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沖縄の集団自決に類する例

私は考えますに、沖縄の集団自決(真偽とか件数はさだかでありませんが、火のないところに煙は立たないと思っています)は、沖縄という日本の属州的な歴史をたどってきたような場所で起こってしまった、一種の人種差別的要素の大きかった歴史のようです。もし、本土上陸がいきなり行われたらば、それは要求できなかったのではないだろうかと。 その考えが正しいのかわかりませんが、多少そういうことがあるならば、世界史の中、特にこの100年くらいの近代戦の最中で、似たような歴史はあったのでしょうか?ソ連のポーランドに対する「ワルシャワ蜂起」なども、何か似たにおいを感じるのですが、どうなのでしょうか。

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  • at9_am
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回答No.3

沖縄の強制集団自決、ね。 正直、何を指して「軍の強制」があったとするのか、よく分からないのですよ。 旧日本軍の、東京などの上層部からの強制はありませんでした。 沖縄にいた守備隊司令部からの強制自決命令もありませんでした。 ・・・ 住民は「日本軍の兵に自決を迫られた」と証言しています。 ということは、住民の証言が正しいとすると、この間のどこかで集団自決を強制させた命令が出たわけですが、さてどのレベルでしょうか? 少なくともあまり上位からの命令ではなさそうですし、命令自体は記録で確認することができません。 もっとも軍に限らず一般に、捕虜になるくらいなら死んだ方がまし、との考えが広がっていたことも背景にはあるとは思います。つまり、捕虜として苦しませないために自決させる、というわけです。 とはいえ、集団自決があったとして、原因を日本軍の体質、特に人種差別的要素に求めるのには賛成できません。例えばパラオなどの南洋諸島ではまず住人を避難させていますし、沖縄戦でも事前に九州などに避難させようとしています(が、避難船を沈められて中止しています)。 さて。 > 特にこの100年くらいの近代戦の最中で、似たような歴史はあったのでしょうか? 有名なのは、ソ連のスターリングラード辺りでしょうか。その辺の住人を兵に仕立てて、銃は二人に一挺(一方が戦死したらその銃をひろって戦う)、逃げようとしたら後ろから機銃掃射、という、ある意味沖縄戦よりも過酷なやり方です。 もう一つ有名な例としては、ソ連・朝鮮半島・中国などで数多く行われた、焦土作戦です。撤退する際には、その地域に一物も残さず略奪・破壊し尽くす、という方法で、特に中国は歴史的に得意としています。歴史的に有名なのは董卓が曹操に攻められて洛陽を放棄したとき、洛陽を略奪し尽くし破壊し尽くした例(歴代皇帝の墓まであばいた)です。 近代では、中国国民党軍も行っていますし、ソ連軍も独ソ戦の初期に大規模に行っています。 ただ、この辺りは、軍の中枢からの命令によって住民虐殺・略奪・破壊が行われているので、沖縄とは少し事情が異なっています。 因みに。 > 昭和天皇は戦後慰問に沖縄は訪れませんでした。不幸にして上陸作戦が実際に起こったからでしょうか。 とありますが、周囲の思惑は兎も角として、昭和天皇陛下は、様々な事情によってご訪問は叶いませんでしたが、陛下ご自身は機会があれば沖縄と中国・台湾に行くことを望んでおられたと聞いています。

garcon2000
質問者

お礼

いろいろと、複雑な要因が絡み合っているということなんだと思いました。情報というのはあるところから一人歩きし、感情論と結びついてしまうという恐ろしさがあります。そういう例なのかもしれません。 スターリングラードの逸話は知りませんでした。本土の戦場というとき、いつも一般住民をどうするかはついてくる問題ですね。実態はおぞましいことが結構あるようです。

その他の回答 (6)

  • jayoosan
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回答No.7

「火のないところに煙は立たない」も1つの考える上での道筋ですが、「沖縄の人がすでに日本人であり内地と一丸と考えていたため、自ら地域住民の自決を申し出たが、日本兵に止められた」という逆のケースは、想像もつかないですか? もちろん強制がゼロとはいいませんが、曽野綾子が「ある神話の背景」、秦郁彦という人が「歪められる日本現代史」で、沖縄人も含めた証言をもとに、なにが起こっていたかをあばいています。 また、それら証拠・証言のため、大江健三郎がなぜ訴えられたかもわかります。

garcon2000
質問者

お礼

想像つきますね。何がどうゆがめられているか、ぼうっとしていると何も入ってこないところが恐ろしいものです。

  • komes
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回答No.6

当時の日本は捕虜になる事は恥と考える風習で沖縄に限らず何処が戦場になっても同じだったと思います。 一億玉砕という標語に従い皆死ぬ気でいたのです。 たまたま沖縄が戦場になっただけで、人種差別などという概念はなかったとおもいます。  広島、長崎の原爆死した方々にたいし運が悪かったと想いこそしても差別の感情がないのと同様です。 命令のあるなしなどは論議にもなりませんでした。 勿論これを日本人特有の生命軽視や洗脳の結果と思いますが当時は普通の思考だったと思います。 近代の戦争は非戦闘員も巻き込む総力戦ですから敵味方とも程度の差はあっても同様な事態は起こっています。

garcon2000
質問者

お礼

どうも、出身兵の割合やその他の状況から、あまり差別的というようなことはなさそうです。

  • buchi-dog
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回答No.5

ここは議論をする場ではなく「質問して回答を得る」場なのですが、ご質問は何ですか?「火のないところに煙は立たない」とか、質問者様の雑感のようなものが書いてあるだけで、肝心の質問が明らかでないので補足をお願いします。 敵軍侵攻下の非戦闘員の集団自決ですが、ソ連が侵攻した満洲で集団自決が確認されているものだけでも数十件は起きています。全員死亡で情報が残っていないものを加えればさらに増えるでしょう。また、集団自決しなくても、ソ連軍や現地人の略奪暴行によって無一文となった日本人の多くが、昭和20年の冬を越せずに餓死・凍死するか現地人に身売りして「残留婦人」「残留孤児」になりました。 ドイツ軍がソ連に侵攻し、ソ連軍が逆襲に転じてドイツ本土に侵攻し、ベルリンを攻略するまでの過程で、ソ連軍によるドイツ人非戦闘員に対する満州で行われたのと同様の無制限の虐殺暴行略奪、民間人・ドイツ軍将兵の自決が無数に起きたとも伝えられています。 ドイツ軍将兵の自決が相次いだのは、ソ連軍の捕虜となるのを恐れたからです。ソ連軍のドイツ軍捕虜に対する扱いは過酷極まりなく、生還できた者は僅かに過ぎません。 参考文献 捕虜 誰も書かなかった第二次大戦ドイツ人虜囚の末路 http://www.7andy.jp/books/detail?accd=31933753 映画「戦場のピアニスト」で、主人公のユダヤ人ピアニストを助けたドイツ軍将校が、ソ連軍によって捕虜収容所に送られる描写、「我々を助けてくれ」と訴える描写がありました。この将校は実在の人物で、実際にユダヤ人の救済を行い、ユダヤ人による弁護にも係らず、ソ連の捕虜収容所で虐待を受け、終戦から7年後の「1952年」に「スターリングラードの捕虜収容所」で死亡しています。 ヴィルム・ホーゼンフェルト http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%82%BC%E3%83%B3%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%88

garcon2000
質問者

お礼

独ソ戦のその後については、戦中にも劣らない悲劇が繰り返されたようです。ソ連というのはなんとも恐ろしかった。独ソ戦と日ソ戦における自決がおびただしいものだったとは想像できます。

  • pri_tama
  • ベストアンサー率47% (678/1421)
回答No.4

 ドイツのベルリン戦でも、ソ連占領時に大量の自決者が出ています。  戦争に負けた側に自決者が出るのは、珍しくないと思うのですが、なぜ沖縄戦での出来事を持ち出して、「人種差別的要素」と仰るのでしょうか?  沖縄より遥かに植民地としての要素の強い、満州や南洋諸島(サイパンでの自決は有名ですよね?)で、所謂「軍関与による自決」が問題になっていない事を、質問者さんはどう考えていらしゃるのですか?  また、要求したと考えておられる日本軍ですが、116,400人の内、2万人が学徒隊、現地で緊急動員が2万人、以前から動員されていた人たちを合わせれば、日本軍の過半は沖縄県民になる事を忘れてませんか?(上層部は本土出身者が多かったと思いますが、彼らが指示したという証拠は有りませんし…。)  質問者さんは、沖縄県民は軍に所属した瞬間に、同胞たる沖縄県民を差別すると考えているのでしょうか?

garcon2000
質問者

お礼

ベルリン占領は、ソ連軍(恨みがある)だったという、非常に脅威な状況だったでしょう。 サイパン等の問題に関して考えると、どうして沖縄でだったんでしょうか。沖縄同胞の出身兵がそんなにいたとは思いませんでした。これは十分反論に値する事実だと思います。

回答No.2

> 火のないところに煙は立たない  その通りですよ。昭和40年代に沖縄で作られた沖縄戦史を読めばその実態がわかります。  そこには自決強要の文言は一つもありませんし、日本軍の命令から外れた敗残兵による悪態行動はあったと記されています。また、集団自決に関しては「戦後、軍の命令があった」という記述にしてくれというお願いはあった(軍命令だったにすれば遺族恩給が出るが個人や村の命令だった場合は出ない)そうですが、未だどの文書からも軍の命令は確認されていません。  但し僅か私の書いた六行もはしょれば自決強要や軍の横暴があったという文章は作れます。 日本軍兵による悪態行動はあったと記されています。また、集団自決に関しては「軍の命令があった」 火のないところに煙を立たせることは出来るんですよ。 もし、あったと考えるなら自ら学者となって固定観念を廃して史料調査をすることです。間違っても反対意見の論文があったら考察なしに図書館などから圧力をかけて撤去させたりするのではなく、論証してみせることです。

garcon2000
質問者

お礼

真実をできる限り実証的に、客観的に捉え、それを責任者が誠意を持って公表するという姿勢は、民主主義にも何の体制でもきたいできないものなのでしょうかね。たいへん遺憾なおもいです。

  • Us-Timoo
  • ベストアンサー率25% (914/3620)
回答No.1

>縄という日本の属州的な歴史をたどってきたような場所で起こってしまった、一種の人種差別的要素の大きかった歴史のようです。 >もし、本土上陸がいきなり行われたらば、それは要求できなかったのではないだろうかと。 なにを想像で勝手なこといっているんですか? 当時の日本軍でなくとも官権寄りの民間人でも同じ様なことを言っていますよ。 実際、本土に鬼畜米英が攻め込んできたら、自分の身をもって向かって行け と機関銃や鉄砲を持っているアメリカ兵に竹やりを持たせて向かわせようとしていたのと、 何が違うというのですか? もしも、本土決戦になって竹やりでせめてダメとわかると、手榴弾で 官権寄りの民間人が言いにくるに決まっています。 実際、当時はそういう風に教育されていましたし。 だからこそ、サイパン島のバンザイクリフのような悲劇が起きたのを お分かりではないのですか? 確かに、日本軍のやった思想教育は許せないものがありますが 勝手に想像でやってもいない・思ってもいない尾ひれはひれをつけて 話をゆがめた方向に持っていくのはおかしいと思います。

garcon2000
質問者

お礼

官権よりの民間人とはどういう人なんでしょうか?しかし、そう妄想?している人もいるということなんでしょうかね。民間兵組織は同様に行われたのかもしれませんが、本当に姿勢が同じだったのでしょうか。昭和天皇は戦後慰問に沖縄は訪れませんでした。不幸にして上陸作戦が実際に起こったからでしょうか。もし、鹿児島や千葉の上陸があれば、同様に慰問に行けなかったでしょうか。もちろんそうなったら日本の戦後の歴史はまったく違っていたのでしょう。 その辺がわからないところです。

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