agrippaのプロフィール
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- 登録日2007/04/19
- 久間大臣の「原爆しょうがない」発言、何が問題?
久間大臣が「原爆投下はしょうがなかった」と発言した件について、一国会議員・閣僚の発言として何が問題なのでしょうか? 「原爆投下を容認したかのような発言」が問題だとされていますが、WWIIでの原爆投下について政府の歴史見解は否定・抗議の立場なのですか? 宜しくお願い致します。
- わたしは信仰に席をあたえるために
わたしは信仰に席をあたえるために知識を廃棄しなくてはならなかった。 ご存知の大哲学者の有名な言葉ですが、不滅の霊魂のような自然科学の対象で無い世界の可能性を否定する輩のその根拠はなんでしょうか?
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- noname#33521
- 哲学・倫理・宗教学
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- わたしは信仰に席をあたえるために
わたしは信仰に席をあたえるために知識を廃棄しなくてはならなかった。 ご存知の大哲学者の有名な言葉ですが、不滅の霊魂のような自然科学の対象で無い世界の可能性を否定する輩のその根拠はなんでしょうか?
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- noname#33521
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- 教科書で感動する感性について
だいぶ昔の話ですが、私が高校のとき、倫理社会(哲学社会学)と数学の教科書で感動したことがあります。ヘーゲルの概説と微分公式の証明でどうしても涙が止まりませんでした。世界を力強くつかもうとする、人間の偉大さを感じました。また自然の姿や社会の法則を赤裸々にするというスリリングさと、そこに現れる自然の姿は、やはり創造主がいるのではないかと思うほど美しいものです。 質問は、こういうことに感動してしまう自分が、社会的一般感性に合わないないのではないかという危惧です。当時の印象としては、やはり周りの人たちが軽薄で、現実の損得しか考えていないような印象を受けてしまいました。その思いは今も続いています。 所属集団が悪かったのかもしれません。しかし私に芸術的感性とか才能があるとも思えません。たいしたことではないと割り切ることもできますが、しかしどうも気になる問題です。なにかご教示願えないでしょうか。
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- noname#41852
- 哲学・倫理・宗教学
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- 「つらい境遇により人に優しくなれる」ことと「親子間の負の遺産」について
一般に言われることに、「つらい境遇で育った人は人の傷みを知る優しい人になれる」といいます。一方心理学的に、親の愛情不足あるいは不全で育った子は、自分が親になっても同じことを子に繰り返すといいます。つまり、優しさは獲得できなかったと考えられます。あるいは、内面的には優しさが獲得されたが、他者や子にに対して体現できないというアンバランスな状態になっています。 この矛盾はどう考えたらいいのでしょうか。どちらかがインチキなのではないでしょうか?
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- garcon2000
- 心理学・社会学
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