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歴史には、自然科学における「普遍的法則」のようなものは存在するのでしょうか?

jayoosanの回答

  • jayoosan
  • ベストアンサー率28% (929/3259)
回答No.5

人間に性格があり、企業に企業体質があり、県や町や村に特色があるのなら、それらが構成した国家にも性格のようなものがあると思います。 また、そういった性格や体質が、似たようなことを繰り返す傾向があるなら、国も繰り返す歴史があったり、あるいはその国の歴史や政治には、ある傾向性をみることはできると思います。 また中国は、漢民族の王朝のときは、歴史上で似たような場面で、似たような暴動や陰謀がおきたりしているところもあれば、他民族(元や金・清)が中国を支配する時代では、統治や問題点への対応も異なるので、国の性格とは地理的な国というよりも、誰がその地を支配しているかでもかわると思います。ちょうど問題を起こしてばかり企業も、経営陣が外からはいり総入れ替えすると、企業体質と経営体質ががらっとかわるように。 またアメリカのように、移民を毎年一定量受け入れ、移民が足りないと抽選会も行っているような国では、国民のタイプもさまざまなので、今後どのような歴史をつくり繰り返していくかは見ていくに値します。 たとえば、多くの大陸(中国大陸や欧州大陸)では、長い年月の中で政治的にも民族的にも地域統合と分裂がくりかえされて来ましたが、アメリカも19世紀の南北戦争で国内の分裂と統合が終わり今後まったく分裂が起きない、とは現時点では言えないと思います。 ところで中国人が書いた、下記の本はおもしろかったです。 著者によると、日本の歴史をみると、中国大陸の王朝(政府)と親睦を深めていない時代や国交がない時代のほうが、日本は安定し文化的なものが国内でたくさんうまれている法則性があるというものです。 日本は中国とかかわらないほうがいいともいわんばかりの内容です。 「日中友好」は日本を滅ぼす! 歴史が教える「脱・中国」の法則 石平著 講談社 (2005/7/21) ISBN-13: 978-4062723275 ところでEUが統合の動きを開始した1993年に、イギリスが研究者を集めて20年後のEUの姿がどのようになっているか、要因を分析しながら研究をまとめました。それをBBCがドラマ化して放映しました。 そこでは、90年代の金融市場崩壊を指摘し(欧州の市場としていたが、実際は英国政府と米ヘッジファンドの英国ポンド通貨の売買バトルをきっかけに、タイ、韓国など1997年のアジア通貨危機になった)、21世紀の前半には世界の原油の取り合いを指摘し(現在のオイル高)、2013年にはアメリカは少数民族の数が増えすぎ、有色人種の大統領出現している可能性を指摘していました。オバマが勝てば、これも現実化します。 なお、欧州とアメリカは、今後オイルの権利でこじれて、欧と米のどちらかが爆撃をし衝突(戦争をするとまでは述べていない)、日本は軍を持っており(防衛省)中国の混乱に乗じて中国の沿岸部の経済的に豊かな地域に進出しているだろう、と指摘していました。

se_tutoie
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 大変興味深い事実をご紹介頂き、とても勉強になりました。 まず中国史に関してですが、確かにおっしゃることは中学・高校で勉強した際強く感じました。その時思ったのは、清朝滅亡後に新たにできたのは共産主義を旗印に掲げる毛沢東という名の皇帝を頂く漢民族の王朝が誕生したに過ぎないのではないか、ということでした。それはロシアにおいても同様で、スターリンという名の新しいツァーがロマノフ王朝のツァーに代わって登場したに過ぎないのではないか、ということでした。 次に日中史に関しては、面白そうなことが書かれていると思いました。ご紹介頂いた本は探してみます。 BBCのそのドラマも観てみたいのですが、番組名は何でしょうか?それが分かれば、もしDVDになっていれば探せるかもしれませんので。

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