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@ok9608 ok9608
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  • 登録日2010/02/14
  • 全ての命題を含む集合は無限集合ですか?

    言語は、とくに言語の中の語彙に注目すると有限です。 したがって、言語がいくら発展しても語彙が無限になることはできません。 また、言語の種類も有限です。 したがって、語彙は有限です。 そこで、語彙+記号で構成される平叙文(これを命題とします)は有限と考えてよいでしょうか。 全ての命題を含む集合が有限集合ということになれば、「学問は有限である」と言ってよいでしょうか? 学問の「大きさ」を、その学問で検討される命題の数で推し量ろうという考えは妥当でしょうか? 数学や哲学、論理学に精通した識者の方より、お考えをお聞かせいただきたくお願い申し上げます。

  • 学問は唯物論と観念論で構成されていますか?

    すべての学問は唯物論か観念論か、その両方にまたがってると考えてよいですか? もし、唯物論でもなく、観念論でもなく、またその両方から構成されるわけでもない学問があれば教えてほしいとおもいます。 質問1:学問をA、唯物論をM、観念論をIとした場合、命題「A=M∪I」は真ですか? 質問2:上記の命題が真でない場合、どの学問がM∪Iではないのですか?

  • 神の言葉なる聖典も 言葉として 偶像ではないのか?

     (1) 組織宗教の場合に 組織上の権限〔を持つ人間の意向〕が各人の信仰にまで及ぶという――それによって信教・良心の自由を侵すおそれがある――問題があります。具体的には オシエが――それはいかに神の言葉だと言っても 人間の言葉で自己表現された文章であるからには神ではなく信じるものでもなくただ考えるものであるのに――信じるように説かれたりするという問題です。  (2) ここでは 偶像崇拝を禁じるというオシエについて考え問います。  (3) 旧約聖書には こうあります。  ▲ (出エジプト記 20:4-5) ~~~~~~~~~~~  あなたはいかなる像も造ってはならない。  上は天にあり、下は地にあり、また地の下の水の中にある、いかなるものの形も造ってはならない。  あなたはそれらに向かってひれ伏したり、それらに仕えたりしてはならない。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ ですけれども このオシエは 人間の言葉――声および文字――で発せられ書かれているからには ただの偶像ではないのか? 地上のものであり そうとすれば被造物なのではないか? そのような言葉という素材で表わされたオシエを神の言葉として守ることは 偶像崇拝になるのではないか? こういう問いです。  (2) 新約聖書にも 偶像崇拝を否定する記事が――パウロの書簡などに――ありますが 教会も カトリックもプロテスタントもすったもんだしながら 特に偶像が問題ではないというところに落ちついたと言ってよいのでしょうか。  (3) イスラームにおいては 読誦されるアラビア語によるクルアーンが 神の言葉そのものであると説かれます。その根拠についての説明があります。  ▼ (ヰキぺ:クルアーン) ~~~~~~~~~~   http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AB%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%B3  § 2 特徴  § 2.1 イスラーム教における位置付け  (3-1) クルアーンは、神がムハンマドを通じてアラブ人にアラビア語で伝えた神の言葉そのものであるとされ、聖典としての内容、意味も、言葉そのものも全てが神に由来する。  (3-2) クルアーンが神の言葉そのものであることを信じることはイスラーム教の信仰の根幹である。  (3-3) イスラーム神学では、クルアーンは神の言葉そのものである以上、神に由来するもので、神の被造物には含まれない。  (3‐4) クルアーンを記した文字や本、クルアーンを人間が読誦したときにあらわれる音は、被造物である人間があらわしているので被造物の一部であるが、その本質である言葉そのものは、本来被造物の世界に存在しない神の言葉である。  (3‐5) 従って、神の言葉であるクルアーンが地上に伝えられていることそれ自体がムハンマドに対して神がもたらした奇跡であると主張される。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~  (4) さて どうでしょう?   (4‐1) すなわち いかにアラビア語と言えども言語として被造物の一部であってその限りで偶像をつくりうる素材なのであるが そのような偶像要素としての人間の言葉を用いて著わされたクルアーンは しかしながら 被造物ではなくなる。ということか?  (4‐2) 被造物ではない神の言葉が 被造物という素材によって現わされたのではある。  (4‐3) 被造物であるというのは 偶像もしくはその要素だということ。ということは クルアーンは 偶像であって偶像ではない。  (4‐4) さて どういうことでしょう?

  • 命題「存在は定義できない」について。

    「存在は定義できない」という命題が真か偽か、意見が分かれると思います。 ハイデガーなどはこの命題が真であるとの立場をとり、西洋哲学(=哲学史)を勉強した人などもこの主張を支持する人が多いようです。 私はこの命題が偽であるとの立場で論理的な説明を試みたのですが、途中で疲れてしまいました。 疲れてしまう理由は、「どこの誰かが何か言った」などという論理的ではないリファレンスが登場して、これを逐一否定しようとすると枝葉末節に入り込んでしまうからなのです。 そこで、「どこぞの某がこう言った、ああ言った」というリファレンスを無しに、命題が偽であることを説明できないかと考えています。 方法論は、公理的集合論(axiomatic set theory)を用いるのが良いと思っています。 あくまで「存在は定義できない」というのは公理ではないとし、他に、一般に合意可能な内容をいくつか公理として選択し、最終的に「存在は定義できない」という命題が偽であると立証したいのです。 数学や論理学など得意な方、どなたか、手伝っていただけないでしょうか? 質問:命題「存在は定義できない」が偽であることを立証できますか? (なお、これが命題である以上、これを公理には選択できません。)

  • 存在性ってどう言う意味?

    存在性とは・・・・? 忘れたでしょうね。 どう言う意味か当てたら偉い。