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あたまのよい人は なぜこうもヘリクダルのだろう

  ヘリクダル=遜る・謙る  と書くのですね。  それはよいとして 日本人はと言いますか かしこい人たちは 何かと言えば 自己卑下する習慣があるように感じますが これは どうしてですか?  そんなにヘリクダリが好きなのでしょうか?  それを受けて こちらは お手上げになります。  それともお手上げになる方がよくないのでしょうか?  つまり自分のほうの言い分も 相手と同じほどには言ってもよいのではないでしょうか。

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  • ベストアンサー
  • hekiyu
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回答No.9

”かしこい人たちは 何かと言えば 自己卑下する習慣があるよう に感じますが これは どうしてですか?   ↑ 実るほど頭のたれる稲穂かな、です。 かしこくなればなるほど、上には上がいることが 解るし、自分がたいしたことが無いのも判るし、 また、へりくだった方が世の中うまく渡れる という処世術に対する理解もあるのでしょう。 ”そんなにヘリクダリが好きなのでしょうか?”     ↑ へりくだる、というのとは少し違うのですが、日本人は 米国人と比べると、自虐的になる傾向が強いということが 社会学的に確かめられております。 これは、米国人は、失敗してもそれは運が悪かったと 考える傾向があるのに対し、 日本人は、俺の努力が足りなかったからだ、と自分を責める 傾向が強いからだと言われています。 こういう宗教的文化の違いの他に、米国のような他民族 国家ではへりくだりは通じない場合が多いわけです。 誰にでも解るように行動する必要があります。 だから、必要以上に己を誇示したりするのです。 日本のような同質性の高い社会では、誇示しなくても 解ってもらえます。 そういう文化の違いも影響しているのだと思います。

bragelonne
質問者

お礼

 お早うございます。ご回答をありがとうございます。  ★ 実るほど頭のたれる稲穂かな、です。  ☆ 稲穂は 自然現象です。《自由意志》でそうしているわけではない。  あぁ その問題は次に書かれていました。  ★ ~~~~~~~~~~~~~~~  かしこくなればなるほど、上には上がいることが  解るし、自分がたいしたことが無いのも判るし、  また、へりくだった方が世の中うまく渡れる  という処世術に対する理解もあるのでしょう。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ ううーむ。そのまま受け取れば だったら《計算づく・算盤を弾(はじ)いている》ということになりますが そうなんですか?  ★ 日本人は米国人と比べると、自虐的になる傾向が強い  ☆ つまりこういう振る舞いの場合についても けっきょく《わが身がかわいい》ので へりくだるのですか? 打算の産物ですか? あるいは 世の中のけっきょくはボスの意向にしたがっている。のでしょうか?  ★ 日本人は、俺の努力が足りなかったからだ、と自分を責める傾向が強いからだと言われています。  ☆ その内向性かつ内攻性といった《自責の念を持ちたがるクセ》は それともただの歴史的にそういう姿勢を採らざるを得なかった情況によって強いられたもの。だということですか?  つまり 前項の《あるいは》で触れた《お上に弱い》心的現象のことですか?  つまり いやいやながらへりくだっている。のですか? 長年身に着いたクセで ただちにはどうすることも出来ないただの負の遺産なのですか?   ――たぶん そうでもないのでしょう。社会における共生にとって よしとして振る舞っている側面もあるのでしょう。  ★ ~~~~~~~~~~~~~~~  ・・・米国のような他民族  国家ではへりくだりは通じない場合が多いわけです。  誰にでも解るように行動する必要があります。  だから、必要以上に己を誇示したりするのです。  ~~~~~~~~~~~~~~  ☆ おそらくそうであろうと考えられると同時に――同時にです―― そのアメリカ人たちのあいだでも 打算によるものか自己の信条としてなのか とうぜん謙虚に振る舞い 時にはヘリクダリをも見せる。のではないかとも思われますが どうでしょう。  ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~  日本のような同質性の高い社会では、誇示しなくても  解ってもらえます。  そういう文化の違いも影響しているのだと思います。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ わたしの場合 《わかってもらえた》というシルシをともなった了解(およびありがたさ)は 数えるほどしかありません。ほんとうに《同質性の高い社会》なのでしょうか。  言いかえると 常識のマチガイを指摘する思いは けっきょく《誇示しなくて》は人びとに届きません。誇示しても 一向に届きません。馬の耳に念仏です。  《批判がましいことを言う》だけで 天の邪鬼扱いになります。《同質性は高い》とは言えません。《異質性》というよりも 要するに蛸壺の中に閉じ籠ろうとするようです。マチガイだと分かっても 世間がそうするように振る舞い続けます。  《誇示しなくては 届かない》ですし 《誇示しても 分かってはもらえない》です。  もう八年ほどここで 《神とは何か? 神は何でないか?》等々をめぐってさんざん《誇示》しても 人びとはまったく馬耳東風の状態がつづいています。その代わりに こちらがきちがい扱いされます。  しかも 人びとの中には そのようなわたしに対してさえも ヘリクダリなる姿勢をたもつ人もいるわけです。これが いまの問題です。  もっとも だからと言って 必ずしもこちらの言っていることと見解を同じくするかどうかは 一概には言えません。ぜんぜんしない場合もありますし 多くの場合にしてくれる場合もありますし おおむね一致しているという場合もあります。  ただ そういう場合に なおまだヘリクダリの姿勢は 保たれます。つまりこちらは お手上げ状態がつづきます。――こういった情況です。実況中継のように述べました。  日本人――これは 手に負えません。

その他の回答 (33)

回答No.34

 つい先日、なんで頭のいい人は頭のいい状態を保っていられるのだろうという疑問の答えがわかりました。  それは自分はあまりできのいい人間ではないと思うことで常にさらに頭がよくなろうとする意志を持ち続けるからというものです。  つまり自己卑下により実際よりも自分の頭のレベルが下だと思うことで普通の頭のレベルになろうと努力することで普通の頭のレベルよりも高いレベルを維持できるということです。

bragelonne
質問者

お礼

 なるほど。推し進めようとするチカラが どこかにはたらく。ということでしょうか。  ご回答をありがとうございます。  そうですね。そのチカラが ひとつに次のように現われるのだと。:  ★ それは自分はあまりできのいい人間ではないと思うことで常にさらに頭がよくなろうとする意志を持ち続けるからというものです。  ☆ そうですね。  わたしが単純に考えるなら そのように何で《意志として・意図的に・意識しつつ》努めるのかなとも思いましたが その点は どうでしょうか。  《意志を持ち続ける》のは りっぱなことです。と思いますが そうそう緊張してもいられないのではないか。とは思ったりするのですが?  でも そうなのかも知れません。現実にいないとは言えないはずです。じっさいの姿のひとつであるとは思います。   ありがとうございます。

回答No.33

1)以下の通り、質問者さんの書いた事に幾つか疑問があります。 >頭が良い人,かしこい人 どういう人を頭が良いとか、かしこい人と判断しているのでしょうか? 質問者さんの判断基準は何でしょうか? >自己卑下、ヘリクダリ どのような行為を自己卑下、ヘリクダリと判断したのでしょうか? >お手上げになる 具体的にどのような状態になることなのでしょうか? 2)私は、ドイツ、イギリスで生活したことがあるのですが、 そこで出会った、ドイツ人、イギリス人、イタリア人にもヘリクダル方がいました。 私の「ヘリクダル」という意味は、私よりも知識があったり、テニスが上手だったりするのに、 「あまり知らない」とか「上手ではない」という言動のことです。 3)お手上げになる方がよくないのでしょうか? 「お手上げになる」という意味が、「それ以上話すべき言葉が見つからない」「何も言えなくなる」という意味でしたら、 貴方のコミュニケーションを取る修業、トレーニングが不足しているのでしょう。 相手に「なぜヘリクダルのか?」と聞いても良いと思います。相手により様々な答や反応が返って来るでしょう。 また、貴方がヘリクダル対応に辟易しているなら、それを相手に伝えてみるのも良いと思いますよ。 貴方自身の知恵の見せ所かもしれません。

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。  ★ どういう人を頭が良いとか、かしこい人と判断しているのでしょうか? / 質問者さんの判断基準は何でしょうか?  ☆ 初めは 《あたまのわるくない》ひとのことを・したがって漠然と指していました。  途中で 次のように言い直したほうがよいとも考えました。  ☆☆(No.10お礼欄)  あぁ。《あたまのよい人》とか 《かしこい人》と言ったのは まぎらわしかったかも知れません。まじめでまともな人と言ったほうがよいですかね。  ★ どのような行為を自己卑下、ヘリクダリと判断したのでしょうか?  ☆ 《自己卑下》については 次のように言い直します。  ☆☆(No.7お礼欄) ~~~~~~~~~~~~~~~~   ◆ 何かと言えば自己卑下する   ☆ 確かにこの表現だと 何だか安っぽいですね。言い損ねました。マチガイです。   ○ つねに非は自分にあり相手にはないというへりくだり〔を実践しつつある人〕   と言い直します。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  《ヘリクダリ》については 次を参照してください。  ☆☆(No.5お礼欄) ~~~~~~~~~~~~~   ◆ また、回答への意見に接して日本人のヘリクダリは、世の中お互い様、向こう三軒両隣、的な精神の表れか、とも思いました。   ☆ あぁ そういう場合はありますが ここでは違います。つまり つねに非は自分にあり相手にはないというへりくだりが言ってみれば板についたかたちの人格が築かれている場合。こういう場合を・そしてそれのみを言っています。   世の中にふつうに・あるいは通念として持たれている程度のヘリクダリは 人びと一般に多かれ少なかれ見られる場合のものです。それなら 部分的にはそのヘリクダリが 守られていないところもある。とだいたい誰もが分かるはずです。   そうではない特殊な場合です。特殊と言ったからと言って 変人だとか奇人だとかと言うものではありませんが。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~   >お手上げになる  具体的にどのような状態になることなのでしょうか?  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ ちょうどいま上に一応の定義をしたヘリクダリに会うと こちらは どう応えてよいのかその言葉がなくなるといった状態です。事態を見守るしか成し得ない場合です。  ★ 私の「ヘリクダル」という意味は、私よりも知識があったり、テニスが上手だったりするのに、 / 「あまり知らない」とか「上手ではない」という言動のことです。  ☆ そうしますと 《つねに非は自分にあり相手にはないというへりくだり》とは少し違うようです。能力の自己評価を少な目に見積もりそのように相手に伝える場合ですね。  ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~  「お手上げになる」という意味が、「それ以上話すべき言葉が見つからない」「何も言えなくなる」という意味でしたら、  貴方のコミュニケーションを取る修業、トレーニングが不足しているのでしょう。  相手に「なぜヘリクダルのか?」と聞いても良いと思います。相手により様々な答や反応が返って来るでしょう。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ そうかも知れません。そして これは 特殊な場合だと言いましたので 具体的に次のように例示しています。  ☆☆(No.10お礼欄) ~~~~~~~~~~~~~    でもわたしとの衝突のあと 次のように述べられたら いったいどうします? わたしはお手上げです。  ○ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  Ingemisco, tanquam reus: 私はうめく、罪人のように。  Culpa rubet vultus meus: 罪は私を恥入らせる。  Supplicanti parce, Deus. 神よ、乞い願う者をお守りください。  Qui Mariam absolvisti, あなたは(マグダラの)マリアをゆるし、  Et latronem exaudisti, (イエスとともに十字架につけられた)強盗の願いを聞き入れられた。  Mihi quoque spem dedisti. それは私にも希望を与えました。  Preces meae non sunt dignae: 私の祈りはふさわしくありません、  Sed tu bonus fac benigne, でもあなたは善い方、寛大な方です。  Ne perenni cremer igne. 地獄の火で私を焼き尽さないでください。  Inter oves locum praesta, 羊の群に私を置き、  Et ab haedis me sequesta, 山羊の群より私を分けて  Statuens in parte dextra. あなたの右に立たせてください。  ○「レクイエム Requiem」   http://homepage2.nifty.com/pietro/storia/cg_requiem.html   真ん中ほど ★続唱「怒りの日」の事項の中ほどからです。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~   あと 《衝突》と言いましたが あるいは自由なケンカみたいでもありますが ののしり合いにはならず ましていがみ合いとか 憎み合いにはならない間柄です。互いに尊重しあっています。そういう場合です。あまり世間で簡単にはお目にかかれない事例であるかと思います。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  さらにアドバイスをいただいていますが だいたい以上のようにお応えしたところでご説明し得たかと思うのですが。・・・

noname#214841
noname#214841
回答No.32

こんばんは。またまた見方が違つてゐたやうですね。具体的なやりとりがわかりませんので、もうこのくらゐでやめておきます。お相手の方も、早く復帰してくださるとよろしいのですけれど。 >>馬鹿には、へりくだる必要など、ありません。 一点訂正します。 私のやうな馬鹿は、すでに最低限度まで下つてゐますから、さらに、へりくだることは不可能です。

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。  ★ 訂正  ☆ は うまくおこなわれましたね。なかなかの腕前だと感心します。  つまり その箇所は あまり感心せんなぁと思って 触れずじまいにしていたところですから。  ほんとうに  ★ 早く復帰してくださるとよろしいのですけれど。

回答No.31

昔話を一つ。 私の指導教官は、私一人いるところで、私にコッソリ 「コース・ドクターこそエリート」 と仰せになったことがあります。  ───研究室にいる修士課程の院生はオレの本当の弟子ではない、という意味???─── 私は、この時、まだ底意地の悪さが足りなかったので 「先生は、論博じゃないですか!!」 と言えなかった。 先生は、へりくだって、私に 「コース・ドクターこそエリートだ」 と仰せになったのであろうか?

bragelonne
質問者

お礼

 お早うございます。ご回答をありがとうございます。  わたしはマスター・コースまで行ったのですが そこまででは まだ一人前の扱いは受けられませんでしたねぇ たしかに。  そのあとのコースについての実際の扱われ方は あまり分かりません。ゼミはまったく一緒に受けるのですが。  あと 外(ほかの大学学部)から来た者には つめたい目というか 普段は腫れ物扱いのような感じでしたかね。なかなか 馴染みができませんでした。(外国語学部での経営学専攻から 経済学研究科での経営学専攻に移ったという関係も無きにしもあらずですかね)。  へりくだりそのことは わるくないのでしょう。

noname#214841
noname#214841
回答No.30

「お礼」を拝見し、他のかたがたの回答も参考にし、またブログの記述も考慮して、やつと状況が見えてきました。 >>通用しますし 決断力もあり 説得力もあります。 >>決して他人の言いなりではありません。 といふことは、このブログに出てきた人は、bragelonneさんとのかかはり以外のところでは、まつたく問題がないわけです。 つまり、この人は「白」です。 >>こちらが 対立をみちびいたかなとか それをかたくなに推し進めたかなと思って >>ひとことお詫びのようなことを言ったときに  >>相手は いえいえ そういうお詫びは不必要であり  >>どちらかと言えば 非は しりぞいた自分のほうにある。ということでした。 bragelonneさんとの一対一の討論において、bragelonneさんが「かたくなに推し進めた」ために、それが巨大な圧力となつて、相手は「非は自分のほうにある」と認めされられた、もしくは、みづからその道を選択したわけです。そしてその行為は「ヘリクダリ」と称されます。 つまり、相手は「白」であるにもかかはず、強引に「黒」として封じ込めたのです。 ブログにはK氏のこんな指摘があります。 >>そもそも、今回のブラジュロンヌさんのいう >>○○さんとの<<衝突>>は具体的にどのようなものだったのでしょうか? >>どんな話をしていたのかとか。 >>一ヶ月も、○○さんが姿を見せないなんてこの数年なかったのに。 対立の結果として、相手のほうは、ひきこもりの状態に陥つてしまつたやうです。 >>ちょっぴり《不良・不純》のフリカケをかけるとよいのではないかと思いました 「白」を「黒」にしたのでは具合が悪いので、もともとは「白」ではなく「灰色」だつたのだ、と主張するための工作活動なのですね。 *** *** *** *** *** 上記の見方でまちがひないでせうか。私としては分析に自信があります。 bragelonneさんの態度は別にして、相手のとつた姿勢は、少なくとも結果的には適切ではなかつたやうですね。ボクシングでいへば、わざわざサンドバッグになつたやうなものです。 私は攻撃に対しては、その力を利用するのが効率的な方法だと思つてゐます。力を利用する、といつても、西洋のボクシングのやうなカウンター攻撃ではありません。相手を倒したのでは、もう利用できなくなります。このあたりは、ねこさんのサナダムシ教と相通じるものがあります。日本の合気道のやうに受け流すのが合理的です。相手にダメージを与へず、みづからはエネルギー消費を最小限に抑へられます。回答番号13に書いた「通報」の利用はその一例です。他人の文章を削除することによって快感を覚える人と、私のやうに改善要望がある人間との、利害関係が見事に調和してゐます。互ひに満足します。 bragelonneさんのページは、好き勝手に何でも書けるので、すこぶる重宝です。こんな便利なものを利用しない手はありません。 いつも書いてゐることですが、人間の弱さや愚かさは糾弾するものではなく、利用するものです。「弱さを克服するのだ」「愚かさは恥だ」と叫んでも、無理があるだけです。大切なのは、弱さや愚かさを認めることだと思ひます。弱いなら、強い人のエネルギーを借用すればすみます。愚かなら、賢い人の知恵を活用すればいいだけです。 馬鹿には、へりくだる必要など、ありません。

bragelonne
質問者

お礼

 こんばんは。ご回答をありがとうございます。  【にゃ】  ★ ~~~~~~~~~~~~~  といふことは、このブログに出てきた人は、bragelonneさんとのかかはり以外のところでは、まつたく問題がないわけです。  つまり、この人は「白」です。  ~~~~~~~~~~~~~~  ☆ ええ。初めから 白です。  しかもわたしとのかかわりにおいても白です。なぜなら すでに述べたと思いますが 《衝突》というのは 互いに互いの自由を追究した結果 どちらも退かなかった。というだけのことですから。  ただ たぶんその人は それでも或る種の見方ではそれでもトラブルであると捉え 人とのあいだにトラブルを起こしたのは――どちらが悪いと言うのではないけれど―― 自分としては起こすべきではなかった。と考えたのだと思います。これが 単純に反省すべき咎なのでしょう。純粋にそう捉えたのでしょう。  ただ 話が混ぜこぜになっています。  【にゅ】  ☆☆ ~~~~~~~~~~~~~~~~  >>こちらが 対立をみちびいたかなとか それをかたくなに推し進めたかなと思って  >>ひとことお詫びのようなことを言ったときに   >>相手は いえいえ そういうお詫びは不必要であり   >>どちらかと言えば 非は しりぞいた自分のほうにある。ということでした。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ これは にゅう・・・さんのほうです。  ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~  bragelonneさんとの一対一の討論において、bragelonneさんが「かたくなに推し進めた」ために、それが巨大な圧力となつて、相手は「非は自分のほうにある」と認めされられた、もしくは、みづからその道を選択したわけです。そしてその行為は「ヘリクダリ」と称されます。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ これは 中ほどの《相手は「非は自分のほうにある」と認めされられた》は まづ事実とは違うでしょうね。  自分からすすんで《非は――あるとすれば――自分のほうに》とその事態を受け留めたのだと思います。  見解の《対立》は これも互いに自由にそのように対話をしていたということです。まして ケンカではありません。見解の相違にはなった。ということです。  ★ つまり、相手は「白」であるにもかかはず、強引に「黒」として封じ込めたのです。  ☆ そうぢゃなくて 相手は(にゅう・・・さんは) こちら(ぶらげろ)に非を捉える前に もし非があったとしたらそれは自分のほうに受け留めようという姿勢を見せたということです。言ってみれば すべて白です。両方とも白です。黒になったり黒にさせたりということはありません。よ。  【にゃ】  ★ 対立の結果として、相手のほうは、ひきこもりの状態に陥つてしまつたやうです  ☆ いきさつを明確にしなくてよいとすれば おおむねそういう過程です。そしてこれは 最初の人(=にゃ)のほうですよ。  ★ 「白」を「黒」にしたのでは具合が悪いので、もともとは「白」ではなく「灰色」だつたのだ、と主張するための工作活動なのですね。  ☆ もともとからずっと つねに白ですよ。それをわたしが 灰色になると こちらがお手上げ状態から少しは話の起こし方が持てるかも知れない。と思ったわけです。  ★ bragelonneさんの態度は別にして、相手のとつた姿勢は、少なくとも結果的には適切ではなかつたやうですね。ボクシングでいへば、わざわざサンドバッグになつたやうなものです。  ☆ うんとですね。ケンカには成っていません。見解の相違はあった。互いに自由であり お互い様。といったところです。それに 《たたかい》ではありません。  ええっとですね。《対立》だとか《衝突》だとかと書いたので 誤解をまねいてしまったようです。  なんら諍いのようなものではないですよ。強いて言えば おのれの誇りというか自由というかをとうとび しかもそれが相手のそれらとどう調和させるか。ここに滞りがある。といったことです。そういう情況です。  

回答No.29

bragelonneさん こんばんは。 No.28のトテツモナイさんを受けて回答します。 かなり、昔、読んだ新聞のコラムに、大抵の人は自分の実力を2割くらい上げて見積もって生活していると書いてました。だから、ボーナスを見て他人と比較すると、何で私はこんなに少ないのかと思ってしまうそうです。 しかし、私は「自信」というメンタル面で考えるとそのくらいがいいのではないかとも考えます。 思い上がり、すなわち「高慢」は罪と聖書の外典のシラ書にあります。自信がありすぎてはいけない。 しかし、自信がなさ過ぎると「卑屈」になってしまい、自己主張はできない。 そして「卑屈」が行き過ぎて思いつめてしまうと、まじめという、いい性格を持っているのに、すべてこうなったのは私のせいだと、電車に飛び込み、大切な「命」を失い、ダイヤがくるって大勢の人に迷惑をかけ、遺族は悲しみと共に多額の賠償金を要求される。 一方、自分がこうなったのは、すべては社会が悪いせいだと考える人は、ナイフで無差別殺人。自分で死ぬ勇気がないからと死刑にしてくださいなどと、信じられない発言をする。 私は中国思想的には「中庸」であるのがベストと思いますが、人の感情と言うのは私は「波」のようで、中庸という「線」に保つのは難しいと思います。 おそらく仏教で修行し悟りを得た、羅漢といわれるような人でなくては出来ないのではと思いますよ。 なにやら、bragelonneさんのこの投稿は議論につきないようで。 ネットではなく酒を飲みながら、語り合いたい感じです。(笑)

bragelonne
質問者

お礼

 こんばんは。ご回答をありがとうございます。  ★ ~~~~~~~~~~~~~~~  大抵の人は自分の実力を2割くらい上げて見積もって生活していると書いてました。だから、ボーナスを見て他人と比較すると、何で私はこんなに少ないのかと思ってしまうそうです。  しかし、私は「自信」というメンタル面で考えるとそのくらいがいいのではないかとも考えます。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ そうですね。そういう考え方もありうるのでしょうね。    そういう話を聞いたとすれば わたし自身は 少し違った見方をしていたと気づきます。  つまり そういう《自信》ではなく 《確信》の問題として生活上のものの見方考え方をしていました。  つまり ものごとは確信をもって行動せよです。  ですから そのときに《自信》がどういうかたちで持たれているのかは あまり関係ないように思えています わたしの場合。  《自信》と《確信》は ほとんど同じようでもありますが ちょっと違うようなのですね。  あっ 分かった。自信は確かに自己自身の能力や人柄などについての自己評価のことですね。  確信は そのいま行なおうとしているコトについての心の決まり具合いですね。  中身について それでよいかとか。どこまで追求するのか。成功の確率はどうか。などですね。  つまり 自己評価はほとんどしていないですね。  これは おもしろい違いであるようですね。またまた質問しなくちゃなんない。かな?  ★ なにやら、bragelonneさんのこの投稿は議論につきないようで。  ☆ しかも 似たような質問をもうひとつ掲げていますし。  ★ 中庸  ☆ の問題は 中国思想も然ることながら 例のアリストテレスも言っているのですね。  しかもごく単純にものごとの中間を目安とするといった簡単なもののようです。意外と あぁ そうなのかなぁと納得させられたような。  そういう意味では ブディズムの修行なりオシエなりは 大したことはないと思いますよ。というのは いぢわるなだけではなく 破れかぶれなんでしょうか?

回答No.28

へりくだっている人は、へりくだっている方が上って意識が必ずどこかにありますよ。 だからへりくだることが出来るんです。 単に卑下しているだけではないですよ。 実際上には上がいるし、自分への戒めとしてもへりくだりますよね。 へりくだってるほうが能力がつきやすい人も多いのではないでしょうか。 ただ、へりくだることができるのは 言葉通りに自分を未熟者だと全面的に思っている訳ではなく 少なくともへりくだることで精神的優位性を持っていると思います。 簡単にいえば、へりくだるほうが得ってことです。

bragelonne
質問者

お礼

 けっきょく上下関係とまたそれを意識することから来るというご見解でしょうか。  ご回答をありがとうございます。    おまえたちの下には成らんぞと。そのためにも へりくだるんですね。  ★ ~~~~~~~~~~~~~~  へりくだることができるのは  言葉通りに自分を未熟者だと全面的に思っている訳ではなく  少なくともへりくだることで精神的優位性を持っていると思います。  ~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ そう言えば 神のようにいかなる者の下にも立つまいと堅く誓ったという人間類型を思い出しました。そういう場合には その目指す地位に到るまでは 腰が低く 誰に対してもほどよいつき合いをおこない 手下になった者に対しては リーダーシップを発揮するのだとか。  いや 分かりませんが。  計算・打算があるということですね。

noname#207067
noname#207067
回答No.27

どのような衝突があったのか知りませんが 相手がブラジュロンヌさんの言動でショックを受けたのなら ブラジュロンヌさんもへりくだってみたらどうですか。

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。  そうすると ヘリクダリの無限連鎖が起きます。  それに すでに究極のヘリクダリが示されています。

noname#214841
noname#214841
回答No.26

bragelonneさんのquestionを昨日からthinkしてゐるのですが、やはりdifficultです。 ねこさんやあめんほてぷさんなら、サマになるのですが、私がやると、ルー大柴になつてしまひます。 どう考へても、bragelonneさんの問題が何なのかわかりかねます。「お手上げです。」とのことですが、それでしたら、「ブラゲロ攻略法」を研究してゐる人たちから喜ばれるのではないでせうか。哲学カテゴリの最大多数の最大幸福に寄与します。 「へりくだる」とか「誇示する」とかいつても、所詮は状況次第なのではありませんか。 Q&Aサイトは学ぶためにあるのですから、私はさういふ姿勢で参加してゐます。しかし、職場では、何が何でも意見を通さなければならない場面もありますし、人を動かすためには怒鳴りつけることだつてあります。それが仕事です。 ブログに出てゐた人を、私はまつたく知らないのですが、ここに記されてゐるやうな態度をほんとうに常に取つてゐるのであれば、一般社会では通用しない人です。ねこさんの指摘どほり、修道院にでも入らなければ生きてゆけません。決断力もない、説得力もない、何もかも言ひなり、もし職場にそんな人がゐたとしたら、私もねこさんと同じく、かう言ひます。「病院に行け。薬を飲め。」

bragelonne
質問者

お礼

 ★ ここに記されてゐるやうな態度をほんとうに常に取つてゐるのであれば、一般社会では通用しない人です。ねこさんの指摘どほり、修道院にでも入らなければ生きてゆけません。決断力もない、説得力もない、何もかも言ひなり、もし職場にそんな人がゐたとしたら、私もねこさんと同じく、かう言ひます。「病院に行け。薬を飲め。」  ☆ もうすでに そういう目に遭っておられます。  ただしそういう目で見られているだけのことですよ。通用しますし 決断力もあり 説得力もあります。決して他人の言いなりではありません。  同じくただし ちょっぴり《不良・不純》のフリカケをかけるとよいのではないかと思いました。そういうひとつの見方が得られています。  さらに デンケンしてください。コギターレしてください。  ご回答をありがとうございます。

回答No.25

~~~~~~ 「receptor を inhibit するために、ligand とcompetition する物質を調べるため、どのような method がいいかな?」 「ノックアウトを作るのが、いいんじゃない。fetal で negative かもしれないけど。」 ~~~~~~ を読んで、思わず笑ってしまった。 だったら、 日本語ではなく、すべて英語で会話すればいいのに(笑い)。 横文字をやたら使う人は、「俺は(いま、こんなところにいるけれど、本当は)頭がいいんだ」と周囲にアピールしたいんだわさ。 しかも、かなり強いコンプレックスを持っている。  ───所詮、大学に残れなかった負け犬の遠吠え、強がり、無駄吠え!!─── ☆しかし、そのような、人を見下すような研究者は東大や京大出ても、大した研究者ではありません。 ◇です。 ~~~~~~~ 私は海辺で遊んでいる少年のようである。 ときおり、 普通のものよりもなめらかな小石や かわいい貝殻を見つけて 夢中になっている。 真理の大海は、 すべてが未発見のまま、 目の前に広がっているというのに。 http://iyashitour.com/archives/26101 ~~~~~~~ あのニュートンですら、こう言っている。 普通、やればやるほど、(自然の前で)謙虚になるもんですがね~。 ☆高校までは成績が1番だったが、大学に入ったら1番ではなくなり、自分自身に劣等感を持っているのでしょう ◇負け犬だから(ポリポリ)。 弱い犬ほどよく吠える!!

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。  ニュートンはそんなことを言ったのですか。  では アウグスティヌスは:  ▲ (サイトは 牧師の説教みたいです)~~~~~~~~~~   http://www.christ-ch.or.jp/3_sekkyou/koukai/shingen/shingen_2.html  アウグスティヌスがある日、「神の全能」についてしきりと考えながら海辺を散歩していました。  ふと気がつくと、海辺にひとりの少年がしゃがんでいて、小さなスプーンで海の水をすくっては陸にそそいでいました。アウグスティヌスが「何をしているの?」と尋ねると、「海の水を干そうとしているのです」と答えました。  「そんな小さなスプーンで海の水を干すなんて、とても出来ないことではありませんか?」と尋ねると、少年は   「わたしは神より遣わされた天の使いです。   あなたが神の全能について知り尽くそうとするのは、   小さなスプーンで大海を干そうとするのに似ている」  と言って、たちまちその姿が消えたということです。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  学校の成績談義は あんがい流行りますね。

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