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仕事至高主義?について

kohichiroの回答

  • kohichiro
  • ベストアンサー率21% (306/1447)
回答No.14

No・9 です。 先回は回答の途中に急用が入って、結論をはしょってしまったので、紋切り回答になってしまいました。失礼しました。もう少し質問者様自身の提起された問題を分析したく思っていたので、貴方のご不満も良く理解できました。 日本人がおおむね抽象的な議論を好まないこと、そういった会話が不得意なことは既に定説になっています。これは日本語の性格に原因があるというようなことも言われています。質問者様が他国の人間、特に欧米の人間と会話をされるときに感じる親和の印象は私にはなんとなく理解できます。その原因は多分日本語以外の言語をある程度学んだことで、言葉というものの原則的な役割を理解されたということではないかと思われます。純粋に言葉だけでコミュニケーションをはかるということを日本人どうしはやっていません。お互い、なあなあでなんとなく分かり合えたという付き合いをしているのでしょう。 前置きが長すぎましたが、仕事のモチベーションはどうあるべきかという問題は、仕事の種類やその社会的な性格にも拠ると思います。たとえば青年海外協力隊のような立場だったら、多くは個人プレーになるわけであり、しかもその性格から基本的に個々人の仕事への熱情はモチベーションの方向で大きくかわってくるはずですし、貴方の言われる考えがそっくり生かされる例だろうと思います。 営利企業の内部で個々の分業的立場では、高邁な社会的理想というモチベーションはあまり生かされることはないのではないかと思われます。仕事というものは、誰であれ殆どの場合その仕事を完遂することがおもしろいわけで、その作業を無難に機械的にこなす段階をこえて、様々な工夫や熟練度の高まりが作業をより洗練させていく過程そのものが人間を夢中にさせていくものです(技能的な仕事だけでなく、事務作業でも同様に)。つまり、仕事をうまく遂行するということ自身が情熱の目標になりうるわけです。これを出発点にして、人間は様々な仕事への適応態度があり、必ずしもどのようなモチベーションが彼にベストの能力を引き出させるのかを画一的に結論づけることは出来ないのでは、と思っています。これはあらまし先回書いたとおりです。 それを念頭に入れて >人の目的意識は、世界観、価値観などの影響を色濃く反映されたものですから、根本的に快楽主義の人は快楽の方向に向かったベクトルを持っていますし、それに伴って仕事の仕方や仕事の結果もそういった方向に流れやすくなります。 これはその通りです。しかし人間はおおむね基本的に快楽主義者であり、苦しい作業は出来るだけ回避して手抜きをし、近道をして切り上げようとするのが常です。企業はそういうことに先回りして、企業が必要とする最低の作業品質を決定し、それを絶対守らねば成らないようなシステムを構築せねばなりません。これは企業の管理者の義務であり、またそれら作業者自身の問題にもして、彼ら自身で作業改善を提案させるという巧妙な方法も既に作られています。これらのメソッドは日本で開発され、大きな成果を上げているものです(トヨタ方式などが有名です。) 既にご存知のことだろうとは思いますが、前回の不足を私の補足として書かせて頂きました。

noname#207138
質問者

お礼

再回答ありがとうございます。 日本人が抽象的な議論を好まない事、そういった会話が不得意な事は、スキル的な意味でその通りだと思います。題材によっては「理解したくない心理」というものも入ってくる場合がありますね。 高邁な社会理想を皆持っていれば良いなとは思っていますが、私自身を含めてそれが主たるモチベーションになっている必要はないと思います。 幼稚園児位の時の精神状態から社会人になるにつれて、皆何らかの形で社会に適応する過程で自分を削り自己犠牲を払いしつつ現在の精神の姿勢になっている事と思います。 それが社会人になると止まってしまう人が多いでしょうか。 社会人は人間の(精神的)成長最終形態ではありません。 幼稚園児から今日までしてきたように、これからも自分を削り、自己犠牲を払いなどしてより社会性を高めて行く"秘められた"義務はありませんでしょうか。 それだけの事です。 仕事を完遂するのが面白いのは何一つとして悪い事は無いと思います。 精神性がどれほど昇華されてもいつまでも残るのではないでしょうか。 それと同時進行の社会性の話です。 >ベストの能力を引き出させるか~ は私は問題にしていません。 むしろ社会性において意識の高い社会人であるなら、業務上の能力が大分低くても私はその人を自分が意見などする必要も無い一人前(以上)と見做します。※すこし大胆に言っていますが。 トヨタ方式について私は詳しく存じませんが、会社(での労働環境)に自身の精神性の律を任せてしまっているということでしょうか。 業務が終わって退社した後の精神性はどうなりますでしょう。 人間は会社にいる時だけが人間なのではありません。 退社後もちゃんと人権が認められて権利を行使する力を持っています。 この力を持っている人の意識が低いと当然社会性に問題が生じ始める。 この退社後に生じる意識の低さは身に錆を生じさせ、その錆はストレスをなどを生じ、その業務とは全く関係ない種類の世界に対する葛藤などを「仕事なんだから」という単語にのせて憂さ晴らしをする精神性はトヨタ方式(良く知りもしないのに恐縮ですが)では律する事ができないのではないでしょうか。 ここには大きなストレスがかかります。 今は「仕事なんだから」だけを題材にしていますが、同じ事は生活の中のあらゆるところで起きています。 私はこれらを問題だなーと思いながら観察しているという内容です。 かといって言論や信教の自由はあってしかるべき当然の権利なので、その陰でこういう事をされると困る事も時折あるわけです。 現状仕方が無いので力で矯正しますが、自発的自由意志によって自律して社会性のある精神生活したいなーと考えている訳です。 その上で「現状のあなた(当然私自身も対象内)はどうですか?どうお考えですか?」という質問です。 申し訳ありません。 回答者さまは理知的な対話ができる方だと思っているのですが、日常生活とこのサイトとの行き来の中でそもそも質問の趣旨を忘れてしまったりなどしてコミュニケーションが円滑でないのがすごくわかります。 本来なら質問を見直し、今までの応答をじっくり見直しなどしてきちんと整理してからコメントするのが筋と思いますが、なかなかその時間もとれません。 せめてご回答に感謝の意を表させて頂きます。 ありがとうございます。

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