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差別をなくしたい
差別をなくしたいです。 といっても、人を変える・社会を変えるといった大それた事ではありません。 自分自身を差別意識のない人間にしたいんです。 (差別をしない人間ではなく、意識そのものを変えたい) 差別は格差・人種・外見・趣味趣向など全般に対してです。 頭の中ではそういう風に考えている事でも、 実際にそれに遭遇すると意識が勝手に動いてしまいます。 嫌いなスポーツを見たら不快になったり、ブサイクな人を見たら軽蔑しそうになったり、 知らぬ間に差別的な意識を持ってしまう事があります。 価値観は人によって違うのに、凄く失礼な事だと思います。 そして、頭で考えられるようになってから後悔してしまいます。 今まで20数年生きてきて、ここから意識を変えるというのは難しいかもしれませんので 同じような意識を持つ人のアドバイスを聞かせてください。
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私は人を嫌わない人間として、周囲から聖人かつ変態扱いされています。 一般的に嫌われる人間と接触するので、周囲が非常に迷惑してます。 差別は、生物として不可避なものです。弱肉強食が宿命ですから。植物でも差別はあります。 差別をなくせると思っている夢想主義者なら回答しないのですが、意識を変えたいとお考えになられるのにはヒントのお手伝いをしたいと思います。 差別を意識しなくなる方法は、徹底的に人を分類する事。プロファイルです。 究極の差別主義者こそ非差別を行う事ができます。差別の本質を知らなければ、差別をなくす事はできないのです。 「犬と思えば腹も立たない」 これは漫画家の西原理恵子の格言なのですが、すごい差別発言ですが差別の核心で、自分に迷惑がかかる経験則で差別が行われている事実があります。「大衆が蟻のようだ」と発言する王は蟻に殺される想像がつかないのです。 上から目線という訳ではなく、自分の利害から一歩身を置いた距離に非差別はあります。 そしてプロファイルの分類全てに価値を見いだす事。その上で 「施しは求めない 与えられた分だけ貰う」 これは私の言葉ですが、今度は思いっきり下から見上げます。要求するから失望するんです。この心がない人が多いのです。 でも現実ってほとんどこれに当てはまって、愛情って無理して生み出せないし、お金だって仕事だってそう。人間の能力は自分の為には120%出せるのですが、他人に与える為に100%以上は出せないのです。 母親が子供に命を懸けられるのは、自分の分身で自分の財産だからです。 募金が成り立つように、人は何かに施しをしたい生き物です。でも施しに当てられる額は人によって違うのです。これが人の器の大きさ。 これを自分が与えている額と他人を比較してしまうのです。「自分ができるなら人も出来る筈」これがやぱり差別を生んでいます。 多かろうと少なかろうと人は他人に施します。捨てても構わない施しを一円たりとも逃さない乞食の精神が、心を平等にします。 王の目線と乞食の目線を同時に持つ事で、人の持つ「程」というものを知ることができます。 あと私がいつも心に留めている事で、 「好き嫌いをしないでピーマンも食べなさい」 って言われましたよね?なんでピーマンを食べさせられるのでしょう? 一生ピーマン食べなくたって死なないのです。治すべきはピーマンを嫌う心です。 なにかお役に立てるといいのですが。 注:乞食という言葉自体が差別用語とご指摘があるかと思いますが、乞食という言葉自体は「食を乞う」という古語です。王に対する適切な反語がない為に使用しました。
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- blazin
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感じてしまうのはある意味正直な感覚だからね~ でも相手を差別評価するほど貴方が偉いのか?と言えば 貴方に限らず誰もその相手の価値を決めることなんて出来ないんですよね。しかも自分の狭い枡で計った価値だから、そういう態度が自分自身の価値を結果的に下げてしまっている。 貴方自身がそうやって問題感覚を抱いているなら、大丈夫ですよ。 それを放置して自己中になっているのが問題であってね☆
お礼
回答ありがとうございます。 そうなんですよね。 感覚的なものの改善は不可能かもしれません・・・。 仰る通り、相手の価値を決める事なんて出来ないのに評価してしまう人は多いですね。
- karaagesan
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恐らく僕も同じような意識を持つ人間です。 差別的な行動を取る人間や、裏のある人間が苦手だったりします。 という事すら差別意識なのかもしれませんが。 ただ、意識するようになって差別意識をなくそうという「理想」には近づいている気がします。 自分に自信がないので、単に他人に憧れを抱いているだけかもしれませんけど。 差別意識を完全に無くすというのは難しい話だと思いますが、意識する事で理想には近づけると思うのです。 頑張って下さいね。 参考になれば幸いです。
お礼
回答いただけただけでもありがたいですm(_ _)m 確かに私も差別的行動取る人間が嫌いで、でもそういう嫌いという感情自体が差別なのかなとも思ってしまうタイプです。 ただ、なんか言葉で言い表せないのですが、差別しないようにしても感情というかそういう部分で受け付けない自分がいるのです。 難しいですが、頑張ります。
お礼
これは素晴らしいアドバイスを頂きましたね。 考えても見なかった事なので有り難いです。 つまり、前者は「全ての者を平等にどこかに分類する」という事ですよね? 例えば全部の人間を猫だと思ってしまえばいいとか。 確かにこの考えなら差別は生まれないかもしれません。 しかし、その場合人に対する愛情までなくなりますよね。 特定の人に愛情を抱く事自体差別意識のようなものかもしれませんが・・・。 そう考えてみて気づきましたが、私は両方を求めるから無理が来るのかもしれません。 聖人・賢者というものは愛を捨てて真理を求めるものなのでしょうか。 > 「施しは求めない 与えられた分だけ貰う」 > これは私の言葉ですが、今度は思いっきり下から見上げます。要求するから失望するんです。この心がない人が多いのです。 この部分は同感ですね。 「求めない」って本が昨年ベストセラーになりましたが、大切な事です。