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無宗教、または信じるモノがなくても生きられる人

Gisella-8の回答

回答No.19

No.2の元クリスチャンです。 なんだか盛り上がっていますね。 どなたかがおっしゃっていたように、「日本人は議論が嫌いというのは、間違った認識だ」というご意見の具体例ですね。 「和」を和英辞典で引くと"Peace and Harmony"であり、事なかれ主義とは違っています。 ちなみに「事なかれ主義」は"avoiding trouble(トラブルを避ける);letting sleeping dog lie(寝ている犬はそのままに);not rocking the boat(舟を揺らすな)”です。 調和(harmony)は、オーケストラのように違った楽器が個性を出しながら、曲を奏でるといった感じですから、争いを避けるために自分を殺すというのは、解釈をずっと捻じ曲げてきたということなのでしょうか?意見の違いから、暴力沙汰なんていうのは、ですから、和の精神に反すると思います。 村でも、ずいぶん寄り合いで話し合いをしていたようですし、江戸期の各藩も意見交換を大事にしていたようです。 私は、明治は列強に植民地化されないために、仕方なかったのかもしれないけれど、江戸時代より独裁的だったし、野蛮だったと考えています。 私たちの考える日本が、江戸期の日本の伝統なのか?明治の伝統なのか?区別して考える必要があるように思えます。 宗教とは、論点がずれてしまい、すみません。

shirou5
質問者

補足

解釈をねじ曲げてきたというのは酷いですね、私は悪意のある人間とみなしますか? 単なる誤用です、悪意は全くありません、調和は誤用のようなので、訂正します 仲良く、争いを避けるがために「わがまま」「ごねる」行為を許すのでしょう?「和」のために他者に我慢や譲歩を強いるのは「和」の犠牲者と言えるでしょう、それは「道理」からして間違っています。 「我慢」や「譲歩」は決して他者に強いるものではありません、自ら望んですることが「譲歩」なのです。 和も事なかれ主義も日本語なので和英は必要ないと思います。「和」が道理が前提にあるのなら事なかれ主義とはは違うでしょう。

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