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競争社会

mmkyの回答

  • mmky
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回答No.9

参考程度の追伸まで 自動車王のヘンリーフォードは母親が何キロも先のグロサリー(雑貨店)に買い物にいくのを見て母親の負担を減らすために当時非常に高価だった自動車を普通の人が購入できるようにするために安価になる製造方法を考えたのです。三洋が初めて世に出した洗濯機も同じ考えが根底にありましたね。科学技術というのは人々に余暇という幸福を与えるのですね。 余暇が与えられるがゆえに一般の人々が出家もしないで心の幸福を追求できるのではないですかね。 釈尊は明確に「苦楽の中道」を説いてます。 「悟り=心の幸福」は苦の生活(肉体をいじめたりすること。厳しい生活。)の中にも楽な生活(王子で何の苦労も無いような生活。)の中にも無い。ごく普通の生活の中に求めるものがあるということですね。 現在の生活環境を良くすることに汲々としても心の幸福は得られないことは間違いありません。しかし、生活環境が良くなりに余暇ができることは、学ぶ時間、考える時間が増えることで心の幸福の追求がし易くなることは確かです。つまり、手段と目的を取り違えるとおかしくなりますね。科学技術は手段でしかないのですが目的と勘違いしていることは確かですね。 それから釈尊は、「上求菩提、下化衆生」とも説いていますね。 個人は仏の悟りを追及すると同時に多くの人々にその気づきを伝えていきなさいということですね。 この二つのベクトルがありますね。自らが幸福になると同時に多くの人々を幸福にしていきなさいということですね。多くの人々を幸福にするという意味において競争社会も肯定されているのですね。そこで発生する悩みや焦燥を和らげるためにイエスの愛や仏の慈悲が与えられているのですね。

TEDSW
質問者

お礼

回答有難うございました。 >科学技術というのは人々に余暇という幸福を与えるのですね。 そういった側面があるかも知れないですね。ただ以前テレビで原始的な生活をしている人達のことを見ましたが、大人でも昼寝をしてたり、遊びに興じていたり、それなりに余暇もあるような一面も感じられました。 >「悟り=心の幸福」は苦の生活(肉体をいじめたりすること。厳しい生活。)の中にも楽な生活(王子で何の苦労も無いような生活。)の中にも無い。ごく普通の生活の中に求めるものがあるということですね。 そういった解釈もできると思います。が、その場合、ごく普通の生活というのは原始的な生活(当人が満足している)も含まれるのかなと、疑問に感じました。 心の幸福はその気になりさえすえばどんな環境であっても、それを追求することは可能であるという解釈も成り立つような気がしたものですから。 >多くの人々を幸福にするという意味において競争社会も肯定されているのですね。 そういう捉え方は頷ける部分が多いです。が、競争社会は善意だけで成り立つ場合は稀であり、大抵は負の側面を合わせ持つと思います。過度な競争意識がもたらす悲劇の一つに戦争があります。また、競争社会では往々にして、己を他者と比較して体裁を保つことに神経をすり減らし、様々な軋轢を生じさせたりもします。 そういった負の側面を全て見据えた上で聖人はそれを肯定なさるのだろうか、戦争も必要悪と見なされるのだろうか、と疑問が生じました。 もちろん愛や慈悲を説かれているわけですから、戦争を全肯定などするはずはないでしょう。しかし、競争意識というものを肯定されるとしたなら、その競争意識の負の最たるものである戦争の存在を完全否定することは難しいように感じているのですが。

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