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競争社会

welovekobeの回答

回答No.2

弱肉強食の世界とは、どういう世界を 意味するのかは、人それぞれですが、 普通は、弱いものは強いものに食われろ! という意味でしょう・・・ つまり、無慈悲な世界・・・ 自己中心な世界・・・ ならば、お釈迦様やイエス様の教えからは 程遠いでしょうね。 ところで、自然界は、弱肉強食の世界ではないので、 誤解しないでくださいね。 強いライオンも、空腹時には弱いシマウマを襲うかも 知れませんが、満腹時には、襲いません。 つまり、自然界は、足ることを知る世界なのです。 全体目的と個体目的が調和しているのです。 過分な欲望のない世界なのです。 人間世界だけが、自己中心な欲望の世界なのです。 弱肉強食の世界なのですね。 大宇宙の真理に 帰れ(南無=ナーム) というのが、お釈迦様の教えです。 イエス様も、人間が本来の堕落以前の状態に 帰り、救われることを願われました。 人間が、つまり、堕落して、願わざる悪なる欲望を 内包するようになってしまったので、 元の世界に戻らなければならない存在に堕ちたのです。 これが「人間始祖の堕落」です。 だから、救われなければならないのです。 人間始祖、アダムとエバが堕落しなかったのなら、 どうして、われわれ人類が救われなければならないので しょうか???救われる必要がありませんね。 人間だけが、堕落して、自己中心的な欲望 すなわち、過分な欲望により、全体目的と 個体目的の調和を乱し、自己の位置を離れてしまう 悪なる欲望を持つに至ったのです。 本来は、弱肉強食ではなくて、 「弱食強肉」でなければならなかったのですね・・・ 弱い者に、強い者が、肉を食べさせてあげる・・・ そのような愛の世界、慈悲の世界を、 イエス様もお釈迦様も、願われたのでしょうね・・・ ではでは。

TEDSW
質問者

お礼

回答有難うございました。 >つまり、自然界は、足ることを知る世界なのです。 足ることを知ることなく、もっと便利にもっと便利にと、餓鬼のごとく生活環境を発展させていこうとすることは、釈迦やイエスの教えからは程遠いということでしょうか。 原始的な生活であっても、それに十分満足して、喜びさえ見出せるような生き方が、「足ることを知る」を実践した生き方ということでしょうか。

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