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数助詞と抽象化

noname002の回答

  • noname002
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回答No.9

この御質問、やはりオモシロいので、また参加させてくださいネ。(ANo.7です) >数学で言う「数」とは、その集合が持っている あらゆる個性や特徴 を消去しても残っているある性質 私は先の投稿で「分類」(できる)ということを挙げてみましたけれど、よく考えてみると「分類」すること自体、「抽象化」を伴う作業なんですよね。つまり数助詞(助数詞)を使うということは、「何が」「どのようなものが」という「具象」の枠のなかにおいて抽象化を図っていることになる。 これには、漢字の影響が大きいのではと思います。漢字は、もともと絵のようなものから発展してきたそうですから。 たとえば1本2本の「本」、これは長い物、細長い棒状のものを表すようですし 鏡などを数えるときの「面」、これは平たいものを表現しているようです。 そのほかでは、動物は「匹」、大型動物なら「頭」、鳥は「羽」… 『ウィキペディア(Wikipedia)』:東アジア言語  によれば 数助詞・単位語:日中韓越及び東南アジア大陸部・島嶼部の言語は数助詞すなわち単位語がよく発達している。(名詞と数助詞の関係は厳密ではなく、この点では他の言語よりも分析的ではない。) 分類毎に数え方を変える方式はこの地域の他に南北アメリカ大陸の西側の原住民に共通である。この事から数助詞の発達は環太平洋地域の特徴といえる。 ということです。 前回、数学カテゴリでなさったという御質問『数詞と抽象化の関係』もザッと拝見してみました。 >英語では、 How many cats did you see? と聞かれた、 I saw two. も I saw two cats. も正式な表現です。 この >I saw two cats. これは、むしろ、あまり抽象化しているとは言えない表現のようにも思えます。 ANo.8のかたのお話と合わせ、質問者様御自身、仰っていらっしゃることですが >5秒+5g は意味がありません。 実際問題、全く種類や分野が違うものの枠を取っ払い、すべて一緒くたにして数えてしまうというようなことは、日常生活のレベルににおいても、まずしない(しても意味がない)ことだと思います。 ちょっとオモシロいサイトがありました。 ~中国語の助数詞の主な役割が 後に続く名詞の形状を予告しておくことによって思考回路の流れをスムースにする点にあるということ http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2007&d=0502&f=column_0502_004.shtml ~蝶の数え方は「頭」なんだそうです。 何故、「頭」なのかというと、標本体としての数え方なのだそうです。 http://www.alpha-net.ne.jp/users2/nabikobi/kazu.html 南方熊楠先生のことは私も、かねて聞き及んでおりますが、このかたの場合は、脳生理学的見地から見て、むしろ異常性があったと言えるかもしれませんね。それにしても、こういうタイプのかたは、日本人であれ、どこの国の人であれ、なかなか出現するものではないように思います。でも、できれば我が日本から、また、このようなかたが現れてほしいものですね。 『南方曼荼羅』、興味を持ちました。ちょっと調べてみます。

cyototu
質問者

お礼

お礼が遅れて申訳ございませんでした。 面白いご意見を頂けて、この質問をした甲斐があります。 >後に続く名詞の形状を予告しておくことによって思考回路の流れをスムースにする点にある その通りだと思います。#6さんのお礼にも述べておいたのですが、数助詞は抽象化=>具象化の思考回路の流れをスムースにしてくれるので、抽象化の本当の意味での機能を完結するための巧妙な装置だと思います。 重ねてお礼を申し上げます。

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