親にビーガンを理解してもらう方法

このQ&Aのポイント
  • ビーガンになりたい理由を丁寧に伝える
  • 科学的な栄養情報を提供し、安全性を説明する
  • 共通の関心事や利点に焦点を当てて話す
回答を見る
  • ベストアンサー

親にビーガンを理解してもらう方法

私はビーガンになりたいです。 全ての生命を尊重したいからです。 もちろん他人に強制するつもりはありません。 ビーガンになりたいことを親に伝えた結果、など地上の動物は可愛いからもっと可哀想だろうとのことで肉と牛乳は免除してもらいましたが、魚だって恐怖や痛みを感じるだろうし、卵だって生まれるチャンスを奪われたひよこと同じです。 確かに地上の動物は残虐に殺されていますから食べたくありません。 でも、私はどの動物かに関係はなく、全ての生命を尊重したいのです(植物は仕方ありませんができる範囲で、です)。 このことを親に伝えようとすると、「インターネットで変なものを見ているんだろ、パソコン取り上げるぞ」で一蹴されてしまい、私が伝えたいことはおそらく1/3も伝わっていません。 どうにかして伝えたいけど、伝えようとすると、パソコンのせいにされて取り上げられそうで怖いです(確かにパソコンは私がこう考えるきっかけにはなりましたが、私の考えを変えるというより私がこれまで考えてきたことをまとめてくれただけです)。 どうやったら子供でもビーガンになれますか? ちなみに栄養問題についてはついては調べました。 調べたといってもまだ私が知らないこともあるでしょうが、そんなに栄養素が足りないならいずれ身をもって知ることになるだろうし、やるかやらないかは個人に自由のはずです。 それとも子供には自由がなくて、全部保護者が決めることなのでしょうか? 私は違うと信じたいです。 子供に菜食主義を押し付ける親は禁固刑なのに、動物性食品を子供の意思に関係なく押し付ける親は何も言われないのはなぜでしょうか。 成長に関わるとかでしょうが、私はそんなことはもう何度も聞いたし、調べました。 無計画の無知で始めようとしているわけではありません。 どうやったら親がビーガンじゃなくてもビーガンになれますか?

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
回答No.9

>どうやったら親がビーガンじゃなくてもビーガンになれますか? 自分の価値観を強要するのはよくない。 親を説得するより、自分の食事は自分で作って食えばいいだけでは?

pinkyflower
質問者

お礼

確かに自分で作って食えばいいことですね。 なんでそれに気が付かなかったのでしょうか。 他の皆さんもありがとうございました。 気づかせられるものがたくさんありました。

その他の回答 (15)

  • zabusakura
  • ベストアンサー率15% (2234/14829)
回答No.16

植物は仕方ないでは理論に無理が有るから理解は出来ないでしょう。 あなたが自分で稼いで、自分の身の回りのことを全部、自分でするのが 前提です。 親に頼ってるうちは無理です。 PCを取り上げられるのも仕方ないと思います。 なかには子供のうちに自分で稼いで、親と離れて自分の力で暮らす人も居ます。そうなれば、言われにくくはなるかもしれません。 Business Journalライフ「厳格なベジタリアンは生命の危険?人体に異常や脳機能低下、20年寿命が縮む?」という記事、読みました?

回答No.15

はじめまして♪ 個人の「想い」はご自身の判断で、全く問題ない。 しかし、「個人の思い」を家族や友人知人にまで「要望する」という、「私の気持ちを理解しろ」という感覚は、、、少し違うかなぁって思います。 人間の成長に必要な栄養素。っていうものを考えた上で「好む物」、「避ける物」という食に関する範囲で、適度なバランスが保てるのが良いと思います。 その上で、、、、と言う、信仰心的な「心情」なってる場合は、このカキコ。。無意味でしょうか(ToT) あ、そうそう。今夜は「お酢」と「味醂」と「お醤油」と「お酒」を利用したのですが、発酵調味料は微生物の活躍で、、。 微生物も、生命維持の活動で、生き残っていますよねぇ。。

  • head1192
  • ベストアンサー率20% (159/780)
回答No.14

大人にも言えることだが、 「何かを成したいなら周囲に迷惑をかけないようになすべきである」 そうでないならただの身勝手である。 それと、論理が滅茶苦茶である。 すべての生物をといいながら植物はしょうがないとか、そのすべての生物に親の気持ちが入ってなかったり、と殺の実態も知らず「残虐」と決めつけたり。 しかも、実績がないから誰が聞いても「思い付き」としか思わない。 これで他人を説得することはできない。 質問の意味で「すべての生物」を尊重したいなら、摂れるものは水と塩と果物だけになる。 それで1年頑張ってみて、初めて他人に「あいつの言い分を聞いてみようか」と思わせることができる。 身内なら3年である。

  • mario0529
  • ベストアンサー率14% (369/2495)
回答No.13

食の資格を取得して、親を納得させればいいと思います。

  • NOMED
  • ベストアンサー率30% (522/1724)
回答No.12

子どもが親に言うことを聞かせる方法があります ずば抜けて成績を上げましょう これで大抵のことは叶います それが努力と言うものです

  • takochann2
  • ベストアンサー率36% (2027/5577)
回答No.11

>子供に菜食主義を押し付ける親は禁固刑なのに、動物性食品を子供の意思に関係なく押し付ける親は何も言われないのはなぜでしょうか。 それは健康的な食事を子供にさせることは親の義務だからです。  殺生を忌むことはいいことですが、生きるために殺して食べることは生物として当然のことです。食べ物を無駄にしない(動物の死を無駄にしない)程度でよいのではないでしょうか。  しかも、牛乳は動物の殺生とは関係ないと思います。また、手洗いをすれば手に住んでいる無数のバクテリアたちを大量虐殺することですし、歯磨きも同じです。また地面を歩けば一歩ごとに小さな生物を殺しているでしょうし。野菜を食べるにしても栽培過程で多量の虫たちが農薬で殺されているのです。  心優しいことは良いことだと思いますが、生きるための殺生は感謝しつつあきらめるべきです。

  • f272
  • ベストアンサー率46% (8016/17133)
回答No.10

> どうやったら子供でもビーガンになれますか? なれません。自分で生活費を稼げない人は無理です。 > それとも子供には自由がなくて、全部保護者が決めることなのでしょうか? 子供には完全な自由はありません。保護者の監督の下での自由しかありません。範囲を決めて子どもの好きなようにさせることはありますが,その範囲を決めるのは保護者です。 > 植物は仕方ありませんができる範囲で、です 結局,自分勝手に尊重する命の範囲を決めているわけです。

回答No.8

すでに植物を除くという、植物も生き物だろって疑問・一方的な設定をしているのだから、肉と牛乳だけ免除で納得する。

  • mimazoku_2
  • ベストアンサー率20% (1846/8847)
回答No.7

だからこそ、残さずに食べる、が日本の慣習なんですがね。 植物だって実験で、葉っぱや茎を痛めると、悲鳴を上げています。 だけど、目に見えて分からないし、聞こえないから、誰も気づかない。 親は、そこに矛盾を感じていると思う。

  • ishi_saya
  • ベストアンサー率27% (84/310)
回答No.6

親としては、自分たちのこれまでの食生活を否定された=自分たちを否定された、と感じるのです。だから認められないのです。 親がヴィーガンを認めるには、身近なところで誰かが玄米菜食で癌が治ったとかの事例を見聞きしないと難しいかもしれません。 子供の自由は尊重されるべきですが、しかし子供は被保護者です。親に保護されているということは、その意見やり方に従わなければならない点は出てきます。 とりあえずは肉と牛乳は免除してもらえたということですから、当面はヴェジの食生活をして、独り立ちしてから本格的にヴィーガンにするのが現実的な解決策ではないでしょうか。 あと、ヴィーガンやヴェジの問題点の一つは、「そうしたい」のと「したくない」のとの関係です。「そうしたい」からするのは問題ありません。しかし「そうしたくない」という考えの場合、その「否定想念」が元になっていると肯定的な循環を邪魔することになります。

関連するQ&A

  • ビーガンで不足する栄養

    ビーガンの方が不足する栄養って何かありますか? 不足する栄養がある場合、それが不足すると体はどの様な支障をきたしますか? 菜食のまま栄養を補う方法はありますか? 例えば体内でビタミンDが生合成される様に食事以外からとかでも構いません。 回答についてですが「肉を食べないんだから動物性たんぱく質が不足する」ぐらいの誰でも思いつく様なものではなく、そこからもう一歩踏み込んだ具体的なものを望みます。

  • なぜ禅僧は絶滅しかったのか?

    菜食主義の是非について話をすると、すぐにビタミンB12(だったかな?…)など、「動物性の食物からでなくては摂取できない栄養」についての話が出てきます。 別に議論したいわけではなく、純然たる疑問なのですが、牛乳や卵など一部の動物性食物を戒律で禁じられていない宗教はよいとして、厳格なビーガンなどの場合、どう考えても動物性の栄養は摂取していないものと思われます。 現代はサプリメントなど、合成した栄養を摂取もできるでしょうが、たとえば昔の禅僧など、徹底的に動物性の食品を絶っていた集団も少なくないと思うのですが、彼らはなぜ絶滅せずにすんだのでしょうか。 ちなみに、戒律にもいろいろあって、例外的に食べてもよい肉、というものがあるのも知っています。 しかしそうしょっちゅう口にするものでもないような気がして…。

  • 子供の言うことを否定しない親って果たしていい親?

    タイトル通りですが、子供の言うことを否定しない親って果たしていい親なんでしょうか? わたしは逆に、否定されたり論破されたり、そういうのが常な家庭で育ちました。 だからひねくれもあるのも否定はしません。 しかしながら、子供の「反発力」これって大事なんだなと常々思ってます。 もちろん、弱音をはいたり「何でわかってくれないの?」と時には本音の話にもなります。 わたしの知り合いで「愛情深く」育てられ、基本否定しない親がいました。その子供と仲良くさせてもらってるけど何て言うか「世間知らず」とか、明らか「考えたこと無いよそんなこと」といった反応。 親にゴマをするじゃないけど、子供からすり寄る努力もせず自分が言ったら何でもやってくれる与えてくれる親って正直どう思いますか? 子供の意見を否定しないことって良く言うし子供の意見を尊重するのが美徳みたいなことを聞くけど、わたしはそうとは限らないとは思います。 それとは別に、子供の人権や自由の権利は必要だけどそういうのは与えられるんじゃなく、自分の手で勝ち取るもんじゃないのかなとも思います。 「魚心あれば水心」と言うけど、相手の言うことも一理あるし分かるけど、わたしはこれ以上は出来ないとかして差し上げられないとか。 親だからといって、親の言うことがすべてとも思わないけど、そういう「子供の意見や人権を尊重する」ことと「与えられるのを当たり前とする」のはにてるようで違うかなと思います。 イマジネーションや発想力って、そんなに誰かに構わず肯定されなきゃ育たないもんなんですか?

  • 殺人鬼の親って・・・

    今日、世界中の色んな殺人鬼について調べてみました。 そこで気になったのが、彼らの生い立ちです・・・。 ほぼ全ての殺人鬼の親が、非常識で頭のオカシイ人達でした。 そこで殺人鬼とまでは行かなくとも、強姦罪とか万引きとかする人達の親はどうなんだろうと思って調べたら、やっぱり親が厳しすぎるとか、または親がいないとかそういう人たちばかりでした。 でも、周りの人は「大人になれば善悪の判断はつくんだから、親は悪くない!親は可哀想だ!」と言います。 子供を罵倒したり虐待したりせずに、子供のことを考えてしっかり愛してくれた上で「親が可哀想」と言うのならわかりますが、子供の自由を考えず無理矢理自分の都合の良いように育てた親を可哀想というのは、全くわかりません。 みなさんは、どう思いますか?それでも「親が可哀想。親不孝な奴」と思いますか?

  • 親のかけてくれている保険

    最近子供が生まれたばかりです。 そろそろ、生命保険に加入しようと検討している最中です。 夫婦ともに自分では生命保険に加入しておらず、 両方の親がそれぞれ保険に入ってくれているような状態です。 夫は、「親が入ってるから自分のぶんは入らなくていい」 とのんきに言ってますが、夫にもしものことがあっても、 義母が保険料を払い続けているのだから 私たちが受け取るというのはできなくて当然だと思います。 (夫は自分が死亡した場合のことはあまり考えていないようです) そこで、夫の終身保険に別で加入しようと考えています。 将来、夫の両親が亡くなった場合、 夫にかけられている保険もそのまま引き継ぐことは できるのでしょうか? そうした方が新規で加入するよりよいですか? 終身、定期で違うのでしょうか・・・ 親が子供にかけているというのは、契約者は誰なのでしょうか?? 私の親は、もう少ししたら、私にかけている保険を 私に渡すといってますが、それもいまいち意味がわかりません。 契約者=自分 支払=親の場合は、支払いさえとめなければ 保険を続けることができるのでしょうか?? もしできるのであれば、今はお手軽な保険に加入しようと思ってます。 それとも、親がかけている保険は続けず、自分たちですべて保険を かけておく方が良いでしょうか? 質問だらけで申し訳ないのんですが、 ご存知の方、ご経験者のかた、教えてください。。。

  • 親孝行、親不孝の定義。

    親の顔色を伺い 親の言う事を聞いて 親の家業を継ぐ あるいは 親の言う進路に自分の意を封じて進む それは一般的な親孝行の定義なのでしょうか? 親の言う事を聞かずに 自分の意に背かなければ 両親をブン殴り 自分の意志のまま好きな事をやっていく・・・ もちろん社会的評価(年収も含めて)親を越えれば 終わりよければ全てよし、やはり親孝行なのでしょうか? あるいは 社会的成功に低い身分であろうと 親の意ではなく自分の意のまま動いた子供を尊重しても やはり親孝行なのでしょうか? 親の目、社会の目を気にし 自分の意ではない人生でも親孝行なのでしょうか? 自分の意のまま 親のいう事も聞かず 社会的成功を得られなくても 自分のこの意を尊重した人生も親孝行なのでしょうか? 書いてる文章がまとまりがなくなってきましたが 親の喜ぶ顔を見るのを優先させるのが 親孝行なのか? 自分のやりたい事を優先させて 親を悲しむ姿にさせるのが 親不孝なのか・・・? アナタの思う 親孝行 親不孝 そして それにしがみついてしまう事で犠牲にしてしまう自分の人生の考えについて何か思う事があれば回答して下さい。 アナタが思う 親 自分 そして 自分の人生に浸食して来る親の人生・・・。

  • 親の資格を法律で整備

    途方もない質問ですが、親の資格を法律で整備するなんて いう話はやっぱり無理なのでしょうか? 事件が起こる度に、大抵は家庭環境だったり、 親の人間性が子供に影響してたり、しつけがなって無かったりと・・・ 悪が悪を呼んで、世の中が洗浄されないと思います。 個人的に思い描くルールとしては、 親になれるライセンスを国が発行し、 子供を産む前には審査が有り、要ライセンス取得とします。 ライセンスが無いと厳しく罰せられます。 そのライセンスでもって、18歳未満までは親の責任を求めます。 例えば、18歳未満までに子供が違法行為を犯す度に 軽犯罪~重犯罪に別けて、 罰金、懲役、禁錮が親にも課せられます。 また、定期的に子育ての講習会を国が開き、出席も義務化します。 これにより無駄に犯罪予備軍の子供を 放任する親を少なくしたり、良心というものを育ませる親の意識を高めたり、 また、子供にも親もより明確に罰せられるという罪悪感を持たせることにより、 犯罪の抑止になるかと思います。 特に重犯罪に至るには、動物虐待等それなりの前兆があると思います。 そしてそれに気づける1番近い環境にいるのは親かと思います。 もちろん、親にも手に負えないような子供に対する 対応・支援は国がサポートします。 より親に子供の危険信号に対するアンテナを 持たせて、犯罪の芽をつむことが 二度と悲惨な事件を世の中に放たない一歩だと思います。 今更ですが、女子高生コンクリート事件は本当に悲劇でしたね。 ふと振り返る度に、本当に心が痛みます。

  • 動物の権利・ベジタリアンの活動への疑問・質問

    カテゴリ選択上不適当かもしれませんがここが一番解答がくるのではないかと 思ったので投稿させてもらいます。 ネット上での動物の権利運動や動物愛護.ヴィーガニズム・ベジタリズムを見て疑問に感じたことがあるので書かせて頂きます ネット上故の傾向というものはあると思いますが質問させて頂きます。 疑問と言うより批判になるとも思いますが、失礼させて頂きます。 動物の権利や菜食主義の内容(スピリチュアルから倫理的・健康、色々なありすぎてあえて書きません)を見ると、なんでこの人達は自分の持っている「価値感」が他人が納得せざるおえないものだと思えることができるのだろうかと、つい思ってしまうのです。(正しいと思うことや思うから人に伝えたいとする事自体、否定したくありませんし、自由だと思います。)こういう傾向は実際に多いのでしょうか 菜食主義や動物の権利を発言してるブログ主によっては他人が自分を非難するのは自分が「正しい」事を言ってるせいで心が傷つくから非難するのだとか罪悪感があるからだ言う人もいます。こういう人も多いのでしょうか? そういう人が物事を非難しているのを見ると「正しい」と思うから非難しているのだろうかと思っても良いのかと考えてしまいますし、勝手に自分の心の価値感を全ての人に適用しているように見えます ひどい言い方になってしまいますが、この運動や思想の最後は、屠殺や肉食を犯罪とする事、弾劾弾圧とすることなのでしょうか?今、特に日本だと菜食の人達にとっては偏見や不寛容は多いと思いますが、いま少数派である菜食が、多数派になったとき、肉食を偏見したり不寛容になったりしないでしょうか? よく日本は和を全体を重んじるから菜食に厳しいという見方をする人がいますが、菜食の人も菜食を和として肉食に不寛容になっているように見えます。ただ人は人、自分は自分という事を考えにくいお国柄もあるので、菜食する人々の現状を思ってみれば、愚痴の一つも吐きたくなるということだと思います。 ただ日本において自分は大抵の日本人は主義・思想・信念で御飯を食べてるわけではないと思います。しかし、そこを菜食の倫理や思想上の食事をしてる人は忘れ過ぎな感じがあるように思います。 偏見だとは思いますがネットで活動するベジ・ヴィーガン・動物の権利等々の人は権威論証が多すぎると思います。権威論証とは簡単に言えば偉人が言ったから行なったから正しいという理屈です。 ピーターシンガーならまだしも功利主義専門でもなく動物の権利問題の専門家でもない人々を有名なだけで掲げるのは、考えもなにもなく、有名な人が自分の主義思想に合うから言ってる事が正しいと盲目的に信じているという証明になってしまわないでしょうか。なぜ有名人という理由だけで多用するのでしょうか?誤診があるかどうか疑わないのでしょうか? 動物の権利運動を奴隷解放運動と比べるのも筋違いかと思います。 奴隷解放運動と動物の権利・愛護の最大の問題点は解放を叫ぶ主体の実際の不在です。 主体が不在なのに同列に語る事自体が間違いと思うのです。 動物の権利運動とは動物の権利を主体においた運動ではなく 「動物を「正しく」扱って欲しいと思う私達の心をどうにかしてほしい権利」の運動のように見えるのです。 ですから運動上で為政者が動物の権利運動で考慮しているのは動物ではなく解放を叫ぶ人間の心情なので動物への心情ではないのだと思えるのです。 さらに言えば動物の権利とは実の所、命が大事なように見えますが「自由」を大事にしているものなのではないでしょうか?命を大事においた場合、動物園や人間の管理がある場合の方が野生より危険は少なく長寿なことが多いからです。しかし自然に暮らせと言うのは、こういう言い方も極端ですが、弱肉強食な環境で「自由」に死んで欲しいということになりますから 動物の権利とは「命」を大事に扱ったものと言うより「自由」を主体にしているものだと思います。 ただ動物の権利の運動の主体は「動物が痛みや意識を持っていると考える故の道徳・倫理上の人間の考え」が主体故に、動物が叫んでいると訴え続ける人間のことを詭弁と言うのは主観の不在という意味では合っているのではないでしょうか、ただ動物を救いたいと思う人の心を否定するのはどうかとは思いますが。 詭弁と言われそうですが、屠畜も解放も人間の勝手という点において理論上、動物は「解放」されてはいないのではないのでしょうか?解放自体に何も否定する気はありません、言い方が間違ってるのではないかと思ったので書くだけです。 ネット故にだとは思いますが、菜食の正しさを書いて肉の害を書きまくる人達は肉を食べる事を是とする社会の恨み憎しみみたいなものが書いてあったりします。自分が個人的な主観でそう見えるだけかもしれませんが(まぁ全て主観ですが)、やはり肉食を許容する社会や人へ好ましくない気持ちを抱いてる場合が多いのでしょうか? この運動は現状の畜産や食事に対する反動なのだと思いますし、道徳や倫理をとてつもなく信奉してる人がこういう運動や考えを正しいと思って行動する運動だと思うので道徳・倫理の完全証明ができないかぎり相対主義的な価値感を持つ人はあまりこの運動を担ごうとしない気がします。道徳を正しいとする証明システムは、神の存在証明と同じくらい難しいので、この運動を絶対的に正しいと証明する事はできないと思います。 この運動はある程度成功して頓挫するのでは思っています。活動が成功してそれ以上押し進めれば、一方の権利を守る自由民主主義のシステムが発動されると思うからです。それに今、少数派故に多数が正しいと言うわけではないという事を信条にしている菜食の人がいると思いますが、今度はその逆が起きるからです。と言ってもそんな所までいつになったら辿り着くのかという感じですが。 完全に世界を菜食化したいと思う人の最後の敵は「国家」というシステムです。 ヴィーガン・ベジ・動物の権利運動は自分と違う思想を許せるかという所が普及させるための一番の難関なのでは無いでしょうか?ただ許せない故の運動だとも思えるので肉食と畜産を少しでも許せば本末転倒という感じなのでしょうが。 動物の権利運動や菜食・ヴィーガンに関してあくまでネット上で見て思ってしまった事です。 日本で興味を持ってる人は運動を肯定する人ばかりで。それ故に都合の悪い情報らしいものがあったとしても、取り上げられる事が無いので、こういう問題が専門的にを取り上げるグレーゾーンなブログやサイトは見た事が無いです。色一辺のサイトだけです。動物愛護問題に関してはグレーゾーンなサイトもありましたが、ベジタリアン.ヴィーガンを扱う専門的なサイトでは目を見張るばかりの偏りですし扇動的です。海外はどうなのかは英語ができれば色々と実情がわかるのでしょうが読めないのでなんともです。でも日本より運動が激しいと言う事はそれだけ色々な見方のサイトや情報があるのでしょう。 日本で菜食や動物の権利に興味ある人で菜食をしていない人間は菜食をしてる人間より少ないと思います。だからベジへの反論も相手の見方に立たない極端なものになるんでしょう ただ結構過激なベジの人は反論してくる人の見方には同意しないし立たない感じがありますが。 自分自身は動物の権利とかヴィーガニズムには行動するような興味はまったくなくて一番は知的好奇心というものです。だから行動しようとは思いません。また動物の権利や菜食の思想そのものに対する批難を持ってるわけではありません。この問題を扱う人達の傾向自体への疑問です。 どうもネット内だと正しいか間違いかの二元論しかないのが今の日本の菜食と肉食の立場みたいです。どちらも尊重しようという感じがあまりにもない感じです。家畜を是とする人間と家畜を否とする人間ではそりが合う事は無いのでしょうかね? 個人的には(いままでもずっと個人的でした。すいません)行き過ぎた畜産と屠畜の減少や肉一辺の生活の変化には思う所がありますが、肉食と畜産を殲滅する気なのかと思うとこの思想も一種の全体主義的思想じゃないかと思える所があって嫌気が感じてしまうのです。エコファシズムっていう造語があるみたいですがそういう感覚です。ただ、今の日本だと運動する側が日本は全体主義的(広義の意味での全体主義です)かと思ってしまうと思いますが。 現状のヴィーガニズムと動物の権利に抜けている最大の問題は自分達が多数派になった時に少数派を守る事ができる安全保障です。 現状の社会はヴィーガニズムの思想があることを許容するがヴィーガニズム社会は屠殺や動物を使う思想を許容できるかどうか。 そういう所が自分は凄く気になります。 動物の権利やベジタリアン思想の行き着く先というのはどういう風になるか?権利運動や菜食主義を正しいと思う人はどう考えているのでしょうか。 個人的には、もしこの運動が達成した先にはディストピアな浄化社会があるのではないかなという想像があります。 長文失礼しました。嫌悪感がでるような文面もあったと思われますが以上のことが日本のネット上における動物の権利や菜食主義運動に自分が感じた事です。他の非菜食の人はどう思うかわかりません。菜食をしている人の内訳が上に書いたような菜食の人ばかりでは無い事も承知です。 ただこの問題に関わる人間を見て、他の人は上記の運動に関わる人はどう思い、この文章にどう感じるのか知りたかったので書きました   以上です。失礼致しました。

  • 親が関わってきた時の友達の態度が気に入らない

    私はとても恵まれていると実感していますが、どうしても友達の反応や態度が気に触ってしまいます。皆さんはどうでしょうか。 まず、ネットの使用時間について。 友達はネットを使う時 「朝は5時~7時30分まで、夜は19時~24時まで」 らしいのですが、私には制限がありません。 スマホはもちろんパソコンや据え置き型ゲーム機も使います。 これに対し友達は 「あなたはいいよね。ネットに制限かけられてないしギガもあって」 と言ってきます。少し前までは 「私の親優しいから」 と笑っていましたが、この頃はなんかなぁと思い始め、 「あなたも親と交渉してみたら?」 と言ったのですが、 「あなたみたいに頭良くないし、私の親そんなに優しくないから」 と一蹴されてしまいました。 私も中学までは制限をかけられていましたし、親とは成績アップを条件に少しずつ交渉しました。 使用時間制限無し→期末テストで学年3位内 ギガをつける→定期テストで常に400点以上 パソコン使用→模試判定A以上 と、これらを全て達成した努力の結果です。 それなのにこの子は親に言う事も努力もせず諦めるのか、と少し落胆しました。 2つ目はお小遣いについて。 先程と同様、私はお小遣いも親と交渉の上勝ち取りました。 ですが 「あなたは月2000円貰えるんでしょう?そんな貰えるのに何甘えてるの?」 と言ってきたため、 「今月はテストの結果が良かったから7000円貰えるんだよね」 と言い返してみると 「なんでそんな親が優しいの?私の親はそんなに優しくない。子供に対して甘い親は子供を育てても良い子にならない」 など親をも貶し始めました。 私の親は決して優しい訳ではありません。 ただうじうじせずにきちんと認める時は認めてくれるだけです。 両親は家庭内別居状態ですし喧嘩も日常茶飯事、それでも子供への愛情は変わらず注いでくれます。 こういう所は良い親だな、恵まれてるな、と感じています。 が、親を貶すのはなぜ? 私の親どこかおかしい? あなたがないものねだりなだけではなくて? と何度も考えています。 皆さんはこういう友達どう思いますか……?

  • 親が子供に教えること

    なぜ人を殺してはいけないか?って、子供に教えるべきなんですよね。私が子供の時は(昭和の時代です)、どうやって教わったか記憶にないのですが、「相手の気持ちを考える」という身近なことからはじまって、自然と身に付いていったのかな?と思っています。 援助交際はなぜ悪いか?という質問を目にしまして、「(未成年に援助交際を)悪いことだと教えなかった親が悪い」という発言を目にしまして、ちょっとびっくりしました。 「援助交際」の言葉を耳にするようになったのは、私が20代前半だったと思います。成人していても、まだ若い時です。当然、親から「援助交際は悪いこと」なんて教えてもらわず育ちました。 それでも悪いというか、「卑しい・恥ずかしい等」良くないという認識だけはありました。 「どうしてそんなことを、教えてもらわないとわからないの?」というのが、私の正直な感想です。 (成人してプロの職業としてされている方は、悪いとは思っていません。その人の自由です) 時代が変わったのでしょうか?今は全てにおいて親が、「良い・悪い」を明示して、子育てをするべきなんでしょうか? それとも私が「当たり前のこと」を、知らずのうちにきちんと教えてもらって育った、幸せな子供なんでしょうか(^^; 私にはまだ子供がいませんので(これから欲しいと思っています)、お子様をお持ちの方のご意見をお伺いしたく、質問させて頂きました。

専門家に質問してみよう