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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:語りえないことについては人は沈黙せねばならない、のですか?)

語りえないことについて人は沈黙せねばならない、のですか?

ghostbusterの回答

回答No.8

この箇所だけ一人歩きして、一種のアフォリズムとしてさまざまに解釈されることが多い文章なんですが、まず何よりも、これが『論考』の序文であることをふまえておく必要があるでしょう。 つまり、この箇所で、ヴィトゲンシュタインは「語りうるもの」と「語りえぬもの」との線引きをすることによって、ちょうどカントが『純粋理性批判』において「理性にはかくかくしかじかのことはできないが、ここまでならできる」と限界を示すことによって、理性の可能域を保証しようとしたように、ヴィトゲンシュタインは「思考にできることとできないこと」の限界を見きわめようとしました。 けれども、現実に思考不可能なことは、そもそもわたしたちは考えることすらできないのですから、いったい何について「考えることもできない」と言っているのか、見当がつかない、ということになります。そこで、「限界は言語においてのみ引かれうる」(序文)ということになります。 こうして言語の限界を明らかにすることで、「言語にどこまでのことができるか」ということを示したのです。語りうること、すなわち、言語を用いて、思考可能なことがらの限界を指示しようとしたのです。 それが『論考』のやろうとしたことであり、この序文の意味です。 ここから第四節を中心に写像理論を紹介してもいいんですが、詳しいことなら本を読んでもらった方がずっと正確だし、いまはちょっと時間がないので、ここではかなり荒っぽくまとめていきます。雑でかならずしも正確でない箇所があることはお含みください。 「写真」を考えてみてください。 花や人や風景など、わたしたちはありとあらゆるものの写真を撮ることができます。でも、「写真」の写真を撮ることはできるでしょうか。もちろん、「花の写真」の写真を撮ることはできるし、「写真を撮っている人」の写真を撮ることもできる。あるいは、「何も映っていない写真」の写真を撮ることもできるでしょう。けれども、「写真」そのものを撮ることはできないんです。 さて、「言葉」を考えてみてください。 質問者さんが液晶画面を通して見るこの文字は、写真とはちがって、画面上に浮かび上がったさまざまな線の組み合わせですから、ぱっと見て、これが「現実の像」であるとは思えませんが、そこに 「梅干し」 と書いてあれば、わたしたちの口の中に唾液が溜まってきますし(?) 「バカじゃない?」 と書いてあれば、怒りで顔が紅潮します(しました?)。 つまり、この言語記号も、それが描写するものの「像」となっているのです。 ところがこの言葉というのは、いったい何の「像」なんでしょう。わたしたちは、ちょうど「写真」の写真が撮れないように、「言葉」がどのようなものか、実際に使いながら示すことはできても(「言葉っていうのはこういうふうに使うものです」)、「言葉」だけで「言葉」を描くことはできない。 つまり、この前半は、世界には言葉では語り得ない、示すことしかできないものがある、ということです。その上で後半の、「沈黙しなければならない」ということは、というのは、だから問題にはならない、却下するということではないことに注意してください。 たとえば「論理」「倫理」善や悪、幸福、価値、生の意義、そうしたものは語りえないからこそ、いっそう大切なもの、沈黙のうちに了解し、行為において示されるべきものなのです。 ちょっとどこまで書いたらいいか、自分でも判断ができないので、わかりにくいところ、もっと知りたいところなどあれば、わかる範囲でお答えします。

Mokuzo100nenn
質問者

お礼

ありがとうございます。 ご回答は、拙者の質問のスイートスポットに当たっています。 未解決の問題は、 >たとえば「論理」「倫理」善や悪、幸福、価値、生の意義、そうしたものは、、、 にあるように、「前半」の部分の定義が不明で、各自各様の例示が氾濫してしまうことです。 拙者が解釈すれば、 すべての音楽評論家はお黙り! すべての野球解説者はお黙り! 巨人阪神戦の中継が終了したら沈黙して生ビールを飲みなさい! 「男は黙って○○ビール!」ってのがありましたが、実はヴィトゲンシュタインから啓示をけてたんですかい? つまり、前半の定義が曖昧なまま例示だけすると、拡大解釈が跋扈し、地球を沈黙で覆ってしまう。 これは、哲学の終焉ではないのか? 「言語」を「記述する記号体系」と定義しなおせば、言語=数学+物理学です。自然界からの入力が物理学で、その相関アルゴリズムが数学。これ以外は、アーとかウーとかの擬態語、擬声語、オランウータン語が必要なぐらいですね。 数学と物理学で語れないものに対しては沈黙なさい。これは、即、哲学の終了宣言になるのではないでしょうか?

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