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何故、人間は差別を行うのですか?

何故人は、他者を嘲笑い差別を行うのですか? 隣人と仲良くなれないのでしょうか? 特に差別を行う事に利点はないと思うのですが、 どうして人間は他者を思いやれないのですか?

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  • thirdforce
  • ベストアンサー率23% (348/1453)
回答No.1

人間は、欲の塊です。人類史上、戦争、差別は、永遠に続いています。全くいやなことですが、事実です。 人間ばかりじゃないです。他の多くの、集団動物は、頂点に立ちたがるものです。サルの社会、ライオン、アザラシ、狼の集団、でも動物の場合や、人間社会も、秩序が保てるという利点(必要悪)があります。 しかし、人間は高等動物です。差別、戦争をなくす努力をしているようには見えません。(建前は努力しているようですが)人は楽になりたい、だから働いて、お金を蓄えたい、しかし限度がありません。お金が流通することで、拍車をかけているようです。戦争も、多くの原因は経済のためでしょう。悲しい限りです。

emr2008
質問者

お礼

回答有難う御座います。 欲は抑えられないですね。 何かが+なれば、何かが-になる。 全てが+になる方法を思いつかないのが、 悲しいことですね。

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その他の回答 (12)

  • COMORI
  • ベストアンサー率0% (0/4)
回答No.13

たとえばあなたが初めて見た生き物がいると思います。 その生き物がものすごい気持ち悪かったとします。 そしてあなたの友達にその生き物が気持ち悪いといったら あなたの友人はその生き物が気持ち悪いものだとおもってしまいます。 人種差別は多分それの繰り返しなんだと思います。 ほかにも差別はあると思いますが、 人間的にこの人嫌だな・・・。と思う人って誰しもいますよね? 人間は我慢できるかできないか だと思うんです。 差別する人は我慢できない人です。 友達も言ってるから、など軽い気持ちから思ったことでも、 言っているうちに本当にそうなんじゃないかと勘違いしてしまったり。 だから、言いだしっぺ、我慢できない人が悪いんだと僕は思います。

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noname#91323
noname#91323
回答No.12

ほとんどが認めるいわゆる不当な差別をしては、いけないと道徳上学習させられているからです 当然それは良いことに決まっています emr2008さんとて、隣人と仲良くなれない者とか他人に思いやりがない者などに嫌悪感があるわけなので、そのグループに対して思いやりがないのですよ。 つまり何人に対しても競争心や敵意を持たない人間を探すことはかなり難しいと思いますね 自分が優位な立場だから言えるたわごとかもしれません

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  • nidonen
  • ベストアンサー率55% (3658/6607)
回答No.11

> 地区感、国間、大陸間というエリアではなく、 > 人間という種として改めて考える必要がありそうですね。  気持ちは分かります。しかしそれは現実的に不可能です。 端的な例としては言語が挙げられます。違う言葉を話す人に 対して、人間は不安を感じます。人間だけでなく音声コミュ ニケーションを行なうあらゆる動物がそうです。  違う言葉に対する違和感を認めない、というのであれば、 理解できない方言を聞いたとき、意味が分からないと問う ことが許されなくなります。なぜなら、意味を問うことは 「 あなたの言葉は我々の言葉と違う 」と表明しているのと 同じことであり、違和感の表明に他ならないからです。  さらに言えば「 そうじゃん 」という言葉を聞いて関東人 だなと思ったり、「 そうやんけ 」と聞いたときに関西人だ なと思うことも許されなくなります。なぜなら関東人・関西人 だと思うことはすなわち、異質性の確認作業だからです。  差別を考える際に大事なのは、差別と区別を切り分ける ことです。外国人を外国人として捉えることは「区別」です。 たとえば、外人っぽい顔の人に英語で話しかけるのは、異質 性を認識した上で、区別した対応を取っていることになります。  もし、「人間という種」で考えるなら、相手の容姿に関係 なく日本語で話しかけるべきかもしれません。しかしその場合、 相手が日本語を理解できなかったらどうするのでしょうか? 結局、「人間という種」で考えることには無理があるのです。  それは決して「 差別を容認する 」ことではなく、「 人間の あいだにも区別はあり、その区別は認識される必要がある 」と いうことですね。たとえば外国人に正座を強要する人は少ない でしょう。それは、外国人に対しては自分たちの風習を適用し ないという区別が理由です。  いっぽうで外国ではその国の風習を強要するところもあります。 それは区別しないからではなく、外国人に対する礼儀より上位の 概念として風習を位置づけているからです。たいていは宗教的な 理由があります。日本人は宗教に疎いのでピンときませんが、 実は差別について考えるときは、宗教と切り離すことはできません。

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  • sudacyu
  • ベストアンサー率35% (687/1961)
回答No.10

 自分の中に、絶対的な価値に対する「ものさし」がない場合、他者と比較することでしか、『自分の幸せ』を感じ取ることができません。  そのような人の場合、自分の幸福を感じ取るためには、不幸な人・駄目な人の存在が不可欠となってしまいます。  だれそれと比べて、自分は頭がいい。  だれそれと比べて、自分はお金が沢山ある。  だれそれと比べて・・・・  このような精神構造だと、駄目な人が回りにいればいるほど、本人は安心できるようになります。  つまり、駄目な人がいなければ、そのような人を作り出さないと、本人が精神的に不安定になってしまうタイプの心を持っているのです。  人との比較なしに、自分はこれがこれだけあったら、「十分に満足で幸せ」という意識は、昔の方があったかもしれません。  最近の人は、物もお金も昔に比べて沢山あるはずなのに、満足していない人が多いかも。 

emr2008
質問者

お礼

回答有難う御座います。 比較をすることで充足感を得ることはよくあります。 それは誰も不幸にはならないでしょう。 しかしそれが枠を超えて相手に影響を及ぼす範囲になるなら、 次第に実領域として差別という言葉が見えてくるのでしょうね。

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  • tryouts
  • ベストアンサー率31% (126/404)
回答No.9

一切の差別を行わなくすることは出来ません。 人の認識は、自己認識と他者認識が存在します。 つまり人を認識すること自体が、自分とそれ以外の人と言うことで、ある意味差別といえなくもないことを行っています。 幼少期に始まる他者認識、一般的には母親をまず認識することになりますが、基本的には自分とは異なる存在として認識します。 認識の根本の基準は自己と何が異なるのかという認識です。 成長に従い、母親だけから他の家族を認識したり、友達や先生などを認識していくようになっていきます。 認識の基準はあくまでも自己が基本であるため、自分と同質に近いか異質であるかということは、意識することなしに人は認識しています。 同質な部分が多ければその人に対し親近感ないしは安心感を覚え、異質な部分が多ければ不安感や不信感を抱くように動物は作られています。 人間の場合にはこれプラス精神的な要素が加わりますが、認識を行う部分は常に存在するため、差別の原因たるものを有しているのです。 もう一つ要素を挙げるとすると、異質さへの慣れが存在します。 異質だと認識してもそれが常に存在し続けると、その物への認識力が落ちる、ないしは危険が無かったわけであるから異質から応じる不安感や不信感が減少していくのです。 この異質なものへの順応性は他の身体能力などと同様に個体差があり、また若いうちほど順応性が高くなる特徴があります。 日本人の外人が苦手な意識や、一部差別といわれる行為の原因も他者認識によるものと考えることが可能です。 都市部でこそ他国の人が増えてきましたが、日本は島国と言うこともあり、日常ではほぼ日本人のみと接しています。 異質さと言う面では、同じ日本人同士に比べれば極めて異質な部分が多くなるため、本能的に不信感や不安感が募ることとなります。 様々な人種が大勢居る国であればあるほど、若いうちから接したか否かによりこの認識から受ける不信感や不安感は変ってくるため、日本人の場合、外人を意識してしまうことになるのです。 同質さ異質さから本能的に感じる感覚は、動物として生存していくためには欠かせない能力なのです。 危険なものを認識できなければ生き残れる可能性が低くなります。 自己と他者を認識する限り差別の原因たる要素は存在してしまうため、本当に差別と言うものをなくすためには、自己認識をしないようにするしかないのかもしれません。

emr2008
質問者

お礼

回答有難う御座います。 自己を形成するために、他人を差別するならば、 それは人間の悲劇です。 他者を認識することがは、差別につながる事は ままあると思いますが、認識を差別たるものにするのは、 自分自身でしょうね。

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  • nidonen
  • ベストアンサー率55% (3658/6607)
回答No.8

 差別の根底にあるのは、異質なものを排除する意識です。 これは人間に限らず、集団生活を送る動物にも存在します。 人間が集団生活や社会生活を営む動物である以上、異質な ものに違和感を感じるのは、本能的だと言えます。 > 差別を行う事に利点はないと思うのですが  差別が自己防衛として行なわれるときは、差別側には利点が あります。たとえば、ある国、町、仲間内でのルールを破る者は 差別され、ルールへの服従か、そこから去ることを求められます。 > どうして人間は他者を思いやれないのですか  他者を思いやるとはどういうことか? これは人によって 異なります。場のルールを破る人は、他者を思いやれない人 ですよね。この人が差別されるのは自業自得であり、本来は 差別という言葉すら該当しないでしょう。 例1)海外の宗教施設に、現地語か英語などで「撮影禁止」と 書いてある。それを読めない日本人観光客がバシバシ写真を 撮った。現地では日本人に対する反発心が生まれ、日本人は お断りという扱いが取られるようになった。  これを差別と呼ぶかどうかは、観察者の立場によります。 「 それは日本人のほうが悪い 」と言う人もいるでしょう。 では、次のケース( 実例 )はどうでしょうか。 例2)北海道の銭湯にロシア人が来るようになった。彼らは 体を洗わずに浴槽に飛び込む、船員なので体に油や鉄サビが こびりついておりそれを浴槽内で洗う、泥酔のまま銭湯に入り 大騒ぎして他人に迷惑をかける。こういう具合なので困った 店主が「 外国人お断り 」の看板を掲げたら、差別だとして 問題になった。  例1と例2を比較して、どちらに問題があるでしょうか? 現実には、海外での日本人差別に関しては「 現地のやり方に あわせるのが礼儀 」で済まされ、国内での外国人差別に対しては 「 絶対に許されない 」という論調が強いです。これはダブル スタンダードと言わざるを得ません。  なお、このように一般民衆の中から生まれる差別と、施政 者が意図的に作り出す差別は、分けて考える必要があります。 差別を巧妙に利用したのは、植民地を運営していた欧州列強 ですね。華僑や印僑を植民地に送り込み、彼らに経済運営を させることにより、現地の人たちに差別心を植えつけました。  この差別心は、ひとつには宗主国に対する反発をそらす ために有効でした。あと植民地には複数の部族がいますが、 彼らを「 先住民 」としてひとくくりに支配するためにも 有効でした。ビルマではイギリスが、優勢なビルマ族より 少数民族を登用することで、部族間の憎悪を生み出しました。 こうやって、宗主国は巧みに差別を利用していったのです。

emr2008
質問者

お礼

回答有難う御座います。 異質なものを排除するのはある対集団間での事と考えるならば、 人間はエリアを矮小にとらえていると感じます。 地区感、国間、大陸間というエリアではなく、 人間という種として改めて考える必要がありそうですね。

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noname#81954
noname#81954
回答No.7

他人を見下す事によって自分のアイデンティティーを確立するからです。 自分の方が優れている、恵まれている、自分も不幸だけどあの人よりはマシだ、あの人よりは美人だと思う、うちの家の方が大きい、お金持ちだ、 あの人のお父さんはサラリーマンだけど私のうちは医者だ、 差別はそういう小さな優越感の集大成ですね。 差別を肯定している訳ではありません。 ただ、人間という生き物がいる限りはなかなか無くならないでしょうね。 皆が全く同じ文化レベルで生活していて、収入も同じで、顔かたちも同じで、体系も同じで、人種も同じで、、 そうでもないとなくならないでしょう。 逆に言うと心の弱い人間ほど差別をするのでしょう。

emr2008
質問者

お礼

回答有難う御座います。 人との違いを認識することで自己を確立することは、 間違いないでしょう。 その認識として、差別を用いるならそれはとても悲しいことです。

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noname#91323
noname#91323
回答No.6

>>他者を嘲笑い 動物が競争の中で生き残ってきたのはこれがあったからでしょう 一応ひとをあざ笑ってはいけませんと道徳では言いますが。 >>隣人と仲良くなれないのでしょうか 利害が絡まなければ仲良くやれるものです >>どうして人間は他者を思いやれないのですか? 自分に精神的や物質的その他の優越感があるから思いやれるのであって、個人差は相当あります 思いやりが少ないのは人類が競争をして 進化している証でもあります 普通の差別は優越感の塊であり、差別されたほうは反骨心が芽生え最後は生物的には勝利することが多いのです

emr2008
質問者

お礼

回答有難う御座います。 思いやりが少ないのは競争して、進化しているから ということは少し疑問です 競争することで思いやりが少なくなるのならそれは 人間レベルの停滞です。

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  • goodn1ght
  • ベストアンサー率8% (215/2619)
回答No.5

弱い人は自分に自身がないと他者を差別して優越感を味わう。

emr2008
質問者

お礼

回答有難う御座います。 その通りでしょうね。 相手を見下し、自分を武装するのでしょう。

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回答No.4

差別をしようと思って差別をする人はいません。差別が差別だとわからないから、人は差別をするのです。 たとえばあなた自身、「差別をする人」をあざ笑ってはいないでしょうか。「差別をする人」のことを、おろかな人、とか思っていないでしょうか。正直なところ、あなたの「質問」には、そういうニュアンスが感じられます。それはそれで、ひとつの差別ともいえます。 人は人のことを見下すことで、優越感というものを感じてしまうところがあります。そして、「自分は差別をしていない」というのも、優越感のひとつであったりするのです。その気持ちこそが、差別の「動機」ともいえます。 人は誰でも、差別をしているかもしれないし、偏見を持っているかもしれません。私自身、差別をしていないとはいいきれません。それをおそれ、常に自分の言動を振り返り、「差別ではないか」と思って、それでも実際には気づかないくらいのものですから。 人はなぜ、人を差別するのか、その答は、「優越感」と「己を省みないこと」といえます。私の経験上、「自分は差別なんかしない」と思っている人ほど、ひどい差別をしているものです。 繰り返しますが、差別と思って差別をする人はいません。思いやりとか利点とか、そういう問題ではないのです。差別を差別と気づけないこと、そして、人を見下す優越感の卑しさに気づかないこと、それが差別がなくならない「理由」です。

emr2008
質問者

お礼

回答有難う御座います。 差別という言葉に全てが含まれるとは感じません。 それは隔てであり、認識であり、価値観であると感じます。 つまり許されるものと許されないものです。 しかし差別は差別を受けた側がそう感じた時に差別になります。 だからこそ気付かない者も多いのでしょう。

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