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この世界に信じるに値するものは何か

noname#80116の回答

noname#80116
noname#80116
回答No.28

 No.25です。  《自由》は 答責性を伴なうという意味です。説明責任がつきものであり 責任と言うからには すべての表現や行為が 互いに同等の内容であるというわけではありません。しかるべき内容やその自由の行使の仕方が のぞましいと考えられ 人びとの取り決めや共同の主観(常識)によって そのような現実情況へと 促されるものです。のぞましくない内容や振る舞い方については 遠ざかるように 促されます。  真実を言う場合も 勘違いなのだがその場では真実だと思って言う場合も うそをうそと知っていて言う場合も これらすべて 表現は 自由です。その自由は 想定の限りで 関係性と意志を内容とする《愛》にもとづくものであるゆえ 上に述べたように 答責性を 必ず 伴なっています。  つまり 特には 負の愛を内容とする自由な表現として 《うそ・いつわり 詐欺・あざむきの類》は 必ずしも 望ましいとは思われていません。一方で むろん それらもすべて その人の自由ですが そのとき当然 他方で 同時に 《自由》であるゆえの答責性を負うということです。  答責性を負うことは 愛の中身が負(マイナス)でない場合にも 同様です。太郎が花子に 今度の休みに一緒に映画を見にいこうと 真実を表現した場合にも もちろん 答責性が ついて来ます。  この責任は すべてが 愛から始まっているからには 関係性において 処理するのが よいでしょう。独立した存在である個人として 表現の主体であった太郎が 負うのですが その取扱いは 社会的に関係性の場で 花子との話し合いをとおして 処理していきます。  解決を見るまで無限につづける民主的な話し合いは 愛にその基礎を置き 愛は おのれの表現に自由とその答責性のあることをおしえて 人に民主的な話し合いを促す。この長期の視点において 愛は この世界において信じるに値するものであると 言えるように思われます。

noname#117439
質問者

お礼

ご回答有難うございます。 珍しくわかりやすいお言葉を使っていますね。

noname#117439
質問者

補足

書き込む欄が少ないので失礼します。 本当はA30のarayata333さんへ友情についての補足です。 wiki 唯識 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%94%AF%E8%AD%98 この内、 >末那識には、障害のある中性的な四個の煩悩がつねに随伴する。我見(個人我についての妄信)、我痴(個人我についての迷い)、我慢(個人我についての慢心)、我愛(個人我への愛着)と呼ばれる。 これらと関係しています。記述ではこれらの煩悩は「随伴」と表現してあり実際に根をはった種子ではありません。(実体がない)アラーヤ識が真実を写し取る鏡としての特徴を備えているので、それにより見つめられている景色なんです。 散々お友達について悪口を書きましたが、お友達として抱き合えることをを子供のうちに達成できたのは成功なんです。それが出来ないと魔物や鬼の類として恐怖を集めます。さらに分かり合うと「さようなら」なんです。あくまでも人一人分の夢の中に入り込んだお友達なんです。

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