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キリスト教 差別

kigurumiの回答

  • kigurumi
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回答No.11

まだ頭の中が整理されていませんが、、、 >例えば、キリスト教は同性愛とか女性差別的な部分があると聞きました 他にはカソリックの絶対的な掟として、離婚・避妊・中絶・コンドーム使用禁止などありますね。 http://cafefran.exblog.jp/m2005-01-01/#274931 ここの『マグダラのマリアの福音書』を読んでみてください。 ペトロがマリアを敵視している様子が見られます。 ここから長い歴史の中でマリアはふしだらな堕落した売春婦となった噂を流した張本人は、ペテロであったのではないかと伺えます。 ちなみにキリスト教では悪口を言う人 悪い噂を流す人=サタン です。 他の人の悪口を言って連帯感を増したりするのは女の特権(ちょっと違うか?)なのですが、男でありながら女性的な面を持ったペテロだったようです。 最近になって「マグダラのマリアはふしだらな娼婦だと定義したのは間違いでした」と謝罪されたようですが、根も葉も無いことではなかったと思えます。 私の推理の域を出ませんが、マグダラのマリアはエジプトの神官で、神に使える役割をしていたんじゃないかと思えます。 イエスの母マリアももしかしたら、ユダヤ教の神殿娼婦だったのかもしれません。 そうなれば、神から授かった子どもで父親はいない という定義が成り立ちます。 ちなみに神殿娼婦は、現代の高級売春婦という概念とは違います。ユダヤ教にも神殿娼婦がいたようですが、エジプトの神殿娼婦・神官とは異質のようです。 原始キリスト教の異文化の解釈の違いから端を発して、21世紀にいたるまで、ズレが起こっているようです。 キリスト教は究極の自己愛の宗教だと思います。 『他人を愛するのは自分が神に愛されるのが目的。自分のために他ならない』 キリスト教の概念では、この自己愛から抜け出せないどころか、究極のオナニー(おっと、警告メール来そうだな・・笑)の学問だと思えます。 自己犠牲を払うのすら、自分のため。他人を助けたいからじゃあない。 人間臭くて、まっとうなのかもしれない。 だが、それを隠して偽善者ぶるのはいかがなものかとも思ったりします。 正直に「あたたを助けるのは神のため つまり自分が神から愛され天国に行けるかもしれないためです」って言えばいいが、普通こんなこときくと「なにをーー 」ってなるのかも。 だから一応「神があなたを助けるように私を派遣したのです」って言った方がトラブルが無い。 さて、さて、、、パラパラっと本をめくって・・・と。 ペテロがイエスに一番愛されたマグダーレンを敵視して弾圧していたようです。(外伝によると) ここで、いっそう女は男の家畜でしかない という概念を強固にしたようです。 その意志は後世のキリスト教にも受け継がれ、魔女狩りにまで伝承されていきます。 313年、コンスタンティヌス帝はローマ帝国がキリスト教徒に対しても、その他のあらゆる宗教の信者に対しても、”完全な信仰の自由”を求めることが"有益かつ適切である”とミラノ勅令により宣言し、キリスト教への弾圧はストップしました。 しかし、悩みはつきません。 キリスト教の宗派の解釈の違いにより、キリスト教同士の争いが耐えなかったのです。 それでニケーア公会議で、一番自分に有利な宗派の定義を認め、これ以外の解釈をしてはならないと決定しました。 異端排斥の荒らしが吹き荒れ、イエスは人間だったという宗派が消され、イエスは神だという宗派が残った。 この異端排斥は千年後の異端審問 さらに魔女狩りとして再び顔を出した。 『魔女の鉄槌』 これを書いたのはカソリックの二人の修道士。 「自由な思想を持つ女の脅威を世に知らしめること。そういう女達を見つけ出し、拷問し、抹殺する方法を聖職者に解き明かすのが目的として書かれた書物である とダン・ブラウンは言っている。 過去信仰を追求していたキリスト教初期の著作家たちは、教会にとって最大の脅威は女性であるという意見にだんだん賛成していっていた。 グノーシス派の大半は力の調和、つまり男性と女性の調和を訴えたが、初期キリスト教では弾圧していった。 異端反目駁を書いたイエレナイオスによれば、「女性はとりわけ大きな罪の重責を背負っていた。 お前達のせいに対する神の罰はいまでも続く。お前達は悪魔の門である、最初から女性が作られるときから問題があったのを心にとどめておくべきだ。女は曲がったあばら骨、男にまるで背を向けるかのように曲がった胸の骨からつくられた。だから、女は不完全な生き物であり、常に裏切るのである」 んーーんーーーんーーー 外伝によれば、アダムの最初の妻リリスは、自己愛にのみ執着してリリスの事を顧みなかった独りよがりのアダムのセックスぶりをゲラゲラ笑い、彼に組し抱かれなかった。 アダムはリリスを自分だけのものにできなかった。 そこで今度は馬鹿で従順な女だったらいいだろうとイヴを嫁に迎えた。 あら? どっかで聞いたことがあるような。 ヒッチコックのサイコ。 女性を閉じ込めて餓死させた犯人が、柱の影から物色する時の言葉。 「女が利口だったから失敗したんだ。今度は馬鹿そうな女を拉致監禁しようっと」 テルトゥリアヌスにいたっては、「厳しい修行と禁欲を通じてのみ神を知ることができる」と信じていた。 「男性を欲望の奴隷にしかねない力、それは女である。彼女らが世界に罪をもたらした。お前らは知らないのか、お前ら一人一人がイヴであることを」 いえーー 知りませんでした~ どっちかというとあたしはリリスかも~。 です。 その後は自分が作り出した悪魔との戦いで、映画のファイトクラブ状態。 空を殴っている人に向かって、 「あの もしもし。。。なにやっているんですか? 一体誰と喋っているんですか?」    「悪魔と闘っているんですよ」 「そうですか~ お大事に~」 このように熱心すぎると幻と現実の区別、空想が現実としか思えない現象が生まれ、恐怖に支配された人々が、仮想敵を作り出し、それに扇動された者達が恐怖を操られ、危機感を募らせ、リーダーが示した方向に敵がうると思って、バコバコ攻撃をする。 いわば集団催眠状態。 「あなた 本当に敵が見えています?」 って聞くと、よくわからない回答が返ってくる。 「とにかく今闘って陣地をサタンから守り抜かないと、悪魔が我が陣地を占領して取り返しのつかないことになる」 とかなんとか。 さいですか・・・・頑張ってください お大事に。。。。。 ゲームにしてもやりすぎ。 リリスちゃんは のほほーーんとしばらくそれを眺めていたが、やがて背を向けて、「変なもんみちゃった。気分変えていい男とメークラヴして沢山子どもうむぞーーー」 暢気なリリスちゃんの思考を継承する人たちによって、この世の平和は保たれるのかも。 ちょっと質問の主旨とは逸脱しちゃったかもしれませんが、私のプチ悟りです。 苦笑

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