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数助詞と抽象化

mmkyの回答

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  • mmky
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回答No.6

「日本人はそこまで抽象化出来なかったようです。」 というか私も認識力の違いだとおもいますよ。日本人しか知りませんが日本人は物理・数学・哲学なんでもいいんですがそれはそれなりに消化してしまう恐るべき認識力を持っていますね。数学の5と物理の5と数え方の5と別々にそのまま認識してしまうのですね。共通化しないと認識できないということではないですね。私も外国に長くいましたが西洋人やユダヤ系の人々の認識力の狭さ(偏狭さ)にはまいりましたね。 逆に西洋人の思考パターンは単純なのであわすことは簡単にできますし、行動予想も至極簡単ですね。これは抽象化しているからでしょうかね。逆に日本人の行動パターンは西洋人には理解できないようですね。 回答者さんのなかにテンプレートに何でもいれるというのがありますが、何でもそのまま認識できるというのはとくに工学分野で役にたつ能力ですね。物理や数学も高度になればなるほど接続という概念が必要になりますが日本人は特性としてこの接続という概念、つまり高度な認識力を持っていると思いますね。数学問題の多くも日本人が持ち込んだ接続概念で解決していますね。 つまり、日本人は抽象化が下手ということではなくその必要がないほど認識力があるんじゃないかな。

cyototu
質問者

お礼

#6さん。お礼が長くなってしまったので補足欄を借りてお礼させて頂きます。 参考になる物の見方,有り難うございます。

cyototu
質問者

補足

私の直感が当たりました。こういう質問は数学欄で聞くよりも哲学欄で聞いた方が、いろいろな意見が出て来るので、教わることがありますね。 「抽象化」と「認識力」を使い分けるとは、参考になるご意見です。 私は研究生活の中で、抽象化能力があるかないかが創造過程の生産性を決定的している思うようになりました。抽象化はそんなに自明なことではありません。例えば、チンパンジーは多分3本の枝切れと3個の小石の間に「3」と言う共通した性質があることは理解出来ると思いますが、それと3本のバナナの間に共通性があるとは思えないのではないかと、勝手に想像しています。なぜならば、バナナは食べられるが、上の2つの物は食べられないからです。 西洋人の「鋳型はめ込み」行為の単純さの指摘も、参考になりました。 工学の対象とする物は人間が作った物ですから、それが何故そのように機能するかの理解に関しては、工学者は完全に理解しています。その場合には、単純化され過ぎた「鋳型はめ込み」でも判ってしまうのですね。物理の対象は人工ではなくて自然ですので、判っていないことだらけです。ですからほとんどの場合、物理学者は自分で何を言っているのか判らないで喋っています。にもかかわらず、自分が正しいと感じている直感を何とか表現しようとしています。 「接続」というのも面白い発想ですね、鋳型そのものに頼るだけではなく、鋳型と鋳型の間の関係なり、相関なりまで考慮に入れないと、判った気になれないと言う心持ちが「接続」にこだわる理由でしょうか。 貴方のご意見を読んでいて思い付いたことがあります。私は若い頃、抽象化とは個々の具体的な事象から、共通項としての何かを認識する過程、すなわち具象=>抽象の方向が抽象化であると捉えていました。しかし研究生活や優れた方々の講義を通して、実はその逆の方向,すなわち抽象=>具象を認識する能力が、抽象化には決定的であることが判るようになって来ました。例えば、数学では「コンパクトな集合」という抽象的な概念があるのですが、ほとんどの数学者はその意味を数学の定義通りに抽象的なものとして理解しているように見えました。ところが、世界的に優れた寄与をした方の講義を聞いていたら、コンパクトと聞くとボールを思い浮かべるのだそうです。それは空間の中にこじんまり纏まっています。それを聞いた時、今まで抽象的な言葉でけむに巻かれたような気がして一向に体得出来なかったコンパクトの概念が、いっぺんに判ったようになった気がしました。優れた研究者に共通した資質は、抽象化された概念に対応する具体的な例を幾つも数え上げることができることにあることに気が付きます。 そこで、日本人と数助詞について思い付いたのは次の通りです。数助詞は「数」という抽象化された概念に対応する具象例を簡単に思い浮かべる助けをしている物ではないのか。具象=>抽象の方向ばかりでなく、抽象=>具象も認識するという本当の意味の抽象化を理解し易くしているのでないか。そう言う意味で「接続」も同じような役割を演じているのはなか、というものです。

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