• 締切済み

犯罪者は主義や主張を論じるべきではない?

前科者(思想犯罪ではない)が、 理念や主義、主張を持っていたとします。 この前科者が起こした犯罪は前科者個人の欲望に基づくもので、その理念や主義、主張が故の犯罪ではないとします。(例えば原敬暗殺事件のような犯罪ではない) この前科者が刑期を終えて社会に出てきて、その理念や主義、主張を世に広めたいとします。 その前科者がいかに素晴らしい、あるいは先進的な主張、何かしらの価値のある思想を持っていたとしても、その前科者の行いによってこの思想の価値はなくなるのでしょうか? 真剣に耳を貸す人はいないのでしょうか? そもそも、世のため、人のために主張を持っていたとしても、それを広める資格が前科者にあるのでしょうか?

みんなの回答

回答No.2

a) 犯罪者にも、思想信条の自由はあるでしょう。  b) 私はクリスチャンではありませんが、新約聖書から引用します。 人を裁くな。そうすれば、あなたがたも裁かれることがない。人を罪人だと決めるな。そうすれば、あなたがたも罪人だと決められることがない。赦しなさい。そうすれば、あなたがたも赦される。(ルカ福音書6章)

回答No.1

まずは謝罪と反省。 自分の犯した罪と向き合うことなしに思想も何もありません。 きちんと刑期を終えて更生すれば、 その人の主義主張とやらも聞いてもらえるかもしれませんし、 改心が評価されれば、思想も受け入れられるかもしれません。 逆に、その人の歩んできた人生を無視して思想そのものだけを 評価するというのは、その人格を無視することになるでしょう。 いずれにせよ、仮の話として論じてもあまり意味はありません。 具体的に世間に自分の主張を認めてもらおうとした前科者の例を挙げて「この人の思想はどうなのか?」と問う方が良いと思います。

関連するQ&A

  • フェミニズムは功利主義から導き出されるでしょうか

    フェミニズムの理論は、功利主義の思想家のジョン・スチュアート・ミルが完成させたと思いますが、 フェミニズムの主張は、欲望充足の最大化という功利主義の考え方から導き出されるでしょうか。

  • なぜ、主義主張で職務放棄が許されるのでしょうか?

    火力発電所などに務めている人が、『私は地球温暖化反対、環境破壊反対です。そんな仕事できません。』などと言えば、『それじゃ、お前はクビだ。』と言われるでしょう。 死刑執行官が、『私は、死刑反対論者です。死刑の執行はできません。』などと言えば、『それじゃ、この仕事はお前に向いていないから辞めろ。』と言われるでしょう。 自衛官が、有事の際、『私は、平和主義者で、非暴力主義者です。ですから、戦闘行為はできません。』などと言えば、『お前は、自衛官失格だ。』といわれるでしょう。 日本国に雇われた公立学校の教員が、大事な学校行事を自分の思想からくる主義主張で職務を拒否しておきながら、なぜ、これまで社会的に『クビにしろ。』と言う、風潮にならなかったのでしょうか? そもそも、そのような主義主張を持つ人達なら式で立つ立たないという以前に最初から教員になどならないはずです。 それに、あの教員達は教員になる前から学校行事で国旗掲揚と国歌斉唱があるという事を、あらかじめ知っていたはずです。 知ってて、教職に就き拒否しているわけです。 こんなこと、常識的に考えておかしいでしょう。 なぜ、あの教員達の"奇行"だけが、これまで許されてきたのでしょうか?

  • 自由主義に関しての質問

    自由を表に出した思想と言っても、「自由主義」や「新自由主義」、「リバタリアニズム」などいろいろな自由思想があります。私も自由思想を重んじるタイプの人間ですが、上に挙げた思想とは違います。そこで2点、例を挙げますので、私の自由思想がどういう自由思想の「ジャンル」になるのか教えてください。 (長文大変失礼致します。) ■例1 たとえば、「新自由主義」者の主張の一つに、「貧困者や弱者がその境遇ゆえの必要な知識の欠如、あるいは当人の責めに帰さない能力の欠損などによって、結果として自由な選択肢を喪失する事を防ぐために、政府による富の再分配や法的規制などを行い、それにより平等を確保すべき。」と言うのがあります。」 しかし、「リバタリアン」は「「徴税」によって富を再分配する行為は公権力による強制的な財産の没収であると主張する。曰く、ビル・ゲイツやマイケル・ジョーダンから税金をたっぷり取り、彼らが努力によって正当に得た報酬を人々へ(勝手に)分配することは、たとえその使い道が生活保護や高齢者医療補助などの道義的に正しいものであったとしても、それは権利の侵害以外の何物でもない。」と言っているようです。 (wikiを参考) 私の思想だと、両方とも自由です。新自由主義者がそのような主張を「自由」の元行うのも自由。リバタリアンがそれは間違っていると主張するのも自由です。つまり自由と自由のぶつかりあいで、もし彼らが「自由」を根拠に否定しあっているならそれこそ、自由の権利の侵害で両者とも矛盾している。と思いきや、それは矛盾していないと言う主張をする。それも自由です。 ■例2 実生活に例えると、男性がが好きな人が出来た場合、その人に恋愛する自由と言う権利がありますが、その異性はそれを拒否すると言う自由の権利があります。多くの男性は、あきらめるか、好きになって貰うように努力しますが、ストーカー化する人もいるでしょう。ストーカー化する事は、私は自由と言う感情の元、許す事は出来ませんが、ストーカーをするのも彼の自由です。そしてその異性が警察に連絡するなどの対応をするのも自由です。私がそのストーカーを見つけたら、それを止めるのも自由。見てみぬフリをするのも自由です。 などなど、このような考え方は、巷で言われる「自由主義」や「新自由主義」、「リバタリアニズム」とは全く違うものです。このような考え方はどのような思想の「ジャンル」になるのでしょうか? もしかして、自由○○思想とか以前に、ここまで来ると放任主義、無関心者、無責任者とかでしょうか。よろしくお願い致します。

  • 保守主義=理性を懐疑する?

    政治学者の中島岳志氏と言う方を最近知ったのですが、この方は「保守主義は人間の理性を懐疑している。」と、書籍やネットの中でよく述べています。 http://www.magazine9.jp/hacham/110330/ 他にもこの方は「右翼思想」と「保守思想」の違いについて 「現状肯定し、理想社会というのは過去にもなかったし永遠にこない、と考えるのが保守思想の立場です。だからバランス感覚を持ちながら、漸進的に改革をしていく英知しか存在しないということです。それに対して右翼思想というのは、理想社会が誕生しえると思っているのではないでしょうか。では、進歩派と何が違うかというと、過去に遡行することによって理想社会というものが可能であると考えているところです。」 こう仰っています。 http://www.magazine9.jp/taidan/007/index1.php 彼の著書にも「保守派が憲法九条に否定的態度を取り、憲法九条改正を求めるのも、彼らが軍国主義者や好戦主義者ではなく、どれだけ非武装化や反戦平和を唱えても、不完全な人間の理性では、周辺諸国が領土や資源への欲望から、他国へ攻撃する可能性を否定したりするのは困難だと考えるからである。」と主張しています。 中島氏は「保守主義=人間の理性を懐疑」と頻繁に言っているのですが、保守主義と言うのは彼が言う様に、理性を信用しない思想なのですか?

  • プロタゴスの相対主義について

    「人間は万物の尺度である」と主張したプロタゴラスの相対主義についてなのですが、こちらで否定されている絶対の「真理」の意味とは、正しさや道理といったもので、人によって、それらは違うということですか? 下記でいう(1)の意味で、〔哲〕の意味では、ないですよね? (1)正しい道理。だれも否定することのできない、普遍的で妥当性のある法則や事実。 (2)〔哲〕(価値を慮外にして)事態の真相。真。その基準については諸説ある。(1)思想と事物の一致、すなわち判断や命題が存在と正確に対応すること(対応説)。(2)ある命題(思想)が他の諸命題と矛盾せず整合性があること(整合説)。(3)プラグマティズムでは、ある思想が有効な働きや結果を示すこと。 ⇔偽

  • 共産主義思想の人について。

    以前から、テレビ番組などを見て、共産主義思想の人達(政治家、学者など)にちょっとした疑問がありました。 前提として、共産主義思想というものを間違えて捉えているかもしれません。 ・国家や国籍、民族など関係なしに、共存して行こうという発想は分かるのですが、日本の領土問題になると、途端に出てこなくなるように見受けられますが、どう考えているものなのでしょうか。 ・ホームレスが増えていることに関しては、どう考えているものなのでしょうか。「可哀想、可哀想」というニュアンスが強い思想に見えるのですが、個々の自宅で保護してあげようという感覚はあるものなのでしょうか。 ・中国籍、韓国籍(永住者含む)の人達の凶悪な犯罪についてはどう考えているのでしょうか。 ・今の民主党の問題について、どういう感想や意見を持っているのでしょうか。 宜しくお願いします。

  • 社会主義・共産主義的な思想は復活しないでしょうか

    ポスト小泉は格差社会を生み出したといいますが、これからの時代は自分を含め貧しい労働者が増えるようですが、その出来事に加えて、社会主義的な思想は有用になること(支持する人が増えること)はないのでしょうか。低所得しか望めない人間が多いとは言え、まだ日本は豊か過ぎるのか。それとも社会主義は過去の平等思想にあたるのでしょうか。 現代思想の本や大学の受講内容の概要等を見ていると、個人が社会に何ができるか「一人一人の倫理が問われる時代」みたいな切り口で語られる事が多いと思います。でも社会をよくするという意味ならば、貨幣等の生存する為の価値媒体を均等に配分するという思想がなければ、よりよい社会を認識できるわけもなく、倫理もへったくれもないと私は思うのですが…考えが歪んでいるのでしょうか。 個人のモラル(倫理)を追及するならば、共産主義的な社会システムによるルールに決められた経済の方が、人間社会の究極形態じゃないかと思うのですが、資本主義経済において、金になるか否かが焦点になっており、個人のモラルが貨幣に絡め取られている気がしてならないのです。 雑誌を読んでいると何某かの評論家は、よりよい政治にするためにこれからは「格差社会を考えることが急務」といいますが、私は社会主義というキーワードを彼らが持ち出さないのが不思議なのです。このキーワードこそが個人の倫理が完成した形ではないでしょうか。(私の言動について何かつっこみがあったらお願いいたします)

  • 資本主義が戦争の原因?

    はじめまして。 いろいろなことを考えてみて、今までに行われてきた戦争の原因って資本主義社会が抱える問題点にあるのではないでしょうか。  確かに、宗教的な対立があったことも事実なのですが、先進国ではそれほど激しい宗教対立が起こっているわけではありません。それは国自体が豊かだからなのだと僕は思います。  資本主義は、当初に理念はとにかく、現代では完全に弱肉強食のものになっています。  このシステムの中では弱者と強者が確実に存在し、強者は大きくなる一方です。  そのために社会権が発達し、国内レベルでは先進国と呼ばれている地域に限っていえば、その差もだいぶ緩和されてきているように見えます。  一方、発展途上国のほうに目を向ければ、人々がどんなに一生懸命にがんばってみても、そのひぐらしの生活がやっと。  先進国に生まれたがためだけに何不自由なく暮らせる人々と、発展途上国に生まれたがためだけにその日その日を生きるのがやっとの人々。  この差はいったい何なのでしょうか。  だからといって、何の罪もない人を殺してもよいということにはならないと思いますが、ビンラディン氏があれほど無茶なことをやってもある程度国民に指示される理由がなんとなく分かります。    資本主義というのは人間が持っている悪い部分の本能を刺激しているシステムのような気がします。  この本脳と資本主義というシステムがうまくかみ合うことによって、人間の社会が格段に発展できたことは事実だと思いますが、これからは違うシステムを考えたほうがよいと思うのですが。

  • 軍国主義だぁと言う人は、なぜ卑怯な奴が多いの?

    質問の最初にまず確認しておきたい事があるのですが、『この地球上に住んでいるのは日本人だけではありませんよね?』 その通りだと思う事情通のみなさんだけ回答をお願いします。 それにしても『日本は軍国主義に進んでいる!!』という人間って、どうして卑怯な人間ばかりなんですかね? このような人間は政界にもマスコミ界にも一般社会にもいますが、この人達って、自分達の"ご立派な平和主義"の思想を世界中に広めようなんて気持ちがまったくありませんよね。 そのくせ、外国生まれのウーマンリブからスローフードなどの思想、運動などの猿まねだけは得意なんですよ。(笑) 『軍国主義だぁ!!』と言っている人達は、自分達の"ご立派な平和主義"を世界中に広めたらどうですか!? そのような世界的な活動があっての日本国内での平和運動ならば、私も耳を傾けますがねぇ!?(笑) 日本だけが平和主義でも、他国が軍国主義ならば、日本とその周辺、もっと広く世界中が平和になる事などありませんよね。 日本の平和主義の人達は他国に入っていって、積極的な活動をすればいいじゃないですか? その結果、その国で拘束されるような事になっても平和の為なんだから、まぁいいじゃない!?(笑) もしかして、軍国主義だと言っている人達は、『自分達の主張が世界の人達から相手にされるわけがない』、『そんな事を言ってたら、世界中の人達から笑われる』という事が内心わかっているんじゃないですか!? だから、日本国内だけで日本人相手にだけに『日本は軍国主義だぁ、平和が無くなる!!』なんて主張しているんじゃないんですか?(笑) 事情通のみなさん、どうなんですか?

  • 戦争=悪・平和=善という視点でのみ歴史を見る平和主義者

    政治家やマスコミの人のように、平和などの理念をもとに発言をし、主義など鮮明にする必要のある立場の人ならわかるのですが、そういう立場でもないのに、戦争=悪・平和=善という信念にこりかたまっていて、現代の価値観をやたら歴史に持ち込んだりして、歴史の見方に偏りのある人がいます。 こういう人と歴史を話題にするときの注意点を教えてください。 日本の近代をやたらに弁護して、無理のある発言をする人もいますが、こういう人よりも理想家や平和主義者のほうの対処法をお伺いしたいです。というのは、彼らは普遍的な価値観をもとに発言をしている、という考えをもっているせいか、かなり度し難い印象を受けるからです。