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子供を成人まで育てた人に教えてほしいです

GIANTOFGANYMEDEの回答

回答No.5

子どもが幼稚園の時にサッカークラブに入り、同時に私もコーチになりました。 以来15年以上週末はサッカーコーチをやっています。 コーチの資格を取る際にも教わるのですが、特に子どもたちを教えるコーチに最も必要なことは忍耐です。これなくして子どもたちの成長を促すことは出来ません。 子どもには成長のタイミングがあるのです。 鉄は熱いうちに打てという格言がありますが、まさにその言葉の通り。 逆に言えば、冷えた鉄は幾ら打っても鍛えることは出来ません。 成長を促すにはジャストタイミングを注意深く見守ること。そのためには停滞している時には忍の一字で待つことです。 停滞、と書きましたが、実際には子どもたちの中では次の成長に向けて様々な部分が成長しているのです。ただそれが目に見えないだけ。 蝶の蛹が見た目は固まっているようでいて、中では激しい変化を起こしているのと一緒です。 身長や体重の成長は判りやすいですよね。 でも体格がどんどん成長しているのと同じように、精神もどんどん成長しているのです。 それを外に向かって表現するのは一瞬の出来事です。 それを見逃さないこと。 それまでひたすら待ち続けること。 コーチに求められるのはただそれだけです。 蝶の蛹がまだ孵らぬのかと短気を起こしていじくれば羽化に失敗します。 絶対にやってはいけないことです。 言うまでも無く、子育ても一緒です。 「鳴かぬなら鳴かしてみしょう時鳥」 多くの親が秀吉タイプの親です。そして失敗します。 「鳴かぬなら鳴くまで待とう時鳥」 成功する親は家康タイプですね。 また大人が「あーしろ」、「こーしろ」と言う場合、大概前提条件を省いて指示します。本当はそうした指示はある条件下のみで有効なことが多い。 ところが子どもにしてみれば、「あの時はああ言ったのに、今度はこう言う。どっちが正しいの」と混乱するだけです。 そういう指示は成長を妨げるだけだし、大人の言うことに信頼を置かなくなります。 サッカーのコーチは状況は常に変わるということを知っていますから、何か指導する際は前提条件から細かく説明します。 やがて「親の言うことは聞かないのにコーチの言うことは聞く」と嘆く親御さんが何人も出てくる。 親は子どもを侮るものです。だから言葉を省いたその場限りの指図をする。 ですが、子どもというのはそういった齟齬を見逃しません。 信頼出来る人、出来ない人ははっきり選別しています。 子どもが言うことを聞かないという親は「信頼できない人」に分類されているのです。 よく言いますよね。信頼を勝ち取るのは長い時間が必要だが失うのは一瞬だ、って。 一度信頼を失った親は言えば言うほど更に信頼されなくなります。 忍耐とは我慢ではありません。 我慢と思えばいつか限界になります。 そうではなく、忍耐とは期待です。 期を待つ。 子育ての要諦を一言で表すなら、そういうことだと思いますよ。

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質問者

お礼

わかりやすい例えをありがとうございます。 期を待つ…。 なるほどですね。

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