• 締切済み

ヴィトゲンシュタインの論考のカンカータについて教えてください。

哲学者ヴィトゲンシュタインの「論考」(論理哲学論考)を歌詞にしたカンカータがあるそうなんですが、誰かこの曲を知りませんか? CDの情報、作曲家の情報、この曲に関する情報を求めます。 この曲があるという情報は確かです。何しろ、現代思想の冒険者たちの筆者がその本に書いていたのですから。専門書に書いていたのですから。

みんなの回答

  • Sucher
  • ベストアンサー率23% (3/13)
回答No.3

Sucherです。 あの後飯田隆先生にメールでお尋ねしました。即回答が返ってきたので肝をつぶしました。 以下先生のご返信内容を引用します。 ─2004年10月26日付 「ウィトゲンシュタインの歌詞によるカンタータの件ですが、これは何で見たのかいますぐわからないのですが、いまちょっとGoogleで検索してみたところ、ElizabethLutyensという女性作曲家がWittgensteinにインスパイアされたモテットを書いているということがわかりました。私の記憶でもイギリスの女流作曲家だったと思いますので、これかもしれません。でもほかのひとだったような気もします。もう一度調べてみます。」 ─同10月26日付 「その後調べてみましたが、『ウィトゲンシュタイン』を書いたときに私が考えていたのは、やはり前便で言及したElizabeth Luytens の作曲した曲でした。ただ、「カンタータ」と書いたのは私のまちがいで「モテット」が正しいようです。 Excerpta Tractatus-Logico-Philosophicus (1953) というのがそのモテットです。私がこの曲の存在を知ったのは Braian Morton, The Blackwell Guideto Recorded Contemporary Music, 1996, Blackwell 中のElizabeth Luytensの項目ですが、インターネット上で検索すればいろいろわかるのではないかと思います。出版されているのか、録音はあるのかなど、まったく知りません。何かわかりましたら教えていただけるとさいわいです。」 ─ではがんばってこれから探していきましょう! 私はどちらにせよcdを探します。あなたが質問を閉じなければ追って報告するでしょうが、あんま時間あいてへんからいつ調べがつくかかなり未明です。 てゆーかcdのことわかったら教えてください。

noname#29110
質問者

お礼

さっきお礼書いて送信したのに、掲載されていませんでした。 凄いですね。メール返信来て。 CDのこと分かったら教えますね。 これを見ている他の方もCDのことなど分かったら教えてください。

すると、全ての回答が全文表示されます。
  • ベストアンサー
  • Sucher
  • ベストアンサー率23% (3/13)
回答No.2

ただの付けたしです。 そんなん初めて知りました!!私の方も死ぬほど気になります。調べがつくことを切望します。どなたかぜひ教えてください。 質問者の方、それは『現代思想の冒険者』の何巻で誰が書いていたのですか?ああいうのは結構アテが外れる場合がありますよ。「専門家」て西洋音楽の専門家ですか?私もT=パスモア『自然に対する人間の責任』で著者が触れてる映画についてネットで検索にかけたら存在していないことがありました。もしかしてパスモアはアメリカやから英語のサイトでしか見つからんのかもしれません。あなたのについても、さっき「wittgenstein Tractatus Logico-Philosophicus Cantata」でグーグルに検索かけたら27件出ましたが、めぼしい結果は皆無でした。西・仏・英出ましたが収穫なしです。 これは一般人が入手可能な風に存在してるのか?ドイツでの話しなのかよそでの話しなのか? もう一度、それは『現代思想の冒険者』の何巻で誰が書いていたのですか?何ならその著者に手紙を書いて問い合わせるのが一番ちゃいますか?それでなんかわかったら、お手数ですが、ここに記載してくださいね。 それから注意してもらいたいのですが、それはほんまに「カンタータ」ですね?歌曲は「カンタータ」以外もありますから。 ウィトゲンシュタインは伝記映画もありますよね。これも情報少ない。英語やときいて観る気なくしましたけど。

noname#29110
質問者

お礼

初めまして。私はヴィトゲンシュタインには詳しくないのです。この現代思想の冒険者たちを読んだくらいで。しかも、理解できないところが多々あり。 と、それはいいとして、質問に答えますと、 「現代思想の冒険者たち07 ウィトゲンシュタイン 言語の限界」という本に書いてあります。著者は千葉大学教授の飯田隆という人です。何巻かと聞かれれば、7巻ですね。07と書いてあるから。 この本の363ページの読書案内のページに以下のように書かれています。 ウィトゲンシュタインにインスピレーションを受けた詩や小説の類は現在枚挙に暇がないほどである。残念ながら私はまだ実際に聴いたことはないが、「論理哲学論考」の章句を歌詞(!)にしたカンカータさえ作られているそうである。 ちなみに哲学者の作曲した曲でいえば、ニーチェが10代の頃に作曲したクリスマスの曲がタワレコにCDで売っていて、店のレビューに「ニーチェの人間的なあまりに人間的な思い出。まだ、アンチ・キリストではなかったころの」 というようなことが書かれていました。 >ああいうのは結構アテが外れる場合がありますよ。「専門家」て西洋音楽の専門家ですか?私もT=パスモア『自然に対する人間の責任』で著者が触れてる映画についてネットで検索にかけたら存在していないことがありました。 そうなんですか。じゃあ、今回も当てが外れるかもしれませんねw ところで。手紙って書いたら返事来るんでしょうか。

すると、全ての回答が全文表示されます。
noname#192240
noname#192240
回答No.1

こんにちは お探しの曲かどうかは分かりませんが、 武満徹氏の「スタンザI」と「クロッシング」という作品の中で、 論理哲学論考の一節が引用されているようです。 以上ご参考までに・・・

参考URL:
http://www.exmusica.com/review/web1006.htm
noname#29110
質問者

お礼

スタンザは私も持っています。クロッシングという曲は知りませんが、なにせ、スタンザも武満徹のライナーノートを箱の中から探してきた次第でして。 スタンザに論考の一部が使われているのは知っていました。 ですが、この曲ではないのです。 カンカータらしいのですが。 このカンカータの作曲者もわかりません。 回答ありがとうございました。

すると、全ての回答が全文表示されます。

関連するQ&A

  • ヴィトゲンシュタイン・論理哲学論考

    ヴィトゲンシュタインが『論理哲学論考』で「語りえぬものについては沈黙せよ」と語ったことは有名(だと思う)のですが、ヴィトゲンシュタインはなぜ「語りえぬもの」について沈黙せよ、と言ったのでしょうか。その理由をご存知の方、おいででしたらどうぞご教示下さい。m(_ _)m

  • ウィトゲンシュタインの論理哲学論考の意味

    後期ウィトゲンシュタインは論理哲学論考を批判的に捉えるようになったんですよね? それならば否定された学問を研究する意味はあまりないのではないですか?

  • ウィトゲンシュタインの変化について

    ウィトゲンシュタインが論理哲学論考と哲学探究とで考えを変えざるを得なかった理由は何でしょうか?

  • お好きな哲学書は?

    お好きな哲学書を教えてください。 入門書でも結構です。 因みに私はこんな本が好きです。 ヴィトゲンシュタイン「論理哲学論考」 スピノザ「エチカ」 竹田青嗣「現象学入門」

  • 「論理哲学論考」を電子媒体で読みたい

    ウィトゲンシュタインが生前に著した唯一の哲学書 「論理哲学論考」 を電子媒体で読みたいと思っています。 たとえばテキストファイルや、PDFファイルなどでもよいですし、Web上で読むことができるサイトなどがあればそれでもよいです。 日本語訳のものでも、英語訳のものでも、もちろん原著のドイツ語のものでもかまいません。 また、無料である必要もありません。電子書籍のような形で購入するものでもかまいません。 ご存知の方、教えてください。

  • ウィトゲンシュタインの逆説について

    L・ウィトゲンシュタインの著名な「論理哲学論考」に以下のような不可解な逆説がありました。 「私は世界の出来事を私の意志で左右することはできない。私は完全に無力である。 ただこのような仕方で、すなわち世界の出来事への私の影響を断念することによってのみ、 私は世界から私を独立させることもできる。そして、ある意味で世界を支配することもできる。」 この一説の「・・・私を独立させることもできる。」までは何とか理解できる気がしますが、 最後の「ある意味で世界を支配・・・」の部分は完全に僕の理解を超えています。  この逆説に類似した(?)F・ベーコンの  「自然はこれに服従することによってのみ、征服される」 という言葉がその理解の助けとなるかとも思えますが(要するに、自然現象に従ってその観察・観測を 行えば、その法則化が可能となり、その法則によって自然現象は予測・予言が可能なものとなり、そしてついに人間による自然現象の制御・征服が可能となる、ということ?)、ベーコンの言う「自然」とウィトゲンシュタインの言う「世界」とは似て非なるものだとも思われ(ベーコンの「自然」とは端的に自然科学のことで、ウィトゲンシュタインの「世界」とはその科学をも含む論理的に可能な世界の全体のこと?)、不可解さは増すばかりです。  なぜ「私の影響の断念」が「世界の支配」につながるのか・・・。論理が飛躍しているとしか思えません。  皆様はこれをどのようにお考えになるでしょうか。

  • 哲学書の原著を手に入れたい

    有名な哲学書の原著を手に入れたいのですが、どこでどのように購入したらよいでしょうか? 特にウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』を手に入れたいと思っています。 実売価格としてはどのくらいなのかも教えていただけると嬉しいです。

  • 哲学書は芸術の色を帯びていますか?

    以前、過去の質問を見ていましたら、「ウィトゲンシュタインの論理哲学論考に●●(芸術運動の名前)の雰囲気を感じた」といった質問があったのですが、哲学書とはそういったものなのでしょうか?

  • 『論理哲学論考』の対象と実体について

    ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』(岩波文庫、野矢茂樹訳)についてです。 (1)命題2.027では、対象とは「不変なもの、存在し続けるもの」とあります。 変化するのは対象ではなく対象の配列なのだ、という議論は理解できるのですが、対象が「存在し続ける」というのはどういうことなのでしょうか。 例えば、パソコンという対象は古代ギリシアの時代にはなかったはずですから、古代ギリシアでは「パソコン」という言葉はなかったはずです。 そして、現代のギリシアではパソコンという対象がありますから、「パソコン」という言葉が存在するでしょう。 これを見ても、パソコンという言葉が「存在し続ける」とはいえないように思います。 あるいは、言葉とはプラトンのいうイデアのような存在の仕方をしているのでしょうか。 パソコンという言葉自体は、イデアのようにずっと存在し続けているのだが、古代ギリシアではパソコンという対象が存在しなかったので、パソコンという言葉を使うことがなかっただけなのだ、ということでしょうか。 (2)命題2.021で「対象が世界の実体を形づくる」とありますが、この「実体」とは何のことでしょうか。 アリストテレスらの哲学者たちが議論し続けた、あの「実体」のことでしょうか。 命題2.024などで「何が事実として成立しているかとは独立に存在する」とありますが、一体何のことを指しているのか分かりません。 また、『論理哲学論考』についての論文で、「実体(対象)」と書いている論文があったのですが、実体=対象と捉えてよいのでしょうか。

  • 論理哲学論考における善悪について

    ウィトゲンシュタインの「論理哲学論考」の解説書を読みましたが、疑問が 一つあります。「善悪は語ることができない」という箇所です。幸福については、 それを判断するのが主体であり、主体は論理空間そのものであるから 幸福を語ることができないというのはわかります。簡単にいえば主観的で比較対象が ないから。しかし善悪についてはどうでしょうか?定義をすれば、論理空間の中でも 善悪を語ることができるのではないでしょうか?たとえば、「他の人間の 損害を軽減すること、または、他人の利益を損なわずに他人の欲求を 満たすことを善とするならば、行動Aは善である」のように、語ることができるのでは ないでしょうか?確かにこの定義はつっこみどころ満載だし、答えは出せないだろうけど、 幸福のように沈黙しなくてもいいと思うのですが。善悪というのは主観的な問題ではなく 論理的な問題であるから裁判が成り立つのではないかとも思うのですが。 いかがでしょうか?

このQ&Aのポイント
  • DCP-L2550DWのPDFスキャンでPCに接続中から全くスキャンされないエラーが発生する場合、PCとプリンターの接続がされていない可能性があります。業務に支障をきたすことがあるため、問題の解決方法を探しています。
  • PC自体に問題はなく、スキャンできるときもあればできないときがあるため、原因が分かりません。正常にスキャンするためにはどのような環境が必要なのか、ご教示いただけると助かります。
  • お使いの環境では、有線LANで接続しています。関連するソフトやアプリは特にありません。また、電話回線は固定電話ではなく、携帯電話のみを使用しています。
回答を見る

専門家に質問してみよう