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ヒラメキとは 天使のことかなぁ。

 この質問は  【Q:ヒラメキは どこから来るのか?】  http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa8930391.html  の余滴です。  西欧の神学で言う《天使》 これにけっきょくなるのではないかなぁ。  どうでしょう?

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noname#221368
noname#221368
回答No.19

 #17です。ありがとうございます。佐藤公一さんのPDFはダウンロードしました。こういうのはけっこう好物です(^^)。  次にまず補足というか、お詫びです。前回の私の回答の、 >>渦動理論は《デカルト力学》なんですよ。・・・これらを論証出来たのは、約50年後のニュートンだけです。 は、自分の妄想です。ニュートンはホイヘンスの事も当然知ってましたので、もしニュートンがこう考えていたら筋は通るよなぁ~と思っていた事を、調子に乗って書いちゃいました。従って、 >>・・・しかし間違いなりにもデカルトが、定性的には惑星運動の傾向と、「斥力としての」重力を説明できたのには、後から見ればそんな裏事情があります。 は明らかに言い過ぎです。デカルトの線運動量はベクトルではないので、渦動論でデカルトが行ったのは流量保存則に似た定性的な論証です。流体力学の流量保存則は、質量輸送法則といってもそんなに間違いではありません(質量はベクトルでないスカラーという意味です)。イメージは沸くでしょうか?(^^;)。  本題です。このまま行ってしまって良いのか?という疑問がわいたので、これをUPします。  このUPまで色々書きましたが、デカルトを凄いとは言ったかも知れませんが、デカルトが正しいとは一回も言っていないはずです。凄いとは、「良くもまぁ~ここまで考えたものね。ただし内容は別として・・・」という事です。  自分もあなたと同じように、「デカルトはそんなに大した事言ってないじゃない」という印象が出発点でした。にも関わらず、あんなに影響力を持ったのはどうしてだ?と、デカルトの事を調べ出しました。ただし哲学,人文系成果は自分の埒外です。物理理論への貢献だけに興味がありました。その結果、彼は人気者になれるだけの要素をかなり持っていたのだ、という事がわかりました。それがこのUPに至るまでに書いてきた事です。デカルト理論の正否とは無関係な話をしてきた、と個人的には思っています。  以上の断り書きは了承されたと仮定し、PDFに関して書きます。書きますが現時点の状況では余り突っ込んでも仕方ないと思えますので、次にとどめます。  何でもかんでも知っていたというつもりはないですが、PDFの内容くらいの事は過去に調べてお応えしています。デカルトの運動量保存則は確かに間違い(不十分)ですが、その概念はそれでも後世に大きな影響を与えました。  ライプニッツの批判はもっともですが、ライプニッツのモナド論にだって、デカルトと同じくらいに受け入れ難いところはあります。  同じ仮定のもとに、前回のお礼に関して書きます。 >私たちが今日、運動量保存則として知っているものは、デカルトのそれではなく、ホイヘンスの運動量保存則のもののようですね。  大学の物理学の先生なども、結構、間違って覚えているらしい。  そして、「デカルトが運動量保存則を発見した」と大々的に宣伝している。  ・・・知ってました。というか、それくらいデカルトは影響力を持っちゃったんですよ・・・(^^;)。 >デカルト大先生の運動量は、「大きさと方向を持ったベクトルでなく、大きさだけを持つスカラーであるというような」というそんな可愛いレベルの間違いではなく、致命的な間違いを犯している。  ・・・そうなんですが、それでも大先生の運動量は流行ってしまった・・・(^^;)。 >デカルト先生、どうやら、物質の衝突の実験をして、自身の説が正しいかどうかの確認をしていない。  アリストテレスとあまり変わっていない。  科学的実証精神が欠如している(笑)。  だからそう言ったじゃないですか(#16)。「デカルトの渦動理論が現実と合わないのは随所に指摘されていたにも関わらず、ニュートン理論が事実の説明において着々と成功を納めていたにも関わらず」、大先生以外の説明方式を、いっさい認めなかったデカルト派には、大先生の欠陥がそのまま引き継がれています。 >・・・あなたは「デカルトって、そんなに偉い人だったのかなあ」と言いましたが、偉い人だったのです。  ここまで来ると「偉い」の意味が微妙ですよね。内容の正否を根拠に、それも現在の理論基準に照らしてデカルトを判断するなら、全く偉くないです。  でも別の評価基準もあります。例えば「言いだしっぺとしての偉さ」です。フランス啓蒙主義の百科全書派の百科全書の中に、次の趣旨のような一文があるそうです。   ・デカルトは確かに間違っていた。しかし当時としては最良のものを彼は造った。それだけは認めよう.  上記意見に、自分は賛成なんですよ。

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。  ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~   でも別の評価基準もあります。例えば「言いだしっぺとしての偉さ」です。フランス啓蒙主義の百科全書派の百科全書の中に、次の趣旨のような一文があるそうです。   ・デカルトは確かに間違っていた。しかし当時としては最良のものを彼は造った。それだけは認めよう.  上記意見に、自分は賛成なんですよ。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ 詳しくは分からないながら 納得の行く見方ではないかと思いました。   《何ごとも最初がむつかしい》という感慨を交えた見方です。この点には 敬意を表さねばならないとは ――デカルトとは別にですが――前々から思って来ましたから。  すっきりしました。ありがとうございます。  いまひとつお聞きしておきたいということがあるとしたら それは今回に触れておられないアリストテレス関連です。  ちょうど直前のNo.18・あめんほてぷさんとのやり取りで はなはだ非自然科学的な考えではありますが アウグスティヌスのアリストテレス批判を載せました。  大地と天空とのあいだの四層とそしてさらにその上の五番目の天の問題。  五番目の天なる視点から見れば あとの四つの層はみな一様・無差別として見ることが出来るのではないか。こういう批判点・論点です。  つまり コギトについて アウグスティヌスからその《あやまつ(欺かれる)なら われあり》なる命題を焼き直してそれを得た(cf. No.8補足欄)のなら このアリストテレス批評についても《活用・応用》すればよかったのにと言えると思うのですが どうでしょうかねぇ。  つまり全体として言って:  デカルトについては 果敢にフロンティアを開拓した功績がある。  ただし デカルトあるゆえに ニュートンがあり得たと言うところまでには行かない。  塀の向こうに落ちて行くことはなく ニュートンの側・こちら側に戻って来る。    総評・総括をどうぞ。  なお やはり直前の回答のなかであめんほてぷさんが アリストテレス関連でその《目的論・目的意識ということ》について でーでーてーさんはどうお考えですかと尋ねておられますよ。

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その他の回答 (19)

noname#221368
noname#221368
回答No.9

 #7です。 >☆ ずばり問題点を挙げますが――おっと お久しぶりですが こういうタイミングで(つまり すでに《おまけ》の段階で)おとづれるんですね。  ・・・いやその、一昨日まで2週間ほどスノーパラダイスの住人になっておりまして、きのう人間界に復帰した次第です(^^;)。 >1.☆ わたしの見解では まづ《記憶行為》というのは すでに整序立てた収納になっていると思うんです。  賛成です。意図したしないに関わらず、例えばその時々の気分などに従って、そうなるはずです。 >2. もしそこから出発した上でとすると すでに整理整頓されている知識や情報の中から 《目的意識に従って》 或る種の仕方でいろんな場所のいろんなファイルから《雑多に資料とすべき情報が集められる》という意味でしょうか?  自分は低レベルな研究者でもありますが(研究職ではない(^^;))、何か問題を見つけたら「関係ありそうだ」という「目的意識」に従って最初は、とにかく手当たり次第に情報を集めます。そういう意味では、いろんな場所のいろんなファイルから《雑多に資料とすべき情報が集めます》。 >3.~11.  いちいちそうだと思います。初動としては目的に従って、ある程度の方向付けをするかも知れないが(それをやらなかったら、効率が悪すぎる)、しかしその後の内実は3.~11.のようだと思えます。だから、手当たり次第に情報収集です。  特に、 >3. でもね。この目的関連の情報を《雑多にせよ》集めるのは じつは・じつに おのれの意識や意図によってではないと考えるのです。記憶という行為能力が自由に勝手にはたらくのだと思うのです。 については、一家言あります。  私はプロのプログラマーでもありました(一年前まで)。プロのプログラマーは自分の専門領域であってもけっこう、物知らないのです。重要なのは、リファレンスマニュアルのどこを読めば必要情報が手に入るかを知っている事です。マニュアルの逆引き索引データベースを頭の中に構築できるかどうかが、かなり致命的に重要なんですよ。  それを行う最も良い方法は、「内容を覚えなくても良いから」、500ページであろうが5000ページであろうが「とにかくリファレンスマニュアルを読みとおす」事です。そうやって、何が可能かのイメージを貯める事でした。そこに「これが出来なきゃおまんまの食い上げよ」というストレスが加わると、逆引きデータベースが俄然活性化し出し、論理手順の脈絡が浮上します。  そしてやっぱり3.なのですが、これが「気づきの時」を言葉にしにくい最大の理由だと思います。周辺記憶のネットワーク化がなった時には同時に、既に答えは見えているからです。その直前の「浅き夢見し」状態を漠然とながらも言葉にすると、前回の話になる気がします。  研究者として何かの問題を見つけた時、そりゃ~普通に、あ~でもないこうでもないと試行錯誤しますよ。でも貧弱な経験ですが、正しい事をやり出した途端、「上手く行く!」という「予感」を感じる事があり、ほとんど正解でした。そういう状況では、時を経つのも忘れています。計算が終わっていなくても結果が見えているんですよ。論理と感覚が一致する、幸福な瞬間です。こう言ってよければ、「気づきの時」は「天使」のように舞い降ります。  よって閃きの基本は、適切な問題意識をどこまで先鋭化させるかだと思います。同じ問題を寝ても醒めても考えていると、「気づきの時」は覚醒時だけに訪れるのではないみたいです。本で読んだのですが、夢の中で問題が象徴的に解決され、目覚めた時には「出来る事がわかっていた」という話です。  で、目が覚めたあと論文を書き出すと、まるで自動書記霊動がのり移ったかのように(本人は)ほとんど考える事もなく論文が出来てしまったそうです。そんな境地には達した事はないですが、あり得ない話ではないと思います。  と言う訳で12.です。どっちかというと(感覚的にいうと)、意図してないのです。もちろんその準備段階は、いいだけ意図してやった訳ですが、上手くいけば結果は望外という訳です(^^;)。 >★ デカルト[・・・]は数学的宇宙論を提出します。  ☆ そんなもので ニュートンの先駆けとなり得たのですか?  少なくともケプラー,ガリレイ,デカルトの先行する結果がなかったら、いかにニュートンといえど運動方程式は提出できなかったと思えます。逆にケプラー,ガリレイ,デカルトがいて、ニュートンはいなかったら?。  運動方程式の提出は、もう一世紀遅れていたのだろうか?。17世紀イギリスという絶妙な時代配置に、ニュートンという特異な個性が絶妙なタイミングで出会った結果だと、自分には思えます。

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。  パラダイスですって?  ま いいとして 沙羅ちゃん 凸凹道ですね 今シーズンは。  ★ と言う訳で12.です。どっちかというと(感覚的にいうと)、意図してないのです。もちろんその準備段階は、いいだけ意図してやった訳ですが、上手くいけば結果は望外という訳です(^^;)。  ☆  そう来なくっちゃ。  と言っても これは 誘導尋問ではありません。  しかも これは 論理的にも実験的にも あまり合理的な証明はしにくいかとも思います。  感触のようなものとして 《いやあ これは とてもおれが自分で考え出したこととは思えないし言えないなぁ》といった声が 多くあつまればよい。としていいんぢゃないですかねぇ。  (批判の声が上がった時には ただちに反応し対応します)。    ★ 少なくともケプラー,ガリレイ,デカルトの先行する結果がなかったら、いかにニュートンといえど運動方程式は提出できなかったと思えます。  ☆ よっしゃ。分かった。  ただし デカルトは どのくらいの割り合いで貢献しとるんぢゃいの?  三分の一ですか? それ以上ですか?    その解析幾何とやらで そんなに偉いんですか?  

bragelonne
質問者

補足

 ねむねこさんが 次の参考文献をおしえてくれましたよ。  ○ デカルト座標はなぜデカルト的か  http://www.systemicsblog.com/ja/2011/cartesian_coordinate_system/  ☆ 解析幾何学を デカルトが創始したわけではないとのこと。  すでに縦軸と横軸を用いる座標のような表示の仕方は昔からあった。  ただし この座標を いま用いている意味において捉えるその視点は デカルトが哲学として考えたことにもとづくのだと。それは 神の存在証明の仕方によると。  でも デカルトのと言わず 神の存在証明は けっきょくそうかも知れないしそうでないかも知れないといった反応を示す以外にない代物としてしか意味が無いとわたしには思われます。これを いま少し問題として行きたいとは考えます。  ○ 関数記号の歴史   https://www.shinko-keirin.co.jp/keirinkan/kosu/mathematics/qanda/03-06.html  ☆ これによると 開発したのは ライプニッツおよびオイラーであるとのこと。  ○ ヰキぺ:渦動説   http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%A6%E5%8B%95%E8%AA%AC  ☆ 近接作用説と遠隔作用説。デカルトとニュートン。対立していたそうぢゃないですか。  フランスの調査隊が 地球は 赤道あたりが回転楕円体になるというニュートンの説を証明したというぢゃないですか。それに対して:  ▽ デカルトの説では、宇宙に渦巻く微小物質に押されて地球の形は極方向に伸びた回転楕円体(長球)になる。  ☆ ただし 次のように揺り戻しの一面もあるそうですが。  ▽ ニュートン自身は、後に重力というのはエーテルの流れが引き起こしているのかも知れない、とも考察した。  ▽ また20世紀になりアインシュタインによって一般相対性理論が提唱されたが、これはある意味で近接作用論が復興したような面も備えている。  あとは 分からないままに言いますが:  ○ デカルトには 加速度の概念がないそうですね。  ○ ニュートン力学の系譜では フェルマーやホイヘンスの名も挙がっていますよ。    けっきょく デカルトについては その・神の存在証明を批判すればよい。と考えるようになりました。  とりあえず このようなご報告になります。

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回答No.8

ヒラメキの由来するところが、天使だという、いかにもあなたの言いそうなこと。 私だったら、脳に由来すると言いたいところです。 ところで、あなたはパスカルはデカルトを擁護していると言いましたが、思想史の本によるとデカルトはイエズス会の設立したラ・フレーシュの学院で神学を学んだ人間、パスカルはヤンセン教団の本拠ポール・ロワイアル修道院に近く、ヤンセン教団は親・デカルト派だったから若いときデカルトの勧めで「真空実験」をやったくらいで、デカルトに共感していたが、「パンセ」を書くころにはデカルトには許せないところがあると思い、一転してデカルト批判に回ったとあります。 デカルトは初期の頃にはキリスト教にシンパシーを抱いていたが、「方法叙説」や「省察」を書くころには数学的自然科学と機械論的自然観に向かうことになり、キリスト教から離れて行ったので、その点、逆に自然科学者からキリスト教信仰に入って行ったパスカルとは交差して反対方向に向かったので、それがパスカルをしてデカルトを許せないと考えさせたのであり、パスカルはデカルトを擁護なんかしていないと思います。 パスカルは宇宙の無限を脅威に感じましたが、デカルトは宇宙を無限でなく、無際限と考えていたので、また空間を一様なもの、無差別と考えていたので、脅威なんか感じていませんでした。 そしてパスカルはデカルトの考え方を幾何学的精神といい、自分の考えを繊細な精神といい、対置しました。 そんなに違う両者なのに、どうしてパスカルがデカルトを擁護しなければならないのですか? その根拠を説明してください。 それと私はデカルトのことなら、その4巻からなる著作集でだいたい理解していますが、それを編纂した野田又夫は「デカルトとパスカル」という論文で、「われ思う、ゆえにわれあり」がすでに聖アウグスティヌスが言っていたことだというのに反論して、以下のように言って区別しています。 「デカルトの哲学の原理であった、<われは考える、ゆえにわれはある>という名高い命題について、人々はすでに昔アウグスティヌスが述べたことである、と評したが、この時パスカルはデカルトを弁護して次のように言った。同じ言葉をただ偶然に述べるのと、それについて長く広く、その言葉の中に数々の帰結のみごとな系列を明らかに認めるのとは違う」(幾何学の精神について)と。 野田又夫は、「そしてパスカルはアウグスティヌスに対してデカルトを弁護する半面、デカルトがその自然学で無益な仮説を多く作っている、という意味のみならず、デカルトの思想体系が無益で不確実といって、無益というのは信仰に役立たない、という意味であり、パスカルの考えでは確実性は神の恩寵によってしか与えられないと考えていたからである」といっています。 そして事実、デカルトは「方法叙説」では、「われ思う、ゆえにわれあり」と言いましたが、次に「省察」を書くときに、その原稿を同時代の神学者・哲学者である、ホッブスやガッサンティーなど5人に原稿を回覧し、意見を聴取し、それを「省察」の後に、「反論と答弁」という形で付録として追加していますが、その中で友人のメルセンヌ神父から「ゆえに」などというと推論と間違えられるという忠告を受け、「省察」では、「ゆえに」を削除し、「われ思う、われあり」と訂正して、それを推論ではなく直観であるといっています。 さらにデカルトは「哲学の原理」で「われ思う、ゆえにわれあり」について解説し、私が存在せずしてどうして私が思うことがあろうか、私が存在するのは自明ではないか、と言っています。 つまり「われ思う、ゆえにわれあり」は私の存在を自明な前提に置き、私の思考と私の存在が同じこと、両者が一致するということを言っています。 そのために、デカルトは「ゆえに」という言葉を削除したのです。 果たして、これが聖アウグスティヌスと同じことを言ったと言えるでしょうか? デカルトのいうそれは「思考と存在が一致する」という真理観を述べたもので、古代のアリストテレスから、真理というのは「思考と存在の一致」ということが言われてきました。 ただし、アリストテレスの経験的な考えでは、「思考と存在が一致する」ためには観察と経験が必要でしたが、デカルトは経験に照らし合わせることなく、先天的かつア・プリオリに一致すると言ったものでした。 ではなぜデカルトは「思考と存在が一致する」、しかも経験を要せず、先天的・ア・プリオリに一致すると言ったのか? それはデカルトの教育、カトリックの最高学府ラ・フレーシュの学院で、8年間も在籍して神学を学んだことによります。 デカルトはこの世界を神が創造したということを固く信じていました。 そしてその神が人間に「生得観念」としての理性を付与したのであり、だから人間の理性的認識は文句なく・無条件に明証的であり、そしてその神が人間を欺くことはあってはならないので、明晰かつ判明であると考えていました。 そして人間の思考と存在の一致は神がそれを正しいものとして保証しているのだから、正しいのだと考えました。 デカルトは「方法叙説」で、世界の存在を疑い、世界なんて存在しないかもしれない、もしかしたら悪魔がいて、その悪魔が私をして世界が存在しているように思わせているのかもしれないといい、世界の存在を懐疑し、「われ思う」という私の思考・意志・感情・感覚などの内的体験の存在は絶対疑うことはできないと言い、哲学の出発点として私の思考を取り出し、そこから世界をあたかもユークリッド原論のように公準・公理から定理へと必然的に推論して自然・世界というものを数学的体系として構築する、普遍数学を構想しましたが、私の思考が確実だというだけでは、私の存在が確実であるとは言えず、それは単に私の思考が確実だと言っているだけで、私の存在まで確実だというわけには行かず、外的世界が存在すること、私が存在することを言うためには神の存在を必要としました。 そして「省察」の第3章と第5章で神の存在証明をすることとなりました。 第3章が神の結果からする存在証明、いわゆる神の自然神学的証明で、第5章が神の存在論的証明です。 そして神の存在が証明されたならば、その神が自然や人間を創造したのですから、外的世界の存在も、また私の存在も証明されたことになります。 このような複雑な手続きを経て、デカルトはようやく世界と私の存在に到りついたので、パスカルがアウグスティヌスに対して、デカルトを弁護し、「長く広く、その言葉の中に数々の帰結のみごとな系列を明らかに認めるのとは違う」と言ったのも、分かるのではありませんか? そしてデカルトは前にも言ったように、哲学者である前に、何よりも数学者・自然学者(自然科学者・物理学者)だったので、17世紀の「科学革命」の立役者でもあったのです。 解析幾何学の創始者であったばかりでなく、「慣性の法則」の発見者でもあり、それまでのアリストテレスの「自然学」の世界観、地上の空間が四層に分かれていて、互いに違った法則で運行されていて、地上の空間と天上の空間が別な空間と考えていたのを地上の空間も天上の空間も、同じ一様で無差別な空間と考えることでニュートンの絶対空間の考えを先駆けてそれを地ならしした人なんです。 デカルトがいなかったら、ニュートンの古典力学もなかったし、私たちの考える、天体観・宇宙観もなかったのです。 あなたは「デカルトって、そんなに偉い人だったのかなあ」と言いましたが、偉い人だったのです。

bragelonne
質問者

お礼

 こんばんは。ご回答をありがとうございます。  順に反応してまいります。  ★ ヒラメキの由来するところが、天使だという、いかにもあなたの言いそうなこと。 / 私だったら、脳に由来すると言いたいところです。  ☆ (あ) 少しニュアンスがちがいます。日本人がヒラメキという言葉で表わしている心的(感性的?)現象は 西欧人が神学で《天使》という言葉を使うときの啓示なり黙示なりに相当するのではないか。と言っています。  (い) 脳細胞は ヒラメキが起きる所です。  いまその《由来》を問い求めています。  (う)  ★ パスカルはデカルトを擁護なんかしていないと思います。  ☆ これについてはすでにまとめてありますから 補足欄に掲げます。《擁護しています》よ。何時ごろかは分かりません。    (え)  ★ パスカルはデカルトの考え方を幾何学的精神といい、自分の考えを繊細な精神といい、対置しました。  ☆ パスカルは 両方の精神が必要だと言っていますよ。  (お)  デカルトのとは言わずに 神の存在の証明は 無理です。存在しないことの証明も 無理です。  証明できたときには その人間の持ち得た論理の中に 神がおさまることになります。    ということは 神はただの観念であることになり 取りも直さず 人間がこしらえた想像の産物だということになります。ばかげていると思われませんか?  (か)  アウグスティヌスは 信仰が――非思考の庭なる信仰の動態が――思考や感性に先立つという命題ないし前提を置いています。これは 神の存在を論証しようとするのではなく そうではなく 《非経験の場 つまりその概念内容としては 非知》として想定したことを意味します。  そのようには言っているのではありませんが 信仰を思考や感性よりも先行させていることにおいて 潜在性としてすでに言っているかたちになるはずです。  (き)  デカルトの自然科学における貢献については 誰かにたずねてみます。

bragelonne
質問者

補足

 ○ デカルト;パスカル;アウグスティヌス  アウグスティヌスの《われ あやまつならば われ有り( Si fallor, sum. )》から デカルトが 《われ考える ゆえに われ有り( Je pense. donc je suis. )》を導き出したことには 独自性があると パスカルが議論しています。  ● (パスカル:デカルトのコギトについて)~~~~  わたしは公正な人々に尋ねたい――とパスカルは言う―― 《物質は自然にかつ絶対に 思考する能力を持たない》という原理と 《わたしは思考する ゆえに わたしは存在する》というそれとは 果たしてデカルトの精神においてと 同じことを千二百年前に言った聖アウグスティヌスの精神においてと 同一であろうか。  (パスカル:《幾何学の精神について》2. 1657)  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  パスカルは デカルトの《コギト エルゴ スム》という《原理》は アウグスティヌスの《われあやまつなら われ有り(われ欺かれるなら われ有り。 Si fallor, sum. )》の焼き直しであるが 独自性があると言おうとしている。  アウグスティヌスの語るところは たとえば次のようである。  ◆ (アウグスティヌス:あやまつならば・・・) ~~~~  だから 精神は自己自身をよく知るようにという命令を聞くとき 自己自身をよく知ることに何ものも付加してはならない。  ・・・だから精神は 知解力が存在し 生きるように 自己が存在し 生きることを知っている。だから 例えば 精神が自己を空気であると思いなすとき 空気が知解すると思いなすのである。しかも 精神は自己が知解することを知っている。  精神は自己について思いなしているものを分離せよ。自己について知っているものを認めよ。   ☆(ぶらじゅろんぬ註) 念のために この点についてのデカルトの文章です。――   ▼ (デカルト) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~   そして最後に われわれが目覚めているときにもつすべての思想  がそのまま われわれが眠っているときにも またわれわれに現われ  うるのであり しかもこの場合はそれら思想のどれも 真であるとは  いわれない ということを考えて 私は それまでに私の精神に入り  きたったすべてのものは 私の夢の幻想と同様に 真ならぬものであ  る と仮想しようと決心した。   (方法序説 4)  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  それにも拘らず すべての精神は自らが知解し 存在し 生きていることを知っている。しかし精神は知解することをその知解するものに関係づけ 存在することと生きることを自己自身に関係づける。  さて 生きていないものは知解しないし 存在しないものは生きていないことを誰も疑わない。   ☆ この点をデカルトは 《物質は自然にかつ絶対に 思考    する能力を持たない》と言ったと パスカルは書いていた。  だから 必然的に 知解するものが存在し 生きていることは 生存しない死体が存在するようにではなく また知解しない動物の魂が存在するようにでもなく 独特な したがって卓越した仕方による。・・・  さて 生きる力 想起する力 知解する力 意志する力 思惟する力 認識力 判断力が 空気(*あるいはその他の元素)であるのか・・・どうか人々は疑ったのであった。  或る人はこれ 或る人は他のことを主張しようと努めた。それにも拘らず 自分が生き 想起し 知解し 意志し 思惟し 知り 判断することを誰が疑おうか。たとい 疑っても生きており 疑うなら なぜ疑うのか 記憶しており 疑うなら 自分が疑っていることを知解し 疑うなら 彼は確実であろうと欲しているのだ。疑うなら 彼は軽率に同意してはならないと判断しているのだ。  それゆえ 他のことを疑う人も精神のこのすべての働きを疑ってはならない。もし この精神の働き(*または《われ》)が存在しないなら 何ものについても疑うことは出来ないのである。・・・   (アウグスティヌス:三位一体論10・10 c.399-421)  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  もう少し つづります。途中に差し挟んだ引用文のあとつづけて デカルトが:  ▼(デカルト) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  そうするとただちに 私は気づいた 私がこのように すべては偽である と考えている間も そう考えている私は 必然的に何ものか〔の存在〕でなければならぬ と。そして 《私は考える ゆえに私はある》というこの真理は・・・  (方法序説 2)  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  と書いたことは よく知られているところである。  これらに対してパスカルは このアウグスティヌスからのデカルトの独立性を ある別の議論(つまり幾何学と論理学との関係について)の途中に一例として 軽く触れた。  ● (パスカル) ~~~~~~~~~~  デカルトがこの偉大な聖者(アウグスティヌスのこと)を読むことによって初めてそれを知ったにしても 彼(デカルト)がそれの真の唱道者でないということは わたしには実際 思いもよらぬことである。・・・  なぜなら デカルトがその志向において果たして成功したと想定し この想定の上に立って この言葉が彼の書物にあっては 他の人々が偶然に言った同じ言葉と違っていること あたかも生命と力とに満ちた人間が死人と違っているのと同様であると わたしは言いたいからである。  (パスカル:幾何学の精神について 2)  ~~~~~~~~~~~~~~~~~  パスカルは アウグスティヌスが 上に引用した文章のことばを《偶然に言った》と述べて けなしているのですが 大目に見ておきましょう。  《あやまつなら われあり》というとき あやまちに気づいたわたしは とうぜん そのことを 振り返って 考えます。原因について。相手や情況について。等々。その考える主体は あやまちに気づいて いわば我れに還った我れであるのですから そこの部分だけを取り出せば 《考えるとき われあり》となるはずです。  デカルトのコギトに独自性はあるのか?  アウグスティヌスの命題の一部分を成すとも言えそうであるが その部分的な命題を全面に推しだすならば また別の思想となるはずである。  * 《ゆえに》を取り除くならば 単なる感想であると思われます。ただし 《わたしは有る》という公理のような命題になると思われるので マチガイだと言ってしりぞけるわけには行かないというワケアリの思想になるとも考えられる。・・・

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noname#221368
noname#221368
回答No.7

 コメントです。  ヒラメキについては以前述べたように、ある目的意識に関わる周辺記憶のネットワークがもとになっている、というのが自分の意見です。周辺記憶は当初雑多だが、目的意識によりそこに座標軸を入れると、雑多なものが志向性のあるネットワークとなり、自ずと気づいた時が閃いた時だと。  それは目的意識により雑多な経験の調和点に気づく事だが、これは多分に感覚的なものに依存し、日本人はそういう調和点を感じる事に長けているように見える、というのも同様です。  閑話休題、   http://okwave.jp/qa/q8930391.html の#13さんの解説ですが、概ね賛成です。  デカルトについて言うと、思想史上はわかりませんが、科学史上ではやはり避けて通れない人です。世界は数学的に出来ているという思想(思い込み?)を、ヨーロッパに根づかせた人だからです。  当時のフランスはヨーロッパの文化中心であり、そこで一般教養にまでなったデカルトの宇宙論は、なお残っていたアリストテレス的自然観を駆逐するくらいの衝撃を持っていました。けっきょく宇宙論は、ヨーロッパ大陸の知識人の一般教養にまでなります(イギリス除く)。  その中で彼は、世界は数学的被造物である事を、ア・プリオリに肯定します(つまり私念します)。心身二元論も、エリザベートさんは確かに鋭いのですが、今だってやってる事はそうは変わらないのかも知れません。  心の病と思われていた鬱病の物理的要因を探ってみたら、じつは神経伝達物質の濃度の薄さだった、なんて結果が今では出てます。また公式には神学色は払底されましたが、物理法則は数学的に読み解く事が有効だという信念も、未だに続いています。  心身二元論も、「われ思う故に我あり」も(←語弊のある訳だと知ってます)、先の私念と無関係ではないように思えます。じっさい宇宙論の中で彼は、「われ思う故に物あり」と解釈できそうな事を言っています。  しかしデカルトが、ニュートン力学の下地を作ったのは確かです。というかニュートンは、それ以前のあらゆる結果を統合したふしがあります。代表的なところでは、ケプラー,ガリレイ,デカルトです。  特にケプラーの3法則は、万有引力の法則の形成に決定的な役割を果たしたと思われますが、じつは当時ほとんど誰も知りませんでした。その頃の科学技術情報センターだったメルセンヌさえ知らなかったくらいです。古典にも通暁していたニュートンは、ケプラーの3法則をどこかで掘り当て、プリンピキアの中で完璧な形で応用します。それらがケプラーのものだとは一言も述べずに。現在では明らかな剽窃ですが、当時はどうでも良かった訳です。  同様に、ガリレイ,デカルトに優先権があると考えられる記述も多く見られます。  ニュートンは超弩級の計算職人で数学者でもあります。その力量は、ガウスなみという印象を受けます(方向性は違いますが)。すぐれた数学者は、内面化された論理力とでも言うべき数学的感性を持っていると思えます。ニュートンは周辺記憶から力学法則という調和点を感じ、それ以前の未整理の力学的諸結果をネットワーク化したとも言ってみたくなります。  ちなみにデカルトの数学的宇宙の根底には、機械論的自然観がありました。それはガリレイも同じだったのですが、ガリレイの数学は宇宙を読み解く方法だったのに対し、デカルトのそれは宇宙の原理でした。それで一方は近代的実験思想を提出したのに対し、他方は数学的宇宙論を提出します。  調和点の感じ方は、ひとそれぞれの感覚なんだなと思います。

bragelonne
質問者

お礼

 ★ [・・・]周辺記憶は当初雑多だが、目的意識によりそこに座標軸を入れると、雑多なものが志向性のあるネットワークとなり、自ずと気づいた時が閃いた時だと。  ☆ ずばり問題点を挙げますが――おっと お久しぶりですが こういうタイミングで(つまり すでに《おまけ》の段階で)おとづれるんですね。ご回答をありがとうございます――   1. ★ 雑多なものが志向性のあるネットワークとなり  ☆ わたしの見解では まづ《記憶行為》というのは すでに整序立てた収納になっていると思うんです。  2. もしそこから出発した上でとすると すでに整理整頓されている知識や情報の中から 《目的意識に従って》 或る種の仕方でいろんな場所のいろんなファイルから《雑多に資料とすべき情報が集められる》という意味でしょうか?  3. でもね。この目的関連の情報を《雑多にせよ》集めるのは じつは・じつに おのれの意識や意図によってではないと考えるのです。記憶という行為能力が自由に勝手にはたらくのだと思うのです。  4. なぜなら 《目的》とはほとんど関係のない事柄からも情報を資料として集めるはずだからです。  5. そのあと《志向性のある情報組織または組織的な情報となる》。そしてこれは おそらくまだ自分は その《ネットワーク》が資料の集合として用意されたということを知らないはずです。  6. それとは別に 資料が欲しいという思いとそれによって 過去の知識の蓄積からの選び出しを自分は求めているのだという意識と自覚がある。そしてそこまでだと考えられるのではないでしょうか。意志によって知解行為をおこなっている範囲は。  7. あそこの資料が欲しいとか あのときの経験にちなんだ情報からこれこれの資料が欲しいとか そういった具体的な欲求と問い求めをも持って いろいろ考えてもいるでしょうけれど それは 自分が人間の思考の及ぶ限りで《目的》と関連すると捉えた内容に限ります。    8. つまり言いたいことは およそおそらく最終的にこれこれの資料が役に立ったとか まさにずばり求めていた事柄であったとかいう場合の資料は おのれがけっきょく何ら予期も推測をもしていなかった内容であった。という場合こそが ヒラメキという現象だと考えるからです。  9. つまりは 過去の知識や情報の集積の中から資料が選ばれて来るにしても その選びや これとそれとを結びつけたというやはり選択 そういった重要な役割りを果たしたことについては おのれのあずかり知らないところで起きていた。となるのではあるまいか。  10. つまり単純に言っても このアイディアは おのれがかくかくしかじかの形で考え編み出したのだという場合は それは ヒラメキとはあまり言わないのです。思索に属します。  11. おのれが決して考えても思ってもみなかったことを内容とするのが ヒラメキではないのか?  12. いわく:  ★ 自ずと気づいた時が閃いた時だと。  ☆ この《おのづと気づく》というのは 《意図して意識しておのれの思考と予測の範囲内で》という意味ですか どうですか?  ★ デカルト[・・・]は数学的宇宙論を提出します。  ☆ そんなもので ニュートンの先駆けとなり得たのですか?

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  • a_hona
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回答No.6

ここを擁護するわけでは無いが。 博士マークの物知りな回答者が、ヤフー知恵袋はここよりも優れているというので、楽しみにして覗いてみたら、毛色が違うだけで、やさぐれたジョークの飛ぶつまらないQAや、哲学でもなんでもないQAが大半を占めていた件について。 そして、学術的な質問には回答が集まって無かった。 また、自分達がカキコしているカテゴリについて、ゴミ溜めなどと自虐的な評価を下している者がいるのもここと同じだった。 優れた場とは、真摯なひたむきさを持った人が、自分で見つけたこころからの問いを発せられるような場を言うのではないかな。数の多さや質の問題ではなく、信頼の問題だと私は思います。

bragelonne
質問者

お礼

 お笑いだったようですね。  もうわたしが見に行く必要もなさそうです。  ご回答をありがとうございます。

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回答No.5

私はずっとこれまでヤフーの知恵袋で回答してきたので、あっちはカント哲学だとか、デカルトだとか、ヘーゲルだとか、ヴィトゲンシュタインだとか、フッサールだとか、そういう質問が多いけど、たぶん学校で課題が出されて、ヤフーで回答をもらって、それを提出しようという学生が多い感じで、それに比べるとこのOKウエイブはあなたが「牢名主」をやっているせいかスピリチュアルのような質問が多くて、デカルトだとかカント哲学の質問というものをほとんど見ません。 ヤフーはメジャーだけど、OKウェイブはマイナーというかローカルっていう感じ。 私があなたの質問に対して、デカルトのことを話したら、デカルトのことをほとんど知らないのか、「デカルトって、そんなに偉い人かなあ」なんて言うのを聞いて、OKウエイブって、レベルが低いのを感じました。 たとえば、ヤフーだと、デカルトの「われ思う、ゆえにわれあり」が間違いだってことは、たいていの人が知っている。 なぜなら、私が思うからと言って、確実なのは私が思うという思考だけであって、私の存在まで確実だというわけではない。 私は存在しないかもしれないし、私が思うからと言って私が存在することが証明されるわけでもない。 ヤフーの閲覧者も回答者も、みんなそんなことは知っている。 デカルトの心身二元論が、今では通用しないことも、たいていのヤフーの閲覧者なら知っている。 こんなことを言うと怒るかもしれないけど、ヤフーの方が哲学のレベルが高い。 いのま大学の学生はカント哲学と倫理学の課題が多く出されるのか、それに関連した質問が実に多い。 おかげで、私もカント倫理学をずいぶん学びました。 OKウェイブってのは、学生が学校の課題を質問してくるところではないのか、そういう質問がほとんどない。 ヤフーは質問の数からしても、1日に30~40個あり、実にめまぐるしい。 回答に手間取っていると、アッという間に過ぎて行ってしまう。 とにかく質問の数が圧倒的に多い。 OKウエイブは質問する人の顔ぶれが、ほとんど固定している。 だから多様な回答があまり見られない、バライエティーに乏しい。 その点、ヤフーはいろんな人間が入ってくるから、実に面白い。 あなたの質問も、自分はキリスト教徒ではないと言いながら、キリスト教や聖書の質問が多いし、スピリチュアルの質問が多いし、「非経験の場」だとか、「非経験の庭」だとか、ドゥルーズの聞きかじりみたいな、訳の分からないコケオドシを盛んにふりまいて煙に巻き、精神・精神と連呼しているだけで、何を言っているのかさっぱりわからない。 私はもう嫌気がさしてきました。 まあ、トットと消えた方がいいのかもしれませんね。 もう、ヤフーに戻って、そっちでやらせてもらいますよ。 このOKウエイブはIDをいくつも変えられないんだね? 私はヤフーでは、6通りのIDを駆使して回答しています。 しかも、1か月ごとにIDを一新している。 嫌がらせが多いんですよ。 特にベストアンサーを出したりすると、嫌がらせが殺到する。 それを避けるために、IDを絶えず変更しなければならない。 まあ、そういう点では、OKウェイブの方が紳士的で、脅迫だとか、恫喝がないだけいいと思いますが(笑)。

bragelonne
質問者

お礼

  《 Je pense, donc je suis. ( Cogito ergo sum. )》  は   アウグスティヌスの     《 Si fallor, sum. ( If I err, I am. )》  の《焼き直し》だとパスカルが言っています。(パスカルは デカルトを擁護しているんですが)。  このことに ひと言も触れない解説にお情けを加えただけ。  あとは 直後の回答で あ_ほなさんがくわしく応答してくれています。  ★ 訳の分からないコケオドシを盛んにふりまいて煙に巻き、  ☆ つつも  ★ 精神・精神と連呼している  ☆ などということは さすがにない。  まづ相手の文章をしっかりと把握することから始めなくてはいけませんね。どこに行っても。  ご回答をありがとうございます。

bragelonne
質問者

補足

 ★ 「非経験の場」だとか、「非経験の庭」だとか、ドゥルーズの聞きかじりみたいな、訳の分からないコケオドシ   ☆ ドゥルーズは 何と言っているんです?  『アンチ・オイディプス』のバカらしさに ドゥルーズは二度と読むまいと決めたまま いままで来ています。

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noname#205477
noname#205477
回答No.4

水を差すことだけが あなたの胸の内に渦巻いている。       ↑ そうですかぁ!? じゃあ 誰に聞けば 明確 正確な答えが出るの!? 誰もが知らないし インスピレーションは電波と同じで見えないのだから・・・ でも 見えないと言う事は 精神(心)に 直接語りかけてるって事だけは解かるかもね(#^.^#)

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  • a_hona
  • ベストアンサー率21% (95/444)
回答No.3

http://blogs.yahoo.co.jp/haruhisa1212/GALLERY/show_image.html?id=http%3A%2F%2Fblogs.c.yimg.jp%2Fres%2Fblog-b5-c9%2Fharuhisa1212%2Ffolder%2F1082210%2F78%2F41213778%2Fimg_0%3F1295894768 焼失した絵の写真。 この絵は天使が馴れ馴れし過ぎるということで、もう一枚同じモチーフの別の絵が現存しています。

bragelonne
質問者

お礼

 白黒の写真だけ残っているのですね。  本のどこかを指さす天使とマタイの手がからまっているのは あんがい面白そうだと思ったのですが マタイの脚が何だか納まりつかないようにも感じました。  絵は 直前のご回答のほうに URLのリンクを張りました。  ありがとうございます。

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  • a_hona
  • ベストアンサー率21% (95/444)
回答No.2

カラヴァッジョの絵に、年老いた預言者の手を取って書記を勧める子供の天使の絵があります。(名画ですが、一枚はたしかドレスデンの空襲時に焼失し写真しか残っていません。) この絵では、ヒラメキ、此処では啓示となりますが、それは天使によってもたらされるものとして、静謐な タッチと大胆な構図で描かれています。

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。  あらためてサイトを見つけました。  ○ カラヴァッジョ(カラヴァッジオ)作『聖マタイと天使』 ~~~~~  http://www.salvastyle.info/menu_baroque/view.cgi?file=caravaggio_angelo00&picture=%90%B9%83%7D%83%5E%83C%82%C6%93V%8Eg&person=%83J%83%89%83%94%83@%83b%83W%83%87%81i%83J%83%89%83%94%83@%83b%83W%83I%81j&back=caravaggio_angelo  (San Matteo e angelo)  1602年 | 295×195cm | 油彩・画布 |  サン・ルイジ・ディ・フランチェージ聖堂(ローマ)  主題は聖マタイが出現した天使にスコラ哲学を教授される場面を描いた≪聖マタイと天使≫で、出現した天使を目撃し驚愕する、写実的に描かれた聖マタイの表情と渦を巻くような天使の衣服の表現が暗中に浮かび上がり、深い精神性と聖性をみせている。    ○ 消失した『聖マタイと天使』第1ヴァージョン   http://www.salvastyle.com/images/collect/caravaggio_angelo02b.jpg  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ なるほど。天使≒啓示≒ヒラメキ というように捉えられる一面はあるのでしょうね。  ありがとうございました。

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noname#205477
noname#205477
回答No.1

世界中の誰に聞いても明確に答えられる人が居ないのに よく平気で質問出来るね(#^.^#) そんなの考えてたって 誰の回答も正しいし 誰の回答も間違ってる それならば あなたが思ってる事を あなた自身で探究すれば良いだけ・・・

bragelonne
質問者

お礼

 水を差すことだけが あなたの胸の内に渦巻いている。  ご投稿をありがとう。

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このQ&Aのポイント
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  • お使いの環境はiPhoneで、無線LAN接続をしています。
  • 関連するソフト・アプリや電話回線の情報は特にありません。
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