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【(元も含む)クリスチャン”のみ”】にお伺いします

cincinnatiの回答

  • cincinnati
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回答No.3

プロテスタントのクリスチャンで、昔、聖書に帰ろうという運動を起こしたマルチン・ルターという方の考え方の中におります。ご指定の箇所を読んでみますと、概要はイエスは律法学者やパリサイ人に外見ばかり正義の使者のような顔をしているけれど、心の内側は罪にけがれていると述べていると思います。 ここで気が付かされたことは自分もしばしば律法学者のようであり、パイサイ人のようである時があるという自覚です。つまり律法学者は正しい生き方を人々に勧めておりながら、自分では実行していない。パリサイ人は自分は正しい行いをしていると見栄えだけを追求している人々です。しかし自分もその部類に入る可能性があると言う自覚を持たされました。 実際問題として、自分の心をのぞいてみたときに明確にわかることは、立派なことなど一言も言えないほど、それこそ立派な罪人で、新聞やテレビの報道で見聞きする犯罪者顔負けの自分がいると言う自覚を持っております。ご指定の箇所の27節では: 23:27 偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。あなたがたは白く塗った墓に似ている。外側は美しく見えるが、内側は死人の骨や、あらゆる不潔なものでいっぱいである。 とイエスは述べています。私どもは内なる世界において、自己の問題、言葉を変えますと、自分の内にある罪の性質を知りつつ、人を愛するはるか以前にまず自分を愛し、人の利益を図る前にともあれ自分が利益を得ることを考えます。どこまで行っても自分、自分の世界を抱えつつ、ご質問にありますようにこの社会と対峙しております。その結果が国家間であれば、戦争があり、国内においては何らかの紛争があり、会社や学校においては小競り合いやいさかいが絶えないということになります。このようなことの原因の多くが実は一人の人間の罪から始まっています。 このような社会において、聖書は現実的な回答を与えてくれています。長くなりますので、2点ほど記載したいと思います。 1)聖書で、イエスは「私の弟子となりたいものは十字架を背負って私にしたがってきなさい。自分の命を救おうと思うものはその命を失い。私のために命を捨てるものはまことの命をえるであろう。」という趣旨のことを述べています。つまりイエスキリストがご質問者さんの主となってしまいましたら、この世の権威やはたまた周りの人々の無定見なご意見に惑わされることなく、百万の敵がいようとも我ゆかんという気概を持つことが出来ると思います。何はともあれ神が自分の権威になってしまいましたら、この世に怖い事柄の多くは消えてなくなると思います。 2)また上の記載事項以上に重要なこととして、キリストが自分に従うものに与えられることの一つに、神の目にご質問者さんの罪がゆるされると言う宣言があります。これは行いでもなく儀式でもなく宗教でもありません。ただ一つ聖書を神の言葉と信じることによって即座に達成されます。さらに正確に述べれば、イエスキリストの十字架上での死とその後の復活を信じるならば、すべてをその時点で即座にご了解いただけると思います。 つまり聖書を読むことにより、この回答者は社会といつも対峙しております。

noname#208045
質問者

お礼

こんにちは。 ご回答ありがとうございます。 申し訳ありません。 今ひとつ仰っている事の要領を得る事ができませんでしたので、念のため確認なのですが。 このサイトでは多くの場合「相手に対して働き掛ける意味の強い(概ねそれのみ)発言が多い」のですが、cincinnatiさんはご自身のスタンスの表明をなさるに留めていらっしゃるようにも見受けられます。 ただそれだけをするためか、それによって私の気付きなどの類いを促す目的も含まれているのか。 あるいは全く他の何かか。 マタイ7:1~27 マタイ25:14~30 マルコ16:15 コリント一9:19~22 ローマ13:01 これらを踏まえた上で、現代社会に生きるクリスチャンとして社会に対峙するとき、具体的にどうあるべきだ思われますでしょうか。 一旦私の見解は置いておいて、純粋にcincinnatiさんのお考えを聞かせて頂ければ幸いです。

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