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仕事至高主義?について

noname#224207の回答

noname#224207
noname#224207
回答No.7

「仕事とか私生活とか誰とか区別無く、全ての物、事、人に誠実に真摯に向き合う。」 ということに関しては何も申し上げることはありません。 「どれだけ社会のためになるかという事を主眼に置いた目的意識を持っているか」の方が大切だと思っています。」 質問者さんご自身の「思い」については何も申し上げることはありません。 ただ拝読した文章全体の印象からしますと、常日頃、物事を、善悪、正邪、正誤、黒白と二元論でのみお考えになられておられませんでしょうか 常にAでなければBだ、とだけで思考を停止されておられませんか 価値観の多様性という言葉をお聞きになられて、黒白の間にグレーゾーンがあることだ、お考えになられていませんか。 Aでなければ、B、C,D、E、Fかもしれないとお考えになられたことはありますでしょうか。 日が昇る日が沈むと見る人と、地球が回っている、と見る人がいることは御存知ですよね。 この二つのみかたに関して、何をもってどちらを間違いとされそれを間違いと評価する目的はなんでしょうか 人が働いて報酬を得る、という行為をどのようにお考えでしょうか 社員は役務を提供した対価として財貨を取得している。 企業は財貨を支払う見返りに労働の成果を獲得している。 つまり、一人の社員にとっては、知的であれ肉体的であれ労働は商品であり、それを企業との間で売買している、という見方ができるということを御存知でしょうか。 自分が提供した労働という商品に満足な対価を支払わないのであれば、より高額な対価を支払う相手を探す、というのはごく自然な取引ではありませんか。 企業として支払う財貨に見合った成果を提供する人間を探すのはごく自然な営利活動ではありませんか。 自分で荷物が運べなければ、運ぶ能力を持った人間に依頼して、それに対する報酬を支払うことは日常的におやりになられていませんか。 同じ荷物を同じ距離移動することに対して、要求する対価が高い人間と安い人間がいたらどちらを選ばれますか。 同じ荷物を同じ距離移動させることに対して、より多くの報酬を支払う人と少ない報酬を支払う人がいた場合、より多くの報酬を支払う人の依頼を受けるのではありませんか。 経済活動というのはこのような原理で動いているのではありませんか。 以上のような見地からすれば「その人たちは仕事にかこつけて仕事に隠れた個人的な目的に邁進している訳です。」という解釈は妥当な解釈でしょうか。 「自分の生活の糧を得るために役務を提供している」という考え方は、人が生きて行いく上で不適切な考え方でしょうか。 「自分の家族を養い子供を養育するのに必要な経費を得るために役務を提供する」 「自分が達成したいことに必要な経費を得るために役務を提供する」 このいずれも糾弾され唾棄されるべき行為だとお考えでしょうか。 「必要最小限の役務の提供だけで最大の報酬を手にいれる」というのは人が生きていく上で不合理な考え方でしょうか。 会社の理念云々でだけ働いている人がいる訳ではないことを御理解願います。 特定の価値観に立脚して取捨選択する目的な何であるのか、その目的を達成することにどのような意味があるのか、立脚した価値観に齟齬はないのか、ということも併せてお考えになられることをお勧めします。 「どの会社も社会のために設立されている筈です。」 とされておられますが「会社」という言葉はどのように定義されているか御存知でしょうか 「会社とは、会社法により設立された,営利を目的とする社団法人のことをいう」とされています。 「学校法人」「宗教法人」「NPO法人」などと呼ばれる社団がありなぜ会社とよばれないのかを考えてみて下さい。 参考 会社(かいしゃ)とは - コトバンク kotobank.jp/word/会社-42462 社会のための社団とはされていません。 「会社が存続するための社会ではなく、社会が好条件で運営されるための会社である筈です」 とされておられますが、その会社の行動が結果として社会が運営されることに好条件をもたらすこともある、ということではありませんか。 社会が好条件で運営されるための会社であるのであれば、炭酸ガスを排出している会社は社会に好条件をもたらしている、とお考えでしょうか 営利目的で物を生産する際に排出される廃棄物の処理を一般市民の税で運営されている地方公共団体に請け負わせている会社は社会に好条件をもたらしているとお考えでしょうか。 もしもたらしていないのであればその会社は即刻社会から退場させらるべきではありませんでしょうか。 退場させることによって社会は成り立ちますでしょうか。 社会というのはあくまでもバランスの上で成り立っているのではありませんでしょうか。 冒頭に申し上げた二元論では成り立っていないのではないのでしょうか。 「いや、君の見方は違うよ!」と簡単には言い切れません。 違えば間違いだ、ということではありませんので御注意願います。

noname#207138
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 信じて頂けるかどうか解りませんが、二元的な思想を持っているのは私の周囲の人たちであり、私ではありません。 全く真逆の事を言い合っている二人を横から見ていると、お互いに間違った事を言っている人と言うのは稀で、距離や接点などを調節すれば各々が促進された状態で調和するのは良くある事です。 ある人が○○というのは言語道断だと思うが、別の人が同じ○○というのは全く異論がない。 など、TPOによって物事の受け取り方が異なります。 そして、私は基本的には対話相手から先ず始めにその人の「善」を聞き出し、その後でそれと現状が違っているのはなぜ?という話運びをするので、私が私の意見を押し付けるという形式で押し通す事はあまりありません。 ですから、私が評価しているのではなく、その人自身がその人自身を評価していると言う事になります。 >労働の売買という見方ができるのをご存知か。 >経済活動というのはこのような原理で動いているのではありませんか。 そんな中でこの質問は「考え方それで頂点ですか?それで良いのですか?」という問いかけになっているのです。 競争を否定するものではありませんが、世界観や価値観までがどっぷりそうなってしまっているのはどうでしょう?という問いかけです。 >自分の生活の糧を得るために役務を提供しているという考え方は~ 考え方には段階と言うものがあると思います。 同じ行為をしていても、人それぞれその行為に込める思いは違います。 世界は弱肉強食だぜ!という世界観を持って仕事をしていれば、同僚を騙す蹴落とすなどバレない範囲でやるべきという考えが当然生じ、そういう雰囲気は他者に伝わり、他者との信頼関係がぐらつき、疑心暗鬼が増す。 一方、世知辛い世の中だから仲間同士力を合わせて頑張ろう、取引相手とも上辺だけでない真心のこもった良好な関係を築いて行こうと思っていれば、言動がそうなりますし、雰囲気が相手に伝わり、信頼は増し、治安は良くなります。 まあ極端な例ですが、言いたい事は伝わるかと思いますがいかがでしょうか。 現状の資本主義こそが特定の価値観に立脚して取捨選択していると思っています。 なぜなら私の世界観、価値観は多くの人のそれと異なると日々感じているので。 多勢に無勢、私が私の世界観、価値観を声に出す事は稀です。 つまり押し付けている側は意識していないでしょうが、特定の価値観を押し付けられて日常生活を送っている訳です。 私の日常生活をご覧になれば、行っている業務は他の人たちと同じです。 ですから、実行動がどうこうという話をしているのではないんです。 最後のパラグラフですが、会社はその創立を嘘でも社会に貢献するものとしてうたっていると思います。 種類数多くある嘘の中でもこの嘘は赦しがたい分類に属します。 ※ちなみに「会社が存続するための~筈です」については送信する前から少し言い過ぎているかな~とは思っています。 ご指摘ありがとうございますと言いますが、かといって否定するものでもありません。 「やくざです。弱いものいじめをした時に、たまたまその弱いものがもっと弱いものを虐めていたなら、その最も弱い人からしてみれば良い人に見える事もする事があるかもしれませんが、それは目的の内では全くありません。やくざです。」 とうたって会社が設立されているならある意味問題ないんです(笑) 部屋の掃除をするにも汗をかき、その汗は揮発して壁や床にしみ込みます。 穢れゼロの掃除を行う事は不可能です。 でも、それでもみなさん掃除をします。なぜなら、掃除の際に出してしまう穢れよりも掃除によるクリーン効果の方が大きいからです。 何も悪い事ではありません。 回答者さまは私が二元論をもっていると半ば思い込んで全文をお書きになっていらっしゃると思うので、一つ一つに私の考えを書いてみましたが、私がこの質問で問いかけているのは「同じ行動でも心が違えば自ずと進路が変わって行きますよね。日頃から一歩また一歩と自身の世界観、価値観、考え方など反省して昇華させていくのがベターですよね?」というものと言えます。 改めて再考の上、ご回答をよろしくお願い致します。

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