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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:頑丈なお家と、そうでないお家)

頑丈なお家と、そうでないお家

aozou3の回答

  • aozou3
  • ベストアンサー率28% (87/310)
回答No.4

一歩間違えれば、 「Aさんは生き残り、Bさんは死にました」 となります Aさんは自分で備えていたからこそ生きていた訳で、Bさんはただの運です 死にたくなければ自助努力が必要です 保険も似たようなもので、たまたま健康のまま保険期間が終了し、 「加入しなければよかった!金返せ!」 なんて言い出す輩が必ずいるものです まずい飯を食って辛い運動をして健康で長生きするより、好きなものを食って好きなことをして病気で早死にする方がいいだの、 たとえ病気になっても高額医療費は返って来るから平気だの、 そんな「国が保証してくれるから大丈夫」なんて甘えた考えの人達の為に、みんなで払わなければいけない税金が高くなってしまっているのにねえ… でも自然災害の前では自助努力にも限界があるわけで、そこに相互扶助は必要かと思われます まあ震災前の家財の評価額に応じて補助金額を変動させてもいいとは思いますが

Lady_osaka
質問者

お礼

その通りですね、基本は自助努力です。 それを十分していたのに何かあれば 気の毒にと思いますが、津波の来る場所に 住んでいて津波が来て流されるのは当たり前! そこにまた家を建てるなどどうかしてるんじゃ ないのと思いますね。 ありがとうございました。

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