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動物の権利・ベジタリアンの活動への疑問・質問
カテゴリ選択上不適当かもしれませんがここが一番解答がくるのではないかと 思ったので投稿させてもらいます。 ネット上での動物の権利運動や動物愛護.ヴィーガニズム・ベジタリズムを見て疑問に感じたことがあるので書かせて頂きます ネット上故の傾向というものはあると思いますが質問させて頂きます。 疑問と言うより批判になるとも思いますが、失礼させて頂きます。 動物の権利や菜食主義の内容(スピリチュアルから倫理的・健康、色々なありすぎてあえて書きません)を見ると、なんでこの人達は自分の持っている「価値感」が他人が納得せざるおえないものだと思えることができるのだろうかと、つい思ってしまうのです。(正しいと思うことや思うから人に伝えたいとする事自体、否定したくありませんし、自由だと思います。)こういう傾向は実際に多いのでしょうか 菜食主義や動物の権利を発言してるブログ主によっては他人が自分を非難するのは自分が「正しい」事を言ってるせいで心が傷つくから非難するのだとか罪悪感があるからだ言う人もいます。こういう人も多いのでしょうか? そういう人が物事を非難しているのを見ると「正しい」と思うから非難しているのだろうかと思っても良いのかと考えてしまいますし、勝手に自分の心の価値感を全ての人に適用しているように見えます ひどい言い方になってしまいますが、この運動や思想の最後は、屠殺や肉食を犯罪とする事、弾劾弾圧とすることなのでしょうか?今、特に日本だと菜食の人達にとっては偏見や不寛容は多いと思いますが、いま少数派である菜食が、多数派になったとき、肉食を偏見したり不寛容になったりしないでしょうか? よく日本は和を全体を重んじるから菜食に厳しいという見方をする人がいますが、菜食の人も菜食を和として肉食に不寛容になっているように見えます。ただ人は人、自分は自分という事を考えにくいお国柄もあるので、菜食する人々の現状を思ってみれば、愚痴の一つも吐きたくなるということだと思います。 ただ日本において自分は大抵の日本人は主義・思想・信念で御飯を食べてるわけではないと思います。しかし、そこを菜食の倫理や思想上の食事をしてる人は忘れ過ぎな感じがあるように思います。 偏見だとは思いますがネットで活動するベジ・ヴィーガン・動物の権利等々の人は権威論証が多すぎると思います。権威論証とは簡単に言えば偉人が言ったから行なったから正しいという理屈です。 ピーターシンガーならまだしも功利主義専門でもなく動物の権利問題の専門家でもない人々を有名なだけで掲げるのは、考えもなにもなく、有名な人が自分の主義思想に合うから言ってる事が正しいと盲目的に信じているという証明になってしまわないでしょうか。なぜ有名人という理由だけで多用するのでしょうか?誤診があるかどうか疑わないのでしょうか? 動物の権利運動を奴隷解放運動と比べるのも筋違いかと思います。 奴隷解放運動と動物の権利・愛護の最大の問題点は解放を叫ぶ主体の実際の不在です。 主体が不在なのに同列に語る事自体が間違いと思うのです。 動物の権利運動とは動物の権利を主体においた運動ではなく 「動物を「正しく」扱って欲しいと思う私達の心をどうにかしてほしい権利」の運動のように見えるのです。 ですから運動上で為政者が動物の権利運動で考慮しているのは動物ではなく解放を叫ぶ人間の心情なので動物への心情ではないのだと思えるのです。 さらに言えば動物の権利とは実の所、命が大事なように見えますが「自由」を大事にしているものなのではないでしょうか?命を大事においた場合、動物園や人間の管理がある場合の方が野生より危険は少なく長寿なことが多いからです。しかし自然に暮らせと言うのは、こういう言い方も極端ですが、弱肉強食な環境で「自由」に死んで欲しいということになりますから 動物の権利とは「命」を大事に扱ったものと言うより「自由」を主体にしているものだと思います。 ただ動物の権利の運動の主体は「動物が痛みや意識を持っていると考える故の道徳・倫理上の人間の考え」が主体故に、動物が叫んでいると訴え続ける人間のことを詭弁と言うのは主観の不在という意味では合っているのではないでしょうか、ただ動物を救いたいと思う人の心を否定するのはどうかとは思いますが。 詭弁と言われそうですが、屠畜も解放も人間の勝手という点において理論上、動物は「解放」されてはいないのではないのでしょうか?解放自体に何も否定する気はありません、言い方が間違ってるのではないかと思ったので書くだけです。 ネット故にだとは思いますが、菜食の正しさを書いて肉の害を書きまくる人達は肉を食べる事を是とする社会の恨み憎しみみたいなものが書いてあったりします。自分が個人的な主観でそう見えるだけかもしれませんが(まぁ全て主観ですが)、やはり肉食を許容する社会や人へ好ましくない気持ちを抱いてる場合が多いのでしょうか? この運動は現状の畜産や食事に対する反動なのだと思いますし、道徳や倫理をとてつもなく信奉してる人がこういう運動や考えを正しいと思って行動する運動だと思うので道徳・倫理の完全証明ができないかぎり相対主義的な価値感を持つ人はあまりこの運動を担ごうとしない気がします。道徳を正しいとする証明システムは、神の存在証明と同じくらい難しいので、この運動を絶対的に正しいと証明する事はできないと思います。 この運動はある程度成功して頓挫するのでは思っています。活動が成功してそれ以上押し進めれば、一方の権利を守る自由民主主義のシステムが発動されると思うからです。それに今、少数派故に多数が正しいと言うわけではないという事を信条にしている菜食の人がいると思いますが、今度はその逆が起きるからです。と言ってもそんな所までいつになったら辿り着くのかという感じですが。 完全に世界を菜食化したいと思う人の最後の敵は「国家」というシステムです。 ヴィーガン・ベジ・動物の権利運動は自分と違う思想を許せるかという所が普及させるための一番の難関なのでは無いでしょうか?ただ許せない故の運動だとも思えるので肉食と畜産を少しでも許せば本末転倒という感じなのでしょうが。 動物の権利運動や菜食・ヴィーガンに関してあくまでネット上で見て思ってしまった事です。 日本で興味を持ってる人は運動を肯定する人ばかりで。それ故に都合の悪い情報らしいものがあったとしても、取り上げられる事が無いので、こういう問題が専門的にを取り上げるグレーゾーンなブログやサイトは見た事が無いです。色一辺のサイトだけです。動物愛護問題に関してはグレーゾーンなサイトもありましたが、ベジタリアン.ヴィーガンを扱う専門的なサイトでは目を見張るばかりの偏りですし扇動的です。海外はどうなのかは英語ができれば色々と実情がわかるのでしょうが読めないのでなんともです。でも日本より運動が激しいと言う事はそれだけ色々な見方のサイトや情報があるのでしょう。 日本で菜食や動物の権利に興味ある人で菜食をしていない人間は菜食をしてる人間より少ないと思います。だからベジへの反論も相手の見方に立たない極端なものになるんでしょう ただ結構過激なベジの人は反論してくる人の見方には同意しないし立たない感じがありますが。 自分自身は動物の権利とかヴィーガニズムには行動するような興味はまったくなくて一番は知的好奇心というものです。だから行動しようとは思いません。また動物の権利や菜食の思想そのものに対する批難を持ってるわけではありません。この問題を扱う人達の傾向自体への疑問です。 どうもネット内だと正しいか間違いかの二元論しかないのが今の日本の菜食と肉食の立場みたいです。どちらも尊重しようという感じがあまりにもない感じです。家畜を是とする人間と家畜を否とする人間ではそりが合う事は無いのでしょうかね? 個人的には(いままでもずっと個人的でした。すいません)行き過ぎた畜産と屠畜の減少や肉一辺の生活の変化には思う所がありますが、肉食と畜産を殲滅する気なのかと思うとこの思想も一種の全体主義的思想じゃないかと思える所があって嫌気が感じてしまうのです。エコファシズムっていう造語があるみたいですがそういう感覚です。ただ、今の日本だと運動する側が日本は全体主義的(広義の意味での全体主義です)かと思ってしまうと思いますが。 現状のヴィーガニズムと動物の権利に抜けている最大の問題は自分達が多数派になった時に少数派を守る事ができる安全保障です。 現状の社会はヴィーガニズムの思想があることを許容するがヴィーガニズム社会は屠殺や動物を使う思想を許容できるかどうか。 そういう所が自分は凄く気になります。 動物の権利やベジタリアン思想の行き着く先というのはどういう風になるか?権利運動や菜食主義を正しいと思う人はどう考えているのでしょうか。 個人的には、もしこの運動が達成した先にはディストピアな浄化社会があるのではないかなという想像があります。 長文失礼しました。嫌悪感がでるような文面もあったと思われますが以上のことが日本のネット上における動物の権利や菜食主義運動に自分が感じた事です。他の非菜食の人はどう思うかわかりません。菜食をしている人の内訳が上に書いたような菜食の人ばかりでは無い事も承知です。 ただこの問題に関わる人間を見て、他の人は上記の運動に関わる人はどう思い、この文章にどう感じるのか知りたかったので書きました 以上です。失礼致しました。
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