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この世界に信じるに値するものは何か

noname#80116の回答

noname#80116
noname#80116
回答No.13

 No.2&8です。  《心の奥からの言葉(もしくは 声)》は 《愛》の問題だと思います。それは 《はたらき》なのでしょうね。  あいつは憎むべきやつだと思った瞬間 いや 同じ人間だ・もう少し考えて 憎むべきところを分析してみようと促す心の声は 愛という力だと考えます。  かのじょは 美しいし なかなかいい人だ・とりこになってしまいそうと思うとき まだよく知らないではないかうんぬんという声は 愛のはたらきでしょう。  愛は 理論家です。愛が ほんとうに 何を愛すべきかを知らないということはあり得ない。  そのような意味で 《この世界》にも なにがしかの信をおくことができます。  ▲ 《無住処涅槃 むじゅうしょねはん》~~~~~~~~~~~   大乗仏教では 《無住処涅槃》ということが言われる。・・・生死の世界にとどまることなく かといって涅槃の世界にも入らない状態 すなわち生死煩悩の迷いの世界にもさとりの世界にもとどまらない涅槃のことをいう。   〔・・・この〕思想の背景には あらゆる人びとを救うためには 自らがさとりの境地に入っていては救うことができない といって煩悩に捉われていても救うことができない。自らはさとりの境地を体験しつつもその世界にととまらず 悩み多い人びとの住む生死界にあって活動することこそ菩薩の行である という大乗仏教思想の展開が見られる。 (岩波仏教辞典) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  縁起には その流れ・推移に 逆観と順観とがあります。すべて《無明(煩悩)》から始まって 《渇愛》の作用のもとに 悪循環をたどるだけではなく そうではなく 無明を《明知》に替え(――これは 《空観》によります――) 一転 順境にあって 世界のすべてに対処してゆく姿もあり得ます。  ▲ 《十二因縁》=縁起~~~~~~~~~~~~~~~~~~  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E4%BA%8C%E5%9B%A0%E7%B8%81  ・・・古い経典では、釈迦の成道は、十二因縁の順観(anuloma)と逆観(paTiloma)によると説いているが、これは迷いの事実がどのようなものであるかを正しく知ることが、とりもなおさず悟りであり、この十二因縁が迷の事実を示している。  迷と苦が無明を原因とし、渇愛を源として展開していることを明らかにする。したがって、無明を克服して智慧を得れば生老死の人生苦はない。  無明の克服とは自我を拠り所とする我執の克服をいう。これは無我の自覚であり自己否定である。またこれはいっさいの否定であり、絶対無となる。したがって生活や生命の営みの否定とされる。そこには生活はありえない。  しかし、釈迦のさとりは単なる自己否定ではなく、それが本当の生活であったはずである。すなわち、無我である自己を破り去ったところに、かえって無我のまま復活しうる道があった。それこそ真実の縁起の自覚であり、仏教が仏道として生きていく指針となるのは、無我のまま生活を決然と生きていくということである。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

noname#117439
質問者

お礼

ご回答有難うございます。 ありがたいお言葉であり豊かな教養の上のアドバイスとわかります。 でも残念に思われるかもしれませんが、強いて我が事とは受止めません。 私にしてみると経典の引用ですが観念についての話であり、私自身の置かれている境遇においては情動についての解説です。 信じるのではなく判るとお答えます。

noname#117439
質問者

補足

少しだけ気が付いたことがあります。 brageloneさんは仏教徒さんのご様子を蛸壺に閉じこもっていると表現し、私もこの世とはドグマであると(娑婆の話)脅かしています。 いろいろと自らについて話す御礼を書いたのですが、思い起こせば無神論は徹底した自己の探求でして、その完成として悟るのだと思います。 それまでは徹底して自分磨きをするので、考え方が内向的で蛸壺状態なんだろうと思い出しました。確かに自分自身そんな感じでした。 世界へのつながりは後回しなんです。したがってこれはいさめる形となりますが仏性を内包しているといっても、それは輝きを持たず、まず自分を救うことから始めないと誰も救えません。したがって信教の話は後回しにして内観の達人になることをお勧めしたいところです。 他力本願が今ひとつ私には理解できないんですが。

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