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無宗教、または信じるモノがなくても生きられる人

dai-ymの回答

  • dai-ym
  • ベストアンサー率22% (848/3824)
回答No.17

no.13です。 補足を頂いたので書かせていただきます。 自分ですが日本的な無宗教ですが、自分自身のなしたいことがありますので、それなりに精力的に人生を歩んでいます。 なしたいことを信じるものと言っていいのであれば、信じるものはあるでしょう。 宗教とはいろんな側面があります。 哲学的な面。 道徳的な面。 習慣的な面 もともと日本土着の神道は習慣的な面が強く、 そのあと入ってきた仏教も神道とくっつくことで哲学的な面などは薄れ道徳的な面と習慣的な面が強くなりました。 そのため、哲学的な面が強い宗教、宗派は日本では好まれていないところがあります。 そのため宗教を信仰するわけではないが、信仰心はあるという日本独特の文化が根付くことになったと自分は考えています。 そして質問者さんは哲学的な自分を裏付けるものが無いと、精力的に歩めないのではないかと考えているのだと思います。 日本人は宗教に哲学を求めていない代わりに先人の教えから哲学を考えるところがあります。 儒教などの様々な思想などがそうですね。 なので、無宗教でも哲学を持ち、何かを強く信じ精力的に生きていけます。 そして質問者さんは今自分の哲学を作っている最中なのだと思います。 それは非常に良いことです。 多少人ともめることはあっても自分の哲学を作り上げることはいいことですよ。 ただ、大事なのは哲学はJ人それぞれ違うので、違う哲学の人に会ってもそれはお互いを否定していることではない。 違う哲学が両立してかまわない。 哲学も自分の立場や時代によって変わるので、自分の成長とともに変わっていってよいものである。 そういうことを忘れてはいけないです。 最後にもともと日本人って事なかれ主義じゃないし、議論好きですよ。 火事と喧嘩は江戸の華という言葉がありますが、この喧嘩は殴り合いの喧嘩だけでなく議論も含まれます。 落語で将棋を見ているうちに見物者が次の差し手についての議論に花が咲き、実際にさしている人たちをほったらかしてしまうというものもあったりするように、議論が活発の社会でした。 歴史で見れば今の日本が特殊なのであって、質問者さんの考えは日本人の考えですよ。 ただ、それとともに、日本人は和を大事にします。 和とは馴れ合いとは違います。 お互いの意見をしっかりと主張しあうが、それをまとめるための努力もして共通な点を探していく。 そんな感じです。 馴れ合いは「同」と言います。 これはやってはいけないこととされています。 今の日本は和と同をまぜこぜにしてしまっていて、哲学も失っている人が多いのだと思います。 一匹狼ではダメですが、なれ合う必要もありません。 ちゃんと和が出来れば、同じ仲間が現れますよ。

shirou5
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >自分ですが日本的な無宗教ですが、自分自身のなしたいことがありますので、それなりに精力的に人生を歩んでいます。 なしたいことを信じるものと言っていいのであれば、信じるものはあるでしょう。 そうですね、しかし残念です、その「信じるモノ」をお聞かせ願いたかったのですが、それは秘密にしたいのでしょうね、仕方ありません。 >ただ、大事なのは哲学はJ人それぞれ違うので、違う哲学の人に会ってもそれはお互いを否定していることではない。違う哲学が両立してかまわない。 私もその通りだと思います、争いになるのは私の主張を批判された時だけです、私は正当性を証明するために戦うのです。他人の哲学を否定する気は全くありません、それは正しくないし、そんなことをする意味がありません。 >最後にもともと日本人って事なかれ主義じゃないし、議論好きですよ。 >歴史で見れば今の日本が特殊なのであって、質問者さんの考えは日本人の考えですよ。 私は日本人が議論好きだとは到底信じることができません、日本が昔から外交下手なのは議論が下手だからだと思います、上手ければ第二次世界大戦だって避けられたでしょう・・。知っていますか?日本の海軍によってプリンス・オブ・ウェールズが沈められたと聞いた当時の英国首相は「そんなに力があるのなら教えて欲しかった」と言っています、日本がきちんと力を誇示することができていない証拠です。日本の外交は譲歩ばかりでとても下手なのです、譲歩できなくなったからっていきなり宣戦布告は馬鹿げています。 そして今の日本が特殊だとも思いません、どこが昔と違うのでしょうか? 私は「和」が大事だとは思いません、「道理」から外れていると判断したなら斬り捨てます。、例えば「和」から見れば悪人を改善させようとするのでしょうが、私はそんなことをする道理がないので斬り捨てるだけです。道理から外れる悪は排除するだけです、間違った行為も主張も同じで「道理」から外れるものは絶対に認めることはできません。 >ちゃんと和が出来れば、同じ仲間が現れますよ。 私の理想に同じ仲間は必要ありません、理想とは関係ない、共通の趣味を持つ、または高め合うことができる友達さえいればそれで十分です。

shirou5
質問者

補足

日本が「和」の国だというのは私も大いに納得できます。 和の意味 1 仲よくすること。互いに相手を大切にし、協力し合う関係にあること。「人の―」「家族の―」 2 仲直りすること。争いをやめること。「―を結ぶ」「―を講じる」 3 調和のとれていること。 「大いに身体の―を傷(やぶ)り」〈中村訳・西国立志編〉 4 ある数や式に他の数や式を加えて得られた結果の数や式。⇔差。 やはり「和」は「道理」とは相容れないモノのようですね、調和を取るがために「わがまま」「ごねる」行為を許すのでしょう?「和」のために他者に我慢や譲歩を強いるのは「和」の犠牲者と言えるでしょう、それは「道理」からして間違っています。 「我慢」や「譲歩」は決して他者に強いるものではありません、自ら望んですることが「譲歩」なのです。 それに反対し「和」を乱す人は迷惑で厄介者と見られる日本は事なかれ主義と何が違うのかわかりません。

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