセージをして 頂きました。 文学博士としての一面もあり、とてもメッセージ がわかりやすかったです。聖書の話しが基盤にあると いうより日々の生活で誰もが直面化する問題に 焦点を当てつつ福音を伝えるという切り口なので 未信者で参加されて賛同した方もいるのではと考えさせ られました。 あっ、韓国の方なので通訳の方が隣にいました。 遠くは沖縄から訪れた方、体に障害をお持ちの 方までいらしてました。 物凄く大きい建物の5階の席はあっという 間に埋まり6階で座っている方はチョー先生の メッセージを映像で見ていたようです。 7月は幕張メッセで6000人規模のメッセージを するために日本に訪れるようです。 (スケール大きいですよね) 回答者様はクリスチャンですよね。 お手数ですが回答者が主に導かれた 未言葉を是非教えて頂きたいのですが よろしいですか? チョーヨンギ先生はご存知ですか? ご回答頂けたら幸いです。

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その他の回答 (17)

  • 回答No.18
  • magga
  • ベストアンサー率15% (56/359)

事実か事実で無いか… まず、確かめられるものから順次見ていき、確かめられないものはほっておくしかないと思います。 自分には五感という認識がある。 それぞれは変化生滅し続ける。 味覚は私か?私なら味覚が無くなったら? 触覚・嗅覚・聴覚・視覚は… じゃあ心は・・・ いろいろな感情に変化生滅し続ける。 どの感情が私か?確固たる私はあるの? と五感+心(認識)等について確かめたり。 道徳や各宗教の戒律について、何故善いのか・悪いのか、確かめられる範囲でいろいろ考察してみるのも善いと思います。 たとえば、怒り狂っている人が居ると周りの人にも嫌な感情が伝播しますよね。 怒ってしまうと周りに居る人もその悪感情に引っ張られやすくなり、自分に対する評価も下がる、しかも同じ様な悪感情の人たちが集まってくる。 じゃあ欲張る人だったら・無知に何でもしてしまう人だったら… その逆ならどうだろう… この様に考察を徐々に深めていくと徐々に人格的で道徳的、生きやすい生き方が見えてくると思いますよ。 書物に描いてある事が事実であるかはわかりません。 確かめられない事は確かめられないのだからいくら考えても確かめられませんでしょ? 確かめられる事を確かめるか。 確かめられない事を確かめないまま固定概念として事実とするのかはあなたの選択する事ですが、欲・怒り・無知の負のサイクルから離れられる事を心よりお祈り申しあげます。 ~生きとし生けるものの悩み苦しみが無くなりますように~

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質問者からの補足

ありがとうございます。 どちらの宗教団体のお方でしょうか? ○○を信仰している者です。 私の見解はですね・・・ ↑ こう切り出して頂くと有りがたいです。

  • 回答No.17

私は浄土真宗の門徒ですが、信仰の点から自問自答してみたいと思います。 宗教心は主観の事実であり、これを重んじる人間にとっては 異教他宗の垣根とは別に、通じるものがあることを願います。 ●天国地獄には肉体を伴って生まれるのか 私は極楽浄土には、例え肉体を伴った形で生まれるとしても、 今現在の私とは別人として生まれるものと思っています。 私自身がありのままに極楽の喜びを得られるのは、 宗教心を抱いて生きている今生のこと、として不足は感じません。 ●天国は永遠であり、痛み、空腹、夜もなく、毎日何をしているのか? 私はこれについて、自分の宗教心をより高く強い形で実現できる浄土において、 疑いや質問、悩みなどに全て解答が用意される場で生きる事と理解しています。 ●過去に死んで天国にいったクリスチャンと会うことはできるのか? ●天国に行けばイエス様や、イエスの弟子と会うことができる。 これについては宗教的事実であり、絶対の約束であろうと思います。 すなわち自身が宗教心を失った時には反古にされるものと覚悟しています。 ●天国といえば雲の上を想像してしまいますが天国、そして地獄の場所はどこなのでしょうか? およそ通じるところのある問いだと思います。 私は単純に、極楽浄土のありかは我々人間の理解を超えた場所…と考えます。 即ち我々にとって可能性としても観測することができない場所。(宇宙の彼方ですらない) 理屈の上でも思い至ることのできない人知の限界を超えた場所。 (例えホーキング博士が宇宙誕生以前について解明されたとしても、よりそれ以上の) そして同時に、我々の世界と重なっているとも考えます。 場所、という我々の考え方さえ通用しないような世界であるはずです。 ●イエス様を信じなければ本当に地獄に落ちるのでしょうか? これは排他的な信仰の意味からの言葉と捉えると、かえって聖人を侮辱する事になると思います。 聖者は誰から侮辱される事があったとしても、伝えられる言葉に真実があれば聖者なのであり、 信仰に至らぬものが救済から排除される…という言葉は、 人に質問して真偽を伺う種類のものではなく、絶対の主観の問題だと思います。 客観的には私が極楽往生できるはずもありませんが、 自分の宗教心さえ裏切ったならば、私は地獄に墜ちてしかるべきでしょう。 ●死後、天国に行き、一度地上に降りて天国はどのような所なのか語った人がいると聞いたこともありますが・・現実的でしょうか? この種の話は全くの詐欺であり、宗教的に尊いものを俗物的に扱う見本と反省します。 ●モーセは追い込まれた時に杖を上にあげ海を本当に割ったのですか? 神秘談について、親鸞聖人にも超能力めいた説話がありますが、 私は「そのような力があって当然の」聖者という風に理解しています。 信仰上の伝説と、歴史的事実が乖離していたとしても、なんら問題とはなりませんし、 寧ろ、なぜ神秘談が生まれたのか…というテーマこそが喜ばしいからです。 断言的な文章になってしまったものの、私はまだまだ信心は至りません。 良い機会を与えて下さったことを感謝します。 南無阿弥陀仏。

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  • 回答No.16

こんにちわ、私のレスにこんなに反応して頂けるなんて、私のほうが驚いてしまいました。でもどうやら私のアドバイスはもう必要なかったようですね。otukareさんはすでに救いを受け取られたようですね。  チョー先生のことはお名前だけ聞いたことがあるだけで、本を読んだりやメッセージなどは聞いたことがありません。大変用いられている方だそうですね。こんど本など読んでみようかと思います。  私の導かれた御言葉ですか? うーん、導かれたというかクリスチャン としての確信を得ることができた御言葉はありますよ。  「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。 また生きてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか」。ヨハネ福音書11.25  です。  私は罪については聖書に触れてすぐに理解できたのですが、どうしても 復活について理解できなかったのです。 今思えば、単にに信じてなかった だけですが。イエス様を受け入れたとき、救いの確信と復活についての理解 も頂けました。本当に嬉しかったことを今でも覚えています。    otsukareさんも。主に委ねてすばらしい人生を歩んでください。

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質問者からのお礼

回答者様の御言葉に目からウロコです。 復活について理解できないお話まで してくださり有難う御座いました。

  • 回答No.14

溺れる者は藁をも掴む.... 真実に目を向けるより 優しげな中に眠りこけているほうが 幸せそうに思える. どうしても これは違うという現場に立たない限り なかなか目は覚めない. そういう時が,本当は真実に向かおうとするチャンスなんだけれど...

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  • 回答No.13
  • 1katyan
  • ベストアンサー率18% (147/800)

聞けば聞くほど理解できないものになります。 それよりあなたが心安らぐ言葉を捜してください 信仰というものはまだ見ず触ったことのないものを見たかのように また触ったかのように思えるのが信仰です。 まず理解できる所に目を留めてください。 そうしないとわからなくなりますよ 頭で考えてもこれらの質問は理解できませんから

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  • 回答No.12

もし本気で質問しているとしたら 現実との整合性を保てなくなっている. 真面目に信仰すればするほど. 言葉で説明されても現実とのギャップは埋め尽くされない事に気が付く. 何故だか解るかな. 信仰心が足りないから.... とんでもない. 必然 心理学でも言うだろう. 嘘つきほど説明の言葉数が多くなるって.

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  • 回答No.11

エジプトの死者の書ってご存知でしょうか? イエスがマグダラのマリアから7つの悪霊を追い出したという話がありますよね。 エジプト人は7つの霊で人はできていると考えていました。 死ぬと心臓を秤で計られると考えていました。いわゆる最後の審判。 死者の書を読むと十戒の原本じゃないかと思える内容が出てきます。 乞食のラザロの話では、金持ちが死んでアブラハムとラザロが一緒にいるところを見て、ラザロに自分の家族に伝えてくれ と金持ちがお願いするくだりがあります。 恐らくこれは比喩だと思います。 金持ちは肉体的にはまだ死んでいない状態。 恐らく破門になったので、死者扱いされたんだと思います。 それでラザロは肉体的にも死んでいないで天の国 つまり その宗教団体が構成している集団にて生活をしており、金持ちは「しまった」と思い、家族に全財産を教団に捧げろとラザロに伝えさせようとして、それでこのような話として残ったんだと思います。 金持ちは集団から追放されたので、家族に会うこともできなくなったんだと思います。 天の国 どんな感じかつかめたでしょうか。 肉体的には死んでなどいない。 宗教上死んだから死者。 天国に行ったものが「いやあ 100歳のまま1千年もいきづつけた。飽きたから遊びにきた」と戻ってきた人、現実 事実として一人もいませんよね? だからといって雲の上に天国が無いと立証されたわけじゃありませんが、そもそも天の国の概念が元は違ったんじゃないでしょうか。 天使が来るとは、その世捨て人的生活をしている教団の幹部たちが、町に来たというだけの話だと思います。 たとえばマリアの懐妊のとき、ガブリエルがやってきましたよね。 マリアに子供を産ませるため、やってきたという話だと思います。 これが天使が地上に下るという意味。 火の概念は、恐らくケルビム、セラフィムの話から想像されたものだと思います。 ケルビムだか忘れましたが、炎の蛇と呼ばれており、聖なるかな 聖なるかな とくるくるまわってエデンで生命の木に人間が近づかないように守っているという伝説。 何故炎なのか。 炎は穢れを焼き払うとされているから。 これが炎の地獄の概念の正体。 天国にいってイエスと会った人いますよ。 最初に殉教した人。(名前忘れました) 彼は、天の国 すなわち幹部が住んでいる場所で裁判を受け、その時、イエスが塔の上からその裁判を見守っているのを目撃しています。 その集団のトップの右に立っていたと書いてあります。 審判で死刑に値する律法否定をやってしまったので、死刑 すなわち追放処分になったようです。 イエスも律法の否定をやったことで、裁判になり有罪判決が出て死刑になりましたよね。 クムラン宗団は、罪の程度に応じて、数日間の謹慎処分から、数年間外の世界に追放されるなど規定があったんです。 死刑判決が出ると、死に装束を着せられ文字通り死者として扱われ、洞窟に幽閉され、数日後追放処分になっていた。 イエスの場合、その幽閉期間中に天使の肩書きを持つガブリエルに救われたことになっています。 それで名誉回復し、幹部となり裁判で塔から見守っているのを目撃されることになったわけです。 死刑になって追放になったら永遠にもがき苦しむか? 集団から追放され荒れ野で一人で自給自足の生活は、かなり厳しいものがあると思うので、許されないなら一生死ぬまでは地獄の苦しみでしょうね。 現代のイスラム教をみても、追放処分になったものが、イラクの首都に流れ住み、スリなどしながらなんとか生きていますよね。 (それを助けよとしたのが、平和ボケした日本人でしたが、映像をみると、言うことを聞かない相手に救いにやってきたという日本人が「私の飯を早く作れ!それがお前の役目だ」と怒鳴り散らしていたので、決して救われたとは言いがたい・・・天国生活も辛いようですね。まだスリやっていたほうが平和ボケした傲慢な日本人に奴隷としてコキ使われないので天国かも) イエスを信じないと、、、ってイエスが言ったとされた言葉は全部 旧約聖書とかラビ文学とか、それ以外の書物に既に書かれているので、イエスのオリジナルじゃありません。 イエスが生まれる前からあった言葉ばかりです。 何一つ新しいことなど無い。 確か今年でこの世 宇宙ができて5765年たつということになっています。 日本列島から1万年以上前の骨が出てきていますので、日本列島はこの世が誕生する前からあったことになりますね。 恐らく、バビロン捕囚の時に創世記の部分はバビロンの捕囚された祭祀たちが現地の神話を元に作ったと思えるので、それでこの世の誕生は日本列島より短いことになったんだと思います。 モーセが水を割ったというのは、、、、 何かの比喩だと思います。 水はミリアムと関連しているのかもしれません。 ウガリッド神話だったと思いますが、水の概念を持つ女神を息(風)の概念を持つ男神が殺して大地にしたという話があります。 これと関係してミリアム失脚のことかな??とも思いますがよくわかりません。 (古代は女神崇拝があって、3500年頃で終わりをつげた。 このことかもしれません。) 杖というのは比喩で、男根のことだと思います。 といってもモーセが男根を大地につきさしたわけじゃなく。。。。 なんでしょうね、、、、 古代では二匹の蛇がからみあってそれで世界を作っているとか 生んだとか、そういった話があるんですね。 イザナギ イザナミの話もその類に似ている。 イエスが生きたとされた時代に、人を生き返らせたという人は沢山?いたそうです。 ただ、その人を生き返らせたというのが文字通り肉体的に死んで1年前とか100年前の人を生き返らせたわけじゃなく、宗教的に死んだ人のことだと思うんです。 その比喩を知らないと、100年前に死んだ人すら神様は生きていた当時の通りぴんぴんにしてくれると誤解してしまうんじゃないかと。 足がなえた人、目が見えない人 全部比喩。 宗教的に信仰が低いとされた集団(10支族のどれか)か、台の上に乗って運ばれ、高台に上から説教をして少しも歩かない偉そうな祭祀とか、聖書のよく理解していない祭祀 とか その人たちのことを比喩として言ったんだと思います。 それと。。。 モーセ、彼はエジプトの王女 すなわち神の代理人の養子になり、高い地位にまで上り詰めたらしいです。 彼がエジプトの神秘宗教を国外に持ち出し、後のユダヤ教に取り入れたんじゃないかと思うんですね。 彼は一体何者か。 恐らくエジプト人だと思います。 宗教的な争いがあって、彼はエジプトから財宝を持って逃れたんだと思います。 財宝がいいが、エジプトの神秘学まで持ち出されると、エジプトは不利になります。 神秘学 つまり いろいろな知恵が外国に漏れてしまうと、エジプトは攻め込まれてしまう。 それで、モーセを追ったんだと思います。 モーセが杖を蛇に変えた、蛇の杖を掲げた というのも、恐らく何かの比喩だと思います。 エジプトはラー(エル) すなわち神の化身は生き返ると信じられていたんですね。 それでミイラ処理がほどこされた。 ラーは死ぬと鳥が魂を空高く運んでくれると思っていた。 そして肉体があれば、また魂がその肉体に入るとして、それで保存していたわけです。 でも、これが適用されるのは、ラーだけ。 民は巨大な力を持つこのラーの再臨を待つ信者たちなわけです。 信者にミイラ処理は施されません。 信者。信じる人ですよね。 これこれを信じる人 という意味で、宇宙人がやってきて地球人を救っていると信じる人もビリーバー。 そんなわけない 宇宙人がいるなら、とっくに何千年も前から一緒に暮らしているはずだ、というのはビリーバーじゃなく宇宙は地球で住民票を持って地球人の中にまぎれこんでいるという話をクスクスと笑って否定する否定派。

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  • 回答No.10
noname#49694
noname#49694

 あなた様の質問はすべて論争上にあり、キリスト教のあいだでもまったく一致しておらず、答えがないというのが答えになります。残念な話ではありますが。私はクリスチャンですが、信仰はあります。神は唯一ですから、もしそれが実在するなら、答えは最終的に1つに決まってますから、未来にはその正しい解釈でみな統合されるでしょう。 ●人は死んだら天国か地獄に行くといわれてます。 そこは肉体はなく魂だけが存在するものなのか?  原則的には魂と言われることが多いですが、厳密には体もあるという見解があります。霊的体です。主イエスが死んで復活したとき、彼が霊の体であったことが描写されています。私たちもまた、このような体になるという見解があります。 ●天国は永遠であり、痛み、空腹、夜もなく、毎日何をしているのか?  啓示録の最後にあります。これは天のマンションで楽しく暮らすという見解もありますが、いろいろです。生きる水の川が御座から流れており、私たちはそれを享受するというのがありますが、ある見方ではこれは本当の水ではありません。それは神そのものです。私たちの娯楽や享楽は今、世の中のもので占められていますが、やがて神が私たちの唯一の楽しみとなるでしょう。そして、のろいはなく、私たちは彼を享受し、賛美するでしょう。 ●過去に死んで天国にいったクリスチャンと会うことはできるのか?  これは一般的に可能であると考えるのが普通ですね。たぶんその通りでしょう。ただ天国に行くという観念にもいろいろ複雑な論争があります。 ●天国に行けばイエス様や、イエスの弟子と会うことができる。この目で確認できるのでしょうか?  確認はできます。少なくともクリスチャンはまず裁きの座におかれ、私たちの人としての生活において間違った罪を告白し、裁かれます(滅びの意味ではない)。これは啓示録にある信者に対する裁きです。そこでまず会い、永遠に共にいます。 ●天国といえば雲の上を想像してしまいますが天国、そして地獄の 場所はどこなのでしょうか?(適切な表現は難しい)  これも解釈がありますが、空中と天上は違います。エペソ書6章によると、空中にはサタンや邪悪な天使たちがいるとされています。天上とはさらにその上、つまり私たちが視認できない世界だということは確かです。  地獄に似た用語にハデスという表現もありますが、ハデスは地の底にあるという解釈があります。しかし地獄というのはそれかもしれないし、別物としてあると考えることもできます。おそらく別物です。火の池とは厳密には神そのものから出る裁きです。ですから、本当に火が燃えているという意味かどうかもかなり曖昧です。いずれにせよ、ひどい苦痛であることは確かです。 ●地獄とは火の池に落とされ焼き死ぬことなく永遠にもがき苦しむ ところなのか?  聖書的にはそう考えるのが一般的です。サタン、偽預言者、未信者などがそこに投げ込まれます。 ●もしクリスチャンにならなければ、死後は上記のような地獄 があり肉体が焼ける熱い感覚を永遠に味わうのであるならば クリスチャンになる選択をしたほうが聡明だと誰もが思うはずですが?  無神論の日本人は特殊ですよ。海外の人からすれば、頭がおかしいとさえ思われかねないこともあります。厳密にいうと、戦前戦後の体制がそういう文化にしてしまったのでしょうけれど。日本人にとって死とはただ骨になっていなくなるとしか考えていません。ですから、死後の世界なんてあまり考えていない人がほとんどですよね。中国人とかのほうがなぜか滅ぶということを意識していたりします。  世界的にはクリスチャンが圧倒的です。イスラム教、仏教が続きますが、その人たちはもちろんキリスト教の神ではなく、別の神を拝むわけですから、相容れないでしょう。聖書的にもこの宗教的状態は終わりの日まで解決しないということが分かっています。もちろんクリスチャンでない宗教徒はすべて滅んでしまいます。 ●イエス様を信じなければ本当に地獄に落ちるのでしょうか?  地獄に落ちます。 ●死後、天国に行き、一度地上に降りて天国はどのような所なのか 語った人がいると聞いたこともありますが・・現実的でしょうか? (イエスの時代でなく時代で言えば昭和の話しです)  たぶんそれは仏教的な天国の話と混ざっていると思いますが、仏教の天国は妄想です。キリスト教徒であれば、それは嘘です。復活は厳密には将来の事柄なので、天国も将来的なことであるというのが聖書の1つの見方です。 ●聖書のお話は何千年前の話しでしょうか? 恐竜時代の後ですよね・・あれっ恐竜時代は何年前?  これは聖書批判の1つの根拠になっています。アダムの時代は年代的にいうと約6000年前であると言われています。ところが、恐竜はご存じのように地層などから判別して何十万年とかそんな話になっており、「聖書は事実ではない」と批判するのです。  これに一人のクリスチャンが応答しました。創世記の1章1節と2節だったか、実はその間に期間不明のかなり長い年代にわたる空白があると述べたのです。なぜなら天と地が創造されたのに、突然やみが出てきて、変な話だからです。やみは神から来るはずがありません。したがって、このあたりに何か敵が神の創造物を奪ったのだとしています。何らかの生物もおり(人間ではない)、いずれにせよ神に反逆し、この生物が裁かれて今いるのが新約に記述された「悪鬼」となった、という見解があります。   ●モーセは追い込まれた時に杖を上にあげ海を本当に割ったのですか?  やりました。 ●イエスの時代に本当に死んだ人間の頭部に手をおいて 「いつまで眠っている起きなさい」といい、死んだ人間を 生き返らせることができたのでしょうか?  できました。神は全能です。光あれ、というだけで光が出ます(笑)

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  • 回答No.9
  • tetsumyi
  • ベストアンサー率27% (1494/5386)

聖書を読み神を理解することをお勧めします。 モーセが杖を上げて海を分けたとは書いてはずで、杖を上げるように指示されているはずです。 教会の教えはキリスト教の支配時代に都合の良いように曲げられています。 天国と地獄は他の宗教の考えを取り入れたものです。 旧約聖書ではメシアの到来で地上が神の支配による王国が実現すると約束されていますが、この約束は新約でもなくなっていないことがわかるはずです。 天に取られる人は小さな群れで他の多くの人は神の王国で生きることを約束されています。 地は人を楽しませるように創造されていますし、人類家族として多くのことを一致して成し遂げるよう神は期待しておられます。 創世記 1章26節

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  • 回答No.8
  • mmky
  • ベストアンサー率28% (681/2420)

本当のことを知りたいというなので本当のことを回答しましょう。 ●人は死んだら天国か地獄に行くといわれてます。 そこは肉体はなく魂だけが存在するものなのか? 回答:魂とか霊、つまり思考するエネルギー体として存在するのですね。魂(心)だけが存在します。 ●天国は永遠であり、痛み、空腹、夜もなく、毎日何をしているのか? 回答:ほとんどの魂は、肉体を持って生きているときと同じことをしてます。科学者は科学者、学者は学者、音楽家は音楽ですね。宗教家は宗教家ですね。あの世に帰っても勉強していますので進化してますよ。 ●過去に死んで天国にいったクリスチャンと会うことはできるのか? 回答:あなたが会いたいと思い、相手が同意したときのみ会うことが出来ます。誰とでも会うことはできません。 ●天国に行けばイエス様や、イエスの弟子と会うことができる。この目で確認できるのでしょうか? 回答:あなたしだいですが、ほとんどの人は会えません。それなりの悟りと、仕事をしていれば弟子に会うことができるかもしれません。あの世はピラミッド構造なので会うことが難しいのですね。イエスさまでも肉体を持っているときは隣の叔父さんですが、肉体を脱ぎ捨てればトップテンの大霊ですから会うことは難しいということですね。お弟子さんはもっと低いところにいますので可能性はあるという程度ですね。 ●天国といえば雲の上を想像してしまいますが天国、そして地獄の場所はどこなのでしょうか?(適切な表現は難しい) 回答:人間が住んでいるところにあります。次元が違うので見えないだけです。向こうからは見えてるんですよ。 ●地獄とは火の池に落とされ焼き死ぬことなく永遠にもがき苦しむところなのか? 回答:永遠にもがき苦しむところではありません。これは間違いです。 反省場所ですので期間は自身で決めるものです。悪魔や悪霊は好きで地獄から出てこないだけです。誰しも反省さえすれば天国に戻れます。 ●もしクリスチャンにならなければ、死後は上記のような地獄があり肉体が焼ける熱い感覚を永遠に味わうのであるならばクリスチャンになる選択をしたほうが聡明だと誰もが思うはずですが? 回答:あの世での法則は宗派にかかわらず同じです。どの宗派でも間違えば同じ憂き目です。従って正しい教えに従えばどの宗教も同じです。従って「クリスチャンにならなければ、死後は上記のような地獄・・」は間違いです。 ●イエス様を信じなければ本当に地獄に落ちるのでしょうか? 回答:上の回答に同じ。だからこれは間違いですね。お釈迦様、イエス様、モーゼ様、孔子様、天のみなか主、マホメッド、アマテラス、個性は違えども皆さん立派な指導霊ですので誰を信仰の対象にしても同じです。 ●死後、天国に行き、一度地上に降りて天国はどのような所なのか 語った人がいると聞いたこともありますが・・現実的でしょうか? (イエスの時代でなく時代で言えば昭和の話しです) 回答:夢の中でほとんどの人が経験しているはずです。人間は本来霊なので霊界で光を浴びないといけないからです。肉体の食べ物だけではだめなんですね。 ●聖書のお話は何千年前の話しでしょうか? 恐竜時代の後ですよね・・あれっ恐竜時代は何年前? 回答:新約聖書は、2000年前、モーゼの時代は3500-3600年ぐらい前。それ以前は日本と同じく神話の時代。 ●モーセは追い込まれた時に杖を上にあげ海を本当に割ったのですか? 回答:本当です。モーゼは奇跡をつかさどる大霊です。霊界500億人のトップ10の一人ですからそのくらいのことは出来るのですね。インドで仙人が灰みたいなものを出しますが、大霊になると紅海を真っ二つに割ることぐらいはできるということですね。イエス様がパンを出したりマナを出したことも同じことです。 ●イエスの時代に本当に死んだ人間の頭部に手をおいて 「いつまで眠っている起きなさい」といい、死んだ人間を生き返らせることができたのでしょうか? 回答:イエスさまが死んだ人間をいきかえらせたことは事実です。 これも上と同じですねトップテンの大霊はその程度のことは出来るということです。 以上が正しい解答ですね。参考に

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  • 西洋哲学と聖書の関係

    聖書は神の著作物であるとされます。それゆえなのか、内容は大変に深いものがあります。その深さに気づけばいいのですが、多くの人は浅い理解のままで、「これが聖書だ!」と決めつけて しまっているように思います。私は、西洋哲学・神秘学の多くが聖書の部分解釈の結果であるように感じています。 例をあげましょう。 ニーチェの超人哲学ですが、多くのクリスチャンが彼の超人思想を、反キリスト的だと見做しますし、彼個人も「神は死んだ」と叫んでいます。 私は、彼の超人思想も聖書思想の断片だと思っています。新約聖書を読みますと、イエスの弟子が沢山登場します。例えば聖ヨハネですが、彼はイエス様に出会う前までは漁師である父の手伝いをしていた、ごく普通の人ではなかったかと思われます。そんな彼がイエス様に見い出され、人間が変わった。彼は後に「ヨハネによる福音書」を書いていますが、この福音書はとてつもなく霊的に深い書物です。聖霊の導きがあったとはいえ、このような書物を書く人は、私にはとても凡人だとは思えません。まさに超人だと思います。 新約聖書では、弟子たちのとてつもない変貌(「超人化」あるいは「キリスト化」だといっていいもの)が、さりげなく語られています。人は超人になることが目的ではないからでしょう。超人になって、神と隣人に奉仕することが目的だからだと思われます。 人は、全能の神由来の「いのちの息」を持っています。その特性は、私の想像ですが、いのちの息とは本来「永遠性・超人性を持ち、愛に満ちた」ものであったと思います。ですから、イエス様によって罪が赦された者は、いのちの息が本来持っている特性を回復するのではないでしょうか。 以上、ニーチェの超人思想と聖書の関係を述べましたが、他の哲学でも聖書の断片的な解釈をしているように思われるものが沢山あります。それを単に批判的に忌避するのではなく、聖書解釈の新視点と見て、聖書を深く知る手掛かりにすることも大切な作業ではないかと思います。

  • 心中自殺なら天国に行けますか?

    キリスト教では,自殺した人は地獄に落ちることになっていると思います. 一方,聖書には 友のために命を捨てる行為を賞賛する記述があります. 「友のために自分の命を捨てること,これ以上に大きな愛は無い.」ヨハネ福音書15:13, 「イエスは私たちのために命を捨ててくださいました.そのことによって私たちは愛を知りました.だから,私たちも兄弟のために命を捨てるべきです.」ヨハネの手紙一3:16など この世での苦しみに耐えかねた二人が お互いのためを思いあって心中自殺した場合, 二人は天国に行くのでしょうか. それとも自殺の罪で地獄に落とされてしまうのでしょうか.

  • キリスト教における自殺について

    よろしくお願いします。 キリスト教では非常に明確に、神に対する重い罪として自殺を禁じていますよね。 1、自殺することは他殺することよりも重い罪だとキリスト教では考えているのでしょうか? もし自殺の方が他殺するよりも重い罪である場合は、その理由はなんでしょうか? 2、聖書を見ると、自殺したという人の記述はあるそうですが、ことさらに自殺であることを強調して地獄に堕ちるとかは言ってないそうですが、現在のキリスト教では聖書やあるいはどのような教義によって、自殺の絶対的な罪を言っているのでしょうか? 殉教は自殺とは規定されないのですよね。キリスト教が規定する罪となるところの自殺とはそもそもどんなものでしょうか? 3、自殺の絶対的罪を言うようになったのは、イエス時代からでしょうか? それともある程度の解釈の変遷があり、言い出した時代などもわかっているのでしょうか?

  • 教えていただけると嬉しいです

    質問なのですが 聖書にこのような事が書いてあると聞きました。 人は死ぬと“みんな”自動的に地獄に行きます。それは誠の神様に対して罪を犯しているからです。 しかし、正直に罪を認め、悔い改めて、神様が備えてくださった「唯一の救い主」イエス・キリストを信じるならば、罪赦され、永遠の楽園(天国、神の御国)に入れてもらえます。 「イエス・キリストによる救いの知らせ(福音)」 http://inochinomizu.hatenablog.com/entry/2017/07/01/113257 自分はキリスト教には入っていません。このような話を聞いて恐怖があらわになりました。 本当のところはどうなのでしょうか教えてほしいです

  • 世の中は、どんなところ

    この世の中は、どんなところですかね、大昔の原始時代から恐竜時代から奴隷時代から神と呼ばれたモーゼの時代から新約聖書から、この地球は何か、宇宙は何か、太陽は何か、そして今日の科学の世の中、車が自動で走る世の中、人間の癒し系、生き物の時代は終わり、ロボットに代わりつつある、大災害が起きても、復興するだけ、原発災害も、リフォームするだけ、放射能も土を削り、地下に埋めて復興するだけ、公園を作るのかね、住宅地かね、ビルかね どうしようもない世の中かね、人間は、どうかしてしまった、だから体を痛めつける者が現れることを知れと、科学機械を使って強力な磁力を体にビリビリと電気ショックを与えて楽しんでいる悪が起きる現代の世の中、この世の中は、何か、地球は、 dゲームでしょ?か

  • 聖書配布協力会

    「聖書配布協力会」という団体についてご存知の方いないでしょうか? 昨日父が道で「聖書配布協力会」と名乗って冊子を配布している 人に会い、「うちはペンテコステ派だけど、お宅らはどこの宗派?」 と訊ねたところ、「似たようなものです」と返事が返ってきたため 意気投合しダンボール一杯の冊子を貰って帰ってきました。 その冊子ですが、パラパラとめくってみた所、書いてある内容は 一応まともなのですが、「イエスを信じないものはどれだけ善行をつんでも地獄行き」 といったような脅しとも取れる文と、光り輝く天国の絵、 地獄の炎の中で沢山の人が苦しんでいる絵などがちらほらありました。 恐怖を煽って信者集めでもしている新興宗教かと思ったのですが、 そうでもないようです。 この団体の目的は一体何なのでしょうか? まともな活動をしている団体なのでしょうか? あと、父が意気投合した人に住所を知られてしまった (会社のトラックで、連絡先が書いてあります。)のですが、 向こうから何かコンタクトをかけてくるといったことはありませんか? ※返信は遅れるかもしれませんが、必ず書きます。

  • 新約聖書と旧約聖書の整合性及び聖書は全ては神の霊感により書かれた時代を

    新約聖書と旧約聖書の整合性及び聖書は全ては神の霊感により書かれた時代を超えた普遍的真理の書物なのか? 教えて下さい。 私は中年の男です。20代後半で 洗礼を受けました。 その後人間関係に悩み、牧師に 相談をしたのですが、牧師の尊大な態度に失望し、教会へは行かなくなりました。 洗礼を受ける前は三浦綾子氏や遠藤周作氏の著作を 読んでいて、今にして思えば福音派とリベラル派の違う考えの本を同時に読んでいて、自分の中でも整理がついていませんでした。 しかし、ある日カール.ヒルティの幸福論を呼んで、福音派よりのリベラル的要素を持った著作にふれ、洗礼を 受けたのですが、上記説明のように牧師につまずき挫折。 最近も福音派の教会に2ヶ月程通いましたが、やはり 牧師に躓きました。私が最初に通っていた教会はリベラルな教会でした。福音派牧師の痛烈なリベラル派批判。カトリックは異端だと裁き、リベラル派はクリスチャンでないかのような発言。本当に参りました。 福音派の方で、神社.仏閣に悪霊がいる等。極端な 考えをお持ちの方も存在いたします。 福音派の中で聖書信仰と言うのがありますが、個人的に旧約の神とイエスが同一とはどうしても考えられないのです。聖書にも矛盾を感じるんです。 箴言 13:24 むちを控える者はその子を憎む者である。子を愛する者はつとめてこれを懲らしめる。 22:15 愚かさは子どもの心につながれている。懲らしめの杖がこれを断ち切る。 23:13 子どもを懲らすことを差し控えてはならない。むちで打っても、彼は死ぬことはない。 23:14 あなたがむちで彼を打つなら、彼のいのちをよみから救うことができる。 29:15 むちと叱責とは知恵を与える。わがままにさせた子は、母に恥を見させる。 箴言を一部抜粋しましたが、これが神の言葉だと心から 思えません。 恐らく、理性的な日本人にこれを読んで頂きこれが 神の言葉だと思うかと問えば、恐らく殆どの方が「思わない」と回答するでしょう。 福音書のイエスの言葉には威厳があり、やはり非常に 高いタイプの何かを感じる事は出来るのですが旧約と パウロ書簡は懐疑的に考えてしまいます。 例を出すと1コリント11:5「女はだれでも祈ったり、預言したりする際に、頭に物をかぶらないなら、その頭を侮辱することになります」この訳は新共同訳です。 聖書を時代背景も考えず、文字通りの真理だと考えるなら礼拝やまた個人の祈りの中で祈る時は女性は頭にかぶりものをしなければなりません。 私は神を信じない生き方は虚しいと思いますが、聖書に 矛盾、新約と旧約に整合性を感じられず、苦悩して います。信仰は捨てたくないのですが。今は正直どうしたら良いのか解りません。 リベラルな教会も考えてはいるのですが、それでも、聖書に確信が持てなくて 困っています。 乱文で申し訳ないのですが、よろしくお願い致します。

  • 神様についての疑問

    ときとぎ宗教(とくにキリスト教)について疑問に思うのですが a )神は慈悲深いとされていますが、それならどうして人間は神の愛を感じられないのでしょか? b)神はどうしてイエスを最後に人間に語りかけるのをやめたのでしょうか?もう人間に興味がなくなったんでしょうか? c)天国にいくために善行をつむのは偽善なのでは?天国がなかったら その人は善行をつむ必要がないことになります。そんな人が天国にいくことなんておかしい気がしますが。 d)旧約聖書に見られる神の命令による民族浄化(聖絶)についてどうおもわれますか?旧約の時代のように現代に神が命じるとしたら、信者たちはまた同じことをするのでしょうか? d)神はアルファでありオメガであるといっていますが、ではなぜ人間に十戒のように人間に命令する必要があるのでしょうか?神がそのような完全な存在なら人間の行いに影響を受けるのは矛盾している気がするのですが。真に道徳的な存在は他人もそうであることを要求しないと思いますが。 e)神が世界を作ったなら、悪魔も神がつくったことになりませんか? そうでないなら神は世界を作り損ねたのでしょうか?

  • イエスの生前にはかれがキリストであるとは誰も・・・

     イエスの生前にはかれがキリストであるとは誰も分からなかった。  この見方について問います。そうなのか? です。  1. イエスの生前には かれが自分は神の子でありみづからも神であると語っていたにもかかわらず 弟子たちを初めとして誰も そのことに気づかなかった。言葉では聞いていたとしても 理解できなかった。  2. 弟子たちは やっと・つまりイエスが十字架上に去ったそのあと そのイエスの語った言葉は腑に落ちたのだ。そこで すべてを知りました。  3. つまりそれまでは ただ立派な人間が迫害に遭って一命を落としてしまったくらいに思っていただけです。(いわんや 反対派においてをや)。  4. イエスの言行録がほどなく集められて行った。またすでに並行して パウロの書簡が書かれるようになっている。  5. すなわち そのようにイエスという人間が キリストと呼ばれる神であったということを伝えるために 言行録が編まれて行った。むろん すべてが聖書記者の信じ思うところにしたがって書かれたものだ。  6. ただしつまりは 神のことばは 人間の言葉では表わし得ない。そもそも 神語を人間語にそのまま写すのは無理。翻訳や解釈が とうぜん伴なわれている。  7. しかもそんなことは――つまりどういう編集方針であって その結果実際の語録がどこまで忠実に反映されているかなどなどのことは―― ほとんど問題にならない。全体として――パウロの書簡をも含めて 聖書全体として―― イエスが どうしてキリストであるかを捉えるために読めばよい。  8. 《法律(律法)》がモーセによってもたらされたのに対して キリスト・イエスは 《まこと と めぐみ》をもたらしたと言われます(ヨハネ福音のはじめ)。  9. 人間にとっては 人間語であらわされたイエスの言葉に 大うそがある。人間のことを神だといった。しかもそのような大嘘をとおしてでも 神とは 全体としてひとつであること また名が違っても――アッラーフ(’aLLaaH )と言い エローヒーム( 'eLoHim )と言い 名が同じ(イラーフ=エローハ ’LH )であっても ヤハヱーと言い違っていても――神はおなじひとつであるというマコトを告げた。  10. また 《わたしは 道であり まことであり いのちである》と言って その生命のチカラが 泉の水のごとく内から湧き出るように元気づけた。めぐみである。  11. さらには 《めぐみの上にめぐみ》をも与えた。よみがえり・復活。たぶん 現代人にとっては 平均寿命が 二百歳にでもなれば もう《永遠のいのち》であるはずだ。  12. というように オシエが――ローマ教会等々によって――どのように説かれようが それらにはお構いなく 神が示され 尽きせぬ元気があたえられ続けるなら それでよいわけである。  13. なおこの《生前には誰もキリストのことが分からなかった》については 次の聖句を参照するよう言われることがあります。  ▲ (出エジプト記 33:21-23) ~~~~    21: 更に、主は言われた。    「見よ、一つの場所がわたしの傍らにある。    あなたはその岩のそばに立ちなさい。  22: わが栄光が通り過ぎるとき、    わたしはあなたをその岩の裂け目に入れ、    わたしが通り過ぎるまで、    わたしの手であなたを覆う。  23: わたしが手を離すとき、    あなたはわたしの後ろを見るが、    わたしの顔は見えない。」  ~~~~~~~~~~~~~~  ☆ 去って行ったあとの《背面は見える》というわけのようである。去って行くまでは みな誰もに覆いがかけられていたのだと。  くわしいかたちで・あるいはヒラメキのようなかたちで 何かありましたらご教授ください。

  • 聖書の言葉を教えてください

    こんにちは。初めて質問します。 私は高校時代、大病を患い、半年ほど入院したことがありました。 当時通っていた高校はミッションスクールで、毎日礼拝をするような学校でした。 入院していた時、キリスト教の授業を担当していた先生が葉書を送ってくれて、 そこに書いてあった聖書の言葉に感動し、随分励まされた覚えがあります。 あれから10年以上がたち、最近、友人のひとりが長期入院することになり、 当時の事を急に思い出して、是非その友人に同じ言葉を送ってあげたいのですが、 どうにも思い出せません。 あんなに元気づけられたのに、忘れてしまうなんて恥ずかしい限りです。 その先生のお名前やお顔ははっきり覚えているのですが…。 たぶん、キリスト教を学んでいる方でなくても、名前を聞けば聞き覚えがあるような 福音書の一部だったと思います。 2行くらいの、そんなに長くない言葉でした。 ほんとうにあいまいな記憶で申し訳ないのですが、もし、病の知人に贈る言葉で、 心当たりのある方がいらっしゃれば、教えていただければと思います。 よろしくお願いします。