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この世界に信じるに値するものは何か

noname#80116の回答

noname#80116
noname#80116
回答No.20

 No.17です。  愛は 関係であり 意志です。  人とモノの関係もありますが 一般に 人と人の関係です。  そして この関係を思う行為であり その思いから――すでに 関係は 動態なのですから―― よかれと思う方向へその関係を推し出そうとする意志だということになります。  よかれと思って 愛情にもあるいは平静なこころで接することにもなれば 同じくよかれと思って 憎悪となって現われる場合も あるでしょう。よかれと思って 手助けしたり味方になったり しかも 同じくよかれと思って あなたは間違っていると知らせてやりたい一心でのごとく 嫌ったり嫉妬に走ったりいぢ悪をしたりということになるでしょう。  この愛は――したがって この世界のすべてのことが すべての人間にかかわることが 愛ということになるわけですから この愛は―― 何ものか分からない力のもとにあるのではないか。なぜなら その愛の思うようには 意志するようには 世の中はならない というからには 人間の愛や意志を超えた力も はたらいているのではないか。もしそうだとすれば この《なぞ》のことを わざわざ 神ないし神の愛と想定するというのが これも 一般だということになります。  つまり 無神論の場合には 《なぞ》が 《無》だという立ち場なわけです。おそらく わたしたちは この世界において 世界が《思う(意志する つまり 愛として思う)ようになる》とは思わないわけで その限りで 無神論の場合にも この《なぞ=無ないし無神》を 一切の愛の根底にはたらく力として 想定しているのではないでしょうか。  そうでないと 世界は まったくの無秩序であり 善は悪であり悪は善であるという世界観が 優勢となります。早い話が 飲めや歌えやでいいわけで いわゆる悪いことをしても バレなければよいということになります。法律に従い裁判に屈すればいいのだろう 文句あるかという思想が 優勢になります。  無神論は そうではなく 善悪をわきまえつつ しかも その善悪を超えて なぞの無神を立てているわけです。  それなら 《愛》の問題なのです。  ところが この愛の世界から外れているのではないかと疑われる人間がいます。そういう思想が現われます。  ★ 孤独  ☆ という診断を受け取りましたが げんみつには 《孤立》あるいは《浮いている姿》かも知れません。孤独という場合には ひととのつながり(関係)・交わり(交通・対話)を ほんとうには 前提しているように思われるからです。愛から逸れるひとの場合は この関係や交通を前提としていないようなのです。  むろん そういう人も 社会的に生活しており 地位もあれば その地位をめぐって 仕事をこなし したがって 人間関係を持っています。実際には 関係を持ち 交通をおこなっています。  それでも 愛から離れ去ったという場合 このような事例は あるか。あるなら どういう認識を 哲学は 持つべきか。    ひとつ考えられることは こうです。ただ一人 ただ一人とのみ この愛なる関係を断つ。そうして ほかの人びとや社会とは 交通を保つ。こういう場合です。  ただ一人の人を いわば踏み台にして 社会に出た(そういう意味で 出世した)と考えられる事例です。  ともすれば 一般にも 陰や傷や秘密を心深くに持って 社会に明るく堂々と生きて行く という描像(イメージ)が 迎え入れられているかも知れません。その場合と 親和的であるとも思えます。つまり ただ一人だけは わが人生において おのれの踏み台にしたのだ 赦してくれ あとは まじめに生きていくのだ と言って 生きている場合です。  これに対するわたしの判断は 九十九匹よりも一匹が問題であるという見方に立ちますから こういう思想で生きる人間は 死んでいるというものです。愛(関係)を断った。世界から死んだ。と判断すべきというものです。秘密という旧い人を脱がなければ 脱いで新しい人を着なければ だめだという判定です。だめだと言っても 放っておくのですし そういう自死も 自由であると相場は決まっています。  ちなみに イスカリオテの裏切り者のユダが その事例であるように思います。イエスと対話を持たなかった。この一事がその理由です。問いたださなかった この一点のみで みづから死んだのだと。  愛の世界から外れた人間 これも 神の愛のもとに あると言うべきでしょうか。神のもとにないと断言することは無理のようですね。

noname#117439
質問者

お礼

ご回答有難うございます。 見解は判りやすいです。 この手の思索はやはりお上手ですね。 私の場合はどうも子供っぽいです。 閉じこもった相手には、こちらから先に心を開くよりない気もしますが、経験世界の行動としての実践においては、出来るだけそっとしておくこととなります。 この辺で情動をコントロールして物言わずして自らを気づかせるのが無意識を熟知した私のエスパー化現象です。 普段、誰かの雑念相手に人生相談しています。 エスパーというとかっこよさそうだけど実際は地味でつまんない仕事です。 土台はデーモン現象ですがかなり上手になりました。

noname#117439
質問者

補足

本当はA19のmaimaisusさんへの補足なんですがここに書かせてもらいます。 多分読んでくれるでしょう。 愛情が既に愛のモノ化なんです。 それ以上に形を取らない絶対が愛です。 あれ、変な気がします。 万物が愛だといいたいんですがね。

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