- 締切済み
英語 アメリカでの宗教の話について
こんにちは。時々書き込みをさせていただいてる者です。 アメリカ人の友人(♀)が話していた話題について、(特に英語の為)理解が出来なかった為、ご質問させていただきました。 少々長文ですが、ご回答下さると幸いです。 ある日、上記の友人がこのようにfacebookに呟いていました。 「PM me if you are interested in helping support people who are deconverting」 これだけでは理解できず、彼女がその呟きについて残していたコメントを読んでいたところ、宗教に関する書き込みだということがわかりました。 (このように残されていました : I have friends in the bible belt who don't feel safe to say they aren't christian. I haven't seen that sort of reaction in pagan communities, thankfully.) それでも私は「一体宗教のどんな話をしているのだろう」と疑問に感じ、この友人に連絡を取ってみることにしました。 すると、下記のように返事が返ってきました。 (私の解釈が正しいものなのか、ご回答いただけないでしょうか?) 「Religion is much softer in Japan. For lack of better word. If you brush up against it here, it is like bumping into a cushion. But in the states, it can be taken so seriously that it is like a brick or even a knife for some. The religions clash and if you brush up against it you get hurt. There is freedom of religion but people also are so serious that they would shun in some cases their own family over the differences. So if someone converts to a different religion or if they deconvert, they remain hidden until they feel safe to be true to their beliefs.」 日本とは違い、アメリカでは宗教の話は大変議論されることが多く、下手に話をするとバッシングをくらってしまうかもしれない。 もし別の宗派に改宗する/しない場合でも、自分が属している宗派に納得するまでは、自身の正体は明かさない。 彼女が話していた内容は、こういったものでしょうか? 文章が稚拙で申し訳ありません。 お力を貸していただけると嬉しいです。
- みんなの回答 (8)
- 専門家の回答
みんなの回答
- WindFaller
- ベストアンサー率57% (465/803)
こんにちは。 質問内容と、少しはずれるかもしれません。また、私の経験をすべて書けるわけではないのですが、少しプライベートのことを交えて書かせていただきます。 私は、実際、アメリカ人だけには、キリスト教のお話をしたことがありません。アメリカ人の宗教観に対して良い印象を持っていないということです。数年前、佐藤優氏の著書で学んだ話で、私が驚いたのは、アメリカのキリスト教というのは、社会階層によって宗派が分かれるのだということです。別な見方をすると、信仰や教義そのものではなく、地域社会と宗派のつながりだということです。住居が変わり、社会的ステータスが上がれば改宗自体は、平気で行われていることだそうです。 Bible Belt とは、南東部のミシシッピ、アラバマなどの州を中心とした、プロテスタントの福音派、言い換えればキリスト教保守派のことです。アメリカ合衆国自体は、宗教に対してリベラルな立場が建前ですから、彼らは、やはりアメリカ全土からすれば、モルモンと同様に、特殊な存在かもしれません。その保守派の中に、原理主義が存在しているわけです。しかし、アメリカ合衆国が、犯罪行為をしなければ、それを許してしまうもののようです。オバマ大統領のように、宗教に対しては曖昧なままに、大統領にもなり、再選も果たしたわけですから、本来、アメリカ全体で宗教がどうとは言えません。 私は、 Religion is much softer in Japan. If you brush up against it here, it is like bumping into a cushion. bumping into a cushion. は、「クッションにぶつかって、びっくりする」というような意味だと解釈しました。"softer" というのは、日本は、東洋の仏教国という印象から、穏やかだということでしょうけれども、ただ、それは、全文からすれば、あまり大きな意味を持たないと思います。 The religions clash and if you brush up against it you get hurt. 宗教同士がぶつかり合い、あなたは怪我をすることになるかもしれません。 they remain hidden until they feel safe to be true to their beliefs. 自分の信仰が安全と分かるまでは、(脱会や転向は)隠していることになる。(あえて、似た表現の「脱会」という語を使いました) people also are so serious that they would shun in some cases their own family over the differences. 自分の家族同士で、考え方が食い違う場合にはそれを回避するという深刻な問題があります。 この内容とは、少し違いますが、日本でも、いくつかの宗教団体で言われています。似たような話は日本にもいくつもあり、最後には、夫婦なら離婚、家族なら崩壊や離散ということもあります。最後に、ご主人の自殺で終わったという例もあります。 宗教上の問題で、なかなか結婚できない女性もありますが、結果的には、桜田淳子さんのように、同じ宗教の人と結婚に落ち着くという例は多いです。ただし、彼女の場合は広告塔ですから、教会から強制的な結婚を要求されたわけではありません。多くの一般女性信者とは、まったく別です。一見、自由の国、アメリカでも、中絶禁止以外にも、宗教上の女性に対する人権侵害は横行します。そもそも、キリスト教の聖書自体を文字通り読めば、男尊女卑の思想だからです。 There is freedom of religion 日本の場合でも、金子哲雄さんという経済ジャーナリストの『僕の死に方』という本が話題になりましたが、実際には、自分の(宗教的な)死さえ思うにならない社会など、本当に自由(freedom)とは言えません。それが、日本の現実です。その反面、国側が、異種・異端・反日宗教団体を許している以上は、今後、どんなに危険がはらんでいるのか分からないのが日本の現状です。日本は、表面的には平和を唱え一見温和ですが、裏では、暴力的な実行部隊を備えていることが多いのですが、それは、アメリカでは、もっとはっきりしているはずです。 "deconverting"によって、直接の危害を加えられることはないと思っている人は、多いと思います。 "deconvert" の言葉を調べてみると、 Wiktionaryより、 To undergo a deconversion from a religion, faith or belief or to induce (someone) to reject a particular religion, faith, or belief. 宗教・信仰など、または、特定の宗教や信仰などの勧誘を拒否して、脱信仰を経験すること。 "deconversion" The loss of faith in a given religion and return to a previously held religion or non-religion (typically atheism, agnosticism, or rationalism). ある一定の宗教の信仰を喪失し、前に加入していた宗教に、または、無信仰(典型的なのは、無神論、不可知論、合理主義)に戻ること。(誤解を恐れずに言えば、不可知論とは、日本の神道の本質的な考え方も、神の存在を知ることが出来ない、という考え方に入ると思います。) "deconverting" は、ある意味では "pagan"そのものではなく、"pagan(異教徒)"と呼ばれることになることだと思います。その"pagan"は、差別的な表現(political correctness)であり、差別のレッテル化だと思います。私はその言葉に不快感を覚えます。 以下の文のように私も、もう30年以上昔にもなりますが、異端(heresy)からの脱会について深く興味を持っていた頃に、 "if you are interested in helping support people who are deconverting" ある脱会専門のクリスチャンの方から、手厳しいお叱りを受けたことがあります。その内容は、単なる興味ではなく、肉親を、異端から命がけで救う気持ちで、脱会させなくてはならないのだ、ということでした。その時の対象は、「エホバの証人」でしたが、逆に「エホバの証人」そのものは、直接的には暴力的な危害を加える人たちではないというのは有名です。なぜ反対するかは、ここでは割愛します。 それから、日本人で米国系クリスチャン(ペンテコステ派)でさえ、イスラエルを含めた、中東付近の国々に対して、とんでもないことを企てている人間がいるのに、アメリカのキリスト教右派の一部の人々が、それ以上のことをしないとは限りません。ある程度の宗教的知識は事前に知っておいて、単なる興味なら、深入りしないほうが無難です。
- agnler
- ベストアンサー率28% (53/183)
deconvertして、Ex-Christian(元キリスト教徒)になった人たちのサポートグループのURLを貼っておきます。 興味があったら、どんなものなのかのぞいてみるのもいいかもです。 ここでも、Encouraging de-converting and former Christiansと、書かれていますね。 http://new.exchristian.net/ 特に、Forumをのぞくとキリスト教を抜けたものが、they remain hidden until they feel safe to be true to their beliefsしてる状態がどんなものかわかります。 http://new.exchristian.net/p/forums.html
お礼
お礼が遅くなり、大変失礼致しました。 様々なForumを見させていただきました。興味深かったです。
- agnler
- ベストアンサー率28% (53/183)
#1です。 誤解がある文章があったようなので、訂正です。 >村八分になってしまいます。 と書きましたが、これは、一般社会から村八分というよりも、キリスト教を抜けるまで親しくしていたガチガチのキリスト教徒仲間からです。 #3さんも、仰っている、 >宗教上の見解の相違から、家族を勘当することさえする。 というような事をいいたかったのです。 あと一つ、他の回答者の方々は、deconvert(宗教を離れる事)とreconvert(再改宗)を読み間違えていませんか? 最後の文章は、だいたい以下のような内容です。 So if someone converts to a different religion or if they deconvert, they remain hidden until they feel safe to be true to their beliefs. 「だからもしもキリスト教以外の宗教に改宗したり、キリスト教から離れた場合、安全が確認されるまで自分の信じている事(無神論者、またはキリスト教以外の宗教である事)を隠して生きます。」 はじめの文章もdeconvert(キリスト教を離れる)人をサポートする内容ですから、彼女自身が敬虔なキリスト教徒であるはずがありません。 PM me if you are interested in helping support people who are 『deconverting』
- oignies
- ベストアンサー率20% (673/3354)
訳みたいなのをだした回答が出ているので一言。 Bible beltをバイブルベルトと訳していますが、アメリカの敬虔なキリスト教徒がおおい一帯があってそれをBible beltというのではなかったでしょうか。正確にどこかはいえないのですが、ユタ州だとか中西部一帯ではなかったかと記憶しています。 communityというのは、日本語でいうコミュニティではなくて、地域社会という程度の意味です あと最後の文章ですが、改宗したもの、あるいは、再度改宗したものは、信仰をつらぬいても安全だという確証がもてるまで、改宗した事実あるいは、再度改宗した事実をかくす、という意味の文章です。 周りの理解がえられるまでというのとは微妙にニュアンスがちがう。 softについてももっとも一般的な寛容というニュアンスの言葉ではないです。ぐにゃっとしていると、クッションのイメージそのままの表現をしているかと・・・議論をふっかけたところでのれんに腕押し状態が日本だとおもわれているのではないでしょうか。 衝撃がすくない、程度がもっとも日本語でちかいかとおもいます。このあたり、かってに寛容と訳すのは判官びいきでいかがなものかと。
お礼
他の方のご回答を交えながらのご回答、誠にありがとうございます。 自分が言葉に加え、本当に背景知識が欠如していたなと再認識することが出来ました。
アメリカ在住のキリスト教徒です。 最初のメッセージのPM meは、個人の宗教観をSNS上で気軽に公開すべき問題ではない、と、いう風に考えておられるからです。これは、彼女自身、大変敬虔なキリスト教徒であるしるしです。 ペーガン・コミュニティで、彼女が何を指しているのか、ちょっと疑問なのですが、”非キリスト教徒の人たち”と捕らえるのが良いのでしょうか。バイブルベルトの集まりで、キリスト教徒同士では、”自分は非キリスト教徒である、というのは、危険な感じ”。。。 この”危険”は、私の感じてきたところでは、”相手がちょっと引く。。。キリスト教徒同士のように仲良くしてもらえない。。。悩みを打ち明けあうような、打ち解けた関係にならない。。。”という、感じです。キリスト教徒同志ですと、病気や事故にあったとき、”お互いの苦しみを分け合って、お互いのために祈る”のですが、そのプロセスができなくなるからでしょう。 それで、最後の文章です。 日本では、自分たちとは違った宗教に関して、許容性がある。ほかにうまい言葉が見つからないので、仮に、許容性としておく。 決定的に違う宗教観を持つ人と出会っても、クッションにぶつかったような反応を受けるだけだけれど、アメリカは決定的に違う。場所によっては、(特に南部の何州か、あるいは、宗派によっては)レンガにぶつかってゆくような、もっとひどいときには、ナイフに立ち向かうような真剣さである。 宗教は争いの元になりうるし、うっかりトラの尾を踏もうものなら、大怪我をする。 信教の自由は存在するけれども、(キリスト教徒だけでなく)それぞれの宗教の信者は敬虔勝つ、真剣そのものなので、宗教上の見解の相違から、家族を勘当することさえする。(これは、本当です。) 以上のような理由から、改宗者あるいは、再改宗者(一旦信者をやめたものが再度入信する)は、回りの理解が得られる確信が持てるまで、水面下で息を殺していることが多いのです。 以上です。 周りの理解というのは、特に”家族=両親”あるいは、兄弟または親戚のことが多いです。 友人同士、恋人同士、あるいは、会社の同僚がキリスト教徒でないからといって、村八分になることはないと思います
お礼
ご回答ありがとうございます。 どこの国でも様々な宗派が存在する。日本で何問題もなく生まれ育ってきたからと言い訳をせず、もっと自身で様々な知識を入れていこうと思いました。 ありがとうございました。
- oignies
- ベストアンサー率20% (673/3354)
失礼かもしれませんが、宗教の問題は形お而上の問題なので、稚拙な言語でかたれるようなおおざおっぱな問題ではありません。あなたの場合には、英語の文意のとりかたがあまりにもアバウトで、アメリカでの宗教事情を日本に紹介するのには不適切な語学力しかないといわざるをえません。 そもそもがこの文章は最初のほうで、アメリカでは下手に宗教の話をするとけがをする。と説明がされておりそのあとで、慎重に議論が展開されているにもかかわらず、その下手にはなすとけがをするの部分をすっとばして、後半をごくごく大雑把に分かった範囲内だけで理解したつもりになっているのがおおきな問題。 大学時代の恩師のことばですが、外国語文献はかならず全部訳せ、そうしないとわかるところしか理解しないから、といっていたのをおもいだします。英語は英語のままで理解しながらよみすすめる速読も大事な勉強ですが、ことこのような問題にかんしては、全文くまなく訳せないのであれば、なにかはんしもらったけれどよくわからなかったという正直な印象を大事にすべきです。 おかきになった大意のようなものは、かなりまとはずれでもとの英語から、おおきくずれています。そのことを理解するために、ぜひ、ご自身で全文を訳してみてください。もちろん辞書をつかって。
お礼
おっしゃっているお言葉、ありがとうございます。日々学んでいきます。
- princelilac
- ベストアンサー率24% (1618/6634)
日本は宗教に甘いです。(※「寛容」なら褒め言葉ですが、やや批判的な言い方のようにも取れます。) もし自分を磨きたいと思っても、クッションにぶつかっていくようなものです。 アメリカではレンガやナイフにでさえもぶつかっていくほど真剣です。 宗教同士がぶつかり合い、怪我をするでしょう。 宗教には自由があります。 しかし、アメリカ人はとても真剣なので、宗教の違いについては、家族とも話題にすることを避けようとするものです。 改宗したり、元の宗教に戻ったりする時でも、自分達の信条に合っていると安心して感じるまでは、(改宗しようとしていることを)隠します。 バッシングというより、意見の対立を恐れてのようです。日本でも新興宗教では家族がもめたりなど、同じようなことが起こりますね。
お礼
私が訳さなかった部分まで意訳していただき、誠にありがとうございます。 世界で起きている実情に、もっと目を向けねばなと思いました。
- agnler
- ベストアンサー率28% (53/183)
彼らは神を信じてると同時に『悪魔』の存在も信じているのです。 キリスト教を離れた者は、悪魔のささやきに耳を傾け従ったものですから、初めからキリスト教を知らなかったものよりもさらに白い目で見られてしまい、村八分になってしまいます。 さらに、ガチガチのキリスト教の価値観で育ってしまった人は、キリスト教を捨てても、一般社会に溶け込むにすら苦労します。 そういう人たちの為の、サポートグループが米国ではあり、 >「PM me if you are interested in helping support people who are deconverting」 ご友人もそのような人の為のサポートグループを作っているか、それに参加しているかしていて、手助けしてくれる人を探しているわけです。
お礼
こんばんは。早速のご回答を頂きましてありがとうございます。 御参考にさせていただきます。 このような背景があったとは、知りませんでした。 今後も多くのことを知っていこうと思います。
お礼
「ある脱会専門のクリスチャンの方から、手厳しいお叱りを受けたことがあります。その内容は、単なる興味ではなく、肉親を、異端から命がけで救う気持ちで、脱会させなくてはならないのだ、ということでした」 ご回答ありがとうございます。深入りは今後もしない、と、もう一度考えることが出来ました。