• ベストアンサー
※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:原発の哲学的考察)

原発の哲学的考察

島崎 信也(@zakky74)の回答

回答No.13

zakky74でございます。 世の中は何と不信・不安・恐怖の社会なのでしょうか? ですが、現段階でその様に見てしまうkomaas88さんの状態は分かりました。今後は、そうした色眼鏡で見て安易な判断をされるのではなく、事実を透明に見て判断頂ければと思います。分からなければ納得いくまで何でも聞いてみて下さい。 >私のこのスレの意図は、ご理解いただけたと感じさせていただきました。 もし今後も意図と外れたのであれば遠慮なく言って下さい。今までも、これからも、スレの意図やkomaas88さんの関心に沿わない事を伝えようとは思いません。 >NO.11でのご回答のポイントを私なりにまとめさせていただきますと、・・・ そうですね。ほぼ仰る通りです。 >ザッキー様のご回答は1)~3)については(一見)観術で解決できるというざっくりしたものです。それで、当然 4)への明るい結論へ跳んでいます。こういう理解で宜しいでしょうか? なるほど。その様に受け取られていたんですね。 1.学術的に見ても限界であること 2.学術のどこが限界であるか 3.なぜ観術では限界突破が可能か についてを折り込めば、随分とスッキリするでしょうか? 文字制限があるので、こちらは次回に持ち越しますね。 komaas88さんの新たな質問形式に沿って、改めて応えてみたいと思います。 >1)原発は今後社会での筆頭的なパワーステーションの位置を保つことが出来るだろうか。 不可能です。 そもそも、技術とは変化をパターン化させる時に技術と言います。いつも、安定的に、その変化を導くのが可能である時に、それを技術と言いますね。それは、制御・コントロールできる事を意味しています。 放射性物質について、部分的な変化を導く事は可能ですが、いつも、安定的に、その変化を導くのが不可能ですので、安定的な技術ではありません。 その状態では、先にお伝えした人間活動(文明活動~認識活動)のバランスが極めて悪くなります。現在、何が困っているかと言いますと人間活動に打撃が大きいからです。 それで原発がパワーステーションの位置を保てる道理がありません。 >2)そのためには少なくともより安全が保障できる技術的なブレークスルー(突破口)が必須と思うが、それは正しいだろうか。 考えとしては、それも一つです。学術的理解方式でしたら、その様に考えるかもしれません。ただ、考えとして存在するだけで、技術的なブレークスルーは原理的に不可能です。以前にも申しましたが、光よりも細やかな領域を変化・運動・移動させる技術の開発に向かわねばなりませんが、それが学術の土台からでは不可能だからです。 だとすると、原発で行きたいのなら補わねばなりません。そこで別の観方です。 別の観方としては、そもそも学術の土台を離れて別の土台に向かうならば、原子力発電所を越えたパワーステーションの道があるので、それを研究開発する道も存在しています。つまり、エネルギー生産は原発でなくて構いません。 とすると、やはり原発はパワーステーションである必要がありません。 >2-1)それが必要だと考えるならその具体的な方策は何か? どうしても、というなら原子物理学の領域を更に開拓する道でしょう。 技術を支えているのは学問・学術ですが、この領域にブレークスルーが起きないと、もうこれ以上は技術革新は臨めません。即ち、技術革新は常に物理学・数学などを筆頭におきてきましたが、この領域に限界が生じている為に技術革新が不可能でございます。物理学・数学の限界もここで述べた方が良いのでしょうか? つまり、学術的理解方式・認識方式そのものが限界であった為に、具体的な方策としては、まず学術的理解方式を抜け出し、新しい理解方式と出会う事です。 観術では、ボーアの原子モデルでは理解・説明の出来ない領域を突破できる新しい原子モデルを提案しています。研究・開発は短期間で進むでしょう。同時に、原発でなくても良い事に気づきます。 >3)必要でないならその理由はなにか(放射能は実は怖くないのだ、など)? 集団知能の進化を果たすという人間の存在目的からして、ありえないです。必要でない・・・としたら、集団知能の進化が果たせなくなり、文明の崩壊と共に人類は滅ぶかも?それは嫌ですが。 >4)1)において、それが出来ないならば、文明は踊り場にさしかかる(あるいは没落する)と思えるが、その考え方は正しいだろうか。 物質も、内部で崩壊します(原子力)。文明も同様です。 >放射能の害を観術で乗り越える具体的な方法はあるのでしょうか? 勿論です。観術のセミナーでは何とそれも学びます。 また、積極的に開発する事もできます。 字数が。今回は如何でしたでしょうか?

noname#194996
質問者

お礼

ザッキー様何度もお運びいただきありがとうございます。 お話では、原発の未来はない、と仰っておられるようです。 さらに >原発はパワーステーションである必要がありません。 とも。 また一方では放射能の害を観術で乗り越える具体的な方法はある、とも。 これがあるのなら原発には未来があるように思われます。 この間の矛盾を、できればわかりやすくお示しいただければ幸いです。 私の持っている一般的な情報では、原発以外に現状からスムーズに移行できる電気の原資はないと考えます。オールオアナッシング、ということで、原発を今止めれば少なくとも30年ほど利便な文明が退くのは自明に思えるのですが、どんなものでしょうか。もちろんそれが悪いといっているのではありませんが、それならば日本にこれをよしとする哲学が必要なのではないか。原発反対者にはこの覚悟が出来ているのか、ただ、そんなことはありえないとたかをくくり、できもしないと思いながらただずるずると(バブル後の十年のように)現状のまま何の決断もせずに奈落の底へ進んでいくというだらしない選択をしはじめているのではないか。私はそんないやな予感がしてならないのです。

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