• 締切済み

人間はついに自然を克服するのか

歴史上、農耕、工業で、細々と自然を改革しては来ました。 しかし、いまだに、地震ひとつ、台風ひとつ阻止することもできません。大局的にみれば、自然に翻弄されている存在であるという事実には、太古とさほど変わらないと思われます。 これが、いつの日か、本当の意味で自然を克服し、自然の驚異から完全に自由な存在、神に近い存在になる日が、人間には来るのでしょうか?それとも、ある限界点に近づくだけで滅亡するでしょうか?

みんなの回答

noname#117439
noname#117439
回答No.2

>神に近い存在になる日が、人間には来るのでしょうか? これの前に、人類が自ら作り替えた地球環境に人類自身が適応できるのか? このような問いが前提としてあるべきです。 「克服」の前に「適応」です。

  • 4371743
  • ベストアンサー率26% (174/663)
回答No.1

あなたはどの程度のことを見ているのでしょうか? 例えば地球の温度関係に付いてどのような認識でしょう。 フロンガスの問題。(フロンガスによるオゾンホールの問題) 二酸化炭素が増えた問題。 地球の砂漠化。(緑が減っている。) 太陽の黒点活動。 当然あなたもこれくらい知っているのでしょう。 そして、氷河期のときに原因となったのが太陽の黒点活動によると言ったことも。 では太陽の黒点活動の研究をどのくらいしているのでしょうか? これとは関係ない方、つまりCO2やフロンガスの削減の活動ばかりやっていて解決できるのでしょうか? 私にはこれが解決できないからこそ宇宙開発をやっているのだと言う認識です。 地球にずっと住めるなら宇宙開発は必要ないという観点です。

関連するQ&A

  • 人間はついに自然を克服するのか

    歴史上、農耕、工業で、細々と自然を改革しては来ました。 しかし、いまだに、地震ひとつ、台風ひとつ阻止することもできません。大局的にみれば、自然に翻弄されている存在であるという事実には、太古とさほど変わらないと思われます。 これが、いつの日か、本当の意味で自然を克服し、自然の驚異から完全に自由な存在、神に近い存在になる日が、人間には来るのでしょうか?それとも、ある限界点に近づくだけで滅亡するでしょうか

  • 「造化の神」の最高傑作は何だと思いますか?

    「神」が創造されたものに「傑作」とは失礼ですが、そう思いたくなるものが存在します。 私の場合、それは何かといえば、「猫」です。動物であるのに人間(特に飼い主)にかわいがられる術を天性的に持っている(与えられている)ことが驚異だからです。 さて、皆さんの場合、 どのようなもの、どのようなことが最高傑作となるのでしょうか。動物でも、植物でも、自然現象でも、何でもけっこうです。その理由とあわせてご回答をお願いいたします。   

  • 人間が人間としての自覚を持って生きるためには

    こんばんは。 遥か2500年も昔に 釈尊はこの世界の全てを論理的に理解して 「人間が人間として自覚して生きれば 人間は自然淘汰の競争原理を克服して 永遠に滅びない」ことを悟られたようです。 しかし 今現在 人間は人間として自覚することを疎かにして自らを滅ぼそうとしています。私は 人間よ人間に戻りなさいと言いたい。 釈尊の時代 人間は神の言葉(ロゴス)を創り 言葉でお互いに対話することにより共同体という社会を構成して繁栄していました。人間は(真、善、美)も創りよりよい生き方を模索しました。 しかし 強固な共同体は神を頂点としたピラミッド構造(階級社会)となり 人間ではない者が出てきてしまいました。 釈尊は 誰もが自分の思うようにならないので苦しんでいたりするのや人間が争うのを観て どうしたらいいかと考えました。 彼は この世界を五感で「あるがまま」に観ました。なんと彼は 全ての物が移り変わる「諸行無常」であることに気づいたのです。さらに あらゆる事象の「因果律」(エントロピーや不確定性原理等も含む)にも気づきました。 当時の人間は「輪廻転生」という概念も創りだしていました。 釈尊は 神の言葉をも創りだしたり 、「慈・悲・喜・捨」(慈しみ、憐れみ、随喜、落ち着き)の心を持つ人間は 一番尊い生き物であると確信しました。「天上天下唯我独尊」 それならば 一番尊い生き物である人間は 人間として自覚して生きれば 人々は「輪廻転生」という概念を信じているので 来世も人間として生まれると思うだろう と考えました。「極楽浄土」 また 人間でないものになろうとする人々は 争い殺し合い自然淘汰されるだろうと思いました。(神になろうとする者や人間としての自覚の無い者等) 1)この世界に「神」が存在するならば (神は全知全能であるので極楽浄土も輪廻転生も存在する) 一番尊い生き物である人間は人間として自覚して生きれば極楽浄土に逝き 来世があるならば人間にしか生まれ変わらない。 人間として自覚しない生き方をすれば 来世で人間に生まれ変わることはない。 2)この世界に「神」が存在しないならば  一番尊い生き物である人間は人間として自覚して生きれば争うことを止め助け合い その子孫は決して滅びることはない。 人間として自覚しない生き方をすれば 自ら争い殺し合い自然淘汰される。 釈尊はこの世界の全てを理解し 五感で認識できないものは考えても何も生み出さない(非我)として 人間が自ら人間として自覚して生きれば その子孫が生き残り人間は滅びないと信じたのです。釈尊の苦しみは無くなり心は静かになりました「涅槃静寂」 私は 「人間としての自覚をもって生きる」=「中道に生きる」ことができればもう何もいらないような気がするのですが。 貴方は 貴方が予想もしない災難に直面した時 「人間が人間としての自覚を持って生きるためには」 どのような新しい哲学を創った方がいいと思いますか?  「対話」による真理の追究が哲学だとも言えますが 何かございましたら よろしくお願いします。

  • 人間はしょせん猿の一種

    人間っていう動物は猿一種だと思っています。 人間のオスは人間界の猿山のボス猿になろうとし、金と権力を巡り、経済力や武力・火力を使って争い、メスはボス猿に気に入れられるよう化粧などで好かれようとしてこびへつらいます。 また、球技では犬みたいに転がるボールを追いかけては興奮してるクセに犬にボールを投げて犬が興奮している様子を見て偉そうに楽しんでます。 なのに「私達は動物じゃない、人間なんだ・・」などと言う、あくまで動物であり、猿の一種である人間がいます。 世界中でもっとも性格が醜くく、自然環境に良くない存在のクセにちょっとばかし知性があっただけなのに自分達が世界を作った神様にでもなったような気持ちでいるのでしょうか?? 今世界中でエコなどで環境に配慮している人間がいますが、環境に一番いいのが人間の滅亡だと思います。 そこで質問です、子犬ってどうしてあんなに可愛いのですか?

  • 私は神ですか?しかし、人間は神ではない。

    馬鹿で、非常識で、アホで、間抜けで、有り得ない・・・そんな質問ですよね?これって。 常識的に言って、1人1人は、生きては死ぬだけの、ただの生物であり、 ただの人間ですよね。 だから、ぶっちゃけ、1人が例え、死のうが、地球上には60億人、日本には1億人もの大勢の人がいるのですから、1人が死んでも、別にどってことないわけです。そりゃ、悲しむ人もいたりしますが。 だから、1人がどんなに頑張ろうとも、政治家になって、総理大臣にでもならない限り、どこぞの社長にでもならない限り、日本や世界へ多大なる影響を与えることは無理なわけです。 その上で、とあるブログをまた発見しました。 また、というのは、一度検索して発見していたブログだからです。 そこには、創造主が貴方、とあります。 つまり、創造主=神は貴方、という意味だと思います。 しかし、常識的に言って、私だって、他人だって、ただの人間であり、神ではありません。 神とは?そりゃ、すごい人で、なんだってできる存在ですよね? つまり、私は神ではないということです。 また、他人だって、神ではないということです。 これらは、常識であり、ほぼ100%合っていると断言できます。 この意見に反対する人達は、ただの馬鹿な、非常識な人々でしょう。 キリスト教など、宗教知りませんが、彼らだって、神=偉大な存在だと捉えていて、人間は神ではないとしています。 以下、引用します。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー http://www.vcafe.jp/harukanaima/blog/entry-16343 神はサイコロで遊びたかった 2013年02月20日 23:35 カテゴリ : 基本的な理解の整理 「神は創造主なので、当然、「確率」というサイコロを創造できました。 そしてサイコロで遊べる世界、「確率の世界」も創造できました。 さらに神の壮大なところは、確率の世界をもっと楽しめるように、 神であることを忘れた自分までをも創ったことです。 「地球次元」、あるいは「人間」という体験は、こうして創造されました。 『創造主であることを忘れた創造主』、それがあなたです。 あなたは神、創造主の一つの視点を担っている存在です。 あなたは本来、無限に広大な存在です。 ですが、いまそれを忘れているのは「神の計画」によるものなのです。 「自分をもっと体験したい」という神の衝動によって、 自分が神であることを忘れたあなたが創られたのです。 すべてを忘れれば、すべてのものが初めて触れるものになります。 すべての体験が新鮮なまま、深く、詳細に味わえます。 神であることを、創造を、深く体験するためには、 神を、創造を、新鮮な驚きをもって深くつぶさに味わうためには、 神である自分を忘れる=「神ではない自分」、 創造を忘れる=「創造できない」 という体験が必要になります。 その体験をより強烈なものにしてくれるツールが、 「確率」という機能だったのです。 確率に翻弄されれば、 自らが創造主であることなど想像すらできなくなります。 確率に翻弄されるなど、 もっとも創造主らしからぬ振る舞いです。 どんなものでも思いのままに創造できる創造主にとって、 これほど楽しめる体験は他にありません。 神の計画ですから、当然、完璧に成功しました。 あなたは自らの無限の広大さを完全に忘れ、 「確率」というシステムは完璧に作動し、 確率に振り回される世界とあなたが完璧に創造されました。 あなたは神の計画に見事に協力してきたのです。 神は『「確率」という体験』を創造しましたが、 神自身は確率に振り回されることはありません。 なぜなら、 創造主は自分の創造したものに支配されることはできないからです。 「確率」は、創造主である神の計画によって、 その計画の通りに寸分違わず創造されたものです。 『神はサイコロを振らない(アインシュタインの言葉)』のです。 しかしながら、この地球次元の体験から確率性が排除できないのは、 単にそのようにデザインされているからです。 そもそも「位置(”ここ”、”そこ”)」や 「運動(”ここ”から”そこ”への移行)」 「時間("このとき”、”そのとき”)」という、 二元性の世界に特有の相対的な現象自体が、創造された幻想なのです。 (さらに言えば、 「現象」という概念も、また「概念」も相対的な性質のものですが。) そして、 それらの現象の現われ方にも様々なバリエーションがあるので、 地球次元的な「位置」や「運動」、「時間」の実現のために、 「確率」という機能をこの次元に組み込んでいるのです。 すべては、『自分が創造主であることを忘れる』という体験を 可能にするためのデザインなのです。 『自分が創造主であることを忘れる』という体験の次元においてのみ、 「確率」が効果を発揮する、 『量子の不確定性(「不確定性原理」:量子物理学上の理論)』 という体験が可能となります。 ですから、 『量子の不確定性』も『神はサイコロを振らない』も、矛盾し合う概念ではなく、 それぞれ 『「確率」がその効果を発揮する次元』と『「確率」を創造した次元』 を説明しているのであり、 それぞれが認識している次元、解明しようとしている次元が 異なるだけなのです。 つまり、 どちらの考え方も成立する、言わば”正しい”ということです。」

  • 【日本は農耕民族だから?無宗教だから?欧米と違う。】

    よく日本人は農耕民族だから欧米の民族とは違うという話を聞きます。 むしろ、日本は多神教だから一神教を崇拝している民族とは違うと言うべきではないでしょうか? “日本は無宗教である”と何となく考えている人々が多いかもしれない。 日本はご存知の通り、日本は古代ギリシャ・ローマ同様に八百万の神がいる多神教の国です。 “日本は無宗教である”というよりも、“日本は一神教ではない”という言葉の方が適切だと思います。 多神教は何もしなくても勝手に雑草が生えてくるような、自然環境に恵まれた風土に発生します。 自然に対する畏敬の念が、それを生み出す。 そのような環境は中国の南方の長江流域、韓国にも存在するが、現在、中国は共産主義という一神教、韓国はキリスト教に蹂躙されてしまっています。 中南米も同様にキリスト教に蹂躙されました。 ところが、日本は一神教に蹂躙されたことのない世界でも稀有な存在であり、日本列島が世界において独自の文化圏を構成しているといって良い。 一神教は、砂漠の民が生み出した宗教だが、厳しい自然環境を反映して、現世とは超越した絶対的な神の存在を創造しそれに祈りをささげた。 素朴な自然崇拝を起源とする多神教とは根本的に違います。 大東亜戦争の敗戦により、米国的な思想が流入し、多神教的な文化や伝統芸能などが、古臭いもの、前時代的な遅れたもの、として大きく衰退しましたが、今も尚、日本人の心の中には、八百万の神は存在します。 具体的に言えば、初詣やお宮参り、受験対策で天神様、など枚挙に暇がない。 その祈りは、特定の神を対象にしたものではなく、滝や山が御神体になったり、天竺(インド)、震旦(中国)から伝わった仏教と日本の土着の神が融合した神々であったりする(学問の神様、商売の神様、恋愛の神様・・・)。 また、神社仏閣を問わず、家内安全、商売繁盛などのご利益を祈る行為自体が多神教的です。 クリスマスも気にせず盛り上がれる点も同じでしょう。 みなさんが思う「日本と欧米の違い」はどこですか?

  • 「いじられやすい人間」を克服するには・・・?

    題名にあるように、私は「いじられやすいタイプの人間(男で年齢は20代前半のサラリーマンです)」なのだと、よく周りから言われ、自分でもそれを実感はしています ただ、いじられると(※結局のところ、私はこの行為を「相手のことを見下し、馬鹿にする行為」と認識しています) 腹がたってしまいます。虫の居所が悪いときは腹立ちが表情や態度に出てしまうこともよくあります。そのせいで以下のように悪循環を招いてしまっています。 (社内での例) いじられる  ↓ 表情、態度で苛立ちが相手に伝わる  ↓ 「おいおい、こんな事で怒るなよ。冗談じゃん(笑)」とまたいじってくる  (※最近はちょっといじるとすぐ切れる愉快な奴と認識されています)  ↓  この空気が部署内全体に広がってしまい、後輩までもいじってくる  (※とうとう後輩にまで(爆笑)と悪化する)  ↓ 仕事していて集中している時にいじってきてうっとうしいので聞こえなかったふりをすると 「無視しとんか?(笑)なぁ、無視しとんか?なぁ!なぁ!」としつこく、ノイローゼになりそうになる・・・  ・  ・  ・ こういった状況に今あります 人付き合いの人生相談としての回答でよく見かけるのは、 ・相手が悪いと決め付けているあなた自身に問題がある。まずは自分の心構えや相手への思いやり を考え直す必要があるのでは? ・嫌なことははっきりと相手に伝えるべき。うじうじしているその姿勢がさらに相手の反感を買ってい  ると自覚すること といった物をよく見かけますが、「いじる・いじられる」も上記の対策で解消されるものなのでしょうか・・・ 少し論点が変わりますが、私自身、上記のような「いじってくる先輩、同期の事は決して嫌いではありません(むしろ逆に一緒にいて楽しいと感じる人もたくさんいます) またプライベートで会う友人達にも似たようなタイプの人間もいます。人柄もとても良い人だと認識している人もいます ただ、複数人で集まって「集団」というものになると、どうしてか「いじるタイプ」「いじられるタイプ」というものに分かれてきて、腹立たしい「いじる」という行為が始まります。  理不尽に不愉快ないじりをしまくる友人に言わせれば、場を盛り上げるためだとか何とか・・(何か可笑しい事、不思議なことに対して的確に突っ込んで笑いを起こす、という事はとてもおかしく場の空気も和やかになるので、私も大歓迎でたまに自分自身でそれを試みたりもします。が、これは「ツッコミ」とうものなんではないかと、、、) 私はいじられたら腹がたちますが、友人に私以上にいじられやすい奴がいるのですが、そいつを理不尽にいじって笑っている友人達を見ていても腹がたちます。 さらに、日頃いじられ役の私がいじり返すと、とても腹がたつらしく場の空気が悪くなります ・・話がそれてしまい申し訳ありません・・ つまり、現状私は「他者をいじる」というものはどうしても必要なもので、身の回りから無くす事はできないのだろうな、と感じております。 なので、私のいじられやすい性質を少しでも軽減すべく精進しています(話題についてわからない・知らないを減らすよう色々と勉強したり、仕事ができる人間に早くなるよう努力等) ただ、どうしても理不尽ないじりに遭遇すると、とても不愉快になるのは現状どうすれば良いのかわかりません・・・ 似たような悩みを抱えていて、こういう風に振舞ったら とか こういう風に考えれば克服できましたよ。というアドバイスがあればお聞かせもらえませんでしょうか? よろしくお願いします  

  • 信仰について

    宗教を学問として学んでいる方は、 神様の正体の一部をご存知かと思うのですが、 日ごろ、神の存在をどのように捉えているの でしょうか。 私は比較的、神や霊の存在を信じている方 なのですが、最近、神道も作られた部分が かなり多いと知りました。乱暴な言い方ですが、 神様はいないと思ったわけです。しかし、 やはり年始には神社へ参拝したくなりましたし、 自宅の神棚に手を合わせる日もあるのです。 この神様の存在を信じる気持ちは、 どこから来るのでしょうか。 人の潜在的な死への恐怖からでしょうか。 以前、ダ・ヴィンチ・コードが話題になったとき、 アメリカ人の知人が、『キリストが誰であっても、 彼の教えが素晴らしいことには変わりない』と 言っていました。確かに、キリストは殺人や強盗が 当たり前だった時代に、人としての在り方を説き、 宗教が絡んだ人間同士の争いなどを除けば、 人々を平和な世界へ導いた優れた人物です。 彼が人間であれ、神の子であれ、彼の教えは 否定されるものではありません。 一方、神道に教義は存在しません。 かつて日本人は、木や岩などの自然に神秘的な 力が宿っていると信じていましたが、現代では、 天災や自然破壊による影響などの特別な場合を 除いては、自然が人の生死に直接影響を及ぼす 例は少ないことは誰もが分かっています。また、 例えば、樹木の多い神社に行き、すがすがしい 気持ちになる理由は、ある種の樹木には 精神を安定させる作用のある物質(香り)が 出ているからだと、私は考えているのですが、 そのように、信仰が人に与える影響も 科学的に証明できることが多いはずです。 それでも、合格祈願、厄払い、えんむすび、 ありとあらゆるお願いをしに、神社に行きます。 日本人は、神道からどのように安心感を得ている のでしょうか。

  • 自然が人間を滅ぼすなら

    自然が人間を滅ぼすなら、 何を仕掛けてくると思いますか? ここで言う自然は、人間以外の生態系のこととします。 変な質問ですみません。 毒とかウイルスはなんとなく想像がつくから、それ以外の答えがいいなぁ……。

  • 参議院 開票終了 で、結局民主党の闇法案は阻止できるのでしょか?

    参議院 開票終了 で、結局民主党の闇法案は阻止できるのでしょか? 素人の疑問にお答え下さい。 民主党 44 自民党 51 公明党 9 共産党 3 新党改革 1 社民党 2 たち日 1 みんな 10 合計…121 の結果に終わったようですが。テレビでは「民主が過半数割れで法案が通らない可能性」 等と言っていますが。売国議員の割合は民主が9割、自民が2割、公明が10割、共産10割、新党改革が10割?、社民が10割、たち日が0割?、みんなが9割? という前提で計算すると(超単純計算です…) 全体で売国議員が 73.7人、愛国議員が47.3 四捨五入で74 対 47 です。。。 単純計算ですが、これってオワタ。。。って事ではないでしょうか? 衆、参とも売国議員が過半数であれば外国人参政権やら、人権擁護法やら、国会法改正やらの 日本滅亡法案が通ってしまうと思うのですが、だれかお詳しい愛国者の方、教えてください。 おそろしくて流しそう麺も喉に通りません(苦笑)