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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:91歳輸血するべきか?)

91歳の母の輸血について考える

tobirisuの回答

  • tobirisu
  • ベストアンサー率40% (199/489)
回答No.4

治療として、どのような治療を望むかは、しなければならない判断だと思いますが、 輸血について、 >輸血って他人の命を奪って、自分の命にすること と考える必要はありません。 血液は「命」ではありません。 血液は体内を巡る大切な液体であり、大量に失われればたしかに命にかかわりますが、 原料の大半は水分ですし、体内で日々生成されています。 あまりロマンチックに考えない方がいいです。 輸血の提供者の寿命が縮まるわけではありませんから、ご安心ください。 それよりは、輸血という治療がお母様に必要かどうかは、 医学的な専門知識も必要ですし、 ご本人の意志とか、苦痛とか、治癒の可能性とか、そういう観点で考慮される方が適切だと思います。

papabeatles
質問者

お礼

 回答ありがとうございます。治癒の可能性があるなら輸血でも臓器移植でもなんでもあるだろうと思いますが・・・・・   残念ながら治癒の可能性はゼロです。91歳の年齢からしても当然だと思います。  これが輸血だけで済めばまだ良いのですが、今後延命措置としてどんなことがされるのか想像も出来ません。医療界では患者にいろいろな管を付けて延命させることスパゲティというそうですが、そうまでして生きていたいとは本人は絶対に思っていません。  できれば苦痛がなく眠るようにして送りたいと思います。そのために輸血が必要だったのだろうかと疑問も思っております。

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