• 締切済み

無宗教、または信じるモノがなくても生きられる人

dai-ymの回答

  • dai-ym
  • ベストアンサー率22% (848/3824)
回答No.22

国が個別の契約がどうなっているかなんて管理できませんよ。 国が従業員の訴えなく取り締まれるようにする場合は法律から少しでも違反していれば取り締まるということになります。 それは国に管理されるということです。 それが嫌なら、サービス残業に不満を持っている従業員が訴えればいい。 それだけのことです。 人間は超能力者ではないので相手が何を思っているかなどわかるわけがありません。 不満に思っているのならそのことを言う。 法律にも契約書にも反しているのなら訴える。 経営者が経営について勉強することも大事ですが従業員だって自分の身を守るために訴えることをしっかりと訴える姿勢は大事です。 自分は声を上げないが正義の味方が立ち上がって助けてくれ。 そんな都合のいいことは起きません。 自分が声を上げないでも国が助けてくれ。 そう考えるのであればそれは管理社会という秩序を求めることになりますよ。 ちなみにちゃんと残業代を出している経営者から見たら、サービス残業を頻繁にさせている経営者は困った存在です。 経営者のイメージも下げますし、残業代を払わない分コストが下がるので価格競争に勝てなくなったりしますから。 それでも、私は国がどんどん取り締まれとは思いません。 それは管理社会になる方が困るからです。 >これは借り物の理想を自分のモノに昇華ということにならないでしょうか? これは他人が判断することでなく自分が感じるものです。 自分が昇華していると思えば昇華していますし、まだ足りていないと思えば昇華していないでしょう。 そのあたりは何か一つが絶対的な正解があることではないです。 他人がおかしいと思っても自分が正しいと思えばそれも正解です。 内容について他人に相談することではないと思います。 前のお礼で実感がわかないと書かれていたので昇華について書きました。 実感がわかないというのは未消化のままだからです。 消化し昇華できれば、自分の言葉に少し変えたほうがより実感もてるようになったり、そのままの言葉でもしっかりと実感できます。 また実感が出来なければ実践もできません。

shirou5
質問者

お礼

現状を認めることは絶対にできません、日本は労働に関しては発展途上国なのは間違いありません、それを先進国に進歩させるためならあらゆる手段を講じるべきです。 ああ、労働に関しては一度徹底的に管理したほうがいいですね、現状ではサービス残業が珍しくなく、訴えることができなくて過労死する人がたくさんいますからね。労働に関してのみ管理こそ優れてると思います、自由にさせた結果がこの現状なら日本は発展途上国のままです、一度サービス残業がないのが当たり前の社会を作ってサービス残業は間違っていると国民に周知させる必要があります、100年ほど立ったらまた自由に戻せば管理しなくてもサービス残業をさせる経営者なんていないでしょう、サービス残業なんていう間違ったものは存在しない健全な労働社会で育ったんですからね。 サービス残業しないと潰れる会社なら潰れたらいいんです、潰れるのは経営者の能力不足だからです。

shirou5
質問者

補足

ブラック企業で有名な「ワタミ」をご存知ですか?「365日24時間死ぬまで働け」なんて狂った思想を持った経営者は日本においては珍しくないと思います、それはサービス残業が悪いことだとは思わない経営者全てに通じる思想でしょう。こんな経営者達を生み出したのは日本の土壌がそういう悪を生み出すモノになってしまってるからです、土壌が原因なら土壌の環境を変えるしかありません、企業を国が徹底的に監視して法律を破らせない管理社会にするしかないでしょう。 管理者社会よりも 「ワタミでは2008年に入社3カ月の女性社員が1カ月141時間の時間外労働で抑うつ症状 となり、飛び降り自殺。昨年2月に、過労による自殺として労災認定されている。 また、自殺の翌年から昨年にかけて、時間外労働の上限時間を超えて従業員を働かせて いたとして、労働基準監督署から10件の是正勧告を受けていることも明らかになっている。」 こんな会社が存続できる社会の方がよほど悪質だと思います。

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