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この世界に信じるに値するものは何か

noname#84124の回答

noname#84124
noname#84124
回答No.31

質問者さんの文章は概ね簡潔であるにもかかわらず、当方にとっては読んでて首ひねりたくなることたびたびで、今回ご質問も手を出したくないというのが本音でしたが、いただいたお返事を拝見してみて、まずまずホッとしておりますwしかし >実に「あなたらしい」 と言われても、、、知り合いでしたかな??(汗 いやほんと、このスレだけでも、お互いいろんな文体の方がおられますな~実に壮観ですw ご質問について再説明の労をとっていただいたおかげで、本文に比べ、ぐっと分かりやすくなりました。なにしろ「愛」だの「魂」だのがヒュンヒュン飛び交ってると、ついヒキたくなる性分でしてねw >見える景色と手の取れる景色は一致するのか。 「見える景色」「手の取れる景色」、視覚と触覚ですか、「知覚の様式と事実の理解が齟齬をきたす問題」について、『モリニュクス・プロブレム』とかいうのがあるそうですね。ここの過去質にも、こうしたことの議題が挙がってるのを見かけたことがあります。 それより、「一致する」かどうか以上に「一致させる、させたい」「一致させない、させたくない」の方が厄介な問題みたいですね。 >ただこれだけを一致させるために人間は多くの嘘をついています。 世の中をうらんだり、目の前にある現実を受け入れることが出来なかったり。 実に恨むに相当するのか、目の前の現実ってなんなのか。恨むことで何かしら解決になるのなら恨むもよし、受け入れるも受け入れないもない。ただ、「目の前の現実を受け入れる」にしたって、ちょっとしたトリミングひとつでナンボでも影響を受ける。トリミングあるいはフレームとか、そういったものなしにはどうしようもない。このことは紛れもなく個人レベルの主観世界を抜きにした事実でしょう。No.26さんのご意見には当方も共感を覚えましたが「自分」という存在形式自体は、さしあたって問題にすべき当のことでないように思いますよ。もちろん、あらゆる問題の発生場には違いないんですが。 生理的知覚面においても精神的な面においても、マジックとしか呼びようがないような摩り替え現象やらいろいろと抗いようもなく起きてくるんですね。基本的には、せっかく本人が「見える」と思うとおり、つまりリアリティを感じるとおりでいいんでしょう。「メガネメガネ」と探し回って、ふぃと気づいたらすでに掛けていた。遅かれ早かれ、といってもあまりにも遅いと自他共に致命的だが、ま、なるべく早く気づけばそれでいい。うちのオヤジも粗忽者で、「ない!ない!」と血相変えて探してて「目の前にあるがな」とオフクロに呆れられるということがよくあった。そのオフクロは、おおよそ家内の片付けができない女だったですが、「どこに何があるかは、ちゃーんと自分の頭の中に入ってる!」と自慢してました。それはそれとして家族にとっては家内の片付けもやってもらいたかったんですがねwそれよりも何よりも一番の問題は、ここにしまったはずと思っていた物が見つからないと、「アンタが勝手に移したろ!」と転嫁することwもちろん真相が明らかになっても謝らないのはお約束ですw 昔から「素直が一番」という。「素直」って、どういうことなのかも、なかなか難しいことなんですが、更新可能性といったようなことも問われるんじゃないかと思います。 おのれの視神経を通して「見えてる」ようすと、それ以外のところを通して「見えてる」ようすが著しく一致しなくて周囲も自分でも困るしキモチワルイので一致するよう努力してみるとかいうのであれば、これ自体は極端な話ですけど、まあマトモな努力でしょう。鏡なんて、もとより完璧なものではないにせよ人間は鏡を見て身仕舞をする。その人物の脳によって再構築された像が、知覚表象である。ということなんだそうで、視神経のはたらき自体どこまで優位なものなのか、視神経のみで「見て」認識・判断ということができるものなのかなどについて当方が知ってることは殆どないですが、おのれの視神経を他人に張りつけて見せようとしたり、他人の視神経を乗っ取って見ようとしたりすれば、すごく困ったことになりそうです。 >確かに本当ならかんたんなことですね。 「確か」に「本当」というのも突っ込めば難しいことですが、ただ、単純だとなんかアリガタミ薄いなどというミョーな動機とかからゴチャゴチャ飾りつけして複雑にしてやろうというのはカンベンしてもらいたいですな。これも、その人のなかの何かと無理に一致させようとしてるんでしょう。 >閲覧している方向けのただし書きです。 あ、こりゃどうも。言われてみれば、他の閲覧者からみて何の話かと思われかねない書き方でした。急いでたせいかな。それにしても >心の中にある死の願望や死の予感らしき事柄を見据えた上でそれに関してメッセージを寄せています。 心の中の世界について今回の質問内容に沿ったお話です。 えっ、そこまで言ってましたかねワタシが?覗いたの??まあ「殺され」とか「死刑」とか使ってるもんね。辛うじて質問内容に沿っていたのならよかったです。 >人一人分の心の中の葛藤ですので和解が調和であり自分自身になることです。ちなみに妥協の無い真剣勝負の葛藤であるはずです。 誰しも大なり小なり葛藤くらい経験するだろうけど、自分と和解できないってのは、いかにも苦しいでしょう。藁をも縋りたくなるでしょうかね。口先だけで自分大好き愛が大事ってハシャいでおればいいというもんでもないし。自分が許せなくて世界が許せるのかというと、そうもいかなさそうだし。しかも許す許さないに関係なく回ってるし。なるほど「妥協の無い真剣勝負の葛藤」こう言ってもらうとなんかカッコイイことでもやってるみたいですがシンドそーですなあ。本人だけじゃなくて。ご愛顧ご愛顧、商売商売いつでも勝ち負けが基準だ。もちろん勝ちにまわりたいのは決まり。しかし負けるかもしれん。ぜーったい勝てると確信するまで様子見だ。それはそうと確信ってなんだーっけ?自分の確信って確信するに足るのだらうか?? 何でもかんでも拮抗してるから、どれもこれも捨てられないとか。出ると引っ込めるを同時にやらずにはおれないとか。まぁこちらにはわかりませんけども、たまにこういう人もいるってことで。 >哲学の場は知性を磨く場でしてその面では反則攻撃です。 哲学の場にとどまらない場外乱闘なんですよ。 褒めていただき恐れ入っておりましたが「知性を磨く哲学の場」として「反則攻撃」「場外乱闘」としか判断いただけない投稿を行ったのは残念なことでした、とにかくお詫びしておきます。確かに横ですから、こちらに非がある。質問者さんには今後も反則行為一般に対して、こうした端的、直截な指摘を心がけていただけるようお願いしておきます。 夢に関して話が出てますけど、少しだけ。どなたさんだったか「デフラグ作業」の一種と喩えておられてナルホドなと思いましたが、人間、あまりに怖れたり忌避しようとすると、かえって、その対象に接触と直視を強いられるということがある。強いているのが何者であるかはいざ知らず、夢でも現実でも起き得ることのように思われなくもないです。 それと、No.31さん消えちまってますから(消すことなかったと思うんだけどねw)今となっては一言だけ。 ははあ、ご自分のことを言ってると思いましたかね?アレとコレが違いますでよwま、ワタシはコンが続かんタチでしてねw以上! 骨髄バンクの話で思い出した、随分以前のことですが、お米絡みの話だったかな、(旧)厚生省のエラいさんが、廃棄処分するしかない大量の農薬汚染された古古米だかを東南アジアあたりの食い詰めてる人たちに寄付してあげたら無駄がないし喜ばれるだろうし、我ながらグッドアイデアだと思うんです、などと大マジメに言ったって、有名な女性作家(有吉佐和子さんかな?)が書いた批判を読んだ記憶があります。 自分の感覚、感性、判断、価値観、ライフスタイルその他、自分はまとも、健全、イイコトやってるんだと信じて疑わない。かえって不気味だ。まともじゃない健全でない、ワルイコトしたい、スレスレの自分をウリにされたって、これも扱いに困る。といって全く信じられないのでも困ったことになる。実際のところ我々のこの生活なんて、まさしく夥しいリスクと犠牲のうえに成り立ってる。そのことを他人視点からみんなの喜びとして表現したところが顰蹙もんですが、指摘したところで、ご本人は、「へえ?なんで?」って狐につままれたような顔をするのが関の山かなw

noname#117439
質問者

お礼

ご回答有難うございます。 現実を認めることが出来ないと決め込んでいるきらいが有ります。 その点は難解であり理解不能でした。 自分自身になる葛藤を引き分けにもつれ込ませて均衡を保っている。 これが文面から感じる私の見解です。 理性的に振舞うとどうしても厳しい見解になります。

noname#117439
質問者

補足

ネチケットに反するかもしれませんが私だから説明できることです。 質問者様は要するに地獄の釜に蓋をつけて圧力釜みたいに煮えたぎらせているんです。 それが哲学にこもる奇妙な情です。 信仰の対象に責任転嫁しないで我が事としてください。

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